今や日本のエンターテインメントの世界では、ジャニーズ事務所*1所属のタレント無しでは成立出来ない様な状況になっている。例えばTVを点ければ、あらゆるチャンネルに“ジャニタレ”が出演している。エンターテイメント関連だけでは無く、報道番組の様な硬い番組の司会をジャニタレが務めていたりして、其れなりに仕切っているのだから大した物だ。
そんな状況に在る中、「う~ん・・・。」と思ってしまうジャニーズ関連の事柄が、結構在ったりする。「どうでも良い事。」と言ってしまえば其れ迄だが、特に気になる事柄を3つ挙げてみる。
① マス・メディアのジャニーズ事務所に対する忖度?
何年位前からだろうか、書店で凄く気になる様になった事が在る。雑誌、此れは週刊誌や月刊誌を問わないのだが、「表紙に使われているのが、同じジャニタレで略“統一”されている。」のだ。
「其の時に“旬な人物”だから。」というので在れば判らないでも無いけれど、「明らかにジャニーズ事務所が強烈に売り出したいと思っているのだろうけれど、一般的な知名度は高く無いジャニタレ。」の顔がずらっと並んでいるのは、何とも言えない違和感を覚える。
又、「同じ系列の出版社が“効率”を重視し、(同じ系列の)他の雑誌に使う。」というのなら未だ判るが、全然無関係な出版社迄もがずらっと同じジャニタレを使っているとなると、「マス・メディアのジャニーズ事務所に対する忖度?」と思ってしまう。
② 二重敬語
「今度、映画に出させて戴きました。」とか、「新曲を歌わせて戴きます。」とか、近年は矢鱈と二重敬語を耳にする。「抑、敬語の使い方としておかしいと思うし、そんなに遜る物言いをする必要無いだろう。普通に『今度、映画に出ました。』とか『新曲を歌います。』で良かろうに。」と、気になって仕方無い。
こういう二重敬語が広まり出したのは、ジャニタレが好んで口にする様になってからだと思う。売れっ子のジャニタレが口にし始め、若いジャニタレが“横並び”で使い始めた。そんな感じがしている。
③ ~君
此れはジャニーズ事務所の“伝統”なのだろうが、「どんなに年上のジャニタレで在っても、“原則として”『君付け』で呼ぶ。」というのが在る。「年上だからと、無闇矢鱈と『先輩』や『先生』、『師匠』といった呼称を付けるのは好きじゃ無い。」し、「君付け」にはフレンドリーさを感じなくも無い。
だが、木村拓哉氏や中居正広氏は、今年で50歳。会社では部長職の人だって存在する年齢だろう。そんなにも年上の人に対し、10代(下手をすれば小学生)のジャニタレが「木村君」とか「中居君」と呼んでいるのは、ジャニーズ事務所の伝統とはいえ、凄く違和感を覚える。自分が働いている会社で、入社し立ての若い子が、50代の部長に対して「〇〇君」と呼んだとしたら、「えーっ!?」と思う事必至だろう。
*1 「ジャニーズ百科事典」なるサイトを発見したのだが、内容が実に濃い。「ジャニーズJr.」という項目1つ取っても、「こんなにも網羅しているって凄いなあ。」と感心してしまう。知らない人が殆どだけれど、ジャニーズJr.以降の経歴を読むと、「人其れ其れ、色々在るんだなあ。」と思ってしまう。
大雨が続いたり一転蒸し暑い日が続いたり、こういう天気が一層体に堪える年齢になってしまいました(苦笑)。
今回の記事、ジャニタレが私にはどういう訳か「ジャリタレ」に読めて仕方ありません(笑)。
で、giants-55さんの違和感の3番目に関連して。
この前地元新聞のコラムでも触れられていたことなんですが、「君付け」と「さん付け」の差って何なんでしょうね。
子供の頃小学校や中学校で先生が、男子を「君付け」、女子を「さん付け」で呼んでいて、そのころは違和感が無かったけれど、今同じような呼ばれ方をしたらきっと違和感を感じそう。
これは私だけの感じ方かもしれませんが、「さん付け」が相手との上下関係が希薄なのに比べ、「君付け」は相手を下に見ているように感じるんですよね。
そんな違和感を感じ始めてからは、よほどの年齢差でもない限り、男女を問わずなるべく「さん付け」するようになりました。
自分が小学生だった頃、生徒の名簿は「男女別の五十音順で書かれている。」というのが普通でした。でも、今は「男女混同で五十音順。」というのが多い様ですね。
男女平等という概念が余りにも行き過ぎた結果とも言えますが、「男子には『君付け』、女子には『さん付け』。」という昔のスタイルも、「男女差別だ!」という声に押され、一律に「さん付け」になって来ているとか。
「『さん付け』が相手との上下関係が希薄なのに比べ、『君付け』は相手を下に見ている様に感じる。」というのは、考えてみるとそんな感じがしますね。そうなると、譬え相手が子供で在ったとしても、一律で「さん付け」するのが、子供の自立性を育む意味でも良いのかも。