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「『鉄の女』サッチャー元英首相死去・・・英経済再生」(4月8日、読売新聞)
「鉄の女」の異名を持ち、強力な指導力で英国経済を立て直したマーガレット・サッチャー英元首相が8日死去した。87歳だった。元首相の報道担当者が、声明を発表した。
1925年、英イングランド東部グランサム生まれ。1959年の総選挙で初当選、下院議員になった。1975年の保守党党首選で英国初の女性党首となり、1979年の総選挙の保守党勝利で、英国史上初の女性首相となった。其の後、2度の総選挙にも勝って、1990年の辞任迄、首相在任期間は11年半に及び、20世紀以降の英国で最長期政権となった。
市場原理を重視し、「小さな政府」を目指す政策を掲げ、労働組合のストを抑え込み、国営企業の民営化を断行。又、大幅な金融制度自由化を実施する等、「サッチャリズム」と呼ばれる一連の政策で、「英国病」と呼ばれた、停滞していた英国経済を再生させた。
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「女性の指導者」と言えば、概して“御飾り”といった感じの人が多いのだけれど、サッチャー首相の場合は全く違った。「決断力」、「指導力」、「カリスマ性」、「華やかさ」等々、指導者に必要とされる要素を有し、1980年代を代表する、非常に印象深い政治家の1人だった。
彼女に対するイギリス国民の支持が強固になったのは、フォークランド紛争に対して毅然とした態度で臨んだ事が切っ掛けだったと思う。フォークランド諸島への軍隊派遣を決断した彼女は、「人命に代えてでも、我がイギリスの領土を守らなければならない。何故ならば、国際法が力の行使に打ち勝たねばならないからで在る。」と口にしたそうだが、「人命に代えてでも」という部分に抵抗は在るものの、一国の指導者として確りと“自らの見識”を示したという点では、役人や広報担当等の第三者が作り上げた文言を口にしているだけの指導者とは、別格の存在と言って良い。
政治の表舞台に登場しなくなってから10数年経った2008年、彼女の長女によって「認知症が進み、夫が死亡した事も忘れる程、記憶力が減退している。」事が明らかにされた。「頭脳明晰な彼女」と「認知症」というのが、個人的には全くリンクせず、非常に驚いたもの。と同時に、1980年代の国際政治の世界で、彼女と並んで「強さ」の象徴だったロナルド・レーガン大統領も、晩年には同じ認知症を罹患していたという事に、因縁めいた物を感じたりも。
サッチャー元首相が行って来た事柄には、評価出来ない部分も在る。経済政策で言えば、2度の不況を生み出す等、“劇薬的な面”も在ったので。唯、政治家としても1人の人間としても、非常に魅力的な人物だったのは確かだ。合掌。
この人達が登場する以前はサミットなど気にもしなかったけどこの人達のおかげで少しはサミットに注目する様になりました
しかし当時のヤスは露骨なほどアメリカ追随でしたね徴兵制を復活させてもおかしくないぐらいの勢いでしたね
サッチャー女史の御冥福を御祈りします
話しは変わりますがペレストロイカのゴルバチョフが余りロシア国民から評価されて無いと聞いた時はちゃっとビックリしました
話し合われた内容は別にして、1980年代に開催されたサミットは、首脳陣達の“役者振り”が際立っていました。其れ其れに“華”が在ったし、だからこそ多くの人達がサミットという舞台に注目した。でも、後になって「中身が余り無い、アピールの為の場だった。」事を思い知らされましたが。
ゴルバチョフ元大統領、日本に於ける評価とロシアに於ける評価とでは、可成りの差が在る様ですね。ゴルバチョフ元大統領が現れなかったならば、彼の国は色んな意味で“寒々しい状態”が今も続いていたと思うし、個人的には評価している指導者の1人です。
「小さな政府」を標榜し、「金持ち優遇」と「弱者切り捨て」を図る。日本でもそういう方向に向かっている感じがしますけれど、所謂サッチャリズムの負の部分と言えるでしょうね。此の点に於いては、自分もサッチャー元首相を評価していません。
唯、「自分の中で深く考え抜いた上、確固たる考えを主張し、そして実行する。」というスタンスは評価している。
でも、「其の結果として多くの人命を失わせてしまったのだから、評価してはいけないのかも。」という思いも在り、複雑では在ります。言えるのは、政治の世界を離れた彼女は、チャーミングな一面を持つ女性だったという事。彼女が来日した際に行われた講演会を見ましたが、其れを強く感じました。