「市ヶ谷台ツアー」*1(無料)に参加した。2000年に防衛庁(現在の防衛省)が赤坂から市谷本村町に移転したのを機に、防衛省内部を一般公開する「市ヶ谷台ツアー」が開始。昨年12月4日は総見学者数が20万人を超え、知る人ぞ知る人気ツアーなのだ。以前より参加したいと思っていたが、実施されているのが平日のみという事も在り、なかなか実現出来ないでいた。スケジュール調整を図り、今回やっと念願叶った次第。
市ヶ谷と言えば、自分の中では「市ヶ谷駐屯地」のイメージが強い。陸上自衛隊東部方面総監部及び陸上・海上・航空自衛隊幹部学校等として使用されて来た施設。そもそもは1656年、徳川御三家の一つで在る尾張徳川家第2代・徳川光友が、第4代将軍・徳川家綱より5万坪を拝領し、市ヶ谷台に上屋敷を築いたのが始まり。やがて明治維新を迎え、彼の地は明治政府に返上され、1874年に京都兵学寮が此処に移転される。1937年、陸軍士官学校本部として1号館が建設され、戦時中は大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれていた。終戦後はアメリカ軍に施設を接収され、1946年5月には極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された事でも有名。1959年、我が国に施設が返還されて以降は上記した市ヶ谷駐屯地として使用され続け、2000年に防衛省が移転する際に全面建て直しとなったそうだ。敷地総面積は約23ヘクタールで、約1万人の職員が勤務している。戦後の官公庁建設では、最大規模を誇るという。
ツアーは「午前」と「午後」の部の2種類が在り、見学所要時間は午前が2時間15分、午後は2時間10分。「午前の部に在る『屋外ヘリ展示場』と『メモリアルゾーン』(公務による殉職者の慰霊碑)の見学が午後の部には無く、その分『広報展示室』及び『東儀仗広場』の見学が加わっている。」というのが違いだ。自分は午後の部に参加させて貰った。参加者数は50人程。
ガイドの女性(民間委託)に引率され、最初に向かったのは南儀仗広場。各国の要人を迎える際の、だだっ広い広場だ。其処で庁舎A棟、B棟、C棟の説明を受けた後、このツアー最大の見所と言って良い「市ヶ谷記念館」に向かう。
【南儀仗広場】

元々は庁舎A棟の建設地に在った「1号館」を、歴史的建築物として移築&復元したのが市ヶ谷記念館。*2自分がこのツアーに参加した理由は、此処を見たかったからだ。
【市ヶ谷記念館入り口】

1階には、東京裁判の法廷として使用された大講堂が在る。東條英機元首相を始めとするA級戦犯達が裁かれた場として、書籍や映像等で何度も見て来た所だ。かなり広い場所というイメージが在ったが、実物は約200坪と意外にも狭く感じられた。因みに次の写真は、入り口から玉座方向を撮った物。東京裁判の際にはこの玉座は取り払われ、通訳席になっていたとか。
【大講堂1】

内部はかなり薄暗い。東京裁判の際には、別途明かりが取り付けられていたそうだ。床には30cm角のナラ材が約7,200枚が敷き詰められていたが、これも反りや歪みが出た399枚以外は敷設方向も含めて、創建当事と同じままで復元されているというから驚きだ。
【大講堂2】

玉座に面して右奥には、天皇専用の階段が敷設されていた。歩き易い様にと、微妙に凹凸が施された階段。天皇が現人神とされた当時では考えられない事だったろうが、今ではこの階段を一般見学者が上り下り出来るのだ。
【天皇専用階段】
市ヶ谷と言えば、自分の中では「市ヶ谷駐屯地」のイメージが強い。陸上自衛隊東部方面総監部及び陸上・海上・航空自衛隊幹部学校等として使用されて来た施設。そもそもは1656年、徳川御三家の一つで在る尾張徳川家第2代・徳川光友が、第4代将軍・徳川家綱より5万坪を拝領し、市ヶ谷台に上屋敷を築いたのが始まり。やがて明治維新を迎え、彼の地は明治政府に返上され、1874年に京都兵学寮が此処に移転される。1937年、陸軍士官学校本部として1号館が建設され、戦時中は大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部が置かれていた。終戦後はアメリカ軍に施設を接収され、1946年5月には極東国際軍事裁判(東京裁判)の法廷として使用された事でも有名。1959年、我が国に施設が返還されて以降は上記した市ヶ谷駐屯地として使用され続け、2000年に防衛省が移転する際に全面建て直しとなったそうだ。敷地総面積は約23ヘクタールで、約1万人の職員が勤務している。戦後の官公庁建設では、最大規模を誇るという。
ツアーは「午前」と「午後」の部の2種類が在り、見学所要時間は午前が2時間15分、午後は2時間10分。「午前の部に在る『屋外ヘリ展示場』と『メモリアルゾーン』(公務による殉職者の慰霊碑)の見学が午後の部には無く、その分『広報展示室』及び『東儀仗広場』の見学が加わっている。」というのが違いだ。自分は午後の部に参加させて貰った。参加者数は50人程。
ガイドの女性(民間委託)に引率され、最初に向かったのは南儀仗広場。各国の要人を迎える際の、だだっ広い広場だ。其処で庁舎A棟、B棟、C棟の説明を受けた後、このツアー最大の見所と言って良い「市ヶ谷記念館」に向かう。
【南儀仗広場】

元々は庁舎A棟の建設地に在った「1号館」を、歴史的建築物として移築&復元したのが市ヶ谷記念館。*2自分がこのツアーに参加した理由は、此処を見たかったからだ。
【市ヶ谷記念館入り口】

1階には、東京裁判の法廷として使用された大講堂が在る。東條英機元首相を始めとするA級戦犯達が裁かれた場として、書籍や映像等で何度も見て来た所だ。かなり広い場所というイメージが在ったが、実物は約200坪と意外にも狭く感じられた。因みに次の写真は、入り口から玉座方向を撮った物。東京裁判の際にはこの玉座は取り払われ、通訳席になっていたとか。
【大講堂1】

内部はかなり薄暗い。東京裁判の際には、別途明かりが取り付けられていたそうだ。床には30cm角のナラ材が約7,200枚が敷き詰められていたが、これも反りや歪みが出た399枚以外は敷設方向も含めて、創建当事と同じままで復元されているというから驚きだ。
【大講堂2】

玉座に面して右奥には、天皇専用の階段が敷設されていた。歩き易い様にと、微妙に凹凸が施された階段。天皇が現人神とされた当時では考えられない事だったろうが、今ではこの階段を一般見学者が上り下り出来るのだ。
【天皇専用階段】
