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「北米大陸最高峰マッキンリーを『デナリ』に改称 米政府」(8月31日、朝日新聞)
「北米大陸最高峰のマッキンリー(6,168m)をアラスカ先住民の呼び方『デナリ』に改称した。」とホワイト・ハウスが30日発表した。「偉大な物」を意味し、地元のアラスカ州政府が40年前から変更を求めていた。オバマ大統領が31日、同州で正式発表する。
1896年、付近で鉱山を捜していた男性が、共和党の大統領候補だったウィリアム・マッキンリー氏への支持を表明する為に名付けた。同氏は翌年、第25代大統領に就任した。然し、先住民は「デナリ」と呼んでおり、アラスカ州政府は1975年から、デナリを公式に使うよう連邦政府に要求。1980年、山を含む周りに「デナリ国立公園」を設けた。改称の理由につ付いて、ホワイト・ハウスは、「先住民にとって『聖域』で在り、マッキンリー大統領はアラスカに足を踏み入れた事は無い。」とした。
マッキンリーでは、世界的な冒険家だった植村直己さんが1984年2月、冬季単独登頂に成功後、消息を絶っている。
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子供の頃、滅多に食べられない高級な料理に、寿司とビフテキが在った。ビフテキは「ビーフ・ステーキ」の略称だが、今や共に気軽に食べられる料理に。
ビフテキという言葉が一般的に使われなくなってから、もう可成りになる。「ビフテキ」では無く、単に「ステーキ」と呼ぶ様になって暫くは、何とも言えない違和感を覚えた物。
「ビルマ」という国名が「ミャンマー」と呼ばれる様になったのは、今から26年前の1989年から。矢張り違和感を覚えたし、個人的には今でも「ビルマ」という呼称の方がしっくり来る。「街中で外国人の姿を見掛ける事が無かった小学生の頃、クラスにビルマからの転校生が来た。」という思い出が非常に強く、当時頭の中に刻まれた「ビルマ」という国名が忘れ難いからだろう。
先達て「グルジア」という国名が「ジョージア」と呼ぶ様に変わった際、「何か珈琲の名前みたいだなあ。」と思ったが、今度は「マッキンリー」が「デナリ」に変わるという事で、「『デナリ』って、『マネーの虎』【動画】に出てた高橋“がなり”氏とか、“えなり”かずき氏みたいだなあ。」という思いが。
自分の世代だと「マッキンリー」と言えば、「植村直己氏が亡くなられた山。」というイメージが強い。「マッキンリー」という呼称には独特の感慨を覚えるけれど、「デナリ」となってしまうと何か違う気がしたりする。
ただ、征服者が勝手に名付けたものを、元の現地語に戻すという意味では、先住民の中にはずっと違和感とともに屈辱感を持っていた人たちもいるでしょうから、やっと取り戻せるということになるでしょうね。
大航海時代以降、欧米列強が先住民を無視して、征服者の権限で勝手に名前を変えた例では、チョモランマ→エヴェレスト、ウルル→エアーズロック等、ようやく現地語名に復権している名称がありますね。
身近では「にっぽん」が「ジャパン」に。
日本人はおおらかだからあまり名称に固執しないのかな。
逆に「イギリス」を「英国」、「アメリカ」を「米国」と呼んでますしね(笑)。
でももし、富士山を「マウント・ペリー」なんて改称されていたらどうだったでしょうね。
今回の場合、先住民の屈辱感を払拭するという面が在りますので、改称自体は凄く理解出来ます。唯、ずっと慣れ親しんで来た呼称が変わってしまう、其れも全く異なった形にとなると、どうしても違和感を覚えてしまいます。
日本人の国民性として、妙な所には非常に拘るけれど、外国人からすると「其処は拘るべきでは?」と思う様な事柄に関しては、意外と淡泊って面は在るのかもしれませんね。「鬼畜米英」と憎悪していたのに、敗戦を迎えて進駐軍が遣って来ると、手の平を返した様に“ウエルカム・モード”になったなんていうのも、そんな所かと。
同じように、「グルジア」が「ソ連時代の呼称だから」、とジョージアに変わりました。これもアメリカの州みたいでなんだかなあ。
そういえば昔、過激派の知り合いは北海道を「アイヌモシリ」、日本を「日帝」と呼んでいた。韓国を「南朝鮮」、米国を「米帝」。今もそうだろうか・・・。
「日帝」とか「米帝」って表現、「そういうの在ったなあ。」と懐かしさめいた物を感じます。学生運動が盛んな頃を知らない世代ですが、子供の頃、渋谷辺りを歩いていると、小汚いトンネルの壁等に、そういう文字が躍ったポスターを良く見掛けたっけ。街頭で傷痍軍人と称される方々を、普通に見掛けていた時代の話です。
「オーストリア」と「オーストラリア」、小学生の頃は良く取り違えた物。「芸術家を多く輩出したのがオーストリアで、コアラが居るのはオーストラリア。」というイメージで、見極め方を覚えたっけ。