昨晩の「報道ステーション」で大川常吉氏を取り上げていた。1923年9月1日に発生した関東大震災で、「混乱に乗じて朝鮮人が暴動を起こす。」とか「朝鮮人が井戸水に毒を入れた。」等の流言蜚語が飛び交い、それに煽られた軍人や憲兵ばかりか一般市民も加わって、朝鮮人を大量殺害したという話(一説には6,600人とも言われている。)は知っていたが、この大川氏の事は恥ずかしながら全く知らなかった。
当時の日本は、朝鮮人を植民地支配下に置いていた。その事に因り、朝鮮人を見下し、彼等に対する差別的な言動が多く見受けられたのは事実の様だ。それだからこそ、彼等が何時か暴動を起こすのではないかという警戒心を、多くの日本人が持っていたのだろう。
大川氏は、当時、鶴見警察(横浜市)の署長を務めていたのだが、助けを求めて来た300人余の朝鮮人を署内に匿った。鶴見署員30数人に対し、外を取り囲む暴徒の数は1,000有余人。常軌を逸した群集の前に立ち、大川氏はこう言い放ったという。「朝鮮人が毒を入れたという井戸水を持って来い。私が飲んで死ねば朝鮮人を引き渡す。異常が無ければ私に預けよ。」。「私を信頼しないのなら、朝鮮人を殺す前に、この大川を殺せ。」。「何処の国の人間であろうと、人の生命に変わりはない。それを守るのが俺の任務だ。」。この発言で、暴徒は沈静化し、結果的に300人余の朝鮮人の命が守られる事となった。
戦時下というのは異常な状況である。チャップリンの「殺人狂時代」という映画の中に、「1人を殺すのは殺人者で、百万人を殺す者は英雄なのか!」という有名な台詞が在るが、人を殺す事が正とされる状況が戦争。そういう意味では、第一次大戦を経て第二次大戦へと突き進んでいく軍国主義の流れの中では、こういった大量殺害が起きてしまったのも必然であったのかもしれない。大量殺害を決して肯定する訳ではないが、古今東西を問わず、同様の事件が起こっている事からも、それは否定出来ないと思う。(第二次大戦”後”に、ソ連が多くの日本人を「シベリア抑留」し死に追いやった事や、間接的にではあるが「氷雪の門」事件等で、日本人も虐殺されている。)
話を戻すが、多くの朝鮮人殺害に加担した群集の行為は決して正当化されるものではない。しかし、当時の異常とも言える状況下にあれば、自分が同じ事をしなかったと言い切れる自信もない。殺害に加担しなかったにせよ、暴徒化した群集を前にして朝鮮人を守り切る行為には出られなかっただろうと思う。それを思った時、「生命の尊厳」を強く心に持ち、信念を貫いた大川氏の凄さに圧倒される。
オスカー・シンドラー氏や杉原千畝氏の他にも、この様な人物が存在したというのは、暗い時代の中での一筋の光であろう。
当時の日本は、朝鮮人を植民地支配下に置いていた。その事に因り、朝鮮人を見下し、彼等に対する差別的な言動が多く見受けられたのは事実の様だ。それだからこそ、彼等が何時か暴動を起こすのではないかという警戒心を、多くの日本人が持っていたのだろう。
大川氏は、当時、鶴見警察(横浜市)の署長を務めていたのだが、助けを求めて来た300人余の朝鮮人を署内に匿った。鶴見署員30数人に対し、外を取り囲む暴徒の数は1,000有余人。常軌を逸した群集の前に立ち、大川氏はこう言い放ったという。「朝鮮人が毒を入れたという井戸水を持って来い。私が飲んで死ねば朝鮮人を引き渡す。異常が無ければ私に預けよ。」。「私を信頼しないのなら、朝鮮人を殺す前に、この大川を殺せ。」。「何処の国の人間であろうと、人の生命に変わりはない。それを守るのが俺の任務だ。」。この発言で、暴徒は沈静化し、結果的に300人余の朝鮮人の命が守られる事となった。
戦時下というのは異常な状況である。チャップリンの「殺人狂時代」という映画の中に、「1人を殺すのは殺人者で、百万人を殺す者は英雄なのか!」という有名な台詞が在るが、人を殺す事が正とされる状況が戦争。そういう意味では、第一次大戦を経て第二次大戦へと突き進んでいく軍国主義の流れの中では、こういった大量殺害が起きてしまったのも必然であったのかもしれない。大量殺害を決して肯定する訳ではないが、古今東西を問わず、同様の事件が起こっている事からも、それは否定出来ないと思う。(第二次大戦”後”に、ソ連が多くの日本人を「シベリア抑留」し死に追いやった事や、間接的にではあるが「氷雪の門」事件等で、日本人も虐殺されている。)
話を戻すが、多くの朝鮮人殺害に加担した群集の行為は決して正当化されるものではない。しかし、当時の異常とも言える状況下にあれば、自分が同じ事をしなかったと言い切れる自信もない。殺害に加担しなかったにせよ、暴徒化した群集を前にして朝鮮人を守り切る行為には出られなかっただろうと思う。それを思った時、「生命の尊厳」を強く心に持ち、信念を貫いた大川氏の凄さに圧倒される。
オスカー・シンドラー氏や杉原千畝氏の他にも、この様な人物が存在したというのは、暗い時代の中での一筋の光であろう。
初めまして、TBありがとうございました^^
記事を読みました。
朝鮮を植民地化していた時代にも大川常吉のような人が居たのだと知って驚きました。
シンドラーのリストを見た時に、
私も「この時代にこういう人が居たことを心から感謝したい…」と思ったので、凄く共感しました。
報道ステーションはみていなかったです。
鶴見にもシンドラーがいたのですね。
興味深い記事をありがとうございました。
鶴見というのが何県の鶴見かわからないですが、その事件は知りませんでした。
災害時というのは本当にいろんなことが起きるのですね。
関東大震災のときの朝鮮人大量虐殺の話は、知っていましたが、大川常吉氏の話は、聞いたことがありませんでした。
今の日本と、当時の日本の状況で、首都東京を襲った未曾有の地震災害に、人々の動揺は大変なものがあったと思います。そうした、状況の中で、尋常ではない行動に出てしまったのかもしれません。
現在も、こうした悲劇がどこかで起こっているのは、悲しいことですね。
このようなエントリーを立てて頂きましたこと、
在日韓国人として厚く御礼申し上げます。
私たちは防災の日には必ず黙祷を捧げています。
無念の死を遂げた多くの同胞たちの魂の
健やかな眠りを願ってやみません。
当時多くの同胞を助けてくださいました
勇気ある日本のかたにも、感謝致しております。
ありがとうございました。
とてもいい話を読ませていただきました。
また、私の駄文と関連づけていただいたことを光栄に思います。
また読ませてください。
ご意見に全く同感です。
自分の意見を読んでるような気がしました。
これからもよろしくお願いします。