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A氏:「日本人は、ソ連に対して『許せない。』という感情が在る。其れは、昭和20年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って参戦したからじゃ無い。日本があっさり無条件降伏した時に、中国政府は大陸に居た数百万人を『母の元に帰れ。』と送り返した。ところが、ソ連は何十万という関東軍の兵士をシベリアに連れて行ったじゃないか。」
レオニード・ブレジネフ書記長:「中国は飯を食わせられないから、口減らしの為に早く返したんだ。」
A氏:「何を言うか。多くの我が同胞に酷寒のシベリアで飯も碌々食わせず、(同胞は)無念の思いで死んで行ったんだ。」
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1973年、モスクワで行われた日ソ首脳会談で、冒頭の激しい遣り取りは交わされた。超大国ソ連の最高指導者に対して、毅然と主張したA氏とは一体誰か?正解を言えば、時の日本の首相・田中角栄氏の事。此の時の遣り取りも在って、ソ連側は田中元首相の事を「極東の野蛮人」と呼んだ。
又、退陣後に田中元首相は、番記者に対して次の様な打ち明け話をしたと言う。
「彼の時、実は特別機に札束を積んで行ったんだよ。北方領土で色好い返事が在れば、樺太を買い戻しても良い。話の成り行きでは、そう提案しようと思ったんだが、先方の器量が其処迄無かった。彼(ブレジネフ書記長)は自民党で言うならば、総務会長止まりの政治家だな。」
「札束で、領土を買い戻す。」という発想は、“金権政治家”と称された田中元首相らしい感じがする。
週刊新潮(8月30日秋風月増大号)には「『今太閤総理』誕生から40年 色褪せぬ『田中角栄』の金言」という特集記事が載っており、田中元首相が口にした言葉が色々紹介されている。
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【1972年9月、ハワイで行われた日米首脳会談での遣り取り】
ヘンリー・キッシンジャー 大統領補佐官:「此れからベトナム戦争の話をしたいが、日本は情報が直ぐに洩れて困る。秘密保持を約束して欲しい。」
【1972年9月、北京で行われた日中国交正常化交渉での遣り取り】
田中角栄首相:「元寇が在るじゃないか。」
周恩来首相:「元は、中国じゃ無い。」
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「其れでは、聞かなくて宜しい。」と言い放った事で、アメリカ側は仰天したと言う。敗戦国の日本、其の首相がよもや自分達に反駁して来るなんて思ってもいなかったのだろう。
又、丁々発止の遣り取りはしたけれど、田中元首相と周恩来首相は不思議に馬が合い、後に「周恩来は、世界一の政治家だよ。政治家で在ると同時に、行政官でも在る。兎に角、凄いよ。何処何処の戦争で日本軍が中国人を何万人殺したと、数字をパッパッパッと挙げて行く。俺も数字には強い方だが、彼は大したもんだ。」と褒めちぎっていたとか。
話を元に戻すが、敗戦国の劣等意識を吹き飛ばすかの様に、大国のトップに対して毅然と、そして対等に渡り合う田中首相の姿に、同行した外務省高官達が「こんな首相は、未だ嘗て居ない。大国の首相と初めて、対等に渡り合ってくれた。」と何度も涙したと言う。
今、こんな政治家が居るだろうか?勇ましい事を矢鱈と口にするけれど、追い詰められたら「僕ちゃん、もう知らない!」といった感じで首相の座を放り出したり、“風”を呼んでコロコロと主張を変えたりと、“内向きに勇ましい政治家”は居るけれど、“面と向かって対等に渡り合える政治家”となると、自分には思い浮かばない。
田中元首相は、悪い事も一杯していると思う。決して“清い人物”では無いだろう。でも、人間的な魅力に溢れ、“良くも悪くも”行動力の在る政治家だったと思っている。自分にとって彼は、好きな政治家の1人。今回の記事では、「学校教育の問題に熱心だった。」という意外な一面も知る事が出来た。
あるブログで、「球速が140㎞でコントロールはまあまあという投手ばかりのチームが投手王国と呼ばれたことって一度もないと思います」という文章を見つけました。これって人間関係にも言えることではないかと。
「こういうところのある人は嫌、こういう人も嫌」と減点法で絞っていったら、好きにならないまでも何とか受け入れられる相手に絞ることはできるでしょうが、すべての項目について高いレベルの人や一芸に大きく秀でた人が何人も残ることは少なく、中途半端な人ばかりになってしまう場合の方が多いのではないでしょうか(組織を支えているのは中途半端ながらも真面目に頑張る人々の層の厚さではありますが)。
「昔の政治家・官僚はすごかった」というのはよく聞かれる言葉ですが、昔は今ほど一挙一動をすごい勢いでメディアに云々されなかったため、少々思い切った施策でも進められたというのもあるのではないかと思います。
私事で恐縮ですが、うちの父はアゲインスト(差別的・敵対的)な意識を多岐に渡って持っているほうです。しかし、父は自分がそういう意識を抱いていることはごく近しい者にしか語らず、対象者本人やその関係者だけでなく世間一般の人々にも悟らせません。近しい者には彼らのことをなんだかんだ言いつつも、当事者から相談を受けた場合は助言し、必要な便宜を図っています。娘としては、父のアゲインストな発言に辟易し反発しながらも、「徒に共感するばかりで具体的な手立てを講じてくれない人よりも、アゲインストであっても必要な手立てを過不足なく講じてくれる人の方が頼もしいのではないか」と思いつつあります。
「『球速が140㎞で、コントロールはまあまあという投手許りのチーム』が、投手王国と呼ばれた事って一度も無いと思います。」という喩え、其れは言えますね。又、人間関係も、そういった面は在ると思います。
「金権政治家」といった「田中角栄元首相」の名前を多くが思い浮かべるで在ろう程、彼は“ブラック”な面も有しているのは事実。そういいう面は自分も好きじゃないけれど、「人間的な魅力」という点では、歴代の首相の中ではとても好きな人物でも在りました。
演説では人懐っこい笑顔で笑ってしまう様な事を話したと思えば、きっと真顔で厳しい主張もする。そして、ホロッとしてしまう様な話もと、人の心を掴むのが絶妙な人物。又、良くも悪くも行動力は在りましたね。
御身内だから厳しい目で見てしまわれるのでしょうが、其処迄周りから頼られる御父様なのですから、人間的な魅力に溢れ、バランス感覚も有した方なのだと思います。
多くの犠牲者を出しましたよね。
スターリンの時代は農業の集団化を強制させたことも
話題になり、歴史的な出来事としていまも私の頭の中に残ってますが。
犠牲者を出さないまでもシベリア送り
シベリアの収容所送りなんてとんでもないことを
したわけですから
関東軍と、いわれる日本人兵士を餓死させた
無念、怒り、憤りは田中角栄氏だけでなくても
日本の歴代首相はさぞ持っているはず。
スターリン、ブレジネフこそソ連の野蛮人
ロシアの野蛮人ではないですか。
前者は大量虐殺した野蛮人で独裁者
後者は国民に耐乏生活を強いた野蛮人で独裁者
田中角栄氏も晩年はロッキードで叩かれて
さびしい余生を送っていたが
日中友好関係を築いたり
日本の高度経済成長を円滑にさせ、良くさせた
人物であることは間違いないでしょう。
誰しも「好きになれない国」というのは在ると思うんです。「何処何処の国の人が好きになれない。」というのでは無く、「国の体質が好きになれない。」という意味ですが、そういう意味では「中国」と国も好きになれないけれど(歴史や料理は好きですけれど。)、個人的に最も好きになれない国はロシア。日ソ中立条約を締結しておき乍ら、『日本は負けそうだ。条約を一方的破棄し、宣戦布告すれば、戦後に漁夫の利が得られる。」と日本に攻め込んで来た卑怯さも嫌ですが、シベリア抑留という非人道的且つ違法な行為で、同胞を多く死なせたというのが、どうしても許せません。
唯、だからと言って、ロシア人が嫌いという訳では無い。飽く迄も「国の体質が好きになれない。」という事ですが。