週刊新潮(9月20日号)の「私の名作ブックレビュー」は、俳優の清水一希氏が「錦繍」(著者:宮本輝氏)に付いて書評を記していた。此の作品を自分は読んだ事が無いのだけれど、「愛し合い乍らも離婚した2人が、紅葉に染まる蔵王で十年を隔てて再会し、書簡を交わし始めた事で、互いに過去を埋め合わせて行く。」というストーリーなのだとか。
で、話を戻すが、清水氏は1990年生まれという事で、今年22歳。「昭和」では無く、「平成」生まれの此の若者が、書評の冒頭で記した文章に、思わず絶句してしまった。
*********************************
僕は「手紙」という文化を知りません。多分、僕の世代はみんなそうだと思います。子どものころにはポケベルがあり、中学に入るとまわりの友だちもケータイを持つようになりました。友だちや親との連絡はもっぱら電話かメールです。本書のあらすじに「往復書簡」という言葉がありましたが、其の意味すら知りませんでした。
*********************************
「22歳の若者が、ポケベルなんか知ってるんだ!?」というのも然る事乍ら、自分が一番驚いたのは「僕は『手紙』という文化を知りません。多分、僕の世代はみんなそうだと思います。」という部分だった。「僕は『手紙』という文化を知りません。」と在るが、「『手紙』という文化の存在」を知らないのでは無く、「手紙の遣り取りをするという『行為』をした事が無い。」というのが正確な所だと想像するし、其れに「彼の世代が、『皆』そうだ。」というのも言い過ぎな気はする。
とは言え、20代以下の人達ならば、「手紙の遣り取りをする。」というのは、非常に少なくなっているのは確かだろう。携帯電話やメールが普通になった事で、「手紙を書く。」という機会は、自分ですらも減ったから。真面に書くのは年賀状位で、其の年賀状すらも書かない人が増えているとも聞くし。
好きな人に手紙を書いて送り、返事が来るのを待つ。其の待つ時間が何とも不安で在り、又、期待感が在ったりもしたっけ。直ぐに送れて、直ぐに返事が来るというメールでは、味わえない心持だろう。
「『手紙』という文化を知らない。」という清水氏は、書評を次の文章で締め括っている。一寸ホッとしたりもした。
*********************************
2人のやり取りを読んで、結局今も昔も「男と女」の関係は変わらないということに気づきました。
「男とはそういう生き物だ。」とか「女は見て見ぬフリをする。」など、周りの大人たちからよく聞く言葉です。ただそれが、手紙というツールを使うことで、こんなにも言葉に深みが出るということを初めて知りました。手紙っていいものですね。
*********************************
私も昔は親、兄弟、友人ともかなりの頻度で“手紙”のやりとりを行っていましたが、最近はほとんどメールがそれにとって代わってしまい、便箋に書くことはほぼ皆無に近い状態です。
文章を書き、それをやりとりする回数自体は減っておりません。むしろメールになってから、回数は増加しています。例えば、届いたメールに返事したら、すぐに返信が届き、その日のうちに再信、再再信というケースもしばしばです。
その他にも、投書や原稿依頼等でも、以前は便箋や原稿用紙に手書きしていたのが、最近はすべてメールか、文書作成ソフトで書いたものを添付送信する方法に代わり、“紙に書く”という作業は、相手がメールアドレスを持っていない場合くらいしか行わなくなりました。
小説家でも、さすがに年配の方は万年筆で原稿用紙に手書きしている方もおられますが、若い作家はワープロ、パソコン作成、ネット転送が当たり前だと聞きます。
こうした現状においては、若い人が、“便箋に手書きで文章を書く”という文化を知らない、というのも、当然なのかも知れません。音楽を聴く方法にしても、多分20歳代以下の人は、アナログレコードという文化があった事も知らないでしょうが、それと似たようなものでしょう。
>好きな人に手紙を書いて送り、返事が来るのを待つ。其の待つ時間が何とも不安で在り、又、期待感が在ったりもしたっけ。直ぐに送れて、直ぐに返事が来るというメールでは、味わえない心持だろう。
これは私も全く同感。付け加えるなら、手書きの場合、筆使いで相手の性格や気持ちが分かったり、また便箋にも和紙やカラフルなものを使用する事で、文章以外の要素も伝達可能という利点もありました。
そういう情緒が薄れて来たのは残念な気もしますが、これも時代の流れなのでしょうね。読書にしても、電子化が進んでそのうち紙の書籍がなくなるかも知れませんし。
「『手紙を書かなくなった』のでは無く、“電子媒体の普及で、文章を『紙媒体に書き記す』作業の必要性が無くなった。」、そういう面は確かに在ると思いますね。自分自身も手紙を書くという機会はめっきり減り、年賀状以外の遣り取りは専らメールになっていますし。
「若い人達の間で、活字離れが進んでいる。」とも言われますが、所謂「ケータイ小説」は流行っていると言いますし、此れも「読む媒体」が変わって来たという事かも。
唯、メールやケータイ小説に利点が在る一方で、手軽になった事でのデメリットというのも在る様に感じています。全員が全員とは言わないけれど、手紙や(紙に書かれた)小説と比べると、「文章が概して短く、推敲を殆どしない文章が多い。」と言うケースが目立つからです。絵文字や擬音が氾濫し、主語が無かったり、文章の途中で主語がコロコロ変わっていたりと、「社会に出たら、書類作成で苦労するだろうなあ。」と余計な心配をしてしまう。