セ・リーグの開幕日が3月29日から再延期され、パ・リーグと同じ4月12日となった。ナイター開催や延長戦の取り扱いも、全てパ・リーグと歩調を合わす事に。今回の最終決定に到る迄ゴタゴタした感が否めないセ・リーグだが、「観客の安全確保」や「国民感情」等を勘案すると、順当な結果と言えるのかもしれない。
プロ野球関連の話で言えば、昨夜TBS系列で放送された「壮絶人生ドキュメント 俺たちはプロ野球選手だった」が印象に残った。同局では定期的に「元プロ野球選手達の今」を追う番組を放送しているが、今回も懐かしい顔触れが多く登場。「ジョージア州でIT関連企業の役員を務めているラルフ・ブライアント氏。」や「フロリダ州で大型トラックのドライバーをし乍ら、高校生を対象にした野球スクールを運営しているカルロス・ポンセ氏。(人懐こい笑顔と“マリオ髭”は昔のままだが、髪の毛には白い物が目立っていた。52歳という年齢に、過ぎ去った月日の長さを感じる。)」、「引退後に最愛の妻を病で亡くされ、現役時代に彼女が自分の為に身体に良い食べ物を積極的に取り入れてくれていた事も在り、現在は農業に従事している河野博文氏等、現役時代とは全く異なった道で頑張っている元選手達の姿。
そんな中で一番印象的だったのは、嘗て「不惑の大砲」とも称された門田博光氏の今だった。1992年に引退した彼だが、随分前に関西方面の野球中継で解説しているのを見た事が在る。(ホストにしか見えない派手なスーツを着た加藤哲郎氏と、一山当てた不動産屋のオヤジといった雰囲気の門田氏というコンビでの解説は余りに強烈で、未だに忘れられない。)其の後も野球関連のイベントで何度か御姿を拝見しており、元気なものとばかり思っていたのだが、2005年に小脳梗塞を罹患して平衡感覚を失ったと言う。現在も歩行障害が残っているそうで、足を引き摺る様にして歩いておられた。
しかしそんな障害を乗り越え、彼は若者の育成に当たっている。2年前、独立リーグ「大阪ホークスドリーム」の総監督に就任したのだ。「俺、誰一人も育ててへんな。自分の子も野球選手として育ててへんし。『一人位プロに送りたいな。』っていう気持ちになったのは間違い無いね。」と夢を語っていた門田氏。現役時代はいとも容易くバットの芯で球を捕えていた彼(相手は牛島和彦投手だったろうか。決め球のフォークが投じられたと察した門田選手が、上げていた片足を咄嗟に下ろし、打席内をスススッと前進して球をジャストミートしたのが忘れられない。)が、「ノックを正確に打ちたい。」と意のままにならない身体で悪戦苦闘していたのは複雑な思いが在ったけれど、きっと正確なノックを打てる様になると信じたい。