昨日、ネット上に「かおる姫&西村晃一がデート?」という記事が載っていた。ビーチバレーには然程詳しく無い自分でも、“かおる姫”こと菅山かおるさんの事は知っている。「あれだけ可愛いんだから、恋人が居たっておかしくないだろうに。」と思った後、パッと頭に浮かんだのは「それにしても年の差カップルが増えているとはいえ、随分離れた相手だなあ。」と思った。冗談では無く、相手が西村晃氏と一瞬勘違いしたのだ。直ぐに「でも、西村氏は何年か前に御亡くなりになった様な・・・。」と思い、改めて相手の名前を確認すると「西村晃一」氏となっている。やはりビーチバレーの選手だとか。恥ずかしい勘違いをしてしまった。
閑話休題。
昨年だったろうか、TVを点け乍らインターネットをしていた所、「ロウロウカイゴ」とか「ニンニンカイゴ」というアナウンサーの言葉が耳に入った。初めて聞いた言葉だったので、『カイゴ』っていうのは『介護』の事だろうけど、『ロウロウ』とか『ニンニン』って何だ?まさか『忍者ハットリくん』(動画)が良く口にする『ニンニン』とは関係在るまいが。」とキーボードを叩く手を止め、番組を注視。「ロウロウカイゴ」が「高齢者が高齢者を介護する『老老介護』。」で、「ニンニンカイゴ」は「認知症患者が認知症患者を介護する『認認介護』。」で在る事を、その番組で知ったのだった。核家族化&超高齢化が進む我が国に在っては、こういった介護をせざるを得ない世帯が確実に増えて来ているんだろう。
清水由貴子さんが硫化水素自殺を図ったという先月のニュースは、未だに自分の心の中に重い物を残している。病気勝ちな母親の面倒をずっと看て来た彼女。その母親が高齢者の域に入り、介護の負担はかなり増加していたのは想像するに難くない。真面目過ぎる彼女だからこそ「全てを自分で行う。」と抱え込み、結果としてキャパシティー・オーバーとなってしまったのではないか。
自分が幼かった頃、祖父が認知症を患ったと言う。「言う」と書いたのは、自分が余りにも幼かった為に、その当時の記憶が余り無いからだ。当時の話を肉親に聞くと、介護はかなり大変だった様だ。肉体面では元気だった祖父故、目を離すと外に出てしまい、あちこち徘徊する事もしばしば。連れ戻そうにも体力が在るので、容易では無かったと。症状が進み、幼児の如く暴れ出す事も在ったが、制止させるのは一苦労。だから祖父が亡くなった直後は、正直言って肉親の間にホッとした思いが湧き、それから徐々に哀しみの感情が芽生えて来たそうだ。「介護は家族が行う物。」という感覚が当時は一般的に在り、家族が全てを抱え込んでいた時代と言えるのではないだろうか。
この年になると、「実際に家族の介護をしている知り合い」が増えて来ている。その大変さは理解しているつもりでも、実際に話を聞くと想像以上の現実が。全く他人事とは思えず、「明日は我が身だなあ。」と、その度に感じる。週刊朝日(5月15日号)に載っていた「著名人が語る 私の『介護』の日々」には、介護と向き合った著名人達の「修羅場」とも言って良い現実が多く紹介されていた。その中から、湯原昌幸氏の奥様で在る荒木由美子さんの話を紹介させて貰う。尚、荒木さんと清水さんは歌手デビューが共に1977年と“同期”で在る。
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「夫が義母の首に手をかけて 在宅介護は限界だと思った」(タレント:荒木由美子さん)
介護に始まり介護に終わった。私と義母(吉のさん)との思い出は、そう言っていいものでした。私が13歳年の離れた主人(歌手・タレントの湯原昌幸氏)と結婚し、芸能界を引退したのは23歳のときです。でも、結婚からわずか2週間で事態は一変しました。義母が糖尿病からきた足の血栓で入院したのです。そして5年後、今度は認知症と診断されました。こうして、足かけ20年にわたる義母の介護生活を送ることになったのです。
当時、私は20代の後半。体力気力ともにあり、最後まで私が家で介護しようと覚悟を決めていました。けれど次第に義母に振り回されるようになりました。徘徊する、夜は寝なくなる・・・。便秘のため便が出ないときは、ゴム手袋をして掻き出したこともあります。だけど、いちばんつらかったのは「色ボケ」という症状。宅配便や郵便局の人が来ただけで「由美ちゃんのところに男が来ている。」と騒ぎ、孫である私たちの息子を見ると「若い男を囲っている。」って言うんです。認知症で現れる症状ですが、そのころはいまのような相談窓口もなく、夫にも言えず、一人で抱え込んでいました。
やがて私はストレスのため円形脱毛症になり、胃潰瘍と自律神経失調症にもかかりました。「家族だけでの在宅介護に限界がある。」と思ったのは、在宅介護が7年近く続いたころでした。当時義母は、鬱的症状も出ていて、部屋から出てこない日が続いていました。たまりかねた主人が、「いったい何が気に入らないんだよ!!」と声を荒げると、義母が主人に体当たりでぶつかってきたのです。次の瞬間、主人は母の首に手をかけていました、「やめてー!!」と叫ぶ私の声で主人は我に返りました。それで、家族での在宅介護をあきらめ、施設に預ける決断をしたのです。
施設に移ってからは、義母との関係は穏やかなものへと変わっていきました。施設を訪れる私を、義母は笑顔で迎えてくれるようになり、私もそのときできることは悔いが残らないようにやってきました。ある程度限界まできたら、施設や病院、あるいは誰かの手を借りるのも一つの選択だと、いまは思います。
2003年1月、86歳で義母は静かに息を引き取りました。悔いはありません。介護をやり尽くした充実感でいっぱい。こうして芸能界に復帰できたのも、義母からのご褒美だと思っています。
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閑話休題。
昨年だったろうか、TVを点け乍らインターネットをしていた所、「ロウロウカイゴ」とか「ニンニンカイゴ」というアナウンサーの言葉が耳に入った。初めて聞いた言葉だったので、『カイゴ』っていうのは『介護』の事だろうけど、『ロウロウ』とか『ニンニン』って何だ?まさか『忍者ハットリくん』(動画)が良く口にする『ニンニン』とは関係在るまいが。」とキーボードを叩く手を止め、番組を注視。「ロウロウカイゴ」が「高齢者が高齢者を介護する『老老介護』。」で、「ニンニンカイゴ」は「認知症患者が認知症患者を介護する『認認介護』。」で在る事を、その番組で知ったのだった。核家族化&超高齢化が進む我が国に在っては、こういった介護をせざるを得ない世帯が確実に増えて来ているんだろう。
清水由貴子さんが硫化水素自殺を図ったという先月のニュースは、未だに自分の心の中に重い物を残している。病気勝ちな母親の面倒をずっと看て来た彼女。その母親が高齢者の域に入り、介護の負担はかなり増加していたのは想像するに難くない。真面目過ぎる彼女だからこそ「全てを自分で行う。」と抱え込み、結果としてキャパシティー・オーバーとなってしまったのではないか。
自分が幼かった頃、祖父が認知症を患ったと言う。「言う」と書いたのは、自分が余りにも幼かった為に、その当時の記憶が余り無いからだ。当時の話を肉親に聞くと、介護はかなり大変だった様だ。肉体面では元気だった祖父故、目を離すと外に出てしまい、あちこち徘徊する事もしばしば。連れ戻そうにも体力が在るので、容易では無かったと。症状が進み、幼児の如く暴れ出す事も在ったが、制止させるのは一苦労。だから祖父が亡くなった直後は、正直言って肉親の間にホッとした思いが湧き、それから徐々に哀しみの感情が芽生えて来たそうだ。「介護は家族が行う物。」という感覚が当時は一般的に在り、家族が全てを抱え込んでいた時代と言えるのではないだろうか。
この年になると、「実際に家族の介護をしている知り合い」が増えて来ている。その大変さは理解しているつもりでも、実際に話を聞くと想像以上の現実が。全く他人事とは思えず、「明日は我が身だなあ。」と、その度に感じる。週刊朝日(5月15日号)に載っていた「著名人が語る 私の『介護』の日々」には、介護と向き合った著名人達の「修羅場」とも言って良い現実が多く紹介されていた。その中から、湯原昌幸氏の奥様で在る荒木由美子さんの話を紹介させて貰う。尚、荒木さんと清水さんは歌手デビューが共に1977年と“同期”で在る。
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「夫が義母の首に手をかけて 在宅介護は限界だと思った」(タレント:荒木由美子さん)
介護に始まり介護に終わった。私と義母(吉のさん)との思い出は、そう言っていいものでした。私が13歳年の離れた主人(歌手・タレントの湯原昌幸氏)と結婚し、芸能界を引退したのは23歳のときです。でも、結婚からわずか2週間で事態は一変しました。義母が糖尿病からきた足の血栓で入院したのです。そして5年後、今度は認知症と診断されました。こうして、足かけ20年にわたる義母の介護生活を送ることになったのです。
当時、私は20代の後半。体力気力ともにあり、最後まで私が家で介護しようと覚悟を決めていました。けれど次第に義母に振り回されるようになりました。徘徊する、夜は寝なくなる・・・。便秘のため便が出ないときは、ゴム手袋をして掻き出したこともあります。だけど、いちばんつらかったのは「色ボケ」という症状。宅配便や郵便局の人が来ただけで「由美ちゃんのところに男が来ている。」と騒ぎ、孫である私たちの息子を見ると「若い男を囲っている。」って言うんです。認知症で現れる症状ですが、そのころはいまのような相談窓口もなく、夫にも言えず、一人で抱え込んでいました。
やがて私はストレスのため円形脱毛症になり、胃潰瘍と自律神経失調症にもかかりました。「家族だけでの在宅介護に限界がある。」と思ったのは、在宅介護が7年近く続いたころでした。当時義母は、鬱的症状も出ていて、部屋から出てこない日が続いていました。たまりかねた主人が、「いったい何が気に入らないんだよ!!」と声を荒げると、義母が主人に体当たりでぶつかってきたのです。次の瞬間、主人は母の首に手をかけていました、「やめてー!!」と叫ぶ私の声で主人は我に返りました。それで、家族での在宅介護をあきらめ、施設に預ける決断をしたのです。
施設に移ってからは、義母との関係は穏やかなものへと変わっていきました。施設を訪れる私を、義母は笑顔で迎えてくれるようになり、私もそのときできることは悔いが残らないようにやってきました。ある程度限界まできたら、施設や病院、あるいは誰かの手を借りるのも一つの選択だと、いまは思います。
2003年1月、86歳で義母は静かに息を引き取りました。悔いはありません。介護をやり尽くした充実感でいっぱい。こうして芸能界に復帰できたのも、義母からのご褒美だと思っています。
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看護師もそうですが、介護士も人一倍大変なのに給与も安ければ休みもない。大事なポイントの職業と思うのに。
知り合いの奥さんに看護師がいるのですが、発狂しそうなほど大変だとか。
「人がいないからシフトはめちゃくちゃハードだし、国が面倒見ないから給与は安いし、寝る時間もないよ」、って言ってました。
玉木宏と玉置宏も、何度ごっちゃになったことか。
人の名前にケチをつけちゃいけないとは思いますが、
もうちょっとなんとかしてもらえないものかと(苦笑)
この辺の話は、実際に医療現場に身を置いておられるtak様の方が遥かに思われる事が多いと思います。政治家や官僚達だけを責めたくは無いけれど、やはり医療政策が机上の空論化していた面は否めない気が、素人の自分でも感じます。
医療に或る程度のコストが掛かるのは致し方無い事。以前にも書きましたが「健康でもっと長生きはしたい。でも、個人が負担する医療費はもっと軽減して欲しい。」という考え方では、もう限界に来ているのではないかと。我々国民の側にも「負担出来得る医療費」と「それで賄える(受けられる)医療」とのバランスを考えないといけないし、或る程度の所で納得(手を打つ)という事をしないといけないのでしょうね。勿論、あらゆる面で明々白々に無駄な部分をカットして行った上という条件は付きますが。
ルパート・ジョーンズ様も同じ勘違いをされましたか。いやあ、良かった良かった。と言うのも、今回の話を書いても「そんな訳ないやろ。ネタ書いてんじゃないの?」と思われてしまうかなという思いも在りましたので。冗談抜きにして、あの記事をパッと見た瞬間に西村晃氏の御顔が頭に浮かんだんです。何しろ最近は、年の差カップルが増えて来ていると言うし。玉木宏氏の名前を最初に知った時、自分も「玉デッカイ宏」(玉“大きい”宏)こと玉置宏氏の名前が頭に浮かびましたね。昔、家人が「榊原郁恵さんと柏原芳恵さんの名前」を何度も混同して、「何で間違えるんだろう?」と不思議でならなかったのですが、最近は何と無く判る様な気がして来ました。
本当に悲惨なものです。でもまだ当時(1995年ごろ)は施設がすぐに受け入れてくれたので助かった。今はなかなか施設に入れてもらえないようですね。施設に入る前は家族全員険悪になり、家庭崩壊状態でした。申し訳ないと今も思うのはまだ20前だった妹に嫌な思いを多々させてしまったこと。
>老老
病気で早期退職して体がえらいのに、認知症の90代の母親に振り回され、「この人のほうが先に逝ってしまうんでないか」というぐらい疲労困憊の60代男性を知っています。似たようなケースは多々あると思います。
>名前がごっちゃ
筒井道隆と筒井康隆(両方とも最近はさほど露出がないので気にならなくなった)
沖雅也と仲雅美(後者が後に改名)
若槻と岩槻(「若槻」姓のグラビアアイドルの苗字を何度も「岩槻」と言ってしまった)
井上純一と春田純一(どちらも最近見ない)
陣内孝則と陣内智則(まぎらわしい)
記事でも触れました様に、自分の場合は祖父が認知症に罹患して在宅介護を受けていた際は幼かったので、その大変さはあくまでも人を通して聞いただけ。御身内を実際に介護されて来た方の御苦労の、恐らくほんの僅かな部分しか判り得ていないと思います。清水さんのケースもそうですが、「大事な家族だから、自分で何とか世話をしたい。」という気持ちは痛い程判るけれども、結果的に共倒れになってしまうのが一番哀しい話。自分で出来る部分は自分で行い、無理な部分は割り切って他者を頼る。唯、その他者を頼るという部分が、御指摘の通り今一つ機能していないという現実は在りますね。
訳の判らない箱物や、天下り組織を作り上げるのに血税を費やすならば、こういった部分に費やして貰った方が余程良いし、それならば国民も或る程度の負担は已む無しと思うのではないかと。介護士もそうですが、どんな職業でも労働に見合った対価を得られる環境じゃないと気の毒。
うちの近所は同時期に一斉開発された所なので、近年は高齢世帯が著しく目立っています。歩行困難な御主人に付き添われ、やはり御身体が不自由そうな奥様の御姿も見受けられ、気になったりも。
筒井道隆氏と筒井康隆氏の名前は、確かに混同し易かった。昔、何方か忘れてしまったけれども、やはり急に出て来た人物(仮にA氏とします。)と似た名前の著名人(同B氏。)が居り、インタビュアーから「Bさんの名前って、Aさんに似てますよね。」と言われた所、「俺が別に奴の名前に似せたんじゃないんだけどね。俺の方が遥かに先に生まれてるんだから。」と苦笑交じりに話していたのを思い出します。
思いましたとも・・・
ほかにも
「朝丘雪路と月丘夢路」
などR40な例を。
しかし
「岩崎宏美と岩崎ひろみ」
「宮川大介と宮川大輔」
はどうかと
(後者は、同じ吉本では?)
いやいや予想外でした。今回の記事(冒頭)を書いた時点で「こりゃあ間違い無く『ネタでしょうが。』という突っ込みが入りそうだなあ。」と思っていたのですが、まさか自分以外にも同じ勘違いをされた方がこれ程居られるとは。やはり一定年齢以上の人には「西村晃」の3文字に思いっきり反応してしまい、4文字目の「一」を見落としてしまいますよね。味の在る良い役者の一人だったし。
朝丘雪路さんとと月丘夢路さん、この御二人の名前も「ややこしやー!」です。「ボインが朝丘さん、高麗人参茶のCMで顔に思いっきり“斜が掛かっている(ボカシが入っている)”のが月丘さん。」という覚え方をしたもの。「イワサキヒロミ」さんと「ミヤガワダイスケ」氏に関しては、音だけではサッパリ判らないですよね。我が家では「イワサキヒロミさんんは『歌手or女優』、ミヤガワダイスケ氏は『顔がデカイor小顔』。」という注釈を入れて、使い分けています。
清水さんも荒木さんも他人事とは思えないんですよね。
私が結婚したころにはおっとの母上は長年お姑さん(おっとのおばあさま)の介護をやっていらっさったですよ。
介護保険も無い時代、病院で寝たきりのおばあさまのおむつはまだ布製でした。
私にあのまねができるかといえば・・・答えは明白なんであります。できません。
実の母の介護を青息吐息です。もしおっとの母上に万一のことがあれば・・・後悔の無い介護をしたい・・・。