**************************************
「読売新聞グループ本社社主、正力亨氏が死去」(8月15日、読売新聞)
読売新聞グループ本社社主で読売巨人軍名誉オーナー、日本テレビ放送網名誉顧問の正力亨(しょうりき・とおる)氏が15日午前5時5分、敗血症の為東京都内の病院で死去した。
92歳。通夜、告別式は近親者で行う。遺族は弔問、弔電、香典、供物、供花一切を辞退するとしている。後日、御別れの会が開かれる予定。
先代社主・故正力松太郎氏の長男。慶應大学を卒業、王子製紙に入社した後、海軍経理学校を経て応召。海軍主計大尉で終戦を迎え、其の後、1956年に読売新聞社事業本部嘱託、1960年に取締役となった。1964年に巨人軍オーナーに就任。1965年からのV9(9年連続日本一)時代を含め、1996年迄オーナーを務めた。
一方、1968年から1970年迄日本テレビ放送網の取締役副社長を務め、1970年から読売新聞社の取締役社主となったが、今年6月、読売新聞グループ本社、読売巨人軍、日本テレビ放送網の取締役を何れも退任した。
**************************************
「ジャイアンツのオーナー」と聞いて、良くも悪くも「“ナベツネ”こと渡邉恒雄氏」の名前を思い浮かべる人は多い事だろう。しかし中高年以上のプロ野球ファンだと、正力亨氏の名前に懐かしさを覚える人が多いのではなかろうか。
ジャイアンツのオーナーとして、V9という輝かしい時代を経験した亨氏。だが一方で、「江川事件(空白の一日)」等、ジャイアンツの傲慢さを感じさせる出来事が目立つ様になった時期のオーナーでも在った。
亨氏と言えば、強烈に思い出すシーンが在る。1980年代だったと思うが、ジャイアンツの優勝祝勝会で彼が挨拶したのだけれど、目は一点を見詰めた儘、両肩を人生幸朗師匠(動画)よりも激しく上下動させ乍ら、「我々は、山が在るから登るので在ります。何故山に登るのかと言えば、其処に山が在るからで在ります。山に登るのは・・・。」と、まるで壊れたレコードの如く(此の比喩、若い人には伝わらないだろうけれど。)「山が~山が~山が~」と言い始めたのだ。周りの関係者(監督は藤田元司氏か、又は王貞治氏だった様に記憶している。)が不安そうな面持ちで彼を見詰めていたのが非常に印象的で、やくみつる氏は此の時の様子を何度も漫画のネタにしていた程。TVで見ていた自分は、何か見てはいけない物を見てしまった様な、実に気まずい思いが在った。「戦争中に経験した強烈な出来事が、彼に大きな影響を及ぼした。」という話を後になって知り、彼のシーンを笑いのネタにしていた事を申し訳無く思ったが、兎に角自分に強い印象を残したシーンだったのは確かだ。
亨氏の父・正力松太郎氏は警察官僚から実業家へと転身し、政治家にもなった人物。経営難に陥っていた読売新聞を1924年に買収し、経営者として同新聞の部数大幅拡大に成功した事で、「読売中興の祖」とも呼ばれている。1934年にはジャイアンツの前身で在る「大日本東京野球倶楽部」を創立し、1952年には日本テレビの初代社長に就任。「新聞」、「TV」、そして「プロ野球チーム」を傘下にし、ジャイアンツを積極的に読売新聞や日本テレビで取り上げる事で、何れも巨大化させて行った。「メディア・ミックス」を取り入れた、先駆け的存在と言っても良いだろう。上記した「読売中興の祖」以外にも「プロ野球の父」、「TV放送の父」、「原子力の父」等多くの異名を持つ彼だが、一番有名と思われるのは「大正力(だいしょうりき)」。「偉大な正力」という意味だと思うが、此処迄行ってしまうと「某北の国の将軍様の呼称」と似た感じが無くも無い。
余りにも大きな存在の父を持った亨氏は、後継者として読売グループを率いるものと多くが思っていた。しかし実際には、「徐々に権力を奪われて行った。」というイメージが自分には在る。読売新聞で「販売の鬼」と呼ばれた務臺光雄氏に頭を押さえ付けられ、又、其の子分的存在だった渡邉恒雄氏に追い越され、読売新聞や日本テレビに於ける実権を奪われて、「御飾り」に据えられてしまった。そして彼が最も愛したと言われるジャイアンツのオーナー職も、1997年には渡邉氏に委譲せざるを得なかった。「子供の様な純粋さが在った。」と言われる亨氏にとっては、「大好きな玩具を取り上げられてしまった。」という感じが在ったのではないだろうか。
豊臣秀吉という大きな存在を父に持ち、生まれ乍らのボンボンとして将来は天下を治めるものと思われていたのが、“部下”の徳川家康の策略により、徐々に実権を失わされて行った豊臣秀頼。亨氏の人生を思うと、豊臣秀頼の人生とオーバーラップしてしまう。
オーナー在籍時には「ジャイアンツの暴走を許す」というマイナス面も在ったけれど、ナベツネの様に傲慢さや憎々しさを感じてしまうオーナーでは無かった亨氏。合掌。
いずれにせよこの人の退場、あるいは小林読売社長の死が日本球界に与えた影は大きいかもしれませんね。
ご冥福をお祈りいたします。
ジャイアンツが傲慢さを強め出した時代のオーナーという意味では好きじゃなかったけれど、「純粋にジャイアンツを愛していた人」という意味では、正力亨氏という人物は嫌いになれなかった。彼は王貞治氏が特に大好きだった様で、王監督が初めて優勝を果たした時、子供の如く大喜びしていた姿は微笑ましくも在った。