一言に「軍歌」と言っても、其の定義は色々在る様だ。今回の記事で紹介する軍歌は、此方で紹介されている様に、所謂「流行歌」も含んだ、広義の物としている。
で、自分は軍歌が好き。「軍歌が好き。」と言うと、人によっては“好戦的な人”と誤解されそうだが、自分は争い事が大嫌いな人間だ。「責められるべきは『軍歌を利用し、国民の戦意高揚を図り、不毛な戦争へと導いた為政者達。』で在り、作品としての軍歌が責められるのは筋違い。」と考えている。
「軍歌を利用し、国民の戦意高揚を図った。」と記したけれど、実は此方にも書かれている様に、軍歌には戦意高揚的な物では無く、寧ろ物悲しくて、厭戦的な物が結構在ったりもする。自分が好きな軍歌というのは、そういう哀愁を帯びた作品や、曲調や詩自体に美しさを感じる作品なのだ。
自分が好きな軍歌を、ベスト10形式で紹介する。
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「軍歌ベスト10」
1位: 「あゝモンテンルパの夜は更けて」【歌】
10位:「ほんとにほんとにご苦労ね」【歌】
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とはいえ、実は私も軍歌が好きで(苦笑)。
giants-55さんの10選に入っている以外でも、「雪の進軍」や「若鷲の歌」「加藤隼戦闘隊」「ラバウル小唄 」等々いくつも好きな軍歌があります。
「雪の進軍」の最後の一節、「そろりそろりと頚(くび)締めかかる どうせ生かして還さぬ積り」は、兵士を消耗品とみなす軍隊を皮肉るように聞こえ、よくこれが軍歌として堂々と歌われたな、と驚いたもの。
トップ1、2に選んでおられる2曲は、軍歌というより戦後の望郷の歌、反戦歌と私は理解しています。
逆に「海ゆかば」は、天皇のためなら野に屍をさらしても悔いはない、という歌詞にやるせなさを感じ、どうにも好きになれません。
曲だけなら好きなんですけどね。
もう一つ好きなものに「討匪行」を忘れてました。
「海行かば」の件、自分も全く同感です。詩自体には抵抗が在るものの、曲調が大好きなんです。
「加藤隼戦闘隊」も良い歌ですよね。
「戦友」や「同期の桜」は、歌っていた兵士達の遣り切れない思いが、歌詞の“裏側”からひしひしと感じられ、堪らなくなります。
私の好きな軍歌で、giants-55さんが挙げたもの以外を並べてみます。
「あゝ紅の血は燃ゆる」
「若鷲の歌」
「加藤隼戦闘隊」
「出征兵士を送る歌」
「月月火水木金金」
「戦友の遺骨を抱いて」
「暁に祈る」
「昭和維新の歌(青年日本の歌)」
giants-55さんが書かれている通り、>軍歌には戦意高揚的な物では無く、寧ろ物悲しくて、厭戦的な物が結構在ったりもする…
は、まさにその通りだと思います。
鶴田浩二がセリフのみで語る「同期の桜」は、家城巳代治監督の反戦映画の秀作「雲流るる果てに」のラストに登場する、特攻兵士・鶴田浩二の遺書と文面がほぼ同じで、この歌(語り?)を聴く度に、この映画を思い出して胸が痛くなってきます。
「戦友」「戦友の遺骨を抱いて」は、共にアイ・ジョージさんが哀愁味たっぷりに熱唱しておりますが、どちらも戦争の過酷な状況を伝えており、これも上の条件に合っていると思います。
むしろ戦争を知らない若い世代にこそ、これらの歌を聴かせてあげたくなりますね。
以前、仲の良い友人から、「〇〇(自分の事)は皇室が嫌いな左翼だからなあ。」と言われた事が在ります。「皇室を異常な程持ち上げる風潮が苦手な事は言っていたし、右or左の何方で言えば、左寄りな人間で在る。」事は意識していたけれど、自分としては「極端な主義&主張をし、且つ他者に其れ等を強いる事が多い極左や極右は苦手なれど、是々非々で物事を捉えるニュートラルな人間。」という思いが在りましたので、一寸ショックでした。勿論、其の友人は冗談めかして言った事なのですが。
事程左様に、「〇〇=XX」という決め付けにはうんざりしている部分が在るし、だからこそ「血液型別性格判断」みたいな胡散臭い物には共感を覚えない。「軍歌」に関しても、「好き。」と言うと、妙な勘繰りをされてしまう事が在り、困ってしまいます。
「若鷲の歌」及び「加藤隼戦闘隊」は、上で悠々遊様も「好きな歌。」と挙げられておりますし、良い歌ですよね。
曲調や歌詞から、当時の兵士達の遣り切れない思いが伝わって来る。軍歌は、そういう一面が在ると思います。
軍歌が好き?
貴兄らは戦争を嘗めてませんか?
私の父は特攻隊で、飛行機が払拭した故に生き延びましたが、沢山の先輩の出撃を見送り、自分が戦後に生き延びて、家庭を持った事に、死期の迫る今でも罪悪感を背負って生きている。
貴方がたは殺し会う事を何だと思ってますか?
よくも。まぁ、軍歌が好きとかリベラルの癖に言えますね。
私は言いたい事は山ほどあるが、一点だけに絞ります。
難民キャンプを訪れた事があると書いた事がある。そこで、俺は人を殺した。
栄養失調で死にかけた子供が可哀想で、持っていたチョコやアメを与えた。
子供はその場で痙攣して死んだ。
国境なき医師団のフランス人医師に殴られた。
フランス語が解らない部分はけど、
「お前が殺したんだ!」
行ってるのは解った。
極度の栄養失調な子供に高カロリーの糖分を与えると、身体のphと電解質が極端に変化してショック死するんですよ。
パキスタンのトライバルエリア(北部辺境部族自治区)に汗血馬を求めて行った時(アフガン紛争の最中)に恐らく人を殺したと思う。
国道から一歩はなれるとパキスタンの国法が適用されず、部族・氏族のアガ(酋長)が人治主義で君臨する地域。
急病人があり、路上で9女を求めた。
ひろってくれたのは、パキスタン軍の装甲へいいん輸送車だった。彼らは俊で殺人を犯した犯人を護送してました。
部族の軍閥が割拠する当地では、引き渡すまいと山地で部族の兵が待ち受けていました。
囲まれた!
その時に英語を話す将校から自動小銃を渡されて言われた。
「貴兄らは関係がない。一緒に戦えとは強要できない。だが彼らは政府と一戦を覚悟して犯人奪還にきている。我々が敗北した時には、口封じの為に君らを射殺する可能性が高い。
君は日本軍(自衛隊)のスナイパーだったと聞く。一緒に行こう戦ってくれないか?」
私は死にたくなかった。
カラシニコフを受け取った。
その晩に夜襲を受けた。
私は匍匐してくる人影に撃った。
幸い夜明けとともに救援部隊が到着して、部族兵は撤退した。
私が撃った射程に数人の死体があった。
狂乱の銃撃戦だったので、ダレノ弾なのか解らない!!
でも…射手には「手応え」がある。
それが致命傷が導火は解りませんが、手応えがあった。殺したのかは?だけど、人を売ったのは間違いがない。
今でも夢に見て新谷に起きる。汗まみれで。
軍歌が好き?
貴方がたは戦争を嘗めてませんか?
何がリベラルだよ!
そんな感傷で語るような甘い現実じゃねーよ!
殺しあいと言うのは!!!
帰国後、私は精神科病院に入院した。
夜中に壁を無意識に殴り、拳が骨折した時に、
抱き締めてくれた看護が私の嫁でした。
軍歌が好き?
戦争を嘗めるのも大概にしろよ!!!
右翼だけど、どれくらい戦争が嫌いだか、あんたらには解らない。
必死で伏せる。
次の瞬間に、内臓や肉片と血がふきそそぐ。
一面に鉄の臭いがする。ヘモグロビンの臭いが。引き裂かれた腹から漏れた、消化物の酸化した臭いと大便の臭いが満ちる。
光景は描きたくもない。それが戦闘の真実ですよ。戦歌など嘘だ!!
今回の書き込み、此方が“御願いしたルール”に違う内容ですが、どうにもルールを理解して戴けない様ですので、“最後の説明”の為に敢えて反映させました。
「書き込みした際、『コメントを投稿する』というボタンを“結果的に”連打されている様で、全く同じ書き込みが幾つもされている。『同じタイトルで書かれていても、若しかしたら内容を少し変えておられる可能性が在る。』という事から、1つ1つ内容で確認しなくてはならず、管理に手間が掛かるので、何とかして欲しい。」という御願いもしたのですが、以降も何度か続き、今回に関しては「軍歌が好き?」が4つ、「戦闘の現実はこれだ!」は3つ重複投稿されていました。アブダビ様の場合、どうも激した内容を書かれる際、こういった傾向が強く表れる気が、過去の重複を見ると感じられます。
で、本題に入りますが、アブダビ様は決め付けが過ぎると思います。自分もそうですが、此の記事に書き込みを寄せて下さった方は、誰も戦争を肯定なんかしていません。(誰が戦争を褒めてなんかいますか?)寧ろ争い事が嫌いとも書いています。アブダビ様の論理で言えば、「赤色の服を着ている人は、皆共産主義者だ!」、「野球ファンを名乗るなら、全てジャイアンツ・ファンでなければおかしい!」という様な極めて乱暴で、意味不明な決め付けと同じではないでしょうか?
「或る場所に、静かな音楽が流れ、皆が穏やかに談笑する喫茶店が在る。其処に或る日、2人連れが大声で怒鳴り合い乍ら入って来ました。どうも、他の店で喧嘩になり、其の儘、来店した様です。『てめえ、地獄に落ちろ!』、『死ね!』等と罵詈雑言を飛ばしている。」という場面を、冷静に想像して下さい。そういう場所に居合わせた“全く無関係な人達は、どう感じるでしょうか?又、そういう人達は、此の喫茶店に再び来る気になるでしょうか?
或る喫茶店を“当ブログ”、他の店を“他のブログ”、そして罵詈雑言を飛ばす人物を“アブダビ”様と考えて下さい。此れはアブダビ様が実際に、他のブログや当ブログでされた事。アブダビ様が他のブログで或る方の書き込みにより不快な思いをされた事や、他のブログ主の方を擁護されたい御気持ちが在ったで在ろう事は理解出来ますが、ブログを覗かれているのはアブダビ様だけでは無く、其の他大勢の方なんです。当ブログにも在り難い事に、少なからずの愛読者が居られますが、そういう方達にとっては、アブダビ様の憤り等は、申し訳無いけれどどうでも良い事で在り、其れが故に他のブログでのトラブルを書かれたり(「XXさんのblogで、あの方に謝罪したい方に、『俺のコメントを利用するな!』『ふざけんなよ!』と罵る言葉を連続投稿をいたしました。今でもムカついている。」という書き込みなんか、其の典型。)しても困るし、況してや当ブログで勝手な決め付けをされた上、過激な書き込みをされたら、怖いだけだと思われませんか?(以前、アブダビ様の書き込みに対し、10人の方が書き込みを寄せられたと書きましたよね。彼等は「アブダビ様を排除して欲しい!」なんて書いていた訳では無く、「ああいう過激な書き込みをされると、怖くて書き込みし辛くなる。以前の様に、楽しく書き込み出来る様な場に戻して欲しいので、一言御願いして貰えないだろうか?」という柔らかな依頼でした。決してアブダビ様の排除を求めた内容では無かった事を記しておきます。)何度も書きますが、此処は勝手な決め付けをしたり、罵詈雑言で溢れる2ちゃんねるでは無いし、そういう場にはしたく在りません。アブダビ様の書き込みには興味深い物が少なく無かったし、在り難いとも思っていますが、“当たり前のルール”を守って戴けない以上、以降の書き込みを控えて戴きたいと思います。何度も書きますが、此処はアブダビ様だけの場では無く、多くの方が“ルールを守った上”で自由闊達に書き込み“したくなる”場にしたいからです。其の点を御理解下さい。
最後に、此れ迄沢山の書き込みを有難う御座いました。そして、元自衛官で在り、体育会系のアブダビ様なら判って戴けると思いますが、管理者として“最終ジャッジ”を下しましたので、粛々と其のジャッジに従って戴きます事を御願いします。(アブダビ様は以前、「管理者が下したジャッジには従う。」と書かれておりましたので、其の辺は大丈夫だとは思いますが。)今回の最終ジャッジに関して、どうこう書かれましても返答に困りますし、申し訳在りませんが以降は書き込みをされても読まない儘、削除とさせて戴きます事も、併せて御理解下さい。