幼き頃、自分の老後なんて考えた事が無かった。老後どころか、自分が老いた姿すら、想像した事が無かった。自分の老後という物を“現実として”思い浮かべる様になったのは、五十路の坂に差し掛かった辺りからだったろうか。そして、今は老後という物を、非常に間近な存在として捉えている。幼き頃を考えると、「思えば遠くへ来たもんだ」【動画】という感が。
自分は今迄、引っ越しを4回した様だ。“様だ”と記したのは、1回目と2回目の引っ越しをした際は、余りにも幼過ぎて、記憶が全く無いから。なので、明確に記憶に在る引っ越しは残る2回だけ。小学2年を終えた時点での引っ越しと、小学6年を終えた時点での引っ越し。以降はずっと、今の所で暮らしている。
小学校時代の事を思い返すと、小学5年&6年の時の同級生の事が、強く脳裏に刻み込まれている。仲の良かった者は僅かだし、引っ越して以降、連絡を取り合っている者は皆無なのに、何故か此の“持ち上がりクラスの同級生達”の事はハッキリ覚えているのだ。
卒業文集に載っている名簿(今では考えられない程、個人情報が詳しく記されている。)だと、小学6年卒業時のクラス人数は「男子23人、女子22人」の併せて45人。「1クラス=45人」というのも、今の時代では考えられない事だろう。
小学校を卒業してから、40年を遥かに過ぎた。同級生たちは今、どうしているだろうか?少なくとも自分が知る限り、良くも悪くも彼等の中から“有名人”が現れたという話を見聞した事は無い。自分と同じく、老後を非常に間近な存在として捉え、日々を暮らしている者も多いだろう。中には“既に物故者となってしまった者”も居るかも。
母親が強烈な“教育ママ”だったM君。クラスで一、二を争う優秀なY君と仲が良かったが、卒業後の謝恩会でY君の母親に対し、M君の母親が「(息子達が)東大に入った際の入学式で会いましょう。」と話していたのが忘れられない。M君は、東大に入れたのだろうか?
父親が元プロ野球選手のS君。大分前になるが、彼の氏名をネットで検索した所、自身の近況に関する書き込みを発見。記されている情報から判断し、恐らくは本人と思われるのだが、趣味として野球をしている様だった。
比較的仲が良かったH君は、非常に優秀だった。父親が銀行員だったが、バブル景気後に其の銀行は消滅。小学校卒業以降、連絡を取り合う事は無かったけれど、銀行が消滅した際、「どうしているかなあ?」と気になったっけ。
布団屋の息子だったY君。今から四半世紀程前、店が在った場所を訪れた際、もう店は無かった。同じクラスになった事は無いが、中華料理店の娘だった子も居る。彼女の店も、其の時には無くなっていた。個人経営の店は多くが消え去り、大手チェーン店に移り変わって行った時代だ。
小学校卒業時には既に“帰国”していたが、ビルマ(現在のミャンマー)からの転校生だったC君。最終的には仲良くなったのだが、転校して来た当初は“虐め”めいた事をしたのが、今でも“心の傷”として残っている。「1年だけだったとはいえ、彼の当時、彼の国から日本に移り住んだ。」という事は、C君の父親は“軍部(又は軍部に近い存在)のエリート”だったと思われる。今もゴタゴタしている母国で、C君はどうしているのだろうか・・・。