今日は、66回目の終戦記念日。国家其れ其れに掲げる「大義名分」が在ったにせよ、「国家の命を受け、人間が人間を殺戮するという行為は、愚行としか思えない。」と自分は考えている。唯、「愚行へと突き進まざるを得ない環境を作り上げてしまった、各国家の構成員たる国民全員が反省しなければいけない。」とは思うが、戦争によって命を落とす事になった数多の人々を愚弄する気は全く無く、寧ろ存在するのは「憐憫の思い」と「追悼の気持ち」だけだ。
愚行を繰り返さない為、せめて終戦記念日だけでも、多くの人が「過去の歴史」に思いを馳せて欲しい。特定の存在や人を責める為に思いを馳せるのでは無く、数多の者が深い哀しみを持ち続けなくて済む為に。「過去の歴史」を一方向からの情報だけでは無く、色んな方向からの情報に触れ、理性的に自分の頭で“咀嚼”する事が肝要。そういった行為が、延いては数多の御霊の供養にもなると思うから。
自分はバランスを取っていると考える人が大半でしょう。
しかし、誰かに誘導されているだけかもしれません。
フジテレビに纏わる一連の騒動や地方も含めた政治の動き等、『表』に見えている物は『本質』でも『全体』でもない。
その『奥』に何があるのか。
あれやこれやと考えさせられる、重苦しい終戦の日でした。
人其れ其れに異なる思考が在る以上、完全に第三者的な視点で物事を判断するというのは、中々難しい。ですから仰る様に、「自分は理性的な言動をしている。」と思っている人でも、実際には独善的だったり、誰かの思惑に乗せられているだけという事は少なくないでしょうね。
先日、戦争経験者の証言をネット上で目にしたのですが、興味深かったのは「同調圧力」(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E8%AA%BF%E5%9C%A7%E5%8A%9B)という言葉。「職場等、或る特定の集団に於いて意思決定を行う際に、少数意見を有する者に対して、暗黙の内に多数意見に合わせる事を強制する。」事を意味するそうですが、「此の戦争はおかしいのではないか?」とか「戦地に大事な息子を送り出したくない。」と心の中で思っていても、「聖戦」だ「御国の為に死ぬ事こそが正しい。」だという世間の風潮、即ち同調圧力によって、結果的に言論がどんどん封殺されて行く事の怖さを改めて感じた次第。
今夏も靖国神社を巡っては、極右や極左の人達が激しく罵り合いをしていた様ですが、実際に靖国神社を参拝されていた人(30代だったか。)のコメントが新聞に載っていましたけれど、凄く共感を覚える内容でした。
「靖国参拝に賛成だ反対だと大騒ぎしている人達は、本当に鎮魂の気持ちが在るのだろうか?鎮魂の気持ちが本当に在るのならば、せめて終戦の日位は、静かにしていて欲しい。」