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どんな忍従にも如何なる理不尽にも屈伏して見せて過せる者だけが生き残れる世界なのだ。これを称して下積みと言う。この時代が何年で終わる事が出来、如何なる時に世に出て行けるのか、その保証が無い世界、それが芸能界なのだ。
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タレントのなべおさみ氏が著した「病室のシャボン玉ホリデー ハナ肇、最期の29日間」の第一章に、この文章は在る。明治大学卒業後に勝新太郎氏&水原弘氏の付き人を経て、1962年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダー・ハナ肇氏の初代付き人となったなべ氏。「無理偏に拳骨と書いて“兄弟子”と読む」とされるのは相撲界だが、芸能界でも「師匠は弟子にとって絶対的な権力者で在り、専制君主なのだ。」としている。その関係は終生変わる物では無いとも。
息子(後のなべやかん氏)の明治大学替え玉受験事件をきっかけに芸能界から干されていた1993年2月初旬、なべ氏は師匠のハナ氏から突然電話を貰う。「今、俺、入院してるんだよ。昨日手術してね。頼みたい事が在ってな、なべさん。トイレ手伝ってくれよ。」という、判り易い言葉乍らも事情が良く判らない内容だった。早速病院に向かったなべ氏は、担当医から「ハナ氏が肝臓癌で肝臓の3分の1を切除するも、余命は長くて1年以内、恐らく11月迄持つかどうかの状態。」で在る事を告知される。その事実を当人は知らぬまま、ハナ氏は一旦退院。しかし同年8月13日未明、自宅で大量吐血したハナ氏は再び緊急入院する。それから亡くなる9月10日迄の29日間、初代の付き人だったなべ氏は“最後の付き人”を務める事に。その際、病室で記した看護日誌を元にしたのが「病室のシャボン玉ホリデー ハナ肇、最期の29日間」。
良く在るタレント本とは一線を画した内容だ。妙な格好付けも気負いも無い、現実を有りの儘に記した本という感じがする。病室内のハナ氏は正に我が儘放題と言っても良く、病院スタッフのみならず身内もさぞかし大変だったろうと思ってしまう。しかし身体を自由に動かせないまま、日々状態が悪化して行くハナ氏が抱える不安&恐怖は察するに難くなく、現実逃避として我が儘放題になってしまうのも判らなくは無い。それを理解して献身的に接するなべ氏の姿には、唯々「凄いな・・・。」の一言。
介護現場の生々しい実態が描かれている。超高齢社会に突入し、「介護」が国民的な問題となった我が国に在っては、どういう現実が待っているのか、良い意味での“予習”になると思う。
暗い話ばかりでは無い。入院15日目、見舞いに訪れた布施明氏の突如の提案により、病室内に居た谷啓氏にザ・ピーナッツ、なべ氏、そして布施氏の5人で、嘗て大人気を博したヴァラエティー番組「シャボン玉ホリデー」の「おかゆ」のコント(動画)を即興で演じたという。「設定上の病人」だった昔とは違い、今は「本当の病人」、それも明日の命も判らぬ病人となってしまったハナ氏の横で繰り広げられた明るく、且つ哀しいコント。その場面を想像するだけで、胸の奥がジーンとしてしまう。周りの人に恵まれた人生。ハナ氏の人徳が、そういった人を呼び寄せたとも言える。
最後に、最も印象に残った文章を紹介したい。
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どんなに立派な人生を築き上げたとしても、人間を終えようとする時に、自分でそれを受け入れた瞬間から、甦って来るのは青春のページの様な気がする。次から次へと歴回って来る想い出は、若き日の発展途上の一コマ一コマなのではないだろうか。どんなに平凡な人生で在った人でも、波瀾に富んだ者で在ろうと、貧富も、有名無名、高貴も下賤も関係無く、人間の最後に浮かんで来る世界は、同じなのだろう。それが青春なのだ。
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どんな忍従にも如何なる理不尽にも屈伏して見せて過せる者だけが生き残れる世界なのだ。これを称して下積みと言う。この時代が何年で終わる事が出来、如何なる時に世に出て行けるのか、その保証が無い世界、それが芸能界なのだ。
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タレントのなべおさみ氏が著した「病室のシャボン玉ホリデー ハナ肇、最期の29日間」の第一章に、この文章は在る。明治大学卒業後に勝新太郎氏&水原弘氏の付き人を経て、1962年に「ハナ肇とクレージーキャッツ」のリーダー・ハナ肇氏の初代付き人となったなべ氏。「無理偏に拳骨と書いて“兄弟子”と読む」とされるのは相撲界だが、芸能界でも「師匠は弟子にとって絶対的な権力者で在り、専制君主なのだ。」としている。その関係は終生変わる物では無いとも。
息子(後のなべやかん氏)の明治大学替え玉受験事件をきっかけに芸能界から干されていた1993年2月初旬、なべ氏は師匠のハナ氏から突然電話を貰う。「今、俺、入院してるんだよ。昨日手術してね。頼みたい事が在ってな、なべさん。トイレ手伝ってくれよ。」という、判り易い言葉乍らも事情が良く判らない内容だった。早速病院に向かったなべ氏は、担当医から「ハナ氏が肝臓癌で肝臓の3分の1を切除するも、余命は長くて1年以内、恐らく11月迄持つかどうかの状態。」で在る事を告知される。その事実を当人は知らぬまま、ハナ氏は一旦退院。しかし同年8月13日未明、自宅で大量吐血したハナ氏は再び緊急入院する。それから亡くなる9月10日迄の29日間、初代の付き人だったなべ氏は“最後の付き人”を務める事に。その際、病室で記した看護日誌を元にしたのが「病室のシャボン玉ホリデー ハナ肇、最期の29日間」。
良く在るタレント本とは一線を画した内容だ。妙な格好付けも気負いも無い、現実を有りの儘に記した本という感じがする。病室内のハナ氏は正に我が儘放題と言っても良く、病院スタッフのみならず身内もさぞかし大変だったろうと思ってしまう。しかし身体を自由に動かせないまま、日々状態が悪化して行くハナ氏が抱える不安&恐怖は察するに難くなく、現実逃避として我が儘放題になってしまうのも判らなくは無い。それを理解して献身的に接するなべ氏の姿には、唯々「凄いな・・・。」の一言。
介護現場の生々しい実態が描かれている。超高齢社会に突入し、「介護」が国民的な問題となった我が国に在っては、どういう現実が待っているのか、良い意味での“予習”になると思う。
暗い話ばかりでは無い。入院15日目、見舞いに訪れた布施明氏の突如の提案により、病室内に居た谷啓氏にザ・ピーナッツ、なべ氏、そして布施氏の5人で、嘗て大人気を博したヴァラエティー番組「シャボン玉ホリデー」の「おかゆ」のコント(動画)を即興で演じたという。「設定上の病人」だった昔とは違い、今は「本当の病人」、それも明日の命も判らぬ病人となってしまったハナ氏の横で繰り広げられた明るく、且つ哀しいコント。その場面を想像するだけで、胸の奥がジーンとしてしまう。周りの人に恵まれた人生。ハナ氏の人徳が、そういった人を呼び寄せたとも言える。
最後に、最も印象に残った文章を紹介したい。
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どんなに立派な人生を築き上げたとしても、人間を終えようとする時に、自分でそれを受け入れた瞬間から、甦って来るのは青春のページの様な気がする。次から次へと歴回って来る想い出は、若き日の発展途上の一コマ一コマなのではないだろうか。どんなに平凡な人生で在った人でも、波瀾に富んだ者で在ろうと、貧富も、有名無名、高貴も下賤も関係無く、人間の最後に浮かんで来る世界は、同じなのだろう。それが青春なのだ。
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爆笑させてくれた名場面、それが余計に寂しさを誘います。
私が印象に残っているのは、郷土の大先輩、元クラレ社長の大原総一郎さんです。大原総一郎さんは、大原美術館の創設者として有名な大原孫三郎氏の長男ですが、戦後の復興の影の功労者の一人でもあります。大原総一郎さんは病に倒れ、日本の高度成長を見届けるように逝ってしまわれますが、余命がいくばくもないと悟ったとき「違うところに行くのはいやだから」と奥さんと同じクリスチャンに改宗します。
また、大原美術館で執り行われた自らの葬儀を生前にプロデュースし、参列した多くの財界人をして「こんな印象的な葬儀にこれまで参列したことがない」と言わしめました。
また、三国志の英雄、曹操の遺言「天下未だ治まらず。よって葬儀は古式に則る必要なし。」というのも戦乱の世を治めようという曹操の気概が伝わってきて、「男はかくあるべし」と思ってしまいます。