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第1章「透視す(みとおす)」
第2章「曲球る(まがる)」
貴方が言う抵抗は、立派な努力に見えます。努力する事に無駄は無い。
第3章「念波る(おくる)」
運命なんて物は信じない。サンタクロース以上に。
第4章「猛射つ(うつ)」
私は君に、そんな事をさせたくて科学を教えたんじゃない。
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東野圭吾氏の「禁断の魔術 ガリレオ8」は「ガリレオ・シリーズ」の第8弾に当たり、冒頭で紹介した4つの短編小説から構成されている。今夏に刊行された第7弾「虚像の道化師 ガリレオ7」で東野氏は「此の作品を書き終えた時点で、今後ガリレオの短編を書く事は無いだろう。」と思っていたが、「小説の神様という奴の気紛れをたっぷり思い知らされた。」との事で、「禁断の魔術 ガリレオ8」を書下ろしたと言う。「今後ガリレオの短編を書く事は無いだろう。」という思いを覆す程、渾身の力を振り絞って書き下ろした作品なのだろうし、そういった意味で「ガリレオ・シリーズ」の短編集は、少なくとも暫く刊行されないのではないかという気がする。
何度も書いている事だが、自分が「東野圭吾」という作家をデビュー時から応援しているのは、理系作家で在る彼の作品には、文系人間で在る自分を魅了して離さない「理系テースト」が漂っているから。特に「ガリレオ・シリーズ」は、其の傾向が強いので好き。
唯、好きなシリーズでは在るものの、近年の同シリーズには物足りなさを感じていたのも事実。不可思議な謎の裏に在る“科学トリック”を、天才物理学者の“ガリレオ”こと湯川学(ゆかわ・まなぶ)が解き明かすのだけれど、其の科学トリックが徐々に“小粒化”している様に感じているから。
第1章から第3章迄は、ハッキリ言ってピンと来なかった。科学トリックは相変わらず小粒だし、ストーリーも凡庸なので。しかし最後の第4章は、嘗ての同シリーズの“輝き”を取り戻した感が。短編小説で在り乍ら、長編小説に劣らない程、個々のキャラクターが深く描かれている。
又、長い時間を掛け、復讐の為に全てを犠牲にした或る人物の気持ちを思うと、堪らない気持ちになった。其れだけに“救いが感じられなかった結末”には、「もっと別の結末も在ったのではないかなあ?」という不満が。
「冷静沈着」という言葉を具現化した様な人物の湯川だが、第4章では意外な“顔”を見せているのが興味深い。「大事な人間を、何としても救いたい!」という思いが彼をそうさせたのだろうし、結果として「本当に救えたのだろうか?」という複雑な思いが湧いたからこそ、最後の最後に彼は“旅立つ”事にしたのだと思う。
第4章だけならば評価は星4つとしたいが、総合評価となると星3.5個が妥当か。
ガリレオシリーズは昔第1冊目を読んだ記憶があり、その後テレビドラマ化されて見ていました。今回もちょっと興味を惹かれましたね。
「容疑者Xの献身」と今回の第4章は全く別物ですが、でも悠々遊様が「同じ物?」と思われたのも凄く判ります。と言うのも、「作品から漂って来る雰囲気が、『容疑者Xの献身』と凄く似ている。」と自分も感じたからです。
「容疑者Xの献身」は直木賞を受賞したし、世間の評判も非常に高い作品でした。東野ファンの自分としては「漸と東野作品が認められたか。」と嬉しい思いが在る一方で、此の作品で認められたという事には複雑な思いが在りました。「幾ら愛する者の為とはいえ、相手が自分に思いを寄せているかも全く判らない状態、否、思いを寄せている可能性が著しく低い状態で、其処迄自分を”犠牲”に出来るものだろうか?此れが本当に純愛と言えるのだろうか?」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/2537950a01db041f5d0b4fa1c7d33993)という思いが強かったのも、此の作品を其処迄高く評価出来なかった所以。
今回の第4章ではそういった“迷い”も感じられず、「容疑者Xの献身」よりはすっとストーリーに入り込めた次第。
私も、恐らくこれが最後のガリレオになるのではと思いました。トリック解明の小粒化もそうなのですが、やはりシリーズ物にありがちな、「マンネリ感」がありますね。
ただ第4章は良かったと思います。悠々遊さんの書かれておられるように「容疑者Xの献身」を彷彿させました。
私は、物語の後半で涙が止まらなくなりました。これも「容疑者」以来の事でした。
短編ではありましたが、人物像をよく書けていたと思います。
海外に行ったというのも、最終を意味しているように感じました。
第4章と「容疑者Xの献身」をオーバーラップさせた方は、結構居られるでしょうね。第三者からすれば「どうして其処迄、“他人”の為に“我が身”を捨てられるのか?」という思いも当然出るでしょう。でも、そういった理不尽さが在るからこそ、読んでいる人がグッと来るとも言えますね。
東野氏は「今後ガリレオの短編を書く事は無いだろう。」と語っており、個人的には「長編なら書き続けて行く。」という意思表示の様にも感じています。長編だと“基本的には”「湯川にとって、1つの過去が出来上がる。」訳ですが、短編だと「其の数だけ、湯川の過去が出来上がる。」事になり、短編を書き続ける事で「過去の制約」が長編以上に出てしまう事を、東野氏は嫌ったのではないかと思うのです。もっと判り易く言えば、「過去の出来事が増えれば増える程、其の整合性を保つ為の面倒さが出てしまう。」訳で、其れがマンネリ感を増させているとも。ですので、「或る程度の期間を置いて、再びガリレオ・シリーズの長編は書き続けて行くのではないかなあ。」という気がしています。
今後とも、何卒宜しく御願い致します。