ザ・ピーナツの伊藤ユミさんが、5月18日に75歳で亡くなられていたと言う。世代的にはザ・ピーナツの全盛期を知らない人間だが、彼女達が歌ったヒット曲の数々は知っているし、何よりも姉・伊藤エミさんが“ジュリー”の元奥さんという認識が在る。伊藤エミさんが4年前に71歳で亡くなられた際には、「若過ぎるなあ・・・。」と思ったけれど、妹・ユミさんも若過ぎる死だ。
「既に亡くなられていた事が明らかになった。」と言えば・・・。
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「永六輔さん死去・・・放送作家・作詞等多方面活躍」(7月11日、読売新聞)
草創期のテレヴィ界で放送作家として活躍し、「上を向いて歩こう」【歌】を始め、多数のヒット曲を作詞す等、多方面で才能を発揮した永六輔(えい・ろくすけ、本名・永孝雄=えい・たかお)さんが死去した事が11日判った。83歳だった。
東京・浅草出身。10代の頃のNHKラジオへの投稿が切っ掛けで、放送作家の道へ進む。ラジオや草創期のテレヴィ番組に携わり、1961年から1966年迄放送されたNHK「夢であいましょう」【動画】等の人気番組の脚本を書く傍ら、自らも番組に出演し、独特の早口な喋りで人気者になった。
作詞家としては、中村八大さんが作曲し、水原弘さんが歌った「黒い花びら」【動画】が1959年に第1回日本レコード大賞を受賞。以後も中村さんとのコンビで「上を向いて歩こう」、「こんにちは赤ちゃん」【動画】、「遠くへ行きたい」【動画】等の国民的ヒット曲を送り出した。
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永六輔氏と言えば、テレヴィ界を草創期から支え続けて来た人の1人。最初に彼の事を知ったのは、“尺貫法に固執する人”としてだったと思う。「変わった人だなあ。」と思っていたら、後に“マルチタレントとしても魁的存在”という事を知った。作詞家としての彼が生み出した名曲には、上記した物以外に、以下の物が在る。
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・「見上げてごらん夜の星を」【歌】
・「レットキス (ジェンカ)」【歌】
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“サブちゃん”の歌の中では一番好きな「帰ろかな」を始め、名曲揃いだ。放送作家やラジオ・パーソナリティー、タレント、随筆家として八面六臂の活躍を見せ乍ら、同時に此れだけの名曲の作詞を担当して来たというのは、凡人な自分からすると羨ましい才能。
数多くの名曲の中でも、永作品として一番有名なのは「上を向いて歩こう」だろう。老若男女を問わず知られた曲で、「未来に残したい名曲」みたいな企画では、必ずと言って良い程、1位に選ばれている。
「作詞:永“六”輔氏、作曲:中村“八”大氏、歌:坂本“九”氏」は“六八九トリオ”と呼ばれていたが、1985年に坂本九氏が「日本航空123便墜落事故」にて43歳で、1992年には中村八大氏が心不全にて61歳で亡くなられ、そして今回、最後の“六”が亡くなられた訳だ。合掌。