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「中国 食べ残し撲滅の波」(1月30日付け東京新聞【夕刊】)
中国で食べ残しを無くそうというキャンペーンが始まり、共産党最高指導部の習近平総書記等も賛同、社会的な広がりを見せている。
中国人は、レストラン等で食べ切れない程の料理を注文し、招待客は「満腹になった。」という意味を込め料理を残す事がマナーになっている。
短文投稿サイト「微博(ウェイボ)」では最近、中国の食べ残しの習慣を批判する書き込みが相次ぎ、撲滅を呼び掛けている。北京の飲食店等に5千枚のポスターを貼る等の活動を始めた。党機関紙・人民日報等の官製メディアも支持を表明。28日の新華社電によると、習近平氏は「必要以上の料理を注文するのは止めるべきだ。」と指示した。
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「中国人は、レストラン等で食べ切れない程の料理を注文し、招待客は『満腹になった。』という意味を込め料理を残す事がマナーになっている。」という話は、随分昔に聞いた事が在る。彼の地でそういう目に遭った事は無いけれど、亡き父から「食べ物を残しては駄目。」と厳しく言われ続けて来た自分からすれば、「食べ残す事を前提に、多くの料理を注文する側。」も「態と食べ残す側。」も、共に理解に苦しむ。
国によって、「文化」や「習慣」は異なるもの。「我が国が国で伝統的に、そして“無駄無く”食して来た鯨を、『可哀想だから。』とか『残酷だから。』という理由“だけ”で他国が批判するのは大きな御世話。」と思うし、だからこそ犬が大好きで自分としては受け容れられない事だけれど、他国の犬を食す文化を批判する気も無い。でも、食べ物を無駄に廃棄するという文化や習慣は、止めるべきだろう。
中国の中から「食べ残しを無くそう。」という声が上がって来たというのは、非常に良い事だと思う。官製メディアが関わって来ると、政治利用の匂いがプンプンして、気になる所では在るけれど。
唯、食べ残しは、中国だけの問題では無い。昨年、アメリカ合衆国環境保護庁(EPA)が公表した概算によると、「アメリカ国内で廃棄又は焼却される食品は、年間約3,300万トン以上で、国民1人当たりの食品廃棄率は4割に上る。」とか。年間約13兆円が無駄になっている計算。
日本国内で廃棄又は焼却される食品は、約1,940万トンと言う。「アメリカよりは、可成り少ないなあ。」と思われるかもしれないが、アメリカの人口が約3億1千万人に対して、日本は約1億2千万人という事を考えれば、アメリカの1人当たりの食品廃棄量が「約106kg/人/年」に比べて、日本は「約161kg/人/年」と、約51%も多い計算になる。
「MOTTAINAI(勿体無い)」という言葉が世界的に知られる様になったのは8年前の事だが、世界中の人が此の言葉を改めて噛み締めて欲しいもの。
テレビニュースで野菜が豊作だが野菜の買い取り価格が下がると言う理由で農家が収穫した野菜を大量に廃棄処分してる映像を見た事が有りますがこれ程モッタイナイ事は無いですね
鯨と犬に関しては俺も昔からサイト主と同じ考えでした
テレビで外国人達が日本のタレント達と鯨を食べる食べないで白熱した議論をしてましたが結局最後は日本側の鯨を食べるのは日本の古来からの伝統文化で鯨は肉以外の髭や皮など余す事無く利用してるから外国人は口を出すなで決着しました
意地悪な話ですがその時の日本のタレント達に犬を食べる国の事を聞いてみたいですね
犬や猫は家族(ペット)だから食べてはダメ・・・と言いそうですね
最近は余り目にしなくなった気がしますが、以前は良く「収穫高(乃至は製造量)が多過ぎて、値崩れを防ぐ為に、廃棄される農作物や牛乳等。」が映像として流されていましたね。目にする度に「勿体無いなあ。」と思ったものですが、手塩に掛けて作った農家や酪農家の人達からも、そうせざるを得ない苦しみが伝わって来て、複雑な思いに。
「女性器切除(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B3%E6%80%A7%E5%99%A8%E5%88%87%E9%99%A4)」やら「明々白々な動物への虐待」等を、「文化」だからとか「風習」だからとして正当化するケースは別ですが、基本線としては「其の国々の文化や風習は、自分達とは異なるからという理由のみで全否定するのはおかしい。」と思っています。異なる文化や風習をも尊重する所から始めないと、不毛な諍いを生むだけの事ですから。
学生時代、日本史で習ったペリー来航。異国の人々(特にアメリカ人)が日本に開国を求めて来た大きな理由(寄港地として必要だった。)というのを長じて知り、「そうだったのかあ。」と思ったもの。
又、マヌケ様も書かれている様に、鯨に関して日本人は、余す所無く其の“身”を使う習慣が在った。髭や骨のみならず、性器迄も使っていたそうで、「大事な魂を戴いていた。」という思いが根底に在ったと言える。
少なくとも面白半分に殺害していた訳では無く、其れを十把一絡げ的に「残酷」と断じられてしまうのは、何か違うと思うのです。
唯、此れもマヌケ様が指摘されています様に、そんな日本人も今や、悪い意味で「消費文化」に染まってしまった。一人一人が一旦立ち止り、「本当に此れで良いのだろうか?」と考えなければいけない段階に来ていると思います。