
昨日行われた「ドラゴンズv.s.ジャイアンツ」戦は、ジャイアンツにとって是が非でも勝利を収めなければならない試合だった。後半戦の初戦を勝利して迎えた昨日の第2戦、これで勝利すれば「ジャイアンツは上昇気流に乗った。」と言えたろうし、“相手チームにとってメモリアルな試合”だからこそ、その勝利の意味合いは非常に大きいのだ。そんな重要な試合を、ジャイアンツは「5対1」で落としてしまった。
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落合博満監督(ドラゴンズ)
323勝240敗11引き分け - 勝率:.573
岡田彰布監督(タイガース)
311勝248敗15引き分け - 勝率:.556
原辰徳監督(ジャイアンツ)
302勝260敗8引き分け - 勝率:.537
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監督経験が今季で5年目を迎えた3監督の、昨年迄の各々のチーム成績を記してみた。「ここぞという試合に勝てない。」というイメージを原監督にはずっと持っていたが、やはり3監督の中では最低の勝率。あれだけの大補強を行っている以上、この成績では少なくとも「勝負強い監督」とは言えないだろう。
と此処迄はジャイアンツ・ファンとしての愚痴を零させて貰ったが
、昨日のメモリアル・ゲーム、即ち山本昌広投手の通算200勝が掛かった試合をきちんと勝ち取ったドラゴンズは立派。そしてそんな緊張する試合を、完投で勝利した山本投手はもっと立派だ。200勝達成、本当におめでとう!!
昨年の彼の成績は「2勝10敗」で、正直言って「200勝達成は無理だろう。」と思った。彼とは同世代なので、自身の体力の衰えを考えると、「もう現役選手としては潮時だろうなあ。」とも。しかし今季の彼は見事に復活し、自分予想を“良い意味で”裏切ってくれた。42歳11ヶ月での200勝達成は史上最年長記録で在り、彼が名球会に入会すればドラゴンズの生え抜き投手としては初の名球会会員という事になる。(名球会は昭和以降に生まれた選手を入会対象としている為、大正生まれの杉下茂氏は215勝を挙げ乍ら、入会させて貰っていない。)
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=1983年度ドラフト1位=
【スワローズ】 高野光投手: 1994年に引退。2000年に自殺(享年:39歳)。
【ドラゴンズ】 藤王康晴選手: 1992年に引退。家業を継いでいたが、2003年に暴行容疑で逮捕。2006年には演歌歌手としてCDデビューしたらしい。現在43歳。
【タイガース】 中西清起投手: 1996年に引退。46歳の現在は、タイガースの投手コーチを務めている。
【ホエールズ】 銚子利夫選手: 1993年に引退。46歳の現在は、ベイスターズの編成担当を務めている。
【カープ】 川端順投手: 1992年に引退。48歳の現在は、カープのフロントに勤務。
【ジャイアンツ】 水野雄仁投手: 1997年に引退(日本球界に於ける引退は1996年。)。42歳の現在は、野球解説者を務めている。
【オリオンズ】
比嘉良智投手: 1987年に引退。現在は42歳か43歳。
【ホークス】 加藤伸一投手: 2004年に引退。43歳の現在は、野球解説者を務めている。
【バファローズ】 小野和義投手: 1997年に引退。42歳の現在は、ライオンズの投手コーチを務めている。
【ファイターズ】 白井一幸選手: 1996年に引退。47歳の現在は、ロイヤルズの特別コーチ兼スカウトアドバイザーを務めている。
【ブレーブス】 野中徹博投手: 1998年に引退。43歳の現在は、社会人野球の佐久コスモスターズ硬式野球クラブで監督兼選手を務めている。
【ライオンズ】 渡辺久信投手: 2001年に引退。43歳の現在は、ライオンズの監督を務めている。
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1983年、ドラゴンズのドラフト1位、即ち“ドラ1”が藤王選手だった年に、山本投手はドラフト5位(“ドラ5”)で同じドラゴンズから指名。同年年の各チームの“ドラ1”を上記したが、早い選手では1987年に、一番遅い選手でも4年前の2004年に引退している。既に鬼籍に入られている人物、野球とは無縁の生活を送っている人物、フロントに入っている人物、野球解説者を務めている人物、指導者として働いている人物と、ドラフト指名から四半世紀を迎える今季の人生模様は様々だ。
そんな中、現役投手として勝ち星を積み上げている山本投手。“中年の星”として、まだまだ頑張って貰いたい。
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落合博満監督(ドラゴンズ)
323勝240敗11引き分け - 勝率:.573
岡田彰布監督(タイガース)
311勝248敗15引き分け - 勝率:.556
原辰徳監督(ジャイアンツ)
302勝260敗8引き分け - 勝率:.537
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監督経験が今季で5年目を迎えた3監督の、昨年迄の各々のチーム成績を記してみた。「ここぞという試合に勝てない。」というイメージを原監督にはずっと持っていたが、やはり3監督の中では最低の勝率。あれだけの大補強を行っている以上、この成績では少なくとも「勝負強い監督」とは言えないだろう。
と此処迄はジャイアンツ・ファンとしての愚痴を零させて貰ったが


昨年の彼の成績は「2勝10敗」で、正直言って「200勝達成は無理だろう。」と思った。彼とは同世代なので、自身の体力の衰えを考えると、「もう現役選手としては潮時だろうなあ。」とも。しかし今季の彼は見事に復活し、自分予想を“良い意味で”裏切ってくれた。42歳11ヶ月での200勝達成は史上最年長記録で在り、彼が名球会に入会すればドラゴンズの生え抜き投手としては初の名球会会員という事になる。(名球会は昭和以降に生まれた選手を入会対象としている為、大正生まれの杉下茂氏は215勝を挙げ乍ら、入会させて貰っていない。)
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=1983年度ドラフト1位=
【スワローズ】 高野光投手: 1994年に引退。2000年に自殺(享年:39歳)。
【ドラゴンズ】 藤王康晴選手: 1992年に引退。家業を継いでいたが、2003年に暴行容疑で逮捕。2006年には演歌歌手としてCDデビューしたらしい。現在43歳。
【タイガース】 中西清起投手: 1996年に引退。46歳の現在は、タイガースの投手コーチを務めている。
【ホエールズ】 銚子利夫選手: 1993年に引退。46歳の現在は、ベイスターズの編成担当を務めている。
【カープ】 川端順投手: 1992年に引退。48歳の現在は、カープのフロントに勤務。
【ジャイアンツ】 水野雄仁投手: 1997年に引退(日本球界に於ける引退は1996年。)。42歳の現在は、野球解説者を務めている。
【オリオンズ】
比嘉良智投手: 1987年に引退。現在は42歳か43歳。
【ホークス】 加藤伸一投手: 2004年に引退。43歳の現在は、野球解説者を務めている。
【バファローズ】 小野和義投手: 1997年に引退。42歳の現在は、ライオンズの投手コーチを務めている。
【ファイターズ】 白井一幸選手: 1996年に引退。47歳の現在は、ロイヤルズの特別コーチ兼スカウトアドバイザーを務めている。
【ブレーブス】 野中徹博投手: 1998年に引退。43歳の現在は、社会人野球の佐久コスモスターズ硬式野球クラブで監督兼選手を務めている。
【ライオンズ】 渡辺久信投手: 2001年に引退。43歳の現在は、ライオンズの監督を務めている。
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1983年、ドラゴンズのドラフト1位、即ち“ドラ1”が藤王選手だった年に、山本投手はドラフト5位(“ドラ5”)で同じドラゴンズから指名。同年年の各チームの“ドラ1”を上記したが、早い選手では1987年に、一番遅い選手でも4年前の2004年に引退している。既に鬼籍に入られている人物、野球とは無縁の生活を送っている人物、フロントに入っている人物、野球解説者を務めている人物、指導者として働いている人物と、ドラフト指名から四半世紀を迎える今季の人生模様は様々だ。
そんな中、現役投手として勝ち星を積み上げている山本投手。“中年の星”として、まだまだ頑張って貰いたい。

ピッチャーの200勝は非常に厳しく次の達成者は松阪大輔だろうと言われてますね。
入団してから数年の間、山本投手に対する首脳陣の評価は決して高い物では無かった様に思います。しかしプロ入りから5年目に野球留学させられたアメリカで、今は亡き生原昭宏(アイク生原)氏からスクリューボールを伝授された事でその持てる能力を一気に開花させました。
或る方が御自身のブログで書いておられたのですが、カネやんに代表される様に「俺が、俺が。」という“御山の大将”が多い投手の中で、山本投手の様な控え目な投手は珍しい存在かと(笑)。
打高投低が言われる近年の野球界に在っては、仰る様に2,000本安打よりも200勝達成の方が難しいでしょうね。松坂投手は一昨日の勝利で、日米通算135勝。総合的に考えると、確かに彼が200勝達成に一番近いのかも。
またとんでもないところ付きましたね。
もっとも思わず「あ!同期なんだ」と思いましたが、藤王は記憶の彼方、一方で昌は現役。昭和40年会会員の42歳ということを考えれば何のフシギもないのですが、ああいう名前を出されると年月の残酷さと昌のすごさを痛感します。
あとドラ2位の仁村徹というのも「うわー(懐)!」ですね。巨人は水野ですか!
最近はこういう例は少ないですが、一時期は甲子園のアイドルなど華々しい新人→イマイチ成功しなかった、という例が多かったですね。
特に80年代前半の人はよほどスポイルされたのか困った末路の方が数人…。
藤王、「なぜか演歌歌手デビューした」(ウィキより)。むむむ。
ところで200勝、数字で言うと西口投手が今のところ「200勝に近い人」暫定一位ですが、
彼はどうでしょうね。現在35歳。
今年あと4勝ぐらいして、あと5年間で年10勝程度を挙げれば達成ですが…、どうでしょうね。
藤王選手、入団時には「王二世」とも呼ばれていましたが、プロの世界では概して「○○二世」と呼ばれて大成した選手が居ないものですね。入団時には「九州のバース」と呼ばれていた某選手も残念乍ら大成する事無く引退し、傷害事件で逮捕されましたが、今では少年野球の指導を行う等立ち直られている様なのは嬉しい話。
1983年の“ドラ1”で言えば、個人的には高野投手の自殺が非常にショックでした。あれだけ華々しい成績を残し乍ら、引退後には野球に関連する仕事になかなか就けなかった。どの世界にも言えるのでしょうが、実績だけでは無く、押しの強さというのも重要なのでしょうね。
西口投手、昨日時点で通算155勝ですよね。過去2年は共に9勝を上げていますから、決して200勝は夢の数字では無いのですが、全盛期の勢いが無いのが気になる所。自分の中では「あの斎藤雅樹投手や桑田真澄投手“ですら”届かなかった200勝。」という思いが在りますので、「かなり厳しいかな。」という気持ちも。
日本プロ野球選手会の調べによると、プロ野球選手の平均選手寿命は28.7歳という事です。プロの世界に、9.2年しか在籍していない計算になるとか。良く言われる事ですが、プロ野球選手の場合は引退後の人生の方が長い訳で、野球一筋で遣って来た人間が多い事を考えると、球界がもっと組織的に引退後の事を考えて行って欲しいですね。