ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「燃えよドラゴンズ!」 ~あの選手達の今~ Part1

2006年01月14日 | スポーツ関連
此処に記事を書く際、出来るだけ多くの方に興味を持って戴ける内容を心掛けている。しかし、時には極めて限られた層を念頭に置いて書いてみたくなる事も在る。今回の記事も、綾小路きみまろ氏ではないが「中高年の皆様」向け、それも古くよりのプロ野球ファンの皆様向けという、極めてニッチな層をターゲットに書いてみたい。

以前、ハムぞー所長様のブログ「ハムぞーの『職業野球研究所』」にて「『燃えよドラゴンズ!』を分析する。 」という記事を目にした時から、ずっと気になっている事が在った。1974年にドラゴンズが優勝した際(ジャイアンツのV10を阻止。)、板東英二氏が歌って大ヒットした「燃えよドラゴンズ!」。*1当時名古屋に住んでいた自分が、この曲をしばしば口ずさんでいた事は以前記事にもしたのだが、この”初代”「燃えよドラゴンズ!」に登場した選手達の”今”を知りたいと思ったのだ。

プロ野球応援歌の名曲「燃えよドラゴンズ!」は、「燃えよドラゴンズ 傾向と対策」というサイトによると、これ迄に24作品発売されているそうだ。作品毎に年代を反映させ、登場する選手達の顔触れも変えられている。因みに、登場回数が最も多いのはやはり星野仙一氏で、選手&監督として17回との事。7割の登場率というのは驚異的だが、それに続くのが立浪和義選手&山本昌広投手の12回という事で、此処で現役の2選手が登場するというのも又驚異的。

さて話を元に戻すが、初代「燃えよドラゴンズ!」に登場した選手達の今を下記したい。登場する選手やコーチ、そして監督の総数は26人。全員の今を知りたかったのだが、何せ32年前の歌。登場する選手達の中で、一番若い方でも51歳、最高年齢は80歳(共に2006年1月14日現在。)という状況故、残念ながら現在の状況が把握出来ない方も居られた。又、中には情報が古い場合も在り、誤った記述となっている部分も在るやもしれない。御気付きの点も含めて、御教示願えれば幸いだ。

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(2番の歌詞)

1. 一番高木が塁に出て♪
高木守道氏(1941年7月17日生まれ、64歳)
2塁手としてベストナインに輝く事7回。走・攻・守、三拍子揃った名選手だった。特にバック・トスの華麗さは名人芸ともいえ、ドラゴンズ史上、否、日本プロ野球史上の名2塁手として必ず名前が挙がる1人だろう。1992年~1995年にはドラゴンズの監督を務めた。現在は中部日本放送の解説者を務められる一方で、プロ野球マスターズリーグ名古屋80D’sersにてコーチも務められている。日本プロ野球名球会の会員でも在り、先日には競技者表彰として野球殿堂入りを果たされた


2. 二番谷木が送りバント♪
谷木恭平氏(1945年11月12日生まれ、60歳)
1972年のドラフト3位でドラゴンズに入団。27歳という高年齢、そして当時としては珍しい”子連れルーキー”という事でも注目された。ねちっこいバッティングをする選手という印象が強い。1980年の引退後はスカウトを務められ、その後、実家のおでん屋「おでん一平」を経営されているという情報が在ったが、こちらの記事によると御店の場所を移転された様で在る。店主の御名前も谷木紘士氏となっていたので、御子息か何かに代替わりされたのかもしれない。つい数年前迄は、確か札幌アンビシャスの選手として出場しておられた記憶が在る。


3. 三番井上タイムリー♪
井上弘昭氏(1944年5月21日生まれ、61歳)
1967年にカープのドラフト1位としてプロ入りを果たす。つまり、山本浩二選手の1年前のドラフト1位が彼という事になる。1973年にドラゴンズに移籍し、1975年には元同僚の山本浩二選手と首位打者を激しく争い、惜しくも敗れ去った。その後、ファイターズに移籍し、1984年に現役引退&ライオンズの守備走塁コーチに就任するも、チーム事情から代打要員として現役復帰。結局1年間で10試合の出場に終わり、1985年のシーズン終了後に二度目の現役引退となった。その後、解説者を経てドラゴンズのコーチを務められた。


4. 四番マーチン、ホームラン♪
ジーン・マーチン氏(1947年1月12日生まれ、59歳)
来日1年目の1974年、35本のホームランをかっ飛ばしてドラゴンズ優勝の立役者となった。粗いバッティングながら、長打力は在るというのがこの選手の印象。結局、1978年迄ドラゴンズに在籍し、1979年にホエールズに移籍。1年間だけ在籍して日本球界を去った。6年間の日本プロ野球生活で残した記録は、「698安打、189本塁打、498打点、打率.271」という事なので、上出来の部類の外国人選手だろう。通算長打率.529というのも、なかなかのもの。
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(3番の歌詞)

5. 五番の谷沢がクリーンヒット♪
谷沢健一氏(1947年9月22日生まれ、58歳)
1969年のドラフト1位でドラゴンズに入団。1年目からレギュラーに定着し、新人王に輝く。当初はシュアなバッティングの中距離打者というイメージだったが、1980年代頃よりは長距離打者の風格が出て来た選手だった。首位打者を2度獲得し、1986年に引退。後にライオンズのコーチを務める。日本プロ野球名球界の会員でも在り、「プロ野球ニュース」の解説者としても御馴染み。昨年9月には、自らが理事長を務めるNPO法人「谷沢野球コミュニティ千葉(YBC)」を設立。本年には、社会人野球のクラブチーム「YBCフェニーズ」を率いる予定。尚、あれだけの大選手が古巣ドラゴンズの監督に就任しないのは、同チームの大物OBにして某チームのSDでも在る人物(バレバレだが(笑)。)と犬猿の仲に在るからという噂が根強い。


6. 六番木俣が流し打ち♪
木俣達彦氏(1944年7月7日生まれ、61歳)
1964年に強打の捕手としてドラゴンズに入団。捕手としては、野村克也氏、古田敦也選手に次ぐ、通算3位の安打数(1,876安打)を誇る。野球知識の習得に熱心な事から「野球博士」とも呼ばれていた。1982年に引退し、ドラゴンズコーチを経て、中部日本放送の解説者を務める。高木守道氏と同様に、名古屋80D’sersのコーチも務められている。


7. 七番島谷、ヒットエンドラン♪
島谷金二氏(1945年1月23日生まれ、60歳)
1968年のドラフト9位でドラゴンズに入団。因みにドラフト1位は星野仙一氏、3位は大島康徳氏、6位は竹田和史氏と、初代「燃えよドラゴンズ!」に登場する26人の内4人がこの年のドラフト入団選手となっている。1年目から開幕スタメンとしてレギュラーに定着した。1977年に黄金期に在ったブレーブスに移籍し、1982年に引退。現在は、ドラゴンズの四国地区担当スカウトを務められている。


8. 八番広瀬がスクイズバント♪
広瀬宰氏(1947年2月20日生まれ、享年52歳)
1968年のドラフト2位オリオンズに入団。(この年の同チームのドラフト1位は有藤道世氏。)昨年、オリオンズの流れを汲むマリーンズが31年ぶりの日本一に輝いたが、その31年前の1974年の日本一を広瀬選手は体験していない。1972年のオフにドラゴンズに交換トレードされていたからだ。新天地のドラゴンズで2年目にセ・リーグ優勝を果たすも、日本シリーズでは古巣のオリオンズと闘う事になり、結果敗れ去ったというのも何か皮肉な因縁を思わせる。1975年オフにライオンズに移籍し、1981年に引退。その後、ライオンズのコーチ及び編成担当を務められ、1999年9月9日に52歳の若さで鬼籍に入られた。
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