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「フジテレビへの抗議が飛び火? Amazonの花王製品レビューが炎上」(8月2日、ITmediaニュース)
Amazon.co.jpで販売されている花王の洗剤等に対し、商品を酷評するレビューが続々と投稿される事態になっている。「韓流」を巡るフジテレビへの抗議が大手スポンサー企業で在る花王に飛び火している様だ。
Amazonの「アタックNeo 詰め替え用」販売ページには、8月2日午前11時半時点でレビューが約220件投稿されており、其の内約200件は「星1つ」だ。
レビューは「汚れが余り落ちません。」といった其れらしい内容の物から、「花王さんの商品を買ったとしても、其の御金が反日TV局に廻るのかと思うと、意識的に花王さんの他製品も避けようとも思ってしまいます。」といったフジテレビ騒動を仄めかす物も多い。
レビューの中には「2,469人中、2,449人が、『此のレビューが参考になった。』と投票しています。」等と大勢のユーザーが評価している物も在る。一方、騒動以前に投稿された、商品を高く評価するレビューに対しては「566人中、26人の方が、『此のレビューが参考になった。』と投票しています。」と低評価が付けられてしまっており、レビューが全く機能していない状態だ。
ネットの一部では、フジテレビに出稿している大手企業をピックアップし、商品の不買を呼び掛ける動きが起きている。花王に“電凸”した結果、ぞんざいに受け答えされたという“報告”も出回っており、此れが火に油を注ぐ形になっている。
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真相究明すべき重大事件等なら話は別だけれど、そうでは無い事柄を執拗にマスメディアが取り上げる姿勢というのは、個人的に好きじゃない。「2ヶ月程前、異常な程報じられていた『第3回AKB選抜総選挙』。」や「同じ人物や同じ事務所のタレント許りが登場するドラマやヴァラエティー番組。」、「『刺客』だ何だと、劇場型政治を面白おかしく、連日の如く報じたワイドショーやニュース番組。」等にはウンザリさせられ、そういった類いの物は出来るだけ見聞しない様にしている。だから「高岡蒼甫氏の主張には、同意出来る“部分”が無くは無い。」のだけれど、懸念していた通り、話が妙な方向に進んで来ている様に感じる。
「妙な思惑から、高岡氏(乃至は彼の主張)を利用しようとしている輩が続出している。」というのは、高岡氏が純粋な気持ちで今回の主張をしたの“だとしたら”、彼に対して失礼だし、卑怯な遣り方と言わざるを得ない。
「こういう電話をフジテレビにすれば、相手を苛立たせる事が出来る。苛立たせた結果、失言を引き出せたならば、其れを録音。フジテレビのメインのスポンサー企業に電話して録音内容を聞かせた上で、『こんな酷い事を言うフジテレビに、貴社はスポンサーとして御金を出しているのは許せない。今後は一切、貴社の商品を買わない。』と言えば、圧力を掛けられる。」とか、「フジテレビにこういう形で抗議すれば、大きなダメージを与えられる。」等といった趣旨の書き込みが、ネット上には少なからず見受けられる。フジテレビのメインのスポンサーを具体的に列挙したり(「基盤の弱い企業を狙え!」とか。)、具体的に「嫌がらせの文面」を“御手本として”紹介したりしているのだが、卑劣極まり無い遣り方だと思う。
どういう主張をしようが、又、どういう抗議をしようが個々人の勝手だけれど、“道義的に”どうかと思うスタイルは支持出来ない。此の手の遣り方を正当化でしようとしている人達の中には無闇矢鱈と「愛国心」を口にしている者も少なくないが、「愛すべき日本で彼等が礼賛している事柄の1つに『武士道的な生き方」が在るの“だとしたら”、こういった嫌がらせとしか思えない遣り方は、武士道的な生き方に反しないと思っているのだろうか?もし自分達が大勢から同様の嫌がらせを受けたとしても、彼等は全く文句を言わないのだろうか?
主張するにせよ、抗議するにせよ、自分の頭でじっくり考えた上、自分自身のスタイル(違法だったり、嫌がらせだったりじゃ無い形なのは、言う迄も無いけれど。)で行うべきで在る。そうでなければ、単なる自己満足だ。
今回の花王への遣り方は「威力業務妨害」という嫌がらせとしか思えないし、“卑劣さという意味では”「(証拠隠滅の為なのかどうかは別にしても)事故車両を粉砕&土中に埋めたのを映像等で残されているのにも拘らず、『救援作業の過程で出来た穴には入れたが、埋めてはいない。』等と言っている中国当局。」と何等変わらない。
こういう事を面白おかしくやっていると、延いては妙な政治介入を生み、真っ当な方法での主張すら封じ込まれてしまう危険性を、過去の歴史から学んで欲しい。主張や抗議をするにしても、其の方法を誤れば、自らの首を絞めてしまう事になる。自己満足をしたいだけの人には何を言っても無意味だろうけれど、「純粋な気持ちから様々な主張をしたい人達には、少なくとも誤った方法だけは取らないで貰いたい。」と思う次第。
「マオタ」さんたちはフジテレビがことあるごとに浅田真央さんと韓国人のキムヨナさんを比べて、キムさんを「上げる」ために浅田さんを貶め、韓国びいき、韓国の為の放送をしていると思い込んでいて、2008年ぐらい以降からこういう示威行動をやっているようです。
おととしかな、フィギュアスケートの情報を得ようと検索したらそういうブログばかり出てきてビックリしました。ちょっとでも「考えすぎだ」と書く人が来ると「工作員!」と罵るような。
その人たち、浅田さんのメインスポンサーのロッテまで不買運動していて支離滅裂なのです。
というか浅田さんのスポンサー=フジフィギュアのスポンサー、スケート連盟スポンサーでもあるのに^^;。
花王もスポンサーだったと思います。
(韓流の時間帯って洗剤広告が多いのはよくわかるな)
同じ人たちがやっていると思うはらたいらさんに全部!だなー(苦笑)。
高岡氏を支持している人達、又はフジテレビを批判している人達の中には、純粋な気持ち(純粋な気持ちというのも、時には危うさを有している事も在るのですが。)からそうしている人も少なくは無いでしょう。しかし「フジテレビの番組XXでは、キムチ料理を紹介していた。矢張りフジテレビは反日だ!」とか、「○○という番組ではセットに『赤』と『青』の色が使われいるから、フジテレビの韓国崇拝は確定!」等という主張を見聞すると、其れがネタで言っているとは思いつつ、「此の人達大丈夫なのかなあ?」とオツムの心配をしてしまいます。
少しでも多くの人達に自身の主張を理解して貰いたい“ならば”、「まともな論拠」と「一定した判断基準」にて述べないと、極めて少数の支持しか得られないでしょうね。
1990年以前の団塊世代やその上の人であれば一番儲けているメディアのフジテレビが著作権料、放送権料安上がりの外国ドラマ、歌手を使うことを文化的搾取と言っていたと思います。
それが今は文化的侵略として恐怖を感じているというのはなんとも意味のあることのように思います。
1970年代~1980年代に香港映画や、出稼ぎ歌手が脚光を浴びましたが、そのころは外国人がやってくることを「強い国になった証」と思っていたはずです。今でも韓国歌手の人は韓国語ではなく日本語で歌いに来ているのですから、かつてのチョー・ヨンピル、キム・ヨンジャのような出稼ぎ歌手である構図は何も変わらないと思うのですが。そして殆どの人はキム・ヨンジャらを日本の円貨と演歌を盗みに来たとは思っていなかったと思います。
1980年代にはそれまで休み時の定番だったアラン・ドロン映画やイタリアのマカロニウエスタン、お色気映画の退潮に入れ替わるように香港映画が席巻し、洋画雑誌には白人に代わって香港人が常にカバーを飾るようになりましたし、たくさん日本のテレビにも出ていましたが、それに対してもこういう反応は無かった。
それだけ、今の20~40代と思われる人たちは韓国に対し、脅えているのだろうか?そう思いました。もしかしたら、子供時分に香港映画の好きな人たちだったかもしれないのに、「韓国」というと突然このような反応になるのが驚き。
「他国の場合ならば特に問題視しないのに、韓国や中国が関わって来ると、エキセントリックとも思える反応を示す人が少なくない。」というのは、恐らく彼の国々に対する「脅え」というよりも、「対抗意識」の強さが起因している様に感じます。両国の共通点として、「同じアジアの国」というのが先ず在ります。欧米諸国ならば潜在的にも「劣等意識」を持っているけれど、アジア諸国が相手ならば「日本の方が遥かに勝っている。(アジアの国々は、日本より下の存在。)」という「優越意識」が、其れこそ祖父母の代から持っている人が少なくない様に感じられ、だからこそ「下の存在」と思っていた中国や韓国が著しい経済発展を遂げている事を面白く感じないという感覚が在るのではないかと。
そして其れに加えて、此の両国が「政権基盤を強固にする為に、日本を仮想敵にして『反日教育』を行って来た。」というのも大きいのでしょうね。「下の存在だった癖に、反日思想なんて生意気だ。そっちが反日ならば、此方も嫌中&嫌韓で対抗してやる!!」という強い意識を持った人が生まれてしまったのではないでしょうか。理不尽な反日教育には自分も憤りを感じるけれど、だからと言って彼等と全く同じ事をしているならば、同じ穴の貉になってしまうだけなのですけれどね。同じ土俵に乗っかって、稚拙な罵倒合戦をしても無意味と思うのだけれど。
あと不思議なのは「政権交代で、日本の弱腰外交が始まった。」という主張をしている人達の存在。民主党の外交政策が弱腰なのは事実と思うけれど、でも「弱腰外交」という点に関しては、自民党時代からずっと言われて来た事。そういった点を全く知らずして、盲目的に「政権交代で、日本の弱腰外交が始まった。」と言っているのだとしたら、其れは余りに不勉強と思ってしまうのです。
結局、日本の外交が弱腰にならざるを得ないのは、「他国と丁々発止に遣り合う交渉力を有する人材育成が出来ていない。」という事に尽きる様に感じます。
が、giants55さんのこの記事を読んでいると、愉快犯に混じって意識的な「煽り」の存在を強く感じますね。
現大阪府知事が弁護士だった頃にテレビ番組の中で、光市母子殺人事件の弁護団に対する「懲戒請求」を呼びかけたことを連想しました。
知識も教養もあり社会的地位のある人物が、あえて理不尽な行動を煽ることの怖さ。思考停止した人たちがその手に乗りやすいのは、十分に考えられますから。
こういう行動を取りがちな人たちは、極右・極左に拘らず、自らの信条信念に基づくというより、ある種の宗教信者にも共通する盲目的追随を感じてしまいます。
かく言う私も常に冷静に自分の思考判断で行動しているわけではないかもしれないし。おー怖。
昔からそういうスタイルは在ったのだけれど、小泉首相が登場して以降、「仮想敵を作り上げ、其れを猛バッシングする事で、世論を誘導するというスタイル。」が盛んになった気がしています。橋下知事も、そういったスタイルを好んで用いる人ですね。彼の扇動的な遣り口は好きじゃない。唯、彼の場合はそういう扇動的なスタイルを取りつつも、同時に彼自身が「冷めた目」で其れを見ている様にも感じるんです。「こういう過激な発言をすれば、まあ相当な非難はされるだろうな。でも問題提起にはなるだろうし、口にする価値は在るだろう。」という思考が彼の中には在る様に見え、相当な非難が起こるとさっと謝罪するという所にも、其れが感じられたりします。策士は策士ですね。
http://majestic.iza.ne.jp/blog/entry/2387630/
興味深い分析ですね。
AKさんが挙げておられる「香港映画」も隙間を縫って入ってきたものではなかったかな(欧州映画産業の停滞、映画観客の低年齢化、配給会社の資金難)。もっとさかのぼるとイタリアマカロニウエスタンもそうでしょうね(米国映画産業の停滞等)
私はこの件は冷めた目で見てましたが、名古屋でフジ系の東海テレビがこの時期に自爆しましたので、東海テレビ見ない運動一週間ぐらい勝手にやります(笑・ナイターやってくれる局なんで困ったな)
先ずは「東海テレビの失態」に付いてですが、擁護の余地の無い、極めてアホな失態と言えましょう。本放送では無く、テスト用に用意されたテロップという事ですが、仮にテスト用にしても、未曽有の大災害で心身共に傷付いた多くの人々を傷付ける、実に心無い事柄で在り、“1人の人間として”憤りを覚えました。
当人は「冗談の積り」だったのかもしれないけれど、こんなのは冗談と言える様な範疇の物では無い。又、仮に冗談と当人が思っていたとしても、こういう事を普段から頭の中で思っている事により、徐々に「其れが正しい事。」と麻痺して行ったりするもの。当人及び東海テレビには、猛省をして貰いたい!
御紹介戴いた記事、拝読致しました。「当初の(韓国コンテンツの放送)開始は、『放送不況処理班』だったという話だ。」とか、「答えは何時も此の様に単純なのに、何故日本の右翼勢力は、何時も不思議な部分だけを摘むのか判らない。状況を好転させようとするのか其れとも逆に悪化させようとしているのか気掛り(な)程だ。」というのは、中々面白い指摘。
其れにしても高岡氏の主張、どんどん妙な方向に進んでいる様に感じます。「人権侵害救済法案は非常に危険な法案。」というのは、自分も「権力者が恣意的に言論統制を行える可能性」の観点から疑問を感じていますが、彼は此の件も含めて「“現政権”が全て悪い。」的な主張なのが非常に引っ掛かる。“自民党政権時”に当ブログで書いたと思うのですが、「人権侵害救済法案」は自民党が提出&廃案となった「人権擁護法案」と中身的にはほぼ同じ筈。矢鱈と「日本人として、こう在るべき!」的な発言している“愛国者”の彼ならば、当然其の事は知っている筈で、其れに触れないのは不自然な気が。知っていて「全て現政権が悪い!」的な発言をしているの“だとしたら”、「自民党のメッセンジャー・ボーイなのかな?」という思いがしてしまう訳です。彼が抑主張した内容には頷ける点が在っただけに、非常に残念に感じる。