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「『夫婦どつき漫才』正司玲児さん死去」(12月10日、読売新聞)
正司玲児(しょうじ・れいじ、本名・及川玲児=おいかわ・れいじ=漫才師)氏、10日、成人T細胞白血病リンパ腫で死去。71歳。
告別式は14日午前11時30分、大阪市北区長柄西1の7の13市立北斎場。喪主は長男、孔児(こうじ)氏。
大分県出身。1966年、妻の敏江さんと漫才コンビ「正司敏江・玲児」を結成。玲児さんが、敏江さんに体当たりや跳び蹴りをする「夫婦どつき漫才」で人気を博した。1969年、上方漫才大賞・新人賞受賞。
後に離婚したが、コンビとしての芸能活動は続けていた。
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「夫婦漫才」と書いて、「めおとまんざい」と読む。「ふうふまんざい」と読ませない所が、“昭和風”で自分は好きだ。リアル・タイムで見て来て、尚且つ好きだった夫婦漫才には「暁伸・ミスハワイ」(動画)や「人生幸朗・生恵幸子」(動画)、「唄子・啓助」(動画)等が居るけれで、一番好きだったのが実は「正司敏江・玲児」(動画)だった。どれ程好きだったかは「タイガース・ファンは如何思われますか?」や「『私、横顔が上戸彩に似てるって言われます。』」等、過去の自記事で何度か此のコンビニ付いて触れている程。
「どつき漫才」と称される物をしているコンビは数多く在れど、正司敏江・玲児の其れは別格の存在と思っている。初めて彼等の漫才に触れたのは、幼少期に見た「大正テレビ寄席」だったと思うが、其の衝撃度は半端じゃ無かった。上の元記事では「玲児さんが、敏江さんに体当たりや跳び蹴りをする『夫婦どつき漫才』」と紹介しているけれど、字面だけでは“本当の凄さ”が伝わらないだろう。玲児師匠の体当たりや飛び蹴りは生半可な物では無く、文字通り敏江師匠が舞台上でぶっ飛ぶので在る。其れも一度や二度では無く、何度もだ。「余りにも激しく飛び蹴りを食らわしてしまった為、舞台上で敏江師匠が脳震盪を起こしてしまった。」という“伝説”も、強ち嘘とは思えない。
敏江師匠と結婚していた時代から、数多くの女性問題を起こしていた艶福家の玲児師匠。離婚して以降、女癖の悪さをネタにする事が多くなり、敏江師匠の「御前、新しい嫁と上手く遣っるようでええのぅ。慰謝料も満足に貰えなかったんで、わしは御前がほかした娘とひもじい生活してるのになぁ。」といった突っ込み、そして其れに逆切れして飛び蹴りを食らわす玲児師匠というパターンが大好きだった。(「御前が捨てた」と言うときつくなるが、「御前がほかした」と言うとユーモラスな感じになるのだから、関西弁は凄いと思う。)
嘗ては「小人プロレス」が普通にTVで放送されていたのに、「障害者を見世物にするのは不謹慎だ!」という批判が出た事で、小人プロレスはTVの世界から追い出されてしまった。否、テレビの世界だけでは無く、他の活躍の場所も徐々に失われて行く事に。生活の糧を得る為に自らが望んで、そして楽しみ乍ら小人プロレスの世界に身を投じた者も少なくなかったと言われているのにだ。「障害を有している人を自分の視界から追い出し、恰も『最初から存在していなかった。』様に感じたい。」が為に、「障害者を見世物にするのは不謹慎だ!」と口にしていた人“も”少なくなかった様に感じる。「自分さえ満足出来れば、誰かが生活の糧を得る手段を失ったとしても知ったこっちゃ無い。」というので在れば、其れはどうかと思う。正司敏江・玲児も「教育上好ましくない。」という批判が在った事で、活躍の場をTVの世界から舞台へと移さざるを得なかったという面が在った様にも感じている。(近年は時折、TVにも出演されていたが。)非常に残念だ。
玲児師匠が鬼籍に入られた事で、自分が好きだった夫婦漫才で共に存命なコンビは無くなってしまった。(宮川大介・花子等も悪くは無いのだが、心の琴線に“深く”触れる迄の存在では無い。)其れが堪らなく寂しい。合掌。
「『夫婦どつき漫才』正司玲児さん死去」(12月10日、読売新聞)
正司玲児(しょうじ・れいじ、本名・及川玲児=おいかわ・れいじ=漫才師)氏、10日、成人T細胞白血病リンパ腫で死去。71歳。
告別式は14日午前11時30分、大阪市北区長柄西1の7の13市立北斎場。喪主は長男、孔児(こうじ)氏。
大分県出身。1966年、妻の敏江さんと漫才コンビ「正司敏江・玲児」を結成。玲児さんが、敏江さんに体当たりや跳び蹴りをする「夫婦どつき漫才」で人気を博した。1969年、上方漫才大賞・新人賞受賞。
後に離婚したが、コンビとしての芸能活動は続けていた。
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「夫婦漫才」と書いて、「めおとまんざい」と読む。「ふうふまんざい」と読ませない所が、“昭和風”で自分は好きだ。リアル・タイムで見て来て、尚且つ好きだった夫婦漫才には「暁伸・ミスハワイ」(動画)や「人生幸朗・生恵幸子」(動画)、「唄子・啓助」(動画)等が居るけれで、一番好きだったのが実は「正司敏江・玲児」(動画)だった。どれ程好きだったかは「タイガース・ファンは如何思われますか?」や「『私、横顔が上戸彩に似てるって言われます。』」等、過去の自記事で何度か此のコンビニ付いて触れている程。
「どつき漫才」と称される物をしているコンビは数多く在れど、正司敏江・玲児の其れは別格の存在と思っている。初めて彼等の漫才に触れたのは、幼少期に見た「大正テレビ寄席」だったと思うが、其の衝撃度は半端じゃ無かった。上の元記事では「玲児さんが、敏江さんに体当たりや跳び蹴りをする『夫婦どつき漫才』」と紹介しているけれど、字面だけでは“本当の凄さ”が伝わらないだろう。玲児師匠の体当たりや飛び蹴りは生半可な物では無く、文字通り敏江師匠が舞台上でぶっ飛ぶので在る。其れも一度や二度では無く、何度もだ。「余りにも激しく飛び蹴りを食らわしてしまった為、舞台上で敏江師匠が脳震盪を起こしてしまった。」という“伝説”も、強ち嘘とは思えない。
敏江師匠と結婚していた時代から、数多くの女性問題を起こしていた艶福家の玲児師匠。離婚して以降、女癖の悪さをネタにする事が多くなり、敏江師匠の「御前、新しい嫁と上手く遣っるようでええのぅ。慰謝料も満足に貰えなかったんで、わしは御前がほかした娘とひもじい生活してるのになぁ。」といった突っ込み、そして其れに逆切れして飛び蹴りを食らわす玲児師匠というパターンが大好きだった。(「御前が捨てた」と言うときつくなるが、「御前がほかした」と言うとユーモラスな感じになるのだから、関西弁は凄いと思う。)
嘗ては「小人プロレス」が普通にTVで放送されていたのに、「障害者を見世物にするのは不謹慎だ!」という批判が出た事で、小人プロレスはTVの世界から追い出されてしまった。否、テレビの世界だけでは無く、他の活躍の場所も徐々に失われて行く事に。生活の糧を得る為に自らが望んで、そして楽しみ乍ら小人プロレスの世界に身を投じた者も少なくなかったと言われているのにだ。「障害を有している人を自分の視界から追い出し、恰も『最初から存在していなかった。』様に感じたい。」が為に、「障害者を見世物にするのは不謹慎だ!」と口にしていた人“も”少なくなかった様に感じる。「自分さえ満足出来れば、誰かが生活の糧を得る手段を失ったとしても知ったこっちゃ無い。」というので在れば、其れはどうかと思う。正司敏江・玲児も「教育上好ましくない。」という批判が在った事で、活躍の場をTVの世界から舞台へと移さざるを得なかったという面が在った様にも感じている。(近年は時折、TVにも出演されていたが。)非常に残念だ。
玲児師匠が鬼籍に入られた事で、自分が好きだった夫婦漫才で共に存命なコンビは無くなってしまった。(宮川大介・花子等も悪くは無いのだが、心の琴線に“深く”触れる迄の存在では無い。)其れが堪らなく寂しい。合掌。
正司敏江・玲児の笑いが「瞬間系の笑い」とするならば、人生幸朗・生恵幸子の笑いは「ジワジワと込み上げて来る笑い」という気がしています。人によってはマンネリと称するのでしょうが、人生幸朗・生恵幸子の場合は「偉大なマンネリ」と思うし、今でもYOU TUBEで動画を見ると、落ちが判っていても笑ってしまう。本当に「腕」の在る芸人とは、彼等の様な存在を言うのでしょうね。
子供の頃はあまり思わなかったのですが
今はyoutubeで見ると、セリフが来ると判っていて笑ってしまいます。
それと人生幸朗というと思い出すのがこの話。
いたずら好きの中田カウスが、楽屋で居眠りしている人生幸朗の眼鏡をペンで赤く塗って
そしてひと言「火事や~」
強度の近眼やった師匠はうろたえていたそうです。
(ホンマはあかんのですが、笑ってしまいます・・)
人生幸朗・生恵幸子両師匠も良かったですね。西城秀樹氏の「ブーメランストリート」の歌詞「カリッと音がする程小指を噛んで 痛いでしょ 痛いでしょ 忘れないでしょう♪」というのに対し、「『カリッと音がする程小指を噛んで 痛いでしょ 痛いでしょ 忘れないでしょう』って、当たり前やないか!誰でも小指噛んだら痛いわ!責任者出て来い!!」とぼやく等、ジワジワと来る笑いが好きでした。
ぼやき漫才です。人生師匠が、さんざんぼやいて「責任者出て来い」「出て来たらどないすんねん」「あやまったらええがな」ええですな。
それから夫婦ではありませんが、砂川捨丸・中村春代も好きでした。
「え~、漫才の骨董品でございまして」という捨丸師匠のおとぼけが好きでした。