先達て、今年最後の忘年会を行った。学生時代の同級生がメンバーで、自分を含めて5人が参加。此の5人にもう1人を加えた合計6人が、機会を設けては飲む、気心の知れた同級生なのだ。
馬鹿話で盛り上がる一方、自分の親達に関する話題では、誰もが身につまされる物が在った様だ。今回の忘年会には参加出来なかった1人を含め、6人の中で両親共に存命なのは1人だけ。残る5人で言えば「父親だけが存命:2人、母親だけが存命:3人。」という状況で、平均寿命を考えると概して、片親を「夭折」という形で失っている。
親が揃って存命な1人は、両親が「年配」の頃合いに生まれた子供という事も在り、両親の年齢は残りの5人の親達よりも結構上。其れも在ってか、今年に入って両親共に認知症の症状が出始めた。
息子(同級生)の事は理解出来る様だが、一寸前に取った食事の事を忘れてしまい、再び食べ出そうとするのだとか。2人暮らししている両親の家とは、電車で1時間程の距離だが、妹さんと役割分担し、彼は週2回、仕事を終えてから介護に通っていると言う。
頑張り屋の彼故に、時折笑顔を浮かべて語ってはいたが、「もっと症状が酷くなったら、両親の家に“単身赴任”しなきゃいけなくなるかもなあ。」と口にした際には、表情に疲れを感じてしまった。
「家の父親も、認知症の症状が出始めてるんだよ。」と口にしたのは、父親だけが存命な1人。兄が父親と同居しているとはいえ、気掛かりで在ろう事は、其の表情から窺い知れた。
今回参加出来なかった1人は今年、母親を病気で亡くしている。同じ敷地内に住む父親も、健康状態が芳しいとは言えない様で、「大変だなあ・・・。」という思いが。
学生時代、「自分達が老いる。」なんていうのは、現実味を感じられなかった。「老いた親」というのも同様だ。「誰もが老いる。」、そんな当たり前の事に現実味を感じ始めたのは、中年と呼ばれる年代に入ってから暫くした頃。
特に何かが出来るという訳では無いけれど、老いた親達と向き合い、そして必死で頑張っている同級生達に、「御互いに頑張ろうぜ!」とエールを送りたい。
今年もよろしくお願いします・・とこの記事にあえてコメントするのが、今年(2013年)の折り紙らしいって思ってくだされませ!