ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

親の顔が見てみたい

2009年10月11日 | 其の他
先日、近所のスーパーに買い物に行った際、呆れ果ててしまう光景を目にした。ショッピング・カートを押して、だだっ広い店内を歩いていた時の事。一組の若いカップルが目の前を歩いており、そのショッピング・カートには山積みになった商品が置かれていた。何故そのカップルに目が行ってしまったかと言えば、大声で口喧嘩をしていたからだ。その余りの大声に「何事か?」と彼等を凝視する人達が自分の他にも居たけれど、当人達は全く御構い無しに騒ぎ続けていた。パッと見で人を判断してはいけないけれど、見るからにだらしなさを感じてしまう彼等の風体

人の迷惑も顧みずに騒ぎ立てているのには呆れてしまったが、そのカップルの次なる行動には唖然呆然。彼等が居たのは総菜コーナーだったのだが、(そのカップルの)若いネエチャンが自身のショッピング・カートに載せていた商品の中から焼き海苔をむんずと掴み取り、皿に載ったコロッケの上に平然と置いたのだ。そして数歩歩いた後、今度は別の総菜の上に、やはりショッピング・カートから掴み上げたスナック菓子をポンと放り投げた。「表情を全く変えずに、何等悪怯れる事も無しに仕出かしたネエチャン」と「それを見てヘラヘラ笑っていたニイチャン」という構図には、不気味さすら感じてしまった。(自分自身が仕出かした事では無いのだけれど、こういう現場を見てしまうと気になって仕方なくなってしまい、置かれた商品を元の場所に戻しに行ってしまった自分。

スーパー等で全く無関係な商品がポンと置かれているのは、これ迄にも何度か目にして来た。「子供の悪戯か?それとも一旦はその商品を買おうと思った大人が、止めて此処に置いたのだろうか?子供なら仕方無いけれど、大人がした事なら情けないなあ。元の場所に戻すのが、そんなに面倒なのだろうか?」と、その度に感じていたのだが、よもやああも堂々と、良い年をした人間が仕出かす現場を目にする事になるとは思ってもいなかった。一ヶ所に置くだけでもどうかと思うのに、わざわざ複数ヶ所に置く所に、その悪質さを感じる。

店のスタッフの苦労等、全く考える頭すら無いのだろう。「自分さえ良ければ、他人の事なんかどうでも良い。」という思考。公共の場でゴミを散らかしているのを注意されて、「清掃する人間の仕事を作ってやっているのに、何が悪い!」と開き直る人間の醜悪さと同根なのかもしれない。

彼等の親の顔が見たかった。一体どういう育て方をしたのだろうか?そして彼等自身が親となった時(既にそうなのかもしれないが。)、そんな彼等に育てられる子供の不幸を感じてしまった。

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4 コメント

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Unknown (マヌケ)
2009-10-11 14:38:34
まあ、実際のところご両親は実は立派な方だったりするかもしれませんし、どちらか片方の親のいない家庭だったのかもしれなかったり、親の顔を見たところでどうなるわけでもありませんし、しかしながら世の中あきれることが多くなりましたね。 子供が学校できちんと教わったとおり、まずは横断歩道の前であいらしく手をあげて、車道はかなり長い直線でして、かなり向こうから車が来ているので十分余裕で渡れそうだったので、その小学校低学年の男の子も、そして向かい側の私も自転車で横断しはじめたところが、なんと、車が加速するではありませんか、私と男の子の間を通り抜けて行ってしまいました。 運転者は普通のおばさんでした。 それから、無人の駐車場で、黄色のランプが回転して、「車が出ます、ご注意ください」を連呼するのですが、車が歩道の手前で徐行することなしに、いきなり飛び出して女子高生か中学生の自転車と接触し、押し倒す瞬間を見ました。 で、運転者は車から降りてくることもなく「注意しろって言いよるだろうがっ」と吐き捨てて行ってしまいました。 中年のオッサンで、車はどこぞの企業の営業者でした。 こんな人たちの親の顔を見たところでねえ。 世の中からゆとりが消えて、礼節やモラルが壊れていっているというのは小泉あたりの改革から徐々に見られてきた社会現象です。 人間はだいたいにおいて安っぽいので、自分に余裕がなくなってくると他人に対してはもっと厳しくなったりするものです。 親の躾どうのこうのではなくこれが今の社会のある一面ではないかと思います。  
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>マヌケ様 (giants-55)
2009-10-11 22:38:01
書き込み有難う御座いました。

厳格過ぎる親に反発して、結果的に道から逸れた子供。逆に好い加減な親を反面教師にして、真っ当に育った子供。世の中には色んなケースが在りますので、確かに「好い加減な輩の親
=同様に好い加減」とは必ずしも言えない訳ですが、親が子供に与える影響は経験則からしても決して小さくないとは感じます。好い加減な輩の親の顔を見た所で何かが変わる訳では無いけれど、「他者への迷惑なんぞ知ったこっちゃない。」という言動を露骨に見せられてしまうと、当人も然る事乍らその親にも文句を言いたくなったりも。

小泉改革が影響しているのかどうかは判りませんが、「他者の気持ちを慮る」というのが何時の頃からか全般的に薄くなっていった感じがします。それと反比例して、「仮想敵を作り上げ、それをバッシングする事で己がストレス発散する。」というのが顕著になって来た様にも。世の中から潤いが無くなって行っているのでしょうね。
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そういや似たような目に (ストラングラー)
2009-10-12 00:01:10
あったことがある。向こうから車が来ているので十分余裕で渡れそうだったので、普通に歩いていた、というか、それが横断歩道での歩行者の権利なのだし。ところが目の前を車が人を轢くすれすれで通っていった。怖かったのでナンバーもとりあえず控えた(何の役にも立たないと思ったが)。とても地味そうな女の人が運転していたから意外でした。

知人は似たような目に遭った際、その相手に悪態を付かれ、しかも近くにいた小学生が泣き出したので勘弁ならんと思ったら、近所の大企業に相手の車が止まっていたのでその企業に訴えたら、企業の人事課の課長と工場長と本人が飛んできて謝罪。本人はふてくされていたそうだが、上の人間が平謝り。ものすごい騒ぎになって恐縮したと言っていました。相手はもしかしたら降格になったかもしれないし、ヘタしたら解雇か。
自分も他山の石にしようと思いました。

私の住む地域は車社会だからまあ、昔からこういうことは大して珍しくもないが、毎回「嫌だなあ」と思う。
雪国で数年過ごした人によれば「そんなの序の口」だそうで、冬季は歩道を歩いていても車が思いっきり雪のしぶきを上げていくから雨合羽を着ていてもずぶぬれになるので冬のスーツを何着も作ったと言っていました。現地の人は自分自身が車移動でそんなに歩かないから歩行者など気にもしないのだという。
車のマナー、守って欲しいものだが、世知辛い世の中だから難しいのかなあ、と思ったりもします。


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>ストラングラー様 (giants-55)
2009-10-12 01:09:47
書き込み有難う御座いました。

これは以前にも書いた事なのですが、「自分自身が運転免許を取る前」には気付かず、「運転免許を取ってから」気付いた事に、「運転手は歩行者(乃至は路上に存在する事物)に対して、運転経験の無い歩行者が思っている程は注意を払っていない。」というのが在りました。勿論、運転する時は充分な注意を払ってはいるのですが、免許を取得する以前は“歩行者の立場として”「自分だけに運転手は注意を払っている筈。」と思っていたのですが、いざ“運転手の立場”になってみると、歩行者1人(乃至は路上に存在する事物1つ)はOne of themに過ぎないんですよね。それを知った時、「自分だけに運転手は注意を払っている筈。」と考えて一寸車道寄りを歩いていたりしていた事にゾッとする物が在りました。

最低限のマナーすら守れない人に対しては憤りを感じるも、注意して恨みを買ったりするのも嫌という思いは誰しも在る。ストラングラー様の場合も、真っ当な行為をしたにも拘わらず、何とも言えない後味の悪さを感じられたと思うし、本当に理不尽と言ったら理不尽な話ですね。
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