余りにも支離滅裂な主張をされてしまうと、怒りを通り越して「世の中には”面白い人”が居るもんだ。」と苦笑するしかない。「週刊新潮」に連載されている渡辺淳一氏のコラム「あとの祭り」に「大迷惑の記」(8月16・23日夏季特大号)という記事が載っていたのだが、この内容が正しく「世の中には”面白い人”が居るもんだ。」と感じさせるもの。しかし同時に、「”面白い人”で済ませていたらいけない問題。」とも感じた。
或る日突然、渡辺氏の自宅に東京地方裁判所民事部から分厚い郵便物が送られて来た事から話は始まる。「何事か?」と思って封を切ると、中からは「長野県在住のNSという女性(以後「原告」と称す。)が渡辺氏(以後「被告」と称す。)を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こした。」旨の書類が出て来たそうだ。何でも「原告が執筆したとする小説と、被告が日本経済新聞に連載して社会的な話題を呼んだ「愛の流刑地」との間に同一の表現が多用されており、これは著作権し侵害に当たる。よって民法709条に基づき、著作権侵害の不法行為により、2千万円を支払え。」というのがその内容。記事の中で、問題になっている文章が幾つか対比されている。「”」で括った箇所を原告は「同一の表現で在り、著作権の侵害に当たる。」としているそうだが、どう思われるだろうか?
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原告の文章: 靴を履いて外に出た。”千駄ヶ谷”のプールがあった。
被告の文章: 菊治はいままで住んでいたマンションを妻にゆずり、自らは”千駄ヶ谷”の小さなマンションに住んでいるが(中略)。
原告の文章: 娘と熊川哲也を見たが、その”比では”なかった。
被告の文章: 冬香の”比では”ないかもしれない。
原告の文章: 三越の袋を”予め”用意して(中略)。
被告の文章: ”あらかじめ”、気がつかなかったわけではない。
原告の文章: その”くぐもった声”を聞きます。
被告の文章: 冬香は少し”くぐもった声”で答える。
原告の文章: 医師が出てきて、下着をとってこの台に上がりなさい、と言った、わたしは”怯んだ”。
被告の文章: 値段をきいた途端、菊治は一瞬”ひるんだ”。
原告の文章: 一番大切なことは、”満たされて”いる。
被告の文章: ”満たされて”眠ったあとの優しい笑顔でもある。
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こんな対比が延々と数十頁にも渡って続いており、その全てが被告の盗用と指摘されているとか。渡辺氏は知人の弁護士に依頼し、結果的には請求を棄却させる事が出来た。「(前略)何れも日常的に良く使用されている、極めて有り触れた表現で在り、(しかもその殆どは地名か、一乃至二単語の語句で在り。)同部分に著作物の独自性が認められない事は明らかで在る。」というのが裁判所の下した棄却理由という事で、これは至極当然の判断だろう。松本零士氏と槇原敬之氏の間で繰り広げられた”盗用騒動”には唖然とさせられたが、今回の件と比べると未だましの様な気すらして来る。難癖を付けているとしか思えない。
唯、この一件が「世の中には”面白い人”が居るもんだ。」で片付けられないのは、渡辺氏も指摘しておられる様に「もしかしてこの原告は時々こんな馬鹿げた訴えをして、金儲けを企んでいるのではないか?」という点。渡辺氏の場合にはきちんと弁護士を立てて請求を棄却させたが、もし「馬鹿らしい。」と裁判所からの通知を放置しておいたらどうなっていたか。裁判所側では如何に内容が馬鹿馬鹿しくても、訴状が法的に纏まっていたら受理せざるを得ず、更に被告から返答の無い場合は、訴えを認めたものとして被告側の勝訴、即ち今回の場合は「2千万円を支払え。」となっていた可能性は高い。
「誰彼と無く勝手に訴訟を起こし、負けると判っていても、時に忙しさに感けて放置する人達を狙い、莫大な金銭を手に入れる。負けて訴訟代を損しても、十に一つ上手く行けば、その損を取り戻して余り在る金銭が得られる。」という振り込め詐欺と同じ世界が存するのだろう。
或る日突然、渡辺氏の自宅に東京地方裁判所民事部から分厚い郵便物が送られて来た事から話は始まる。「何事か?」と思って封を切ると、中からは「長野県在住のNSという女性(以後「原告」と称す。)が渡辺氏(以後「被告」と称す。)を相手取り、損害賠償請求訴訟を起こした。」旨の書類が出て来たそうだ。何でも「原告が執筆したとする小説と、被告が日本経済新聞に連載して社会的な話題を呼んだ「愛の流刑地」との間に同一の表現が多用されており、これは著作権し侵害に当たる。よって民法709条に基づき、著作権侵害の不法行為により、2千万円を支払え。」というのがその内容。記事の中で、問題になっている文章が幾つか対比されている。「”」で括った箇所を原告は「同一の表現で在り、著作権の侵害に当たる。」としているそうだが、どう思われるだろうか?
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原告の文章: 靴を履いて外に出た。”千駄ヶ谷”のプールがあった。
被告の文章: 菊治はいままで住んでいたマンションを妻にゆずり、自らは”千駄ヶ谷”の小さなマンションに住んでいるが(中略)。
原告の文章: 娘と熊川哲也を見たが、その”比では”なかった。
被告の文章: 冬香の”比では”ないかもしれない。
原告の文章: 三越の袋を”予め”用意して(中略)。
被告の文章: ”あらかじめ”、気がつかなかったわけではない。
原告の文章: その”くぐもった声”を聞きます。
被告の文章: 冬香は少し”くぐもった声”で答える。
原告の文章: 医師が出てきて、下着をとってこの台に上がりなさい、と言った、わたしは”怯んだ”。
被告の文章: 値段をきいた途端、菊治は一瞬”ひるんだ”。
原告の文章: 一番大切なことは、”満たされて”いる。
被告の文章: ”満たされて”眠ったあとの優しい笑顔でもある。
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こんな対比が延々と数十頁にも渡って続いており、その全てが被告の盗用と指摘されているとか。渡辺氏は知人の弁護士に依頼し、結果的には請求を棄却させる事が出来た。「(前略)何れも日常的に良く使用されている、極めて有り触れた表現で在り、(しかもその殆どは地名か、一乃至二単語の語句で在り。)同部分に著作物の独自性が認められない事は明らかで在る。」というのが裁判所の下した棄却理由という事で、これは至極当然の判断だろう。松本零士氏と槇原敬之氏の間で繰り広げられた”盗用騒動”には唖然とさせられたが、今回の件と比べると未だましの様な気すらして来る。難癖を付けているとしか思えない。

唯、この一件が「世の中には”面白い人”が居るもんだ。」で片付けられないのは、渡辺氏も指摘しておられる様に「もしかしてこの原告は時々こんな馬鹿げた訴えをして、金儲けを企んでいるのではないか?」という点。渡辺氏の場合にはきちんと弁護士を立てて請求を棄却させたが、もし「馬鹿らしい。」と裁判所からの通知を放置しておいたらどうなっていたか。裁判所側では如何に内容が馬鹿馬鹿しくても、訴状が法的に纏まっていたら受理せざるを得ず、更に被告から返答の無い場合は、訴えを認めたものとして被告側の勝訴、即ち今回の場合は「2千万円を支払え。」となっていた可能性は高い。
「誰彼と無く勝手に訴訟を起こし、負けると判っていても、時に忙しさに感けて放置する人達を狙い、莫大な金銭を手に入れる。負けて訴訟代を損しても、十に一つ上手く行けば、その損を取り戻して余り在る金銭が得られる。」という振り込め詐欺と同じ世界が存するのだろう。

スティーブン・キングの「ミザリー」だったかで「自分を勝手に作品に出しただろう」と怒り狂う恐ろしい女性が出てきたように思いますが、こういう病気はそうそう珍しいものではないそうです。
例えば「テレビ番組の司会者が自分を中傷している」とか田舎にある「遅いので帰りましょう」みたいな放送(よく5時ぐらいになると音楽とともに流れたりするんです)を自分だけに対する監視、あてつけと感じるといった症状があり、自分は警察やら公安やら創価学会、朝鮮総連やらその手下の有名無名の人々で構成される「集団ストーカー」にまあとにかくありとあらゆる監視とあてつけの対象にされている、というわけです。
なんでこんなことを知ったかというと以前読んでいた理知的なブログの管理人が数ヶ月の中断のあといきなり「自分は10数年集団ストーカーの被害にあってきた」という内容のことを書き出し、それで知りました。最初は何がなにやらと唖然とし、「この人がそこまで書くならそういうことが世の中にはあるのか」とまで思ったのですが、「PCを開けたら飛行機の爆撃音で攻撃された」だの「家の前にヘリの爆撃音で攻撃する人がいる」「出かけようと思ったが朝の番組の司会のMが出かけろとほのめかすのでやめた」とか書いてあるのでだんだん「これはちょっとありえない」と思うようになり、そのブログ主のファンだったので本当に悲しくなりました。
TV局に寄せられる苦情の中には、常識では考えらない様な物も結構在ると聞きます。こうなると正にクレーマーですね。
書き込みに在ったブロガー氏の話、当人としては真剣にそう思っているんでしょうね。精神的に病んでしまっているのだとしたら気の毒な限りですが、周りもどう対応すれば良いのか気を揉んでいる事でしょう・・・。
確かに彼女(女性です)の日記には「そんなに仲良くないのに病院へ行け、あんたは統合失調症だ」と言ってくる奴がいる。あいつらも「手下」だ」というような文面がありました。こうなると手がつけられませんね。コメント常連だった自分も「手下」と思われていたかもしれません(はぁ…)。
ただストーキングの親玉が「在日」だの「プロ市民」なんていうあたりが「今風」だなあ、と妙な感慨も抱きました。12年前なら「オウム」、「統一教会」、25年前なら「革マル」なんて名が並んだでしょうから。
>クレーマー
クレームを受ける側の精神に異常が起きないか心配です。ただ昔スナックでボーイのバイトした際の経験ですが、ちょっとの酒で豹変する客ほど厄介なものはありませんでした。日頃抑圧されている分信じがたいほど凶変するのです。ママの意向でどんな客にも謝らなければいけませんでしたのでホント苦痛でした。そのバイトは2週でやめましたよ(笑)。
日本人は結構「日頃おとなしーく抑圧されていて」、何かのスイッチが入ると豹変する人が多いかもしれません。最近の中高年の暴力事件増加なんてのは良い例ですよね。
昔に比べて、人間関係が脆弱化して来ているのかもしれませんね。一寸前にTV等で盛んに取り上げられていた”引越しおばさん”も、普段から隣人との関係がそれなりに構築されていたならば、あそこ迄拗れる事も無かったのかなあという気が。家を出る際に顔を合わせたら「こんにちは。」と声を掛け、旅行した際には大した物では無くても御土産を買って来て渡す。そんな何でも無い事が、不快に感じさせる様な言動をしてしまったとしても、「何時も御世話になってるから、まあ良いか。」と”人間関係が壊れるハードル”を高くしてくれるのではないでしょうか。
駅員に対して、はたまた医師に対しての暴力行為が増えていると聞きますが(http://sgourmet.blog94.fc2.com/blog-date-20070819.html)、何でそんな事で暴力行為に及んでしまうのだろうか?と思うレベルでの事が少なくないですね。ストレスの増加が影響しているのか?それとも食生活の変化が、感情コントロールをし難くさせてしまったのか?大の大人が幼児化しているというのは、本当に嘆かわしい限りです。
あと、様付けや過剰サービスは問題の本質に対処してませんよね。様付けで乱暴に接しられたら馬鹿にされていると思うだけだし、そう思ったことは多々あります。個人的に様付けって心なしかコミュニケーションの距離を遠ざけるだけのように思いますね。
あととりあえず謝っとけばいい、様つけて慇懃に接すればいいという方針には、どうせ相手はアホや、というような本音(昔のバイト先のママはそういう方針でした)が出てしまう場合もありますしね。
まあしかし病院・学校・鉄道の場合は従業員の側も過剰労働で余裕がないのも事実でしょうし、この問題は専門家諸氏が言うように「過剰サービスで消費者が付け上がった」なんていう単純な問題ではないと思います。それは実に思い上がった見解だと思いますよ。
>嘆かわしい限りです
幼児化というよりは適切な抗議の仕方が分からない人が多い、という気もします。
クレーマーにしても同様でどうもただ怒るだけでは向こうは適切に処理してくれません。
ところであの騒音おばさんは「集団ストーカー」を主張する方同様、医学のお世話になったほうが良いようにも思いました。
以前「知人の女性が、コミュニケーション能力に問題が在りと思える医師からの対応で傷付いた。」という話(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/7bb4a4a15d61241a085b6c5e47265c56)を紹介しましたが、患者やのみならず医師の側にも問題の在る人物は居るとは思います。唯、Spa supernova様も書かれておられる様に、暴力を振るってしまっては駄目ですよね。
又、これも以前に紹介させて貰った話ですが、「過剰サービスで、消費者が付け上がった。」というよりも、「マニュアル文化が極度に進み”過ぎて”しまった結果、消費者サイドに”間違った権利意識”を植え付けてしまった。」(http://blog.goo.ne.jp/giants-55/e/57f3f76d5e57013947cc0582b86c5145)という面は在る様に感じています。「コンビニでは立ち読みだけして出て行く客にも、店員が『有難う御座います。』と言い、ファミレスでは小さな子供が一人で来ても『いらっしゃいませ。』、『何になさいますか?』という”機械的な”対応。」では無く、嘗て普通だった「『立ち読みやめんかい。』、『キミ一人で来たらあかんで。』という”人間的”対応。」が普通の様に自分も思うからです。
適切な抗議の方法を知らないというのは、確かに在るかもしれませんね。人との”距離感”が取れない人間が増えているというのも在るかも。
肯定ばかりはいけませんが、反対ばかりも疑問です。
それにしても酷い話ですね。何処の世界にも酷い輩は居ますし、別段保険業界だけが酷いとは思わないのですが、何よりも口が達者な人間が結果的に上手い汁を吸うというのが許し難いです。昔、ヴァラエティー番組「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」で人気を博した御爺ちゃん・エンペラー吉田氏(http://jp.youtube.com/watch?v=SKh1ZYFOWOA)の決め台詞で「偉くなくとも正しく生きる~!」というのが在りましたが、そういう世界に少しでも近付いて欲しいもの(苦笑)。