「皇室にはシンパシーを感じないし、皇族の中には嫌いな人物も居る。そして何よりも、皇室や皇族を過剰に祭り上げる報道には不気味さすら感じる自分。」だが、例外的にシンパシーを感じていたのが、先日、100歳で亡くなられた三笠宮崇仁親王で在る。
昭和天皇の弟として生まれ、今上天皇の叔父に当たる彼は、太平洋戦争中に陸軍大尉として、南京の支那派遣軍総司令部勤務という経験を有している。彼の地で「日本軍の残虐行為」を見聞し、軍部を厳しく批判したり、(自らが身を置く)“皇室の閉鎖性”に疑問を呈したりもした。又、1950年代後半、「紀元節」復活への動きが具体的な物になって来た際、歴史家としての立場から、「神武天皇の即位は神話で在り、史実では無い。」と強く批判し、積極的に復活反対の論陣を張ったりもした。そんな姿勢が極右的な人達から嫌われ、“赤い宮様”と呼ばれたりも。
11年前の記事「初参拝」でも詳しく書いたが、所謂「南京事件」に関し、中国側が主張する白髪三千丈的な死者数は在り得ないし、全ての日本軍人が残虐行為に手を染めていたとも思わない。けれど、三笠宮崇仁親王を始めとして、日本軍関係者の間からも少なからずの証言が在る以上、彼の地で日本軍による残虐行為が全く無かったとするのは、余りにも非現実的だろう。
過去に何度も書いているが、「戦争とは、何れだけ多くの“敵”を殺したかが評価される、日常での常識や価値観等が通用しない異常な状況。」と考えている。戦中は日本軍だけで無く、他国の軍でも程度の差こそ在れ、残虐行為は在った筈。とは言え、だからと言って日本軍の残虐行為が許される訳でも無く、少なくとも“一般市民”を惨殺していたならば、其れはきちんと認め、「二度と繰り返してはいけない。」と心に刻み込むべきだろう。
殺した人間の数“だけ”に固執し、「中国側が主張する白髪三千丈的な死者数は在り得ない。そんなに多くは無いから、大虐殺では無い。」とか、中には「日本軍は、1人たりとも惨殺していない。」なんていう極論を吐く人が居る。アメリカ人が「『原爆投下では、死者数が約13万人~25万人にもなった。一般市民をこんなにも殺害した行為は、絶対に許さない。』と主張する日本人が居るけれど、此れ程多くの一般市民は亡くなっていない。(乃至は、一般人は一人も殺していない。)」なんて主張したら、彼等はどう思うのだろうか?「事実で無い事は、徹底的に否定する。でも、仮に好ましくない事で在っても、事実ならば事実として受け止める。」、其れが真面な人間で在る。
最後に、三笠宮崇仁親王が残された言葉の1つを紹介したい。何時の時代に在っても、留意しなければいけない事だと思う。
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「偽りを述べる者が愛国者と称えられ、真実を語る者が売国奴と罵られた世の中を、私は経験して来た。(中略)其れは過去の事だと安心してはおれない。もう既に、現実の問題として現われ始めているのではないか。紀元節復活論の如きは、其のその氷山の一角に過ぎぬのではあるまいか。」。
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本質的に戦前の美濃部氏の「天皇機関説」に近い主観でありますし。
そもそも「天皇などとっくに滅んでおれば良かった」とすら考えてます。
まぁ、存在が「世俗権力」と「宗教的権威」の分離を果たし、それがヨーロッパと似た封建制度を作ったのは理解してますが。
(中国の封建制は「血縁」。日本と西欧のそれは主従間の契約)それが一早い近代化させたとも思うています。
ロシアとか中国の帝政は、「政教一致」で、皇帝に絶対権力が集中してしまうから、「逃場」がない。故に国民に不満が集まると暴力革命しかなく、そういう社会だから本質的な近代化が出来ないのでしょう。
とはいえ……天皇が親政していた時期なんざ日本史では僅かであり、近代に至るまでの800年は武士の時代でした。なんで形だけ権威の皇室が滅びない?
ようするに彼らが「権力の移行」をスムースにする事で、内戦が悲惨になる事を避けてきた訳ですけど、その結果として、ズルズルの無責任体質というか、日本人を生温くしたと思うてます。フランス革命みたく国王を断首する激しさも、西欧人や中国人のような「徹底的な謀略」を実行する厳しさがない!
人間性に対する認識が甘い国民性を作ったと。
私は天皇が滅ばずに生き残った事が、日本人を弱くしたと考えています。
だからアングロ・サクソンには負けっぱしなのでは有りませんか?
「所謂“保守”と呼ばれる人でも、天皇嫌いは存在する。」、石原慎太郎氏の発言を見聞していると、彼もそういった1人の様に感じたりします。彼の言動には不快感を覚える事が少なく無いけれど、此の点ではシンパシーを感じたりも。
公家や皇室って、過去の歴史を振り返ると、結局“処世術の上手さ”が光っていたと思うんです。“名声”だけで、“金”や“実権力”が殆ど無かった時代には、武士等に代表される“実権力者”に阿ったり、実権力者の内部抗争を利用したりして、すいすいと生き延びて来た。既得権益の破壊を目論んでいた織田信長ですら、彼等を“実質的に”絶やす事が無かったのだから、海外からすると公家や皇室って面白い存在に映るのかもしれません。
ところが……
「日本人の同僚たち」がです、
「アブさん、日本に君主はいませんよ!」
「日本は民主国家です!」
「天皇陛下は国王じゃありませんよ!」
「外国の人に変な事を吹き込まないで」
と叱られました。
いや、別に「専制君主」とは言ってないのに。
だって象徴といえスメラギ(大王)を万世一系に戴いてきた国が「共和制」ではないでしょう?
私は万世一系なんて「カンケー無いね!」ですが、それを前提に今の日本国が成り立ってしまってます。内閣は天皇の承認で立てるものと法律で決まってるし。
だから疑えども「表面的に信じてるかの
ごとく」振る舞ってきました。
それが皇室大好きな人達から、「天皇は君主ではない!」と否定されてしまうと、じゃ、内閣を天皇が承認する根拠は何だよ!?
となってしまいます。
でも、中国からの留学生は私に賛同してくれるのに、良民である日本人同胞は「アブが間違っている」と言います。
悔しがっていると帰化した患者さんが、「アブさん、日本人なら空気を読まないと…」ですって💢😠💢
こういう時は、はいはい私は非国民ですよ!
と天に唾したくなります。私は安倍総理をそこそこ評価してますが、彼の政権になってから、
文化や歴史における同調圧力が高まった気がします。
皇室に関しては、色々な矛盾が存在していますが、個人的に最も嫌なのは、皇室を異常な程に持ち上げる風潮。「将軍様が現れた際、ペリカン達が一斉に敬礼した。」みたいな与太話を“国営放送”が事実として報じる某北の国を嘲笑していたコメンテーターが、直後に日本の皇族の在り得ないレヴェルの超人伝説を取り上げ、「流石です!」と褒め称える。「さっき迄、小馬鹿にしていた与太話と一緒じゃないか。」と思ってしまう訳ですが、彼等の中には「此れだけ皇室の素晴らしさを訴えている自分って、何て素晴らしいのだろう。」という自己陶酔が在るのでしょうけれど、そういう姿勢を他者にも潜在的に強いるのは、本当に勘弁して貰いたい。
“神話”の世界を“物語”として尊重するのは個人の勝手なれど、其れを国レヴェルで尊重させるのは不気味以外の何物でも無い。
「彼の政権になってから、文化や歴史に於ける同調圧力が高まった気がします。」というのは、全く同感です。多様性を一切認めず、自分達が信じる事柄だけを強いるというのは、非常に危うい事。