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「『漸と内村航平を証明出来た。』/体操」(8月2日、日刊スポーツ)
<ロンドン五輪:体操>◇1日(日本時間2日)◇男子個人総合決勝
内村が最高のどや顔で金メダルだ!世界選手権個人総合3連覇の内村航平(23歳=コナミ)が、出場選手24人中、唯1人、全6種目で15点以上をマーク。圧倒的な強さを見せ、合計92.690点で自身初の五輪金メダルに輝いた。個人総合の日本選手の金メダルは1984年ロサンゼルス五輪の具志堅幸司以来28年振り4人目。又、内村は同種目で、世界選手権と五輪を制した初の日本選手となった。
内村は、団体総合決勝でミスをした鞍馬のスタート。「今迄経験した事が無い。」と不安が在ったが、確りと着地迄纏め、最高のスタートを切った。3種目目の跳馬では、2回半捻りの着地を見事に決め、16.266点の高得点。首位に立つと、其の後は1度も其の座を譲らず逃げ切った。
金メダルを取りに行く為に、平行棒と鉄棒の技の難度を落とした。代表の森泉貴博コーチから進言されたが、「最初は、自分らしく無いと迷った。」。しかし、同室には、一緒に表彰台に上がろうと誓い合った親友の山室が団体総合決勝の跳馬で骨折し、左足にギプスを巻いていた。森泉コーチに「金メダルを、山室に持って帰ろう。」と言われ、納得した。
団体総合では「自分らしい演技が出来なかった。」。しかし、此の金メダルで「漸と内村航平を証明出来たと思う。」。そう話すと、最高のどや顔になった。
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内村選手の高い能力を認めているからこそ、そして彼に“全ての面で”超一流選手になって欲しいと思っているからこそ、(先日の)体操男子団体総合決勝後の彼の発言には厳しい事を書かせて貰ったが、昨日の金メダル獲得には、心より拍手を送りたい。おめでとう!
責任感が非常に強い選手故、団体戦では想像以上のプレッシャーやストレスを感じていた事だろう。漸と結果を残せた事で、彼の持つ天衣無縫さが十二分に解き放たれた笑顔だったと思う。
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「立石が銅、北島は4位=男子200平泳ぎ-女子200バタの星は銅」(8月2日、時事通信)
ロンドン五輪は第6日の1日、競泳が行われ、男子200m平泳ぎ決勝で立石諒が銅メダルを獲得した。3連覇を狙った北島康介は、4位でメダルを逃した。ダニエル・ジュルタ(ハンガリー)が、2分7秒28の世界新記録で優勝した。2位は2分7秒43でマイケル・ジェーミソン(英)。立石は2分8秒29で3位に食い込んだ。北島は2分8秒35で4位だった。
女子200メートルバタフライでは、星奈津美が銅メダルを獲得した。優勝は2分4秒06で焦劉洋(中国)、2位は2分5秒25のミレイア・ベルモンテ(スペイン)だった。
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銅メダルを獲得した立石&星両選手、おめでとう!そして北島選手・・・残念。
何事に関しても、又、誰に関しても、引き際は難しい物で在る。8年前の記事「引き際の美学 ~桑田投手現役続行に思う~」でも記したが、スポーツ選手の引き際も同様。人其れ其れ考え方が異なる様に、「引き際の美学」に付いても考え方は色々だろう。どういう形が正しくて、どういう形が誤りという筋合いの事柄では無いけれど、個人的に言えば「心身共にボロボロになり、燃え尽きて辞めるケース。」よりも、「余力を残し、人に惜しまれ乍ら辞めるケース。」の方が好きだ。
4年前の北京オリンピックで北島康介選手が金メダルを獲得した後、彼が同大会を以て引退するという報道が。其の報道を受けて書いたのが「天才も大変だ」という記事で、次の文章を記した。
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今大会の彼の泳ぎっ振りは、他を寄せ付けない物が在った。圧勝と言っても良いだろう。素人目からすると、25歳は未だ未だ勝ちを呼び込める年齢の様にも感じる。「引退は勿体無い。」という思いも在るが、以前にも書いた様に「『未だ未だホームランを量産出来るのに・・・。』と惜しまれつつ、引退を決めた王貞治選手の生き方。」に自分は共感出来るので、もし本当に北島選手が引退を決めたならば、其の決意を高く評価して上げたい。
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北京オリンピック以降の北島選手を考えると、「北京オリンピックで引退するのが、一番“美しい形”だったのかなあ。」という思いは在る。だが、今回の4位という結果で、「彼は、晩節を汚してしまった。」なんぞとは全く思わない。「世界で4番目に速い選手」というのは立派だし、メダルには手が届かなかったものの、“後輩”の立石選手が銅メダルに輝いたのを自分の事の様に笑顔で祝福している姿には、「此れぞ超一流選手!」という風格を感じたから。彼は、良く頑張ったと思う。
体操はご存知の通り1984年はソ連が出ていません。東ドイツも強豪でした。そこも出ていません。また、1980年は日本が出ていません。両年ともに完全に忘れられていますが「代替五輪」をボイコットした側が開催し、1980年の個人優勝は日本人、そして1984年はソ連人でした。この両大会は「代替」のほうも考慮に入れないといけません。そういう辛い時代でした。
水泳はマニアでないと知らないと思いますが、寺川綾の銅メダルの影で予選下位の順位でかつての大選手が登場していました。おそらく母国では北島康介級の知名度の人物です。
フランスのロール・マナドゥ(Laure Manaudou)という人でアテネ五輪の自由形の金メダリストでした。トラブルが多く、近年は低迷、引退を繰り返していたことから、本国の反応はどうなのかは知りませんが、戻ってきたこと、それは勇気のあることだと思いました。同じ大会(アテネ)のヒーロー、イアン・ソープは復帰した物の結局五輪には出られなかった。そして北島選手、アメリカのフェルプス選手もだが、一度休んだがここまで戻ってきたことは評価してほしい。その闘いも人々の記憶に残るのだから。そう思います。おそらく自分が歳をとったから、彼らの苦闘に何か感じる物が多いのかもしれません。自分と重ねるのもおこがましいのですが。
オリンピックのボイコット合戦、在りましたねえ。新冷戦時代の末期、モスクワオリンピックとロサンゼルスオリンピックを、米ソ超大国が相互にボイコットした訳ですが、両オリンピックのマスコット「ミーシャ」と「イーグルサム」を何故かハッキリ覚えています。共に愛らしいマスコットなのに、ボイコットされた大会という事で、影が薄くなってしまった事を哀れに感じたからかもしれません。
どんな選手でも、必ず引退の時期が遣って来る。しかし凡庸な選手は雇用主から首を切られる事で引退に追い込まれるのが一般的なのに対し、超一流の選手は概して「引退は、自ら決める。」事が出来るもの。超一流選手に与えられた特権と言っても良いでしょう。