大阪市立桜宮高校で体罰を受けた男子生徒が自殺した問題は、様々な方面に波紋を投じている。「過度な体罰を受けていた。」という報道が事実“ならば”、自ら命を絶たなければならなかった男子生徒が気の毒でならない。
母が小学生だった時、信じられない体罰を加える男性教師が居たそうだ。生徒が悪さをすると窓際に立たせ、其の頭上に虫眼鏡を翳し、太陽光を集めて、生徒の髪の毛や頭皮を焼く。頭から煙が立ち上り、「熱い!!!」と叫ぶ生徒を、件の教師は恍惚の表情で見据えていたとか。教室内の他の生徒達は恐怖心で凍り付き、「其の時の恐ろしさは、ウン十年経った今でもハッキリ覚えている。」と母は言っている。こんなのは体罰でも何でも無く、「自身のストレス発散を目的とした暴力」で在り、「異常行動」としか思えない。
6年前の記事「ズバリ聞きます!(15)」では、「体罰」を取り上げた。自身の経験から「権力を笠に着た、自身のストレス発散だけを目的とした様な体罰。」には嫌悪感しか無いけれど、同時に此れも自身の経験から「必要な体罰も在るのではないか。」という思いも在る。
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「『禿』と言われ平手打ち 神奈川の教諭、生徒16人に」(2月2日、朝日新聞)
神奈川県小田原市教育委員会は2日、市立中学の50代の男性教諭が生徒から「死ね。」、「禿。」等と暴言を吐かれた事を切っ掛けに2年生の男子生徒16人を平手打ちする体罰が在ったと発表した。教諭は生徒や保護者に謝罪、当分の間は教壇に立たないと言う。
市教委によると、1日午後の数学の授業に男子生徒等が遅れて来た為、教諭は「早く入れ。」と促したが、複数の男子生徒が「うるせえ。」、「馬鹿。」等と言い、笑い声も起きた。教諭は発言した生徒を問い質したが名乗り出ない為、遅れて来た男子生徒16人全員を廊下に正座させた。再度、質したが名乗り出る生徒は無く、教諭は「卑怯じゃないか。」と、16人全員を平手打ちしたと言う。
授業の後、教諭が自ら校長に報告した。「体罰が此れだけ報道されているのに、申し訳無い。」と反省していると言う。教諭は此れ迄も生徒から「禿。」等と言われる事が在り、「差別はいけない。言った事の責任を持たなければならない。」と諭していたと言う。
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遅れて来た16人全員が暴言を吐いた訳でも無いだろうから、全員に平手打ちをしたというのはどうかと思う。唯、だからと言って、件の男性教師が一方的に責められるというのも違う気がする。
自分が中学生だった頃、教師に対して陰で「デブ」とか「禿」とかと、差別的な事を、自分も含めた生徒達が言わなかったとは言わない。でも、教師の面前で、そういう事を口にした事は無かった。「陰で言うのはOKだけれど、面前で言うのは駄目。」という問題では無いかもしれないが、「教師に対する最低限の敬意」を生徒達が有していて、「面前で言うのはいけない。」と律していたもの。
教職に就いている友人達から、「教育現場」に付いて話を聞く機会が少なく無いのだが、「悪質な言動をすれば退学させられる高校とは異なり、義務教育期間内の小学校や中学校では、『自分達は守られている。』という事を“悪用”して、滅茶苦茶な事をする生徒が居たりする。」と言う。そういう生徒が絶対多数で無いのは言う迄も無いが、と言って少数でも無く、悪質な言動をしておき乍ら、教師が注意をすると、「『体罰された。』って、教育委員会に訴えても良いんですか?」と“脅迫”する様な輩も居るとか。
「何処迄が、許される体罰なのか?」という線引きが非常に難しいのは事実だけれど、「体罰は全て許されない!」といった論調には疑問を感じている。容認される類いの体罰迄否定されてしまうと、悪質な言動を繰り返す生徒達を増長させる一方で、延いては真面目な生徒達迄もが不利益を被り兼ねないから。
「責められて当然。」と多くが思う体罰は、責められて当然だろうけれど、問題行動を起こす生徒達に関しては、其の親達も責められるべきではないかと。子供に“社会的な常識”を教えるのは、「学校」では無く、「家庭」だと思うので。
学校の先生に科目と同時に道徳(社会的常識)を教えさせるのは無理が有ると思います
だいたい各大学の教師になる為の学科を学んでる人達の授業に道徳のカリキュラム(て言うの?)て有るんですかね?
どうせ大学の授業て各教科だけなんでしょ・・・
公務員て質の悪いクレーマーの対応に四苦八苦する機会が結構有ると思うけど中でも教師てクレーマーが絶対的強者の保護者&子供だから公務員の中でも一番弱い立場で割りの合わない仕事ですな
また軍国時代の残滓もありました。思うに我々から10年年長の世代~我々ぐらいの歳の人間の時代に高校紛争、大学紛争があった理由の一つかもしれません。もっとも親も「その世代」ですから「とにかく叩いて躾けてください!」なんて風でした。
ただ、今の知識や視点で考えると
異常者のような人たちの中には戦時中のPDSDだったのかな、と思える節もあります。
女性の先生だと「更年期だったんだな、ありゃ絶対」とか。
そういえば後輩を痛めつけていた体育部員を叩きのめした教師、というのがニュースになっていました。私もそういうのは別にいいと思います。獣には獣のやり方しか利かないんです。
ただ、先般、わが市に「オギママ」先生が来られまして、満員御礼の講演会を聞いてきて、非常に心打たれました。ガラスを割っているような生徒にも「どうしたの?」と声をかける。これは我々なかなか出来ません。
昔なら問答無用で竹刀で叩きのめす係がいたでしょう。でも面と向かっては謝るけど、後ろ向いた瞬間に鉄パイプでその先生やられたよ、と。まあそうでしょう。結局仕返しされるでしょう。
しかし「どうしたの」と粘り強く、なかなか根気が要りますしやれません。右派の方でも「先生の給料を上げる」ことを主張している方います。それぐらいしないとよほどの高い情熱がなければ普通の人間は物好きに誰もやりません。
軍隊に於ける“虐めの酷さ”というのは、国内外に問わず良く見聞する話ですね。「人を多く殺害した者が評価される。」というのが「戦争」で在り、そういう「異常な状況」だからこそ、“壊れてしまう人間”も少なくないのでしょう。
「体罰」に関しても賛否両論在り、例えばスポーツの世界で言えば、概して“功成り名を遂げた人”は体罰に肯定的で、“そうで無い人”は否定的な傾向が強い様に感じます。前者の場合は、「自分が成功したのは、体罰が在ったからこそ。」という思いが在りましょうし、又、そういう人は概して“過度な体罰”を受けなかった(優秀だからこそ、指導者も意図的に避けた。)という面も在るのではないかと。
「痛みと恐怖で人をコントロールする事は、恐ろしい事。」、此れは同感です。愛の鞭だ何だと御為ごかしを口にし乍ら、バット等で殴打する・・・といった指導者が居るけれど、こんなのは正にそういう手合いで、全く信が置けない。
「虐めは絶対に許せない!」とか「ゆとり教育では無く、もっともっと生徒達に勉強を強いなければいけない!」なんぞと声高に叫んでいる政治家達が居ますが、そんな彼等の中には「自身の意に沿わない人物やメディア」に対して、虐めとしか思えない言動を好んで行っていたり、自身が学生時代には勉強から逃げ回っていたりする人が居たりするのだから、「良くもまあ、そんな事言えるよな。」と或る意味感心してしまいます。
以前にも書いた事ですが、教職に就いている知人が「教師って手を抜けば、こんなに楽な仕事は無いけれど、真面目に遣れば、こんなに大変な仕事は無い。」としみじみ語っていました。好い加減な教師も居れば、頑張り過ぎている教師も居る。どんな社会でも言える事だけれど、「全てが駄目。」とか「全てが良い。」なんて事は無いんですよね。
それなのに「教師」というだけで、十把一絡げ的にバッシングされてしまうというのは本当に気の毒だし、真面目に頑張っている人にとっては、「教職って割に合わない仕事だよなあ。」と同情の思いが。
明々白々に問題の在る教師は、きちんと首に出来る環境じゃないといけない。同時に、真面目に頑張っている教師が、心身を病んで辞めざるを得ない環境で在ってもいけない。
問題教師が批判されるのは当然だけれど、同様に問題の在る親や子も批判されるべきだと思う。勿論、単に自身のストレスを発散したい為だけの方向違いの批判だったり、度の過ぎた批判だったりしては駄目だけれど。
程度の差は在りこそすれ、どんな時代にも、又、どんな組織にも、常軌を逸した人というのは存在するもの。
母が小学生だった頃、今回の記事で書いた“異常教師”が居た一方で、生徒に対する深い思い遣りを持った校長も居たと言います。当時、トイレ掃除は裸足で行っていたそうですが、其の校長も生徒と一緒になって、寒い中も笑顔でトイレ掃除を毎回していたとか。「嫌な事は全て他人にさせ、自分は楽許りしている。」という姿勢とは正反対の人で、生徒達から信頼を得ていたそうです。
以前、尾木ママと(ロンドンブーツ1号2号の)田村亮氏が番組内で「体罰」に関して議論していました。イクメンとしても知られる田村氏は、自身の経験から「体罰肯定派」で在り、逆尾木ママは「体罰否定派」。結局、双方の考えが交わる事は無かったのですが、中々面白い議論でした。
自分(giants-55)の経験からも、田村氏の主張に共感を覚える点も在った。一方、尾木ママの主張には「理想論」的な面が強く感じられ、「其れじゃあ、一寸生温いんじゃないかなあ?」と思う事も少なくなかった。
しかし、其の後になって、一連の体罰問題が報道されるに到って、「実行するのは非常に困難だけれど、尾木ママのスタンスがベター(ベストとは言いませんが。)なのかもしれないなあ。」と感じる様になりました。実行するのは非常に困難なのだけれど・・・。
実際その男性は平均身長よりずっと背が低い人だったのと、
空手部顧問という超硬派だったので
こら、ただ事では済まないだろな、と思っていたところ
数日経過すると件のDQN高校生は
対教師暴言で生徒指導の対象になっていました。
なぜこの中学校では対教師暴言で処分に近い生徒指導を行っていなかったのか?
そちらの方が正直、理解に苦しみます。
生徒からのセクハラを受けるという女性教師もいたりしてけっこう問題です。
生徒=被害者、教師=加害者という先入観のあるマスコミの報道、正直何とかしてほしいです。
一方、同じ大阪の汎愛高校で、柔道の合宿授業中に上級生が教員の制止を聞かずに下級生に危険な絞め技をかけ続けたために、教員が上級生に平手打ちして止めさせたというケースについては、教員の行為が正当だと考えます。もし、教員が力ずくで止めずに上級生が絞め技をかけ続け、下級生に怪我や後遺症を負わせたら、この上級生が刑事罰や損害賠償請求の対象になってしまい、教員や学校は監督責任を追及されることになる。この教員に対しては、「一時の悪乗りのために双方の人生を大きく狂わせてしまいかねなかったところを、正気に戻してくれてありがとう」と言うべきところではないかと。
この2つを同じくくりに入れるのは違うのではないかと、私としても思います。
桜宮高校の件にしても、柔道女子強化合宿の件にしても、暴力行為を行った指導者も大いに問題ですが、指導者の横暴を容認したり、指導者を焦らせ暴力行為に駆り立ててしまったりする業界風土や制度上・構造上の問題も大きいと思います。そこを改善しないと、トカゲの尻尾のコレクションが増えるだけです。
心を病んでしまい、教師を辞める者が結構居ると聞きます。意味を感じ得ないペーパー・ワークが格段に増え、極一部とは言え“手抜き教師”の業務をも負わされ、そして起きた問題は何から何迄教師の責任とされてしまう。此れでは、真面目に頑張っている教師が救われない。
「仮想敵を作り上げ、其れをバッシングする事で、自身の存在感を示したい。」というのが昨今の風潮ですが、政治家にとっては「日教組」というのが最高の仮想敵とも言える。以前にも書いたけれど、自分も日教組に対して良いイメージは無いけれど、でも「何から何迄日教組が悪い!」という主張には全く共感出来ない。「悪い面も在るけれど、良い面だって在る。」と思っているので。
異常な迄の日教組叩き以上に抵抗を覚えるのは、「異常な迄の日教組叩き」が「全ての教師達を叩き捲る。」という方向につながっている事。どんな組織だって「駄目な人間」も居れば、「きちんとした人間」も居る。そんな当たり前の事すらも、思い至れない人が少なく無いというのは、本当に情けない事です。
桜宮高校の一件に関し、今回の記事では敢えて「『過度な体罰を受けていた。』という報道が事実“ならば”」という但し書きを付けました。と言うのも、当該教師を「極悪人」として報道するメディアが在る一方で、「問題が無かったとは言わないが、報じられている程の体罰が在ったとは思えない。」とする報道が、先週辺りからチラホラ報じられた事から、「断定してしまうのはどうかなあ。」という思いが出て来たからです。「当該教師を庇う事で、何等かの利益を得られる人達からの擁護意見かなあ?」という思いも無くは無いのですが、其れにしては証言している内容が具体的に、「100%嘘。」と断じられない感じがするのです。
当初報じられていた様に、何十発も殴ったとか、激しい言葉の暴力が在ったとかというのが事実“ならば”、当該教師が厳しく非難されて仕方無いと思う。でも、一部メディアが報じている様に、第三者には窺い知れなかった“別の面”が在った“としたら”、其れは考慮しなければいけない様にも感じる。
実際の所は当事者のみぞ知るなので何とも言えないのですが、システム的な問題点が在ったのは、否定出来ないでしょうね。1人の教師が長きに亘って特定の部を担当し続け、そして同校の教え子達が当該教師の“部下”として補佐するという体制は、万が一おかしな事が起きても、“部下”は疑問を呈する事すら出来ないだろうし、校長等の“上司”も口出しし難い環境に在るだろうし。
仰る様に「トカゲの尻尾切り」では、問題は何等解決しない。真の問題点は何処に在るのかを徹底的に調べ上げ、改める点は根本的に改める。今回の体罰事件を“政治利用”しようとしている連中も見受けられるけれど、そういうのは亡くなった生徒に対して非礼。