先日の記事「視聴率に見る“関東地区”と“関西地区”の違い」では、「10月29日~11月4日に放送されたTV番組を対象に、関東地区と関西地区の視聴率トップ10。」を取り上げた。トップ10に入ったTV番組、タイトルは全て知っているけれど、欠かさずに見ているのは2番組だけで、残りは気が向いた時に見るか、又は殆ど見た事が無い番組。其の殆ど見た事が無い番組の1つが「世界の果てまでイッテQ!」で、「レギュラー出演者の中に、苦手な人物が居る。」のと、「番組の乗り自体が、余り好きじゃ無い。」というのが、「見たい。」と思わせない理由。
其の「世界の果てまでイッテQ!」が今、問題になっている。此方に詳しく記されているが、週刊文春が同番組の遣らせ疑惑を報じたのが切っ掛け。「『世界で一番盛り上がるのは何祭り?』という人気コーナーで、毎年行われているかの様に取り上げた“海外の祭り”に関して、実際には毎年行われている物では無いどころか、制作者サイドが考え出し、初めて行われた物で、運営費や賞金等も制作者サイドが出していたのではないか?」等が、遣らせ疑惑の内容。
飽く迄も私見だが、「TV番組で遣らせが絶対に許されないのは報道番組で、ドキュメンタリー番組の場合は“多少の遣らせ”と言うか、“多少の演出”は構わない。又、他の番組、特にヴァラエティ番組の場合は『妙な方向に世論誘導を図ろうとしたり、多くの人達を不快にさせたりと、“明々白々な問題”が在るので無ければ、遣らせも“時には”在り。」と考えている。
大昔、「お昼のワイドショー」という番組が在り、人気コーナーの1つが「あなたの知らない世界」だった。一般視聴者から寄せられた恐怖&心霊体験をドラマで再現し、検証するという内容。扱っているのが「恐怖&心霊体験」という事も在り、「絶対にそうだ。」と断言するのは難しいけれど、遣らせの匂いがプンプンしていた。
又、「水曜スペシャル」で放送されていた人気番組の「川口浩探検隊シリーズ」なんぞは、其れが売りになる位、遣らせで溢れ返っていたし、矢張り人気番組だった「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」も、遣らせが多かった様に思う。
「時代が違う。」と言われてしまえば其れ迄だが、昔はそういう番組を「遣らせだな。」と理解した上で、多くの視聴者は楽しんでいた。(真面目な視聴者は、別かも知れないが。)「ヴァラエティ番組なんて、そういう物。」と捉える寛容さ、そして“見抜く目”が在り、余程に遣らせの度合いが酷く無い限りは、騒ぎ立てられる事は無かった。
“遣らせ”と“演出”の境界線が微妙なのは確かだけれど、「ヴァラエティ番組でも、遣らせは絶対に駄目!」となってしまうと、余りにも不寛容ではないだろうか。
「知らない街をぶらぶら歩いていて、『良さそうな御店が在ったので、入ってみましょう。』と有名人が店内に入って行くと、店の人が驚く事も無く待ち受けている。」なんていうのは、事前に店側と打ち合わせをしているからだろう。本当に何も知らさないで入って行ったら、店内がパニック状態になってしまう。
「笑点」の人気コーナー「大喜利」で、「メンバー達は事前に御題を全く知らされておらず、司会者から“初めて”明かされた御題を、当意即妙に答えている。」と信じている視聴者は、果たして何れだけ居るのか?大昔、就活で「笑点」を放送している日本テレビを受けた際、学生達の控室に現れた日テレ関係者(プロデューサーだったか?)が、「『笑点』の大喜利の御題は、事前にメンバー達に教えていないなんて、まさか思ってないよね?」と笑顔で暴露したけれど、学生達も大笑いしていたし、多くの視聴者は気付いている筈。
今回の「『世界の果てまでイッテQ!』遣らせ疑惑」だが、個人的にはそんなに目くじらを立てる事では無い様に考えている。問題が在るとしたら、放送している日本テレビの対応だろう。疑惑が報道された当初、(恐らく)状況を検証する事無く、「疑惑報道は、全て事実では無い。」的発言をしたが、後からボロボロとおかしな点が出て来て、結局、訂正&謝罪する事になったのが大問題。
「きちんと調査&検証した上で、“事実”を明らかにし、謝罪すべき点は謝罪する。」という“当たり前の事”が出来なかった為、同局への信頼度が下がって行ってしまったのだから。
この程度のことがヤラセだなんだと大騒ぎ、大半の視聴者にとってバラエティ番組なんて演出込みで楽しけりゃいいもんだろうに。
なんでもかんでも、やれパワハラだ、やれセクハラだと。
不倫なんて、当事者間や家庭内で存分にもめればいいことであって、他人に非難されることじゃないのでは。
なんだか社会が成熟していくこととは、向かってる方向がちょっと違うような気がします。
先日読んだ「七つの試練 池袋ウエストゲートパークXIV」の中に、興味深い文章が在りました。正確さに欠けるかも知れませんが、「古代ローマの時代、コロッセオで行われる殺し合いは見世物だった。殺し合いがイヴェントで在り、其れを楽しんで見る人達が居た。時代は変わり、今は殺し合いのイヴェントは無い。でも、其れに変わってマスメディアでは、醜聞を執拗に取り上げ、其の事で“社会的に”人を抹殺するのがイヴェントとなっている。」といった趣旨の内容でしたが、言い得て妙。少なくとも男女間のスキャンダルは、明々白々に違法だったり、他者に迷惑を掛けていない限り、当事者間で解決すべき事で在り、第三者が大騒ぎする事では無いと思います。(「人の不幸は蜜の味。」というのは判らないでも無いけれど。)
元々そういう土壌は在ったのだろうけれど、小泉純一郎氏が首相となり、「イエスか?其れともノーか?其の2つしか在り得ない!」的な風潮が出来上がった事で、世の中の不寛容さは大きく進んだ気がします。潤いの無い社会なんて、決して居心地は良く無い。今は面白おかしく不寛容に誰かを叩いていても、何れは其の不寛容さが我が身に災いとして降り掛かって来る。そういう事に、少しでも多くの人が気付いて欲しいもの。