86年前の今日、即ち「1932年12月16日」の事。歳末大売出しとクリスマス・セールが重なり、店内は華やかな飾り付けが為された日本橋の或る百貨店が火事に見舞われた。此の百貨店は地下2階、地上8階の作りで、火元は4階の玩具売り場、出火時刻は午前9時15分頃とされている。
ポンプ車29台、梯子車3台等が駆け付け、消火に当たったが、梯子車の梯子は5階迄しか届かず、又、ポンプ車も送水圧力が上がらなかった事から、5階以上への放水が出来なかった事から、消化活動は困難を極めた。結局、4階以上を全焼させ、鎮火したのは約3時間後の午後12時過ぎだったと言う。
火災に見舞われたのは、江戸時代に起源を持つ「白木屋」(現在の「東急百貨店」の前身。)で、此の火事は「白木屋大火」と呼ばれている。逃げ遅れて亡くなった人の他に、迫り来る火から逃れ様として飛び降り、地面に叩き付けられて亡くなった人も。「死者14人、負傷者67人。」という惨事だった。
開店前の点検でクリスマス・ツリーの豆電球の故障が見付かり、開店直後に男性社員が修理し様とした際、誤って電線がソケットに触れてしまい、スパークによる火花がクリスマス・ツリーに飛び散り、そして着火。火は山積みにされていたセルロイド製の人形や玩具に燃え移り、あっと言う間に猛烈な火炎を上げたと言う。(此の火災が切っ掛けとなり、「セルロイド製の玩具は、燃え易くて危険。」という声が上がり、一時期、全国の百貨店の玩具売り場からセルロイド製の玩具が撤去されたとか。)
又、此の火災を教訓にして、神田消防署に特別救助隊(通称:レスキュー隊)の前身となる「専任救助隊」が編成される等、多くの影響が出た惨事で在ったが、或る“伝説”でも有名。
実は子供の頃、父親から此の伝説を聞かされた。「当時、着物姿の女性店員が多く、彼女達は下着を身に着けていなかった。なので、命綱に捕まって下に降り様としていた女性店員が、野次馬に陰部が晒されるのを防ぐべく、風で捲れる着物の裾を押さえ様とした所、誤って命綱を放してしまい、転落死してしまった。そういう悲劇が報道された事により、以降、下着の“ズロース”を履く女性が増え、日本の洋装化が進んだ。」と。
広く知られた「白木屋ズロース伝説」だが、「着物の裾を押さえ様とした所、命綱を放して墜落したのを目撃された女性店員は、実際には亡くなっていなかった。」とか、「日本でズロースが本格的に普及するのは、『白木屋大火』発生から10年近くも経ってから。」等、今では伝説自体に疑問が呈されているそうだ。