ファンの方には大変申し訳無いが、自分は小泉進次郎氏と木村拓哉氏が好きでは無い。「中身が無い(様に感じられる)のに、意識して自分を大きく見せ様とする。」、「無闇矢鱈と格好を付けたがる。」等の共通点が、どうにも好きに成れないのだ。
「自分には中身が無い。」という事を自覚して、謙虚さを見せれば未だ可愛げが在るだろうに、「自分は凄いんだぞ!」という感じで却って自分を大きく見せ様とする。其の過程で"意味不明な言動"をしたりするのだから、少なからずの反感を買う。意味不明な言動をした事を素直に認めたり、又、謝罪すれば良いものを、妙な言い訳に明け暮れてしまうので、余計に反感を買う。正に、悪循環だ。
「そんな2人が又々、反感を買う言動をした。」と言う。小泉氏の場合は十八番の"小泉構文"が、そして木村拓哉氏の場合は「先日亡くなられた俳優・西田敏行氏に対し、ラジオ番組内で発した言葉。」に付いてだ。2人が好きでは無い自分だが、良く良く調べてみると、今回の件に関しては彼等に同情してしまうし、又、メディアに対して憤りを覚えた。
10月27日に投開票された『第50回衆議院議員総選挙』で自民党が大敗した事を受け、翌28日に小泉進次郎氏が自民党選挙対策委員長を辞任した。「"客寄せパンダ"の役割をも果たせずに、自民党は大敗してしまった。」のだから、選挙対策委員長を辞任する事自体は当然と思うが、「選挙対策委員長として大敗の原因の総括をもせず、大敗した翌日に辞任するというのは、"石破(茂)丸"という泥船を見限り、そそくさと逃げ出した。」としか、自分には思えない。
で、此の辞任をNHKニュースが公式Xで報じたのだが、其の見出しが「『職を辞すという辞表を提出した。』 起用から僅か1ヶ月 自民党の小泉選対委員長が衆院選敗北の責任を取りました。」という物。「勝利して勝つ。」みたいな、同じ意味合いの言葉を重ねるのも小泉構文の1つで在るが、「職を辞すという辞表」という言い方に対し、「又、小泉構文かよ!意味の無い事を言うな。」という反感を買ったそうだが、追って「小泉氏は実際、そんな言い方はしてなかった。」という声が上がった。
調べてみると、彼は「今、私は石破総裁とも御会いして、選対委員長としての此の結果の責任を受けて、えー、職を辞しますと、其の辞表を提出をして、受理して戴きました。」と言っている。珍しく小泉構文は使わない言い方で、「職を辞すという辞表」というのは、NHKサイドが小泉構文を揶揄し、"作り上げた言い回し"だろう。如何にも小泉氏が言いそうなフレーズでは在るが、「言ってもいない事を、メディアが実際に言った様に報じる。」のは駄目だ。
一方の木村拓哉氏だが、27日にTokyo FMで放送された「木村拓哉 Flow」で、共演経験も在る西田敏行氏に付いて「本当に沢山の笑顔を有難う御座いました。虹の橋を渡った向こう側では、屹度好きな音楽を聴き乍ら、大好きな御酒だったりとかを楽しんで戴きたいなと思いますね。」と追悼したそうだ。此の「虹の橋を渡る」という表現に対し、可成りの反感を買っている。
自分は此の番組を実際に聞いていないが、今回の報道を目にして「格好を付けて言ったのだろうけれど、亡くなった人間に対して『虹の橋を渡る』という表現は不味いだろ。」と思った。最近、良く使われる表現では在るが、「抑は、ペットの死後の世界を詠い、1959年に著された散文詩の中で、ペットが死後の世界に行く際に渡る橋の事を"虹の橋"と表現した。」事が始まりで、愛するペットに対して使うのは良いけれど、人に対して使うのはどうかと思われるからだ。反感を買ったのは矢張り此の部分で、「教養が無さ過ぎる。」といった批判が集まっている。
でも、批判に対して書かれたコメントの中には、「同放送で(木村氏は)、西田氏が嘗て飼っていて、何年か前に亡くなった愛犬に付いても触れていた。『亡くなったペットが、虹の橋の袂で"向こう”に渡らず、飼い主を待ち続けている。』と考える人も居り、木村氏はそういう意味で『待ち続けていた愛犬と一緒に、虹の橋を渡った。』と表現したのだろうに、意図的に"部分的な切り取り"をされた様に思う。」という趣旨の物が散見された。
上記した様に、自分は同放送を聞いていないので真偽の程は判らないが、若し意図的に"部分的な切り取り"をされた物で在るならば、流石にキムタクが気の毒だ。
マスコミの事を、"マスゴミ"と呼ぶ人が居る。そう揶揄されて仕方無いメディアも、確かに在る。でも、マスゴミという表現を好んで、且つ多用する人は"概して"、「自分にとって好ましく無い"事実"を報じるメディアは根拠無しに全てを『嘘だ!』と排除し、逆に好ましい事を報じるメディアは、仮令其れがデマで在っても『素晴らしい!』と全てを大絶賛する様な"ネトウヨ気質"("トランプ信者"と言い換える事も出来るが。)が異常に強い人が多い。」様に思う。
そういう人達にとっては、今回の様な"作り上げた言い回し"や"部分的な切り取り"が在ると、鬼の首を取った様に「だから、マスコミは全てマスゴミなんだ!!!」と騒ぎ立てる隙を与える事になる。「メディアは正確さを期した報道を貫かないと、巡り巡って"自分の首"を絞める事に成る。」と、肝に銘じて貰いたい。