一昨日投開票された「第25回参議院議員通常選挙」は、与党が前回の参院選よりも議席数を減らしたとはいえ、与党の圧勝に終わったと言って良いだろう。
今回の参院選で気になった事は幾つか在るが、「投票率が48.80%という低い数字から、「『政治に無関心な有権者が、こんなにも多いのか。』という失望感。」と「『1つの政策課題のみを争点に掲げる政党。』で在る“ワンイシュー政党”に、結構な票が集まった危うさ。」は、特に気になった。
後者で言えば、“NHKの在り方”のみを争点としている「NHKから国民を守る党」が代表例。「近年の政権寄りの報道姿勢。」や「ぼったくりの様な受信料制度。」等、自分もNHKの在り方には不満を持っているので、票が集まるのは理解出来ない訳では無い。でも、今年の統一地方選挙で同党から出馬した人達の主張を見聞する限り、「NHKの在り方に疑問を持っている。」という点では一致している様だが、排他的&極右的な物が結構目立っていた。「NHKは許せない!」という“1点”だけで票を投じると、気付いてみれば「“とんでも議員”を、多く増産してしまった。」なんて事にも成り兼ねない。
野党では「立憲民主党が、議席数を略倍増させた。」と喜んでいる様だが、「野党に与えられた“小さなパイ”の中から、“取り分”を多くしただけ。」で在る。“野党のパイ”を大きくする事無く、「野党の中で第1党になれれば良い。」という感じが同党から感じられるのは、本当に腹立たしい限り。こんな状態では、「次回の選挙で党勢拡大!」なんていうのは夢の又夢で、現状維持が良い所だろう。
本当に党勢を拡大したいなら、“敵”で在る自民党から学ぶ事も大事だと思う。敵の“良い面”は取り入れ、“悪い面”は他山の石とする。そうしないと、党勢拡大なんて出来る訳が無い。
自民党の良い面は、「アクションが早い。」という事。若い支持者の掘り起こしや集票の方策等、見事なスピードだ。「選挙が終わった直後から、次に向かって動き出している。」のが自民党としたら、「選挙が近付いて来てから、慌てて動き出す。」のが立憲民主党という感じ。
「アピールが上手。」というのも、自民党の良い面だろう。「実際には『1』の物を、恰も『10』で在るかの様に喧伝する。」のはどうかと思うが、でも、アピールが上手なのは事実。「立憲民主党は対案を出す事無く、与党に反対しているだけ。」というのは自民党が好んで主張する事だが、善く善く調べてみると対案が出されていない訳では無かったりする。又、「自民党が“独自の政策”として打ち出している物が、実は民主党時代の政策のパクリだった。」という事も在ったりするのだから、そういうのは立憲民主党として、きちんとアピールすべきだろう。
嘗ての自民党が凄かったのは、党内に「右も居れば、左も中道も居るという多様さ。」だ。だから、「右が強くなり過ぎたら、左や中道に寄る。逆に左が強くなり過ぎたら、右や中道に寄る。」という形で、“党内での政権交代”が行われた。
でも、今の自民党は「幼稚な王様・安倍晋三首相が強大な力を持ち、彼の言動には無条件で従う党。」になっている。多様さが全く無い政党に対し、「我々と少しでも違う考えの人間、又は我々を裏切った人間は、絶対に許さない!」という姿勢を変えない立憲民主党では、差別化が図れない。「右も居れば、左も中道も居る。」という今の自民党には無い、そして嘗ての自民党には在った多様さを打ち出す事で、より多くの支持者を集められると思う。
「だけど、民主党時代は考えがバラバラで、だからこそ内部抗争が続出し、結果として分裂したのでは?」という声も在ろう。確かにそうだ。そういう所に、多くの有権者は失望した。
けれど、「嘗ての自民党も“普段”は決して一枚岩では無かったけれど、徹底的に議論した上で結論が出れば、皆が従った。」という“大人の面”が在った訳で、立憲民主党はそういう形にして行く必要が在る。「過去の恩讐を超えて、大きな組織の立憲民主党が、小さな組織の国民民主党に『一緒に闘おう。』と頭を下げ、『腹蔵無く議論を尽くした上で出された結論に対しては、党として1つに纏まる。』事を“党是”とし、1つになる。」事が必要。
そうじゃ無いと、国民民主党は自民党の“草刈り場”となり、玉木雄一郎党首(敵に回した場合、安倍晋三首相が非常に苦手とするタイプでも在る。)の様な有能な人材が自民党に流れる事も。
“言うだけ番長”の狡い男・小泉進次郎氏だが、人の耳目を引く人物なのは確か。立憲民主党も彼の様なインフルエンサーを育成する必要が在る。勿論、彼とは異なり、中身を兼ね備えた人物に限るが。
そして、選挙に出馬させる人物も厳選しないと駄目。「有名人で在れば、誰でも良い。」というのは最悪だ。具体名を挙げて申し訳無いが、今回の選挙で同党から出馬した市井紗耶香さんなんぞは、絶対に選んではいけないタイプ。幾つか理由は在るが、最も大きな理由は「落選後、全く表に出ず、コメントも出さなかった。」事。「落選して、表に出るのは辛い。」という気持ちは判らないでも無いけれど、「一緒になって必死で闘ったスタッフ、そして何よりも自身に投票してくれた有権者の存在を考えれば、落選したらしたできちんと表に出て、コメントを出す。」というのが、人として当たり前の事だろう。
「当選したら表に出てコメントを出しますが、落選したら全くしません。」というのでは、選挙期間中に何を訴え様とも、「結局、“腰掛け感覚”で出馬しただけで、次の選挙の事なんかはどうでも良いんだな。」としか思えない。有名人で在ろうが無かろうが、こんな“強い覚悟の無い人”を、候補に選んではいけないと思う。