ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「映像記録 あの日あの場所、あの人と」

2016年01月12日 | TV番組関連

昨夜、BS-TBSで「マンデードキュメント」というドキュメンタリー番組が放送されていた。途中から見たのだが、タイトルは「映像記録 あの日あの場所、あの人と」で、「阪神・淡路大震災」から20年目の昨年に放送された物の再放送の様だ。*1

 

自分にとって「阪神・淡路大震災」は、忘れる事が出来ない大惨事の1つで、2005年1月18日の記事「あの日自分は・・・」で初めて触れて以降、何度も書かせて貰っている。数多建造物倒壊し、火の海に包まれた神戸の街の映像を目にした時は、とても現実に起こっている出来事とは思えなかったし、地獄絵を見る思いだった。

 

未曽有の大災害で在る「東日本大震災」発生から、今年で5年目を迎える。僅か5年前の事なのに、被災者以外は彼の恐怖の記憶が、どんどん薄れて行っている様に感じる。電力危機から節電意識に目覚め、「出来るだけ電気を使わない様にしよう。」と、必要以上に明るいイルミネーションを控えていた街々も、今では何事も無かったかの様に、過度な明るさを誇っている。

 

僅か5年前の出来事ですらそんな感じなのだから、21年前の「阪神・淡路大震災」の悲惨な記憶を薄れさせてしまっている人は、其のでは無いだろう。其れだけに、「映像記録 あの日あの場所、あの人と」の様な番組は貴重だと思う。

 

20年前の被災地で、映像に収められた人々や街の“今”を追った番組。人々の姿や街の様子の変貌は想像以上で、改めて過ぎ去った時間の長さを痛感させられた。被災者の大震災に対する思いは人其れ其れで、「もう思い出したく無い。」とか「振れない様にずっとして来た。」という人も居られたけれど、とは言え、被災者が大震災による“痛手”を大なり小なり、今も引き摺っている様に感じられた。

 

押し潰された住宅から、50時間振りに救出された妻を、ずっと献身的介護し続けて来た夫。「大震災前は、妻の事を顧みていなかった。」という自責も在り、近所の人達が「物凄く献身的に介護されていた。」と言わしめる程に、足が不自由になった妻を介護していた。其の妻も2005年に亡くなり、夫も2014年3月、86歳で帰らぬ人に。

 

押し潰された家屋の下から救出されるも、其の後、亡くなった中学1年生の少女。彼女の訃報を生徒達に伝えた担任の女性教師は、其の年が初めてクラスを受け持った年でも在った。大震災で唯一亡くした教え子の事を今も忘れられず、犠牲となった彼女の写真を持ち続けていた。

 

其の少女を失った両親は、同時に中学3年の長男も大震災で失っていた。「震災の話はしない、避けている。」と口にする2人だが、「年頃の子供を見ると、どうしても息子達の事を思い出してしまう。」とも語っていた。取材陣に幼い子供が居る事を知り、「良いですね。大事にして上げて下さいね。」と穏やかに語る姿に、ついつい目頭が熱くなってしまった。

 

大震災発生から3日後、平野市場で営業を再開した青果店には、神戸各地から食料を求める人々が押し寄せた。其の店主が語っていた地震の時は市長も来て、『頑張って下さい。皆さんの生活を助けます。』等と言っていたけれど、時が経ったら知らん顔や。という言葉は、心にずしんと来た。

 

又、「助けて下さった人達の温かさを思い知らされた。」とする一方で、「御金が無いというのは、本当に辛かった。」と話す被災者も居り、「結局、自分だけが頼りという事なんだろうな。」という思いが。

 

20年前、東灘区路地奥で、懸命ヴィデオ・カメラを回す少女の姿が在った。「跡形も無くなった自宅の風景を、記録に残しておこう。」と家族で決め、映像に収めていたのだ。其の少女の“今”は、非常に衝撃的だった。撮影された直後に白血病で倒れ、其の年の内に13歳で亡くなっていたのだ。大震災で助かった命が、其の年の内に病気で失われたいたという現実は、無慈悲さを感じてしまった。

 

5日後の「1月17日」、彼の日から21年目を迎える。

 

*1 「映像記録 あの日あの場所、あの人と」に触れた部分では、同番組が最初に放送された昨年を基準にし、大震災発生を全て「20年前」と記させて貰った。


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2 コメント

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ありがとうございます。 (雫石鉄也)
2016-01-12 09:36:23
あれから21年ですね。
今の神戸は表面は震災のきずあとは見えません。
あの日、私は神戸市東灘区の自宅で被災しました。さいわい家族全員無事でしたが、何人か友人知人が亡くなりました。
私は、あの大災害の被災者として、少しでも記憶にとどめたいと思って、毎年1月17日は自分のブログに記事を書いてます。
こうして、giants-55さんのような方が、話題にしてくださることはありがたいことです。
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>雫石鉄也様 (giants-55)
2016-01-12 12:58:23
書き込み有難う御座いました。今回は、此方にレスを付けさせて貰います。

自分の場合、近しい人間で阪神・淡路大震災の被害に遭った者は居ないのですが、でも、彼の時の映像の数々は恐怖心と共に、未だ忘れる事が出来ません。雫石様の場合は御自身が被害に遭われ、尚且つ近しい方々を亡くされた訳で、其の心の傷の深さは想像するに難く在りません。

近年、「他人の事なんか知った事では無い。自分さえ良ければ、其れで良い」とか「自分の身に不幸が降り掛かるなんて、絶対に在り得ない。」とか、身勝手且つ無根拠な思考が罷り通っており、阪神・淡路大震災もそんな思考の中に埋没して行っている様な懸念を覚えます。リアル・タイムに彼の大震災を見聞した身としては、少しでも記憶が薄れる事が無い様、折に触れて書き続けて行きたいと思っております。
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