今でこそ様々なスポーツの情報が得られるけれど、自分が幼かった頃は意識して接しない限り、情報が得られるスポーツなんて本当に少なかった。そんな数少ない1つで在り、又、多くの国民が愛していたスポーツがプロ野球だった。父親が夢中になって中継を見ていた事も在って、自然と自分もプロ野球を見る様に。個性的な選手達や監督達の一挙手一投足は、ウン十年経った今も忘れられない。
そんな時代の“野球人”が此処数年、次々と鬼籍に入られている。ぱっと頭に浮かぶだけでも上田利治氏、星野仙一氏、衣笠祥雄氏、金田正一氏・・・。自分もそんな年齢になったという事だが、彼等の訃報に触れると、何とも言えない寂しさを感じる。
そして今日、又1人の野球人が鬼籍に入られた。「一流選手、必ずしも一流監督に非ず。」とは使い古された表現だけれど、其の例外的な1人・野村克也氏の訃報。今日未明、自宅の浴槽の中でぐったりしている“ノムさん”を家政婦が見付け、搬送された病院で死亡が確認されたと言う。死因は、3年前に亡くなられた夫人と同じ虚血性心不全。享年84。4日の記事「medium 霊媒探偵城塚翡翠」の中で「有名人の孤独死が増えているなあ。」という思いを書いたけれど、又しても・・・。
「王(貞治)が存在しなければ、日本プロ野球の打撃に関する記録の多くは自分が1位。」とノムさん自身が良くぼやいていた様に、通算ホームラン数等、打撃に関する多くの記録でノムさんは2位。選手としては晩年の頃の記憶しか無いけれど、選手として超一流だったのは間違い無い。
又、監督としても超一流だった。データを重視する「ID野球」をスローガンに掲げ、“考える野球”をコーチや選手達に徹底指導。弱いチームを強いチームに変え、ID野球は今のプロ野球でも生き続けている。ノムさんが好んで使っていた格言「勝ちに、不思議な勝ち在り。負けに、不思議な負け無し。」は、其の通りだと思う。
解説者時代の「ノムラ・スコープ」は、実に斬新だった。「ストライク・ゾーンを9分割し、配球を予想するスタイル。」は今や一般的となったが、導入したのはノムさんだ。単に予想するのでは無く、「どうして、そういう配球になるのか?」を“理論的”に説明し、的中率は非常に高かった。“考えるる野球”の面白さを、野球ファンにも教えてくれた人。
「セ・リーグのONが常に華やかなスポットライトを浴び続ける一方で、パ・リーグ(今の若い人達には信じられない事だろうが、当時のパ・リーグは本当に人気が無かった。)の自分はどんなに凄い記録を作っても、大きく取り上げて貰えない。」、そんな悔しさから、有名な「王(貞治)や長嶋(茂雄)が向日葵ならば、俺は日本海にひっそり咲く月見草。」という言葉を使うようになった。ONの華やかさに対し、自身の地味さを卑下した言葉と言えるが、実は月見草、決して地味な存在では無い。とても可憐な多年草で在る事を知っていたのだとしたら、ノムさんの矜持だったのだろう。
「口はとても悪いが、実に正直な人。」というのが、ノムさんの印象。非常に照れ屋だからこそ、照れ隠しで嫌味を言ってしまう。そんな人だった様に思う。
プロ野球界に大きな功績を残した“月見草”逝く。合掌。