最近でこそ慣れてしまったのでそういった事は無いけれど、一時期は100円ショップに行くと「こんな物迄売ってるの!?」と驚かされる事が結構在った。自分が一番驚いたのは、包丁や鍋等の金属製品が並んでいるのを見た時。「金属製品は安く買えない。」というイメージが在ったので、ステンレス製の包丁なんていうの迄百円で売られていたのは「凄いなあ。」と感じるばかりだった。
最近ではサプリメントなんかも売られている。含有物等の違いが在ろうから一概に比較対照は出来ないけれど、類似のサプリメントがドラッグ・ストアで数倍の値段で売られているのを見掛けると、「100円ショップで購入しないとアホらしいなあ。」と思ってしまう。そんな感じで何か必要な物が在れば、「先ずは100円ショップで捜してみるか。」というのが近年の自分。
「こんな物迄売ってるの!?」という100円ショップだが、最初に見掛けた時に思わず「勿体無いなあ。」と思ってしまった物も在る。その一つが雑巾。一定年齢以下の方だとピンと来ないかもしれないけれど、自分が子供の頃は「雑巾=家に在る襤褸切れや使い古したタオルを、母親が縫い合わせて作った物。」というのが“常識”として在ったのだ。小学校の時には担任から「来週迄に掃除用の雑巾を各自二枚ずつ持って来て下さい。」といった風に指示され、それを帰宅して母親に伝えると、使い古したタオル等をちょいちょいと縫い合わせて用意してくれたもの。縫うのは手縫いだったりミシンだったりしたが、同級生達が持参するのもそういった雑巾だったと思う。純白の雑巾を持参している奴なんか先ず居らず、薄汚れた雑巾が普通だったと言っても良い。
そんな自分からすると、100円ショップで売られている「顔も拭けそうな純白な雑巾」というのが「勿体無いなあ。」と思ってしまうのだ。「どうせ掃除で汚れてしまうのだから、襤褸切れ等で充分なのに。」と感じるのは、貧乏性故でも在るのだが。
「共働きの家が増え、親(男女問わず。)が雑巾を縫うなんて余裕も無くなったのだろうなあ。」という思いは在り、100円ショップで雑巾が売られる様になったのも時代の趨勢と認識している。けれど100円ショップで売られている純白の雑巾は、自分にとって「勿体無いなあ。」という思いがどうしても消し去り難い。
最近ではサプリメントなんかも売られている。含有物等の違いが在ろうから一概に比較対照は出来ないけれど、類似のサプリメントがドラッグ・ストアで数倍の値段で売られているのを見掛けると、「100円ショップで購入しないとアホらしいなあ。」と思ってしまう。そんな感じで何か必要な物が在れば、「先ずは100円ショップで捜してみるか。」というのが近年の自分。
「こんな物迄売ってるの!?」という100円ショップだが、最初に見掛けた時に思わず「勿体無いなあ。」と思ってしまった物も在る。その一つが雑巾。一定年齢以下の方だとピンと来ないかもしれないけれど、自分が子供の頃は「雑巾=家に在る襤褸切れや使い古したタオルを、母親が縫い合わせて作った物。」というのが“常識”として在ったのだ。小学校の時には担任から「来週迄に掃除用の雑巾を各自二枚ずつ持って来て下さい。」といった風に指示され、それを帰宅して母親に伝えると、使い古したタオル等をちょいちょいと縫い合わせて用意してくれたもの。縫うのは手縫いだったりミシンだったりしたが、同級生達が持参するのもそういった雑巾だったと思う。純白の雑巾を持参している奴なんか先ず居らず、薄汚れた雑巾が普通だったと言っても良い。
そんな自分からすると、100円ショップで売られている「顔も拭けそうな純白な雑巾」というのが「勿体無いなあ。」と思ってしまうのだ。「どうせ掃除で汚れてしまうのだから、襤褸切れ等で充分なのに。」と感じるのは、貧乏性故でも在るのだが。
「共働きの家が増え、親(男女問わず。)が雑巾を縫うなんて余裕も無くなったのだろうなあ。」という思いは在り、100円ショップで雑巾が売られる様になったのも時代の趨勢と認識している。けれど100円ショップで売られている純白の雑巾は、自分にとって「勿体無いなあ。」という思いがどうしても消し去り難い。
100円ショップで購入した爪きりを使用したら、爪が割れました(><; もちろん何でもかんでも100円ショップというわけにはいきませんよね。
祖父母が物を大事にする人で、襤褸切れを掃除に使ったり、裏面が白い広告紙はメモ用紙に使ったりしていたのを目にして育ちましたので、何でもかんでも使い捨てにしてしまう世の中というのに、とても違和感を覚えています。唯、昨日のニュースで報じられていたのですが、景気の悪化と共にホームセンターで大工道具等を買い求め、自分で物を修理する人が増えているという事で、「不景気も悪い面ばかりでは無いなあ。」と思ったりも。靴や洋服が傷んだ際、新たに購入するのでは無く、繕いを頼むケースも増えている様ですね。
100円ショップ、仰る様に全てが良い訳では無く、自分も以前に目覚まし時計を買ったのですが、これは1ヶ月足らずで壊れてしまったし。
他の言語にない概念として「モッタイナイ」
を褒めていたことを思い出しました。
会社でも、自分だけが持つ資料や
原稿の内容チェックするためのものは
ミスコピーの裏に印刷してしまいます。
親がモノを大事にする人だったので
「アンタが紙を一枚でも作れるんやったら、
紙を無駄にしてもええんやけど
そうでないんやから、最後まで使ぃ」
それとそういう紙を使うと
ゴミがそれだけ減りますから。
周りの人に強要もせず、
(浮くのもイヤですし)
静かに、
出来るだけのことをやってます・・・
使い捨てをしないと消費が鈍るという面は在るにせよ、何時の頃からか「使い捨て=普通、物を大事にする=格好悪い事」というイメージが定着してしまった感が在り、それが凄く残念に思っています。
「勿体無い。」という言葉を昔は良く使われていたのに、近年は余り耳にしなくなった。そんな時、海外でこの概念が評価され出したというのは嬉しいし、日本でも再評価されて欲しいと思っています。
ミス・コピーの裏面にコピーしたりするのは良い事に思うのですが、ミス・コピーした面に載っている情報が「個人情報」に当たる可能性も在る事から、“再利用”がおじゃんにした企業も在るという事で、なかなか難しい部分は在りますね。
昔、我が家には足踏み式のミシン(http://homepage3.nifty.com/masuzawamisin/BS7013.JPG)が在り、母が足で踏み込み乍らカタカタと縫物をしている姿を良く見掛けました。針が上下しているのを見て、「誤ってあの下に手を置いちゃったりしないのかなあ?」と思ったもの。
足踏み式のミシンの場合はスピードが遅かったのですが、それから導入した電動ミシンの場合は比較にならない程針の上下移動が速く、当時の漫画では誤って布に手を縫い付けてしまうなってシーンも在ったりして、それ迄以上に怖さを感じました。実際に手を縫い付けて(それは大袈裟にしても、刺してしまうという現実。)が在ったというのには、改めて怖さを感じた次第。
昔は「安かろう、悪かろう。」が当たり前だったのですが、最近は「安くて、それなりに品質が良い。」というのが普通になって来ましたね。自分もユニクロは在り難い存在です。