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親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。
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明治の文豪・夏目漱石。彼の代表作の一つ「坊つちやん」の、冒頭に記された文章だ。正義感に溢れ、直情径行の教師「坊っちゃん」が、赴任先で在る四国の中学校で巻き込まれたトラブルを、ユーモラスな筆致で描き上げている。「5年3組リョウタ組」は石田衣良氏にとって初の連載作品だが、著者の頭の中には「痛快で、無邪気で、おまけに迷惑千万な坊ちゃんの様な主人公。」という設定は早い段階で作り上げられていた様だ。
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中道良太: 茶髪で、胸元にはスターリング・シルバーの髑髏のペンダント。“今時”の若者を具現化した様な小学校教師。涙脆くて純情で、直情径行型の彼は、地方都市の名門公立小学校・希望の丘小学校の5年3組の担任。彼が受け持つクラスは常に“クラス競争”で最下位を争っている。大人の自覚は在るけれど、ふと気が付けば子供と同じ目線に。仕事には熱いが恋もしたいと、悩みも喜びも多い日々。
染谷龍一: リョウタにとって数少ない同世代同性の教師。5年2組の担任。常に論理的でクールな彼が受け持つクラスは、“クラス競争”で常にトップを争っており、上からの受けも非常に良い。公私に渡って全く隙を感じさせない彼だが、何故かリョウタをライバルと目し接近して来る。
山岸真由子: 先輩教師。5年4組の担任。ファッショナブルで知的な女性。
富田敦夫: 狐顔の学年主任。5年5組の担任。事勿れ主義で、細かい事に神経質。
岩本春美: 間も無く50歳を迎えるベテラン教師。仕事に対して全く遣る気の無い彼女が受け持つ5年1組は、リョウタの3組と“クラス競争で”常に最下位を争っている。
牧田英之: 副校長。学校の実務を一手に引き受けている。有能だが、体面を保つ事ばかりに汲々としており、リョウタとは反りが合わない。
秋山裕輔: 校長。文部科学省や教育委員会に良い顔がしたいが為に、依頼された調査や報告を簡単に引き受けてしまうので、現場の教師達はえらい迷惑を被っている。
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「坊ちゃん」の登場人物で言えば、「リョウタ=坊ちゃん、染谷=“クールな”山嵐、山岸=マドンナ、富田=野だいこ、岩本=うらなり、牧田=赤シャツ、秋山=狸」というイメージか。
心に残った文章を5つ取り上げてみたい。
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・ 家庭からは学校に注文を付ける事が出来る。だが、学校には成人で在る親を教える事も、意見する事も出来ないのだった。学校は専守防衛に努めるしかないのだ。それが教育の現状で在る。
・ 「本多君の御父さんは、先生の何十倍も御金を稼いでいるかもしれないし、この街で力の在る人の殆どを知っているかもしれない。頭だって良いし、力も本多君よりずっと強い。でもね、二人の人が居たら、相手の事をより沢山感じて、判って上げられる人の方が、絶対に強いんだよ。」
・ 「虐めは日本人の高い同質性のマイナスの表現です。組織の中に居る人間の行き過ぎた防衛本能なのかもしれません。アレルギーって在りますよね。異物に対して人体が過剰な拒否反応を示す事ですが、虐めはあの状態に近いと僕は思っています。どちらも時に死に到る事が在りますから。」
・ 「俺はこの学校(公立の養護学校)に来て十年になる。毎日が冒険だ。さて、何を仕出かしてくれるか。興味津々ってやつだ。あんたたちの学校なら、大きくなった卒業生が挨拶に来るなんて事も在るだろう。立派に育って、社会人になったりしてな。中には教師よりも出世したりして。けど、此処の子供達は皆身体が弱くてな、好い加減おっさんの俺より先に亡くなって行く子が多いんだ。社会に出て活躍するなんて事も、余り期待出来ない。教え子の葬式に出るのは、それは辛いもんだぞ。」
・ 「政治家や文科省の偉い人達だって、現場を見ないで自分の信じる理念だけを押し付け様としている。親や祖先や国への尊敬なんて、小学校で教えられる物では無い筈だ。そういう気持ちは社会全体がそうなっていれば、自然に生まれて来るだろう。大人が号令を掛ければ、子供達は都合の良い方向にどんどん成長する、なんてね。子供達はビニールハウスの野菜じゃないんだ。そんなに都合良く育てられないさ。そういうのは安全な場所に居る人間だけが信じている妄想だ。」
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あとがきで著者は「現代の教育問題を全部投げ込んだ痛快な若い教師の物語が書きたい。それも熱血でも、サラリーマンでも無く、自分の仕事に誇りを持ち乍ら、日々悩みつつ教育の現場に立つ『普通』の教師の目線で書きたい。」という意図の下、この作品を書き始めたとしている。そして「最後の最後なので、無責任に言っておきます。」とした上で、「『子供達も、学校も、きっと大丈夫。』。国際テスト(!)で日本の子供達の順位が少々下がろうが、大丈夫。宇宙人に見える子供達だって、きっと大丈夫。Wれこれとガタが来ても、学校だって先生だって、きっと大丈夫。我が家の子供達を眺めて溜め息を吐き乍ら、僕はそう自分に言い聞かせていました。この小説は、何かと問題ばかり指摘される先生と子供達に送る、少しばかり長いエールだったかもしれません。」とも。自らの半生が大きく影響しているのだろうか、石田氏の作品は“弱者に対する温かい視線”に溢れた物が多い。この作品もその一つで、読んでいて何度かグッとさせられた。知人に教育関係者が多いというのは何度か此処で記して来たが、彼等は愚直な迄に生徒達と向き合い、時には悩み苦しみ、又、時には「人を育てる」という仕事の喜びに浸っている。「教師が生徒から学ぶ事は結構在る。生徒によって教師が育てられているという側面は、間違いなく在ると思う。」と小学校教師をしている知人が以前語っていたが、この作品でも同様の文章が記されていた。
石田作品に特有の“言葉の魔術師”振りは感じられないが、「嘗ての『熱さ』を失ってしまった(忘れてしまった)大人達」や「自らが信じる道を閉ざされて、懊悩している人達」の心に清風を吹き込んでくれる作品だと思う。是非、リョウタの“人間力”に触れて欲しい。
「夜を守る」では非常にガッカリさせられたが、この作品では石田氏の実力を再認識させられた。総合評価は星4つ。久々に続編を期待したくなる作品だ。
親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜かした事がある。なぜそんな無闇をしたと聞く人があるかも知れぬ。別段深い理由でもない。新築の二階から首を出していたら、同級生の一人が冗談に、いくら威張っても、そこから飛び降りる事は出来まい。弱虫やーい。と囃したからである。小使に負ぶさって帰って来た時、おやじが大きな眼をして二階ぐらいから飛び降りて腰を抜かす奴があるかと云ったから、この次は抜かさずに飛んで見せますと答えた。
親類のものから西洋製のナイフを貰って奇麗な刃を日に翳して、友達に見せていたら、一人が光る事は光るが切れそうもないと云った。切れぬ事があるか、何でも切ってみせると受け合った。そんなら君の指を切ってみろと注文したから、何だ指ぐらいこの通りだと右の手の親指の甲をはすに切り込んだ。幸ナイフが小さいのと、親指の骨が堅かったので、今だに親指は手に付いている。しかし創痕は死ぬまで消えぬ。
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明治の文豪・夏目漱石。彼の代表作の一つ「坊つちやん」の、冒頭に記された文章だ。正義感に溢れ、直情径行の教師「坊っちゃん」が、赴任先で在る四国の中学校で巻き込まれたトラブルを、ユーモラスな筆致で描き上げている。「5年3組リョウタ組」は石田衣良氏にとって初の連載作品だが、著者の頭の中には「痛快で、無邪気で、おまけに迷惑千万な坊ちゃんの様な主人公。」という設定は早い段階で作り上げられていた様だ。
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中道良太: 茶髪で、胸元にはスターリング・シルバーの髑髏のペンダント。“今時”の若者を具現化した様な小学校教師。涙脆くて純情で、直情径行型の彼は、地方都市の名門公立小学校・希望の丘小学校の5年3組の担任。彼が受け持つクラスは常に“クラス競争”で最下位を争っている。大人の自覚は在るけれど、ふと気が付けば子供と同じ目線に。仕事には熱いが恋もしたいと、悩みも喜びも多い日々。
染谷龍一: リョウタにとって数少ない同世代同性の教師。5年2組の担任。常に論理的でクールな彼が受け持つクラスは、“クラス競争”で常にトップを争っており、上からの受けも非常に良い。公私に渡って全く隙を感じさせない彼だが、何故かリョウタをライバルと目し接近して来る。
山岸真由子: 先輩教師。5年4組の担任。ファッショナブルで知的な女性。
富田敦夫: 狐顔の学年主任。5年5組の担任。事勿れ主義で、細かい事に神経質。
岩本春美: 間も無く50歳を迎えるベテラン教師。仕事に対して全く遣る気の無い彼女が受け持つ5年1組は、リョウタの3組と“クラス競争で”常に最下位を争っている。
牧田英之: 副校長。学校の実務を一手に引き受けている。有能だが、体面を保つ事ばかりに汲々としており、リョウタとは反りが合わない。
秋山裕輔: 校長。文部科学省や教育委員会に良い顔がしたいが為に、依頼された調査や報告を簡単に引き受けてしまうので、現場の教師達はえらい迷惑を被っている。
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「坊ちゃん」の登場人物で言えば、「リョウタ=坊ちゃん、染谷=“クールな”山嵐、山岸=マドンナ、富田=野だいこ、岩本=うらなり、牧田=赤シャツ、秋山=狸」というイメージか。
心に残った文章を5つ取り上げてみたい。
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・ 家庭からは学校に注文を付ける事が出来る。だが、学校には成人で在る親を教える事も、意見する事も出来ないのだった。学校は専守防衛に努めるしかないのだ。それが教育の現状で在る。
・ 「本多君の御父さんは、先生の何十倍も御金を稼いでいるかもしれないし、この街で力の在る人の殆どを知っているかもしれない。頭だって良いし、力も本多君よりずっと強い。でもね、二人の人が居たら、相手の事をより沢山感じて、判って上げられる人の方が、絶対に強いんだよ。」
・ 「虐めは日本人の高い同質性のマイナスの表現です。組織の中に居る人間の行き過ぎた防衛本能なのかもしれません。アレルギーって在りますよね。異物に対して人体が過剰な拒否反応を示す事ですが、虐めはあの状態に近いと僕は思っています。どちらも時に死に到る事が在りますから。」
・ 「俺はこの学校(公立の養護学校)に来て十年になる。毎日が冒険だ。さて、何を仕出かしてくれるか。興味津々ってやつだ。あんたたちの学校なら、大きくなった卒業生が挨拶に来るなんて事も在るだろう。立派に育って、社会人になったりしてな。中には教師よりも出世したりして。けど、此処の子供達は皆身体が弱くてな、好い加減おっさんの俺より先に亡くなって行く子が多いんだ。社会に出て活躍するなんて事も、余り期待出来ない。教え子の葬式に出るのは、それは辛いもんだぞ。」
・ 「政治家や文科省の偉い人達だって、現場を見ないで自分の信じる理念だけを押し付け様としている。親や祖先や国への尊敬なんて、小学校で教えられる物では無い筈だ。そういう気持ちは社会全体がそうなっていれば、自然に生まれて来るだろう。大人が号令を掛ければ、子供達は都合の良い方向にどんどん成長する、なんてね。子供達はビニールハウスの野菜じゃないんだ。そんなに都合良く育てられないさ。そういうのは安全な場所に居る人間だけが信じている妄想だ。」
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あとがきで著者は「現代の教育問題を全部投げ込んだ痛快な若い教師の物語が書きたい。それも熱血でも、サラリーマンでも無く、自分の仕事に誇りを持ち乍ら、日々悩みつつ教育の現場に立つ『普通』の教師の目線で書きたい。」という意図の下、この作品を書き始めたとしている。そして「最後の最後なので、無責任に言っておきます。」とした上で、「『子供達も、学校も、きっと大丈夫。』。国際テスト(!)で日本の子供達の順位が少々下がろうが、大丈夫。宇宙人に見える子供達だって、きっと大丈夫。Wれこれとガタが来ても、学校だって先生だって、きっと大丈夫。我が家の子供達を眺めて溜め息を吐き乍ら、僕はそう自分に言い聞かせていました。この小説は、何かと問題ばかり指摘される先生と子供達に送る、少しばかり長いエールだったかもしれません。」とも。自らの半生が大きく影響しているのだろうか、石田氏の作品は“弱者に対する温かい視線”に溢れた物が多い。この作品もその一つで、読んでいて何度かグッとさせられた。知人に教育関係者が多いというのは何度か此処で記して来たが、彼等は愚直な迄に生徒達と向き合い、時には悩み苦しみ、又、時には「人を育てる」という仕事の喜びに浸っている。「教師が生徒から学ぶ事は結構在る。生徒によって教師が育てられているという側面は、間違いなく在ると思う。」と小学校教師をしている知人が以前語っていたが、この作品でも同様の文章が記されていた。
石田作品に特有の“言葉の魔術師”振りは感じられないが、「嘗ての『熱さ』を失ってしまった(忘れてしまった)大人達」や「自らが信じる道を閉ざされて、懊悩している人達」の心に清風を吹き込んでくれる作品だと思う。是非、リョウタの“人間力”に触れて欲しい。
「夜を守る」では非常にガッカリさせられたが、この作品では石田氏の実力を再認識させられた。総合評価は星4つ。久々に続編を期待したくなる作品だ。
これそのまま厚労省の役人に当てはめたくなりました。
患者の主病名は1つであるはずだと、こんなアフォなことを言い出したのは、医師免許はもってはいるものの、臨床経験ゼロの厚労省保険局医療課長 原徳壽氏です。
語録
> 医学的に主病は1つに決まるものであり
>診察には丁寧な診察とそうでない診察がある
>われわれも、多くの国民も、診療所の医師に期待している。
>診療所の医師は患者の願いに応えてほしい
あまりのバカバカしさにコメントのしようがありません。
・・・・・
giants-55様をして続編をも期待させるとはかなり力のある作品なんでしょうね。
一度よんでみようかしら。
一般企業でもそうですが、現場を知らない上司が知ったかぶりで色々始める事程、現場にとって迷惑千万な事は無いですよね。又、概してそういう上司程、現場に首を突っ込みたがるものですし。
「主病は一つで在る筈。」というのは、素人考えでもかなりの暴論。同等に重要視される複数の病因が相俟って、大病を構成しているケースも在るだろうに・・・。
プロ野球界でもやたらと肩書きを有する人間をコミッショナーに据えていますが、現場を知らないからこそ訳の判らない取り決めばかり作っていますよね。全く困った物です。
よくあるはなしですねぇ・・・悩ましいことです。
tak様が、ご指摘されている厚労省繋がりですが、
あのメタボ検診って・・・必要なんですかね?
BMIの計算方法に対し、欧州では疑問視さえ
されているのにも関わらず、無理やり導入し
何を企んでいるんでしょうね?
ただでさえ、過度なダイエットで死亡に至る
例まで出てきているのに・・・極度の肥満は問題
ではありますけど・・・
後期高齢医者医療保険でもそうですが・・・
実情や最新の情報をいち早く感知するセンスの
ない人間も・・・困ったものです。(話がそれてすみません。)