「お母さん、ぼくには何の財産も残さなくていいよ。ぼくは何もいらない。その代わり、勉強の面倒だけは見てください。そのための世話だけはしてください。たとえ借金してでも、勉強だけはつづけさせてください。いつか、必ずお金持ちになって恩返しします。かばんにたくさんのお金をつめて、お母さんに持ってきてあげるから。」。
ノンフィクション作家の佐野眞一氏が、ソフトバンク・グループの総帥・孫正義氏の半生を綴った本「あんぽん 孫正義伝」。タイトルに用いられた「あんぽん」とは、在日韓国人だった時代の彼の通名が「安本正義」で、当時は名字の「やすもと」を音読みし、「あんぽん」と揶揄された事から来ている。
「時代の寵児」とされる人は、概して批判者も少なく無い。況してや在日韓国人だった彼の場合は、其の事“だけ”でネット右翼等から激しく批判されるケースも在る。孫氏がツイッターで私見を発信しているのは有名な話だが、彼の主張どうこうは無関係に「在日は、母国に帰れ!」等、心無い書き込みがされる事も少なく無い様だが、自分が其の手の書き込みを目にした際、孫氏は真摯にリプライをされており、「偉いなあ。」と思ったもの。人間が出来ていない自分なんぞは、そんな書き込みがされたらムカッとして、感情的なリプライをしてしまうだろうから。
国籍が「韓国」乃至は「元韓国」というだけで、相手を口汚く罵る人が世の中には居る。自分は「韓国人」がというのでは無く、「国家としての韓国の身勝手さ」等は好きじゃないので、「韓国」に対して不快な思いを持つ人が居るのは判らないでも無い。又、「国籍が『韓国』乃至は『元韓国』というだけで、相手を口汚く罵る人。」というのも、人の考え方は十人十色だから、他者に迷惑を掛けなければ、そして違法な行為をしないので在れば、其れは全くの自由。」と考えているが、逆の立場でこんな理不尽な差別をされるのは真っ平御免なので、所謂「レイシスト」は好きじゃない。
今でも少なからずの差別が存在しているが、嘗ての日本では在日韓国人に対する差別が酷かったと聞く。祖父母や両親からその手の話を良く聞いたが、彼等も含めて「差別=悪い事とは思っていなかった。」という感覚の人が少なく無かった様だ。「そういう時代だったのだ。」というエクスキューズも在ろうが、差別された側にすれば良い迷惑以外の何物でも無いだろう。
「『あんぽん 孫正義伝』は、孫氏の半生を綴った本。」と上記したけれど、「孫正義氏の家系を遡って調べる事で、“孫正義氏という人物が産み出された必然性”を探った本。」というのが正確かもしれない。孫正義氏自身の半生も非常に興味深いが、彼の両親、そして彼等の両親(孫氏にとっては祖父母になるが。)の半生(乃至は人生)はもっと興味深い。彼等の灰汁の強さ(エキセントリックさと言っても良いだろう。)、そして生き方というのが、「孫正義」という人物に大きな影響を与えたのが良く判るので。彼が嫌いな人で在っても、強いインパクトを受ける事だろう。
孫氏が幼少期を過ごした家庭環境の凄さ、其れを知るだけでも、一読の価値が在ると思う。又、「一角の人物は良くも悪くも、“普通じゃない”幼少期を過ごしている。」ケースが多いというのを、改めて感じた。冒頭に記したのは、母方の祖母が入院した際、(孫氏と共に見舞いに行った)母親が)アメリカ留学中だった孫氏に付いて「この子はお金のかかる子なのよ。」と漏らした事に対して、孫氏が言った言葉だとか。20歳前後と思われるが、こういう事を口にし、そして実現してしまう孫氏というのは凄い。そしてもっと幼い頃の逸話にも、「へーっ。」と驚かされる物が少なく無いし。(此の手の逸話には“造られた感”が強い物が結構多いけれど、此の本に関してはそんな感じがしない。)
孫氏の持つ「ドライさ」。そして、逆の「熱さ」。彼の不思議なパーソナリティーが構築されて行く過程を、「人」と「環境」といった軸で浮かび上がらせていて、とても面白い本だ。
ヤフーニュースのコメント欄などを見ていると、別に在日韓国・朝鮮系の人々に関わりがないような事件についてでさえ、「こんなことをするのは在日か帰化人だ」などという書き込みが見受けられますね。
こういう人々は、前述の「差別意識をごく自然に言動に表している人々」の影響を受けているか、ルサンチマンゆえにマイノリティを叩きたいのか、そのどちらでもなくて、単にタブー破りをしてみたいのか。いずれにせよ、「発言は慎重に行うべきであり、内容によっては発言してはいけないこともある」ということをわきまえていない、あるいは軽視している人々だと思います。
私の母方の高祖父(祖父の祖父)は幼少期に両親を亡くし、「成人するまで管理してやる」との名目で土地や財産を親戚たちにむしりとられたために困窮して裸一貫から出発しなければならず、娘である曾祖母は子供の頃線路で石炭拾いをやったそうです。向学心はあっても兄弟が多く経済的理由で女学校に行けなかった曾祖母は、「学べるものはたとえ盗みのやり方であっても学んでおけ。実行しないように自分を律して、他のことに役立てればいいのだから」と言っていたそうです。
余程人間が出来た人は別でしょうが、哀しいかな普通の人間は多かれ少なかれ「差別意識」を有しているもの。偉そうな事を書いている自分も、「そういった意識が皆無か?」と問われれば、「皆無では無い。」と正直に答えるしかないし。
唯、「何でも彼んでも、悪事は在日韓国人のせいだ!」的な発想をする人達の“妄想力”には、とても付いて行けない。嘗て「何でも彼んでも、UFOに結び付けていた某氏。」に対して、苦笑するしか無い状況と似ている様な。
曾祖母様の訓え、「“実行しない様に自分を律して”、他の事に役立てれば良いのだから。」というのが肝ですね。以前に書いた事だけれど、「知識には、知っていて損な事は無い。」と思っています。仮令其れがエロの知識だろうとも、会話の潤滑油になるケースだって在るし。ですので、曾祖母様の訓えには同感です。
と、いっていた割りには
いまや資産家、富裕層の孫正義氏ですが。
原発に反対する姿勢は評価したい。
韓国、中国のすべてが悪いとは言わないが
日本を攻撃したり馬鹿にしたり悪口を言うのは
やめにしていただきたい。
尖閣のゴタゴタなどは双方が話し合いで国有地
発言を謝罪すればそれで済む話です。
野田総理は中国や韓国にただちに謝罪してほしい。
2002年のサッカーW杯での友好関係、教訓
忘れたなんて言わせない。
中国も日本の資本で食ってる国なのだから
あらゆることで日本とトラブル起こすなよと、思う。
功成り名を遂げた人物は、概して毀誉褒貶在るもの。此の本を書かれた佐野眞一氏も、「孫氏に対して、胡散臭さを感じている人が少なからず居る。」とし、孫氏への批判も記していますし。
自分の孫氏に対するイメージは悪くなく、特に「脱原発」のスタンスは評価しています。経営者ですから「自身も儲けよう。」という気持ちが当然在るとは思いますが、其れが在るとしても「代替エネルギーへのシフト→脱原発」というスタンスは、地震国・日本に在って自然な流れと思うからです。
戦時中、日本軍が韓国や中国に対して酷い事をした事実は在るでしょう。唯、以前から何度も書いている事だけれど、「戦争というのは如何に多くの人を殺したが評価される、極めて異常な状況で在り、平穏時の常識が通用する状況では無い。」のですから、酷い事の中には止むを得ないという物も在るとは思う。軍隊同士の戦いの中での殺戮等はそういった1つですが、でも非戦闘員の殺戮、其れも相手が戦闘意欲を見せていないのに殺戮したというので在れば、其れは論外ですが。
そういった論外の出来事に関しては、日本はきちんと謝罪する必要が在る。でも、日本はそういう事に対する謝罪を、此れ迄きちんと行ったとも思っています。
「きちんと謝罪し、援助迄して来たというのに、其れでも未だ日本を口汚く非難する中国や韓国には腹が立つ。」、そういう思いを持っている日本人も少なく無いでしょう。「『虐めを行った側は其の事実を忘れても、虐められた側はずっと忘れない。』、そういう点は在るにしても、豊臣秀吉による朝鮮出兵迄も持ち出して来て非難するなんんて、常軌を逸している。其れを言うなら、元寇はどうなるのだ?」と憤る方も居られるでしょう。自分もそういった腹立ちは、事実持っています。
でも、日本がそういった謝罪をきちんと行っている一方で、何処ぞの都知事や元ニュース・キャスターの桜井何某の様に、「日本軍は韓国や中国で、1人たりとも殺してはいません。」みたいな、余りの極論、そして逆の立場で言われたら憤りを感じるで在ろう事を平気で言ったりする著名人が居るから、中国や韓国に「付け入る隙」を与えてしまっている事も、我々は理解しないといけないのではないかと。
好きで在ろうと無かろうと、中国や韓国が“隣人”で在る事実は変わらない。双方が“幼稚な罵り合い”をするのは、百害在って一利無し。引いてはいけない面は絶対に引くべきでは無いけれど、何でも彼んでも「気に食わない。」という理由から避難するのは、とても大人の遣る事とは思えない。