巨大津波が家屋や車、そして多くの生命を呑み込んで行く。「映画やドラマの中か、現実としては海外でしか目にする事が無いだろう。」と思い込んでいた光景を我が国で目にした彼の日から、今日で1年となる。其れ迄に体感した事の無い大揺れもそうだが、其れ以降に発生した出来事、大津波、原発事故、大停電、頻発する余震、買い占め騒動等々も一生忘れられない事だろう。
大地震発生から数ヶ月間、熟睡出来た日は殆ど無かった。携帯から鳴り響く緊急地震速報のアラーム音で何度も叩き起こされたという事も在るが、何よりも「命の儚さ」というのを再認識した事で、「生きる(又は生かされる)とは、何なのだろうか?」等と考え出し、其の結果として充分に眠れない日々が続いたのだ。
東日本大震災による死者数は約1万6千人、行方不明者数も3千人を超えている。「近しい人間を失い、心に大きな傷を負った人々。」や「家屋等を失い、将来が見えない儘、不安な日々を送っている人々。」等々、大地震が齎した苦しみの最中に居る者は、想像以上に多い事だろう。「明日は我が身」で在り、非被災者の我々は被災者達の心に寄り添い、そして出来る限りの手助けを続ける必要が在ると思う。
震災の日、家族に頼まれた用事を近所で済ませて、いったん帰宅して荷物を置いてから改めて買い物に行こうかと思いましたが、戻らずにそのままスーパーへと歩いている途中で地震が起こりました。地震の衝撃で止まり、24時間後に復旧したマンションのエレベーターを見て、「もしいったん帰宅することを選んだら、この中に閉じ込められていたのか」と空恐ろしい思いがしました。
関東地方の沿岸部、漁港から数百メートルのところに親戚が住んでいますが、50メートル手前で津波が引き、難を逃れたそうです。
12月に放映されていた『警察24時』で、東北地方の沿岸部で自宅に戻った人々の安全確認、拾得物を預かるといった仕事に従事する警察官が取り上げられていました。泥を軽く払い落とされた通帳・印鑑・免許証ケース、それ以外にも泥を拭えば使えなくはなさそうな物品が保管所に積まれている映像を見て、水がなくなった後に落ちている貴重品類をせしめようという不心得者がいなかったことは、なかなかすごいことではないかと思いました。
しかし一方で、「日本人、特に東北人の誠実さ・勤勉さを賞賛することが、彼らに“健気であれ”とのプレッシャーを過剰に与えてしまうのではないか」という思いもあります。
ある医師の方がこのように書いていました。「自分は病気のために以前のようにはできなくなった人間だと思うなら、それは大きな間違いです。あなたは病気を乗り越えて、またチャレンジできるようになった人間です」微々たる歩みにならざるをえないことが多いと思いますが、目の前の一段を着実に昇りましょう、奥羽・信越・常総列藩(?)同盟。
自衛隊や警察を必要以上に英雄視するのは好きじゃないけれど、でも大震災時の彼等の働きには心から敬意を表しています。否、彼等だけでは無く、爆発を起こした原発を処置すべく、中に入って行った人々等、自らの命をも顧みずに“闘った”人々に対して、自分の様な臆病者は顔向けが出来ない程。
50メートル手前で津波が引き、難を逃れたという御親戚の話、「生と死が紙一重だった。」という彼の大震災を象徴していますね。
随分前になりますが、そこそこ大きな地震が在った際、家人が買い物に行ったスーパー内のエレベーターが止まった事が在ったそうです。次に乗り込む積りで待っていた状況で、間一髪閉じ込められるのを免れたそうですが、中の人が救出されたのは30分近く後だったとか。其れ以降、家人は余程の事が無い限り、エレベーターには乗らなくなりました。
「耐え難い不幸に見舞われた人に対して、『頑張って!』等の励ましの言葉は逆効果になる事が多い。」という話を良く見聞します。言葉の掛け方1つ、又、言葉の受け取り方1つで、人間の思考はプラスにもマイナスにも転じてしまう可能性が在る。判ってはいるけれど、当事者となった場合には中々難しいですね。
早い復興を願うが2つ思っていることがある。
1、今は有事であると思っていない平和ボケ国民が足を引っ張っていないか。
2、急ぐことで神戸市長田区のような「ミスマッチ」が起こってしまうのは避けたいが、さまざまな「特区」その恐れがあるのでは
「私達は、多くの『絆』に支えられました。」、そんな趣旨の発言をTV番組で言う様にスタッフから求められた。新聞に載っていた被災者の声ですが、もし事実ならば其のスタッフは何を考えているのか?助け合いは大事だけれど、「助けられた事への感謝を強いる。」なんて言語道断。上から目線な雰囲気がしてしまって、本当に腹立たしい。
心理学の用語に「パーソナル・スペース」というのが在ります。コミュニケーションを取ろうとする相手が、自分に近付く事を許せる、自分の周りの空間。」を意味し、其の内側迄踏み入られると、人は強い圧迫感を感じるというのですが、励ます積りで“心中の”パーソナル・スペース迄踏み入ってしまうのはNG。
他者の不幸や苦しみに対して、気の毒さを感じる人は多いだろうけれど、其の他者の気持ちを心底理解するというのは難しい事。「当事者と全く同じ状況になってみないと、本当の気持ちは理解出来ない。」というのを、自分自身も経験から痛感しております。ですので、御辛い経験をされたAK様の御父様も、被災者への思いが特に強くなってしまわれるというのは判ります。
「相手に気を遣わせない様に、“程良い距離感”でサポートする。」というのは非常に難しい事では在りますが、兎にも角にも一時的なサポートでは無く、長期的に被災者の方々に寄り添って行ければ・・・と、微力な自分は思っております。