「東映特撮 YouTube Official」では、東映の特撮作品が無料で見られるのだが、現在視聴出来る作品では「快傑ズバット」(歌)が断トツに面白い。放送されていた当時は全く見ておらず、見るのは初めてなのだけれど、主人公の早川健が口にする気障で、そして時代掛かった台詞の数々(詳細)が、強烈な印象を残してくれるのだ。中でも好きなのは、「悪行を重ね、非道を尽くし、卑怯な手段を以て街中を皆殺しにしようと図り、剰え罪も無い親子を殺そうとしたムッシュ神!」といった様に、常套句として使われる「剰え」。「剰え」なんて、今じゃあ小説の中でしか、其れも余り使われる事が無い用語と言って良い。其れを堂々と口にするのだから、恐れ入谷の鬼子母神だ・・・って、此れも滅多に見聞しなくなった表現だけれど。
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「『ナチズム無関心が招く。』 独首相警鐘 ヒトラー政権誕生80年」(1月31日付け東京新聞【夕刊】)
ヒトラーが率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)が政権を掌握してから80年が経った30日、メルケル首相は、当時の国民の多くがナチスを支持したり容認したりした事を指摘し「社会が無関心になれば、現代でも起こり得る。」と述べ、偏狭な国家主義や人種差別と闘い続ける必要性を説いた。
ベルリンの秘密警察(ゲシュタポ)本部跡地に設けられた施設では「独裁への道」と題する特別展が始まった。開会式でメルケル首相は「人権や自由、民主主義は自然に存在するのでは無い。互いに尊敬し合い、批判や反対意見を受け容れる人々が必要だ。」と述べた。
ナチスは経済の混乱を背景に、1932年の総選挙で第一党に躍進。ヒトラーは1933年1月30日、大統領から任命され首相に就任した。同年夏にはナチスを唯一の合法政党とする等、次第に独裁体制を固め、1935年にユダヤ人から市民権を奪う人種法を制定。ユダヤ人を絶滅させる為、ホロコースト(大量虐殺)へと突き進んだ。
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「独裁政治」というのは、或る日突然に敷かれる物では無い。「国民の間に閉塞感が漂い始めると、『仮想敵を作り上げ、其れを激しく攻撃する事で国民の支持を集め、そして徐々に権力を掌握して行く者。』が現れ、気付いてみれば独裁政治が敷かれていた。」というのが、歴史を振り返れば、往々にして見られる図式。ナチスも其の例外では無く、「社会が無関心になれば、(ナチズムは)現代でも起こり得る。」というメルケル首相の指摘は正鵠を射ていると思う。
其の極端な国粋主義的言動から、共感を覚える点が少ない小林よしのり氏。しかし、週刊朝日(2月1日号)の「安倍首相よ、今こそネット右翼(ネトウヨ)と決別せよ!」という特集記事に寄せた彼の文章は、珍しく全て同感だった。
昨年10月の記事「丸で『紅衛兵』、丸で『ヒトラーユーゲント』、丸で『禿』、丸で『特高』」の中で、ネット右翼を利用して自身に不都合な報道を封じ込めようとしている安倍首相のスタンスに警鐘を鳴らしたが、小林氏も全く同じ危うさを指摘した上で、次の文章を記していた。
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ワシが思うに、ネトウヨは「父権」を喪失しているわけよ。個室に閉じこもって、強い父親に育てられていないから、タカ派の言葉に父親を感じる。でも、それはネトウヨだけじゃなく、一般国民にも言えること。誰もが自信を喪失してしまっている日本では、強い言葉を発してくれる人が求められ、タカ派的な発言をする人が喜ばれる。
でも、そのタカ派的発言が国内だけの話で済むならいいけど、そのバランスが崩れるときが怖い。
今後、もし仮に中国の人民解放軍が尖閣に上陸したり、何らかの行動を起こしたらどうなるか。日本のナショナリズムはネトウヨだけじゃなく、一般国民にも浸透しているから、「絶対に許すな。」という空気になる。そうなったとき、政治家が止められるか。ワシは止められずに、戦争になってしまうような気がする。
自信喪失しているからナショナリズムとつながり、排外主義になる。これは中国や韓国も一緒。ワシも国民の意識が、行きすぎた加害者史観からナショナリズムに向かい始めたときはいいことだと思っていたけど、これが極右排外主義や国内の差別感情にまで結びつくとは思っていなかった。
だから一番の問題は、こういうネトウヨと呼ばれる人が増えてしまったことだと思うよ。共同体が崩壊し、砂粒のようにバラバラになってしまった人間が、ネットの中に自分の居場所を見つけている。そんな現状を政治がどう変えていくか。
安倍とネトウヨがもたれ合ういまの日本は全然「美しい国」じゃない。この日本の病が首相と直接結びついているんだから、こんな品格のない国はないよ。
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小林氏は「本来なら、こういう『攻撃』って権力に向かっていくはずだけど、今はどういうわけか権力と結びついてしまうんだよね。ネトウヨは、自分たちが弱いから“勝ち馬”にしか乗りたくないんだな。」とも指摘しているが、此れも自分が常々感じていた事だ。
「余りにも狭量な思考。」と自分が感じていた小林氏だから、同様に狭量さを感じてしまう安倍首相&ネット右翼とは気が合うのかと思いきや・・・。
排他主義や国粋と聞いて頭に浮かぶのはネット右翼から石原閣下と持ち上げられてるアノ方ですかね
石原慎太郎氏は去年仲間達と尖閣に上陸すると発言しましたが今現在は上陸する気配がありません
ひねくれた発言をさせてもらうなら「石原さん尖閣諸島は日本が実行支配してるからわざわざ石原さんがそんな安全な島に上陸する必要が有りません
我々が今一番石原さん達にやって欲しい事は日の丸の旗を掲げた船に乗り戦闘服を着て仲間達と刀やライフル銃を手にして韓国が不法占拠してる竹島に巡視船から放たれる砲弾などを掻い潜り強硬上陸して竹島の地に日の丸の旗を立てて来て下さい」
と、言いたいです
腑抜けた日本人にカツを入れるならまずは石原さん自身が先頭をきってもらわないと・・・
坊主頭になった女性有名人と言えば、映画「G.I.ジェーン」でジョーダン・オニール大尉役を演じたデミ・ムーアさんが思い浮かびます。確か樋口可南子さんも坊主頭を披露したと思いますが、女性の坊主頭というのは非常にインパクトが在りますね。
「世の中のニーズを上手く汲み取り、ブームを作り上げる。」という点で秋元康氏は凄いと思うけれど、彼のあざとさが昔から好きじゃないです。
自分が“週刊少年漫画雑誌”を読み漁っていた晩年、「東大一直線」は人気を博していました。決して上手い絵では無く、寧ろ下手な絵でしたが、インパクトの在る作品でした。
「自分の存在感をアピールする為だけに、一定間隔で過激な言動を意図して行い、世の中を騒がせるだけ騒がせた後は、すっと手を引く。」、石原慎太郎氏のワンパターンな手法ですよね。非常に稀では在りますけれど、共感を覚える発言が無い訳では無いけれど、其の多くは私利私欲を充足させんが為だけの事というのは、石原ファミリーの特徴と言えましょう。
昨年サピオがネトウヨ糾弾号出したり、どうも新左翼でも散々見られた内ゲバが起こってますね。
>父権
うーん、どうなんでしょう。実際にそれがあったのか、は別として幻想としてのそれが確固としてあったのは1960年ぐらいまででしょうか。確かにその時期であれば攻撃の対象は「権力」でしたね。日本共産党ですら「権力」として攻撃したのが全共闘。
小林氏の言ってることだけど、この人「パトリ(郷土主義)なき保守思想はダメだ」と何年か前言っていて、それは確かにそうかなと思いました。郷土にいざるを得ない自営業者や地方銀行員等が入る青年会議所からやたらと講演の引き合いを受けるのはこの辺なのかも…と、感じました。
http://www.shogakukan.co.jp/books/detail/_isbn_9784093890571
あと、基本この人根は反権力なのかなと。
桜井よしこにはなれなかったし、ならないんでしょうね。
>坊主頭
あれはグロテスクですね。柔道の件と言い、わざわざユーチューブとは。世界に日本の前近代性を吐露するようなもんですね。案外と世界の人が見てるんだから。クールジャパンではないですね。これがきっかけでアンチジャパンになる人もいるでしょうね。
ただ、モデルや歌手の方でわざと坊主頭で活動してる方もいますから、坊主頭の美しさ、というのはまあありますけどね。それでもあれはちょっと違うかな。と。
「数年前より小林氏は、ネット右翼に対して冷たい姿勢。」というのは、全く知りませんでした。彼が国粋主義的言動を見せ始めた頃には、興味本位も在って其の作品をチラ見したりしていましたが、余りの極論の数々に近年は目にする事も無かったので。
右にせよ左にせよ、組織が余りに偏り過ぎた状態になると、内部分裂を起こしてしまうというのは、過去の歴史を振り返れば、しばしば見られる事ですよね。結局は「自らの主義&主張“だけ”が正しく、其れと寸分でも違う主義&主張は許容出来ない。」という排除の理論が出てしまうからでしょう。
「パトリ(郷土主義)無き保守思想は駄目。」、此れは頷ける部分が在りますね。寄り掛かるべき物が、他に比べると堅牢で在る様に思うからです。
自分の幼少期、「アイドルはウンチもおしっこもしない。」なんて幻想が一般的に、冗談めかした中にも在りました。「アイドルには恋愛御法度。」というのもそうですが、今の世の中でそういう考え方を据えるというのは、個人的にはどうなのかなあと。人気は落ちるかもしれないけれど、「好きな人が居ます。」と口にする事で、親近感を覚える人も居るのではないかなあと。