ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

「青天を衝け」の総評

2021年12月27日 | TV番組関連

大河ドラマの第60作として今年2月14日に放送開始となった「青天を衝け」が、昨夜放送の第41回で最終回を迎えた。今日は、此の作品の総評を書く。

「青天を衝け」は、「“日本資本主義の父”とも称される渋沢栄一氏を主人公に、幕末から明治を描いた作品。」だ。放送開始となる以前に、渋沢栄一氏の名前は知っていたけれど、詳しい業績は知らなかった。同様の人は少なく無かったと思うし、彼の存在自体を知らない人だって、結構ただろう。

過去の大河ドラマを振り返ると、織田信長豊臣秀吉徳川家康等々、「誰もが知っていると言って良い歴史上の人物。」が何度も主人公に取り上げられている一方で、古くは原田甲斐、最近では金栗四三氏や田畑政治氏といった、一般的な知名度が決して高くは無い人物が取り上げられる事も在った。今回の渋沢栄一氏は後者当該するが、「もっと広く知られていても良い人物を取り上げ、其の業績を深く知って貰う。」というのも、大河ドラマの存在意義の1つだと思う(内容として、面白いor面白く無いは別にして。)。

私利私欲の様なリーダー達が跋扈する現代だが、日本及び日本人のにだけでは無く、世界的な見地から物事を考え、“自分”という物を捨てて、必死で取り組んでいる渋沢氏の姿。」には心を打たれた。彼だって元々そういう生き方をしていた訳では無く、若かりし頃は「尊王攘夷」という“近視眼思考”に捉われ異国人を排除する事に前のめりになっていたのだから。でも、様々な人と出会い、又、異国で経験を積んだ事で視野が広がって行く。そういう変化を丁寧に描いていたのは、「近視眼的な思考に捉われ、多様性一切認めない人が、世界的に増えている今。」だからこそ、非常に良かった。

こう書くと、渋沢栄一氏の事を“完全無欠な人物”の様に思われ様が、「女性関係が派手だった。(愛人が複数人居て、彼女達が産んだ者も含めると、50人を超える子供が居たとも。)」、「彼の次男・渋沢篤二氏は素行(特に女性関係)の悪さが原因で、栄一氏によって廃嫡された。」等、“マイナス面”も確り描かれていた。こういう“人間臭い部分”をきちんと取り上げていたのも、結果的には良かったと思う。

ドラマで重要な役所の人物が亡くなった際、其の場面を描く事無く、ナレーションで亡くなった事を伝えるだけという演出。」を「ナレ死」と呼んだりする。昔の大河ドラマでは、重要な役所の人物が亡くなる際には、「死の床に就いている姿から始まり、息絶える迄を描き切った。」物だけれど、第55作の「真田丸」以降、ナレ死が増えて来た。今回の「青天を衝け」ではナレ死のオン・パレードで、「こんな重要人物迄もがナレ死かあ・・・。」と意外に感じたりも。そういう描き方の方が、逆に余韻が残るのかも知れないが。

近代を舞台にした大河ドラマは、視聴率が稼げない。」というジンクスに加え、一般的な知名度が低い主人公という事も在って、「大丈夫かなあ。」という不安の思いで見始めた「青天を衝け」。初回放送を見終えた時点でも「全体的に地味だし、大丈夫かなあ。」という思いになったけれど、全体を通して言えば、そう悪い作品では無かった

不満だったのは「最後の将軍徳川慶喜を、英明な人物だった。」という感じで持ち上げていた事。そういう評価をする人が、近年出て来ているけれど、個人的に「自分を常に最優先させ、“部下達”を見捨てた卑怯者。」という印象は、昔から今に到っても、全く変わらないので。


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