ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

ズバリ聞きます!(52)

2016年04月03日 | 「ズバリ聞きます!」

大学時代、法律の授業で講師弁護士が良く口にしていたのは、「法の不遡及」に付いてだった。実行時に適法で在った行為を、事後に定めた法令にて遡る事で違法として処罰する事、乃至は、実行時よりも後に定めた法令によって、より厳しい罰に処す事を禁止する。という、法律解釈大前提だ。此の大前提が守られなければ、為政者が自分にとって不都合な人間等を葬り去る 為、法令を変更した上、時間を遡って其れを適用させる。」という事が出来てしまうから。

 

先日、「朝霞中学生行方不明事件」の容疑者として、23歳の男性Aが逮捕された。13歳の女子中学生を2年以上も監禁したというのは絶対に許されない事で在り、(犯行が事実ならば)Aは法律によって断罪されなければならない。

 

Aの身柄確保されたのは、(女子中学生が保護された日の翌日の)先月28日だった。そして、Aが在籍して“いた”千葉大学では29日に臨時教授会が開かれ、「一旦、卒業認定及び学位授与を取り消し、卒業を留保する。」との決定が下される。(因みにAが逮捕されたのは、其の2日後の3月31日。)

 

此の卒業取り消し報じられた際、自分は強い違和感覚えた。「社会規範遵守を破った。」という理由での“卒業取り消し”は「在り。」だと思うのだが、卒業式は身柄確保の5日前、即ち3月23日に済んでおり、既に認められた卒業が、時間を遡って取り消された事になるからだ。

 

4月2日付けの東京新聞(朝刊)に「誘拐事件で千葉大 規定ないのに卒業取り消し!?」という記事が載っており、今回の千葉大の決定に付いて賛否両論巻き起こっている様だ。

 

自分と同様、「既に卒業認定されているのに、遡って取り消す。」という事への違和感に加え、千葉大の学則には「卒業の認定は、学年又は学期の終わりに、当該学部の教授会の意見を聴いて、学長が行う。」と規定されており、「、“卒業認定後の扱い”に付いては触れられていないのだから、おかしな処分だ。」という声も。

 

(千葉大の)別の規定に「学年は、4月1日に始まり、翌年3月31日に終わる。」と在る事から、「3月31日は学年中なのだから、卒業の取り消しは問題無い。」というのが千葉大の理屈らしい。規定に無い「卒業留保」という措置採る事で、Aの千葉大生としての身分は続き、今後の捜査の進展や司法判断を考慮した上で、(千葉大が設置した)「学生懲戒委員会」が放学等の処分を決めるそうだ。

 

警察関係者が問題を起こした際、問題が発覚する前に当人が警察を辞めていた事にして、退職金を受け取れる様にする。」といった話を、良く見聞する。、警察だけでは無く、一般企業でも在る事だ。「時間を遡り、事実を曲げる。」というのは、個人的にどうしても納得出来ない。

 

今回の千葉大の決定に対し、「当然の判断だ。」といった声も在る様で、卒業取り消しという決定がされなければされなかったで、「どうなっているんだ!」という声も上がるだろう。“リスク・ヘッジ”の観点からすれば、千葉大の決定は理解出来なくも無いが・・・。

 

其処で皆様にズバリ聞きます!今回の千葉大の決定をどう思いますか?


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6 コメント

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放学は無理 (村長)
2016-04-03 13:21:52
 千葉大の関係者で無くとも卒業名簿から名前を消したいのは大多数の感情。でも我が国は法治国家(を目指す国)であるから、それは無理です。
 法律は素人ですが、「疑わしきは罰せず」、「事後法の禁止」は絶対でしょう。
 まあ、容疑者の学歴から大学名を消したい気持ちはわかりますが・・・
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>村長様 (giants-55)
2016-04-03 14:29:47
書き込み有難う御座いました。

心情的には判らなくも無いけれど、仰る様に「疑わしきは罰せず」及び「事後法の禁止」の観点から、卒業の取り消し&放学は無理だと思います。政治の世界では「法律を蔑ろにし、恣意的に解釈する傾向が強まっている。」だけに、余計に千葉大にはきちんと法に則った対応をして貰いたいです。
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素人意見ですが ()
2016-04-03 22:29:17
法治主義が、どこから始まったか、ほとんど専門はありませんが、キリスト教における、西洋への価値の拡大と成熟とは、契約と深い関係があると思うのですよ。だから、権力の統制を超える契約における、関係は、重視されねばならず、それゆえに、利害を調整するような事後対応が出来るような、人間的な関係は、この際、自重すべきだと思います。

宗教における法とは、近代国家とその体制に及ぼして来た影響は大きいので、契約には、その履行をこそ、人的判断や弁護士の意欲と能力によって、刑の軽重が定まる流動的な法の闘争、よりも、重要視されるべきだと思います。

大学の専門知識の習得と、卒業認定の取り消し、というのは、どこをどう取っても対応するものはありません。大学側の面子とか、そういう事ではないと思いますし、ましてや制裁の意味合いを、公立学校が担うべきではありません。法曹の枠組みの中で、制裁も刑罰も決まっているものでしょう。
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>隆様 (giants-55)
2016-04-04 03:37:29
書き込み有難う御座いました。

どんな問題にも色々な切り口が在ると思うのですが、大事なのは「感情よりも法律で定められた事柄を最優先して、問題の解決を図る。」という事だと思うのです。そういう意味で、「利害を調整する様な、事後対応が出来る様な、人間的な関係。」なんていうのは、正に感情を最優先させた方法でしょうし、仰る様に自重すべきでしょうね。
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お仕置きをきめるのは裁判所 (雫石鉄也)
2016-04-05 09:50:21
誘拐容疑者が、卒業に足る単位を取って、卒業したのであれば卒業させるべきだと思います。卒業取り消しは大学なりのお仕置きの意味もあるのでしょう。
容疑者は卒業後だから大学を出た人です。そんな人に大学がお仕置きを加えるのは違和感を覚えます。
日本の場合、犯罪が発生し、容疑者は逮捕された段階で、マスコミに実名と顔が公表されます。こうなると、容疑者は社会的なお仕置きを受けるわけです。犯罪者扱いです。容疑者はあくまで容疑者であって、犯罪者と決まったわけではありません。
容疑者を犯罪者と断定して、お仕置きを決めるのは、裁判所であって、大学ではなく、国民でも、マスコミでもありません。現状はマスコミ、国民が容疑者にリンチを加えているのと変わりません。裁判ではっきり有罪と決まるまで、実名、顔写真の公表は行うべきではないと考えます。
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>雫石鉄也様 (giants-55)
2016-04-05 22:42:55
書き込み有難う御座いました。

近年、問題が発覚すると、一般国民が“集団リンチ”の如く、当事者をバッシングする風潮が在りますよね。何度か此処で書いている様に、国民の生殺与奪権を握っている政治家等、強権の在る人物達が起した問題で、且つ異性問題等、当事者の間で解決されれば良い話“で無ければ”、或る程度の非難は仕方無いと考えています。

今回の事件、“加害者”には強い怒りを覚えますが、でも、逮捕された人物は未だ“容疑者”の段階で在り、“加害者”と裁判によって確定した訳では無い。「疑わしきは罰せず。」という法の大原則を守らないのは、法治国家として未成熟と言えましょう。
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