ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

善意の押し付け

2009年06月06日 | 其の他
2年前、アメリカシンクタンクシカゴ地球問題評議会」が日本、アメリカ、そして中国3ヶ国を対象に「世界の中で責任在る行動を取る事への信頼度」を世界16ヶ国の市民に聞いた所、「大いに」と「或る程度」を合わせ日本への信頼度は平均46%となり、アメリカ(同41%)、中国(同38%)を上回ったという報道が為された。何やかんや言っても「日本」という国が好きだし、自国が他から高い評価を受けるのは嬉しい。自虐史観雁字搦めになってしまうのは好ましい事と思えないので、多くの日本人、特に若い人達にはこの結果に自信を持って貰いたい。

自虐史観も好きでは無いが、「自国の行った事は全て正しいとする史観」も好きでは無い。通り魔事件の様に被害者サイドに全く落ち度が無いケースも勿論在るが、人間社会で発生したトラブルでは片方だけが全面的に悪いというケースは希有だと思う。便宜的に「加害者」及び「被害者」という区分けをしたとしても、被害者にも何等かの責任が在るというケース“も”在るのではないだろうか。人間が関わっている以上、潜在的にせよ「欲望」や「下心」が介在している物で、それを巡って起こったトラブルならば、片方だけが全面的に悪いという事は無いと考える。

第二次世界大戦での日本に関しては、負けた国という事で「悪」の立場で評されるのが一般的と言っても良い。古今東西、「勝てば官軍、負ければ賊軍」が「戦に於ける一般評価」なれば、日本が悪の立場で評されるのも“或る程度は”仕方無いと思うが、と言って「全て日本の為した事は悪。」とされてしまうのも違うと思う。な思いから戦争に加担した連中も居ろうが、純粋に他者の為を思って戦争に身を投じた物も居る。その点は理解しないといけないだろう。

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大化の改新太平洋戦争、そして現在-三つの時代の、三つの殺人。】

編集者の長谷見明は、実家が営む料亭の屋根裏で、天才画家と呼ばれ、沖縄で戦死した祖父の絵を発見。描かれていたのは飛鳥時代に殺された有間皇子で在った。奇妙な召集命令を受けた祖父が、その絵に込めた思いとは?明が、雑誌企画「私たちの戦争」の取材を始めた矢先、殺人事件が発生!十津川警部の捜査が始まる!!
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西村京太郎氏の「悲運の皇子と若き天才の死」。人気の十津川警部シリーズの一つで在るこの作品は、非業の死を遂げたとされる有間皇子を題材にしている。645年の乙巳の変以降、650年に到る迄行われた政治大改革を「大化の改新」と呼んでいるが、時代の荒波に翻弄されて658年に絞首刑に処せられた人物が有間皇子。この時代、そして太平洋戦争時の社会情勢の類似性を挙げ、ミステリーに仕上げている。歴史的な部分でも面白い作品なのだが、興味深い記述が在ったので下記したい。

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明が、次々に、本のページをめくっていくと、日本人の善意が悪い結果を生んだ。という言葉にぶつかった。戦争中、日本人、あるいは、日本政府は、善意から、自分がいいと思っているものを、ほかの民族に押しつけた。それがになったことがあるという。

インドネシアを、占領した日本の軍部は、神社を作った。そして、インドネシア人に、神社の前を通る時には、拝礼するように指導した。日本には、神社が何万とある。そして、日本人は、神社に来たならば、拝礼して、清々しい気持ちになる。それならば、インドネシアの人々も、神社に参拝すれば、清々しい気持ちになるだろう。これは、善意である。しかし、インドネシアは、回教の国である。イスラムなのだ。イスラムは、ほかの宗教に対して、非寛容だといわれる。そうした厳しいイスラム教徒の人たちに、いくら善意であっても、日本の神社に礼拝させるというのは、それ以上、相手を傷つけることはないだろう。

また、もともと、満州は、満州族の領土である。それを中国が侵略したのだから、満州国を作って、満州族に返してやれば、それは侵略ではない。石原莞爾が考えた理屈は、それだった。満州国が完成し、その発表が行われた日、日本のある高官が、皇帝溥儀に向かって、こういったという。「日本と満州は兄弟である。いってみれば、日本は兄で、満州は弟である。」。その高官に、悪意があったとは思えない。いや、むしろ、満州国の、初代皇帝の溥儀を喜ばせようとして口にした言葉だと考えられる。とにかく、大日本帝国と満州とは、兄弟だ。それは完全な誉め言葉だと、その高官は思ったに違いない。しかし、よく考えてみると、満州族は一時、中国全土を占領して、という国を作っていた。日本の何倍もあるような、大帝国だったのである。日本の高官から、日本は兄で、満州は弟だといわれて、皇帝溥儀はどう思ったのか?喜んだのか、それとも、悔しかったのか?そういうことを、その日本の高官は、考えなかった。あくまでも、相手が喜ぶと思って、いったのである。これも善意の押しつけである。

占領地区の日本人の監察官が、労働者に、朝、強制的に、ラジオ体操をやらせたという記録もある。日本人監察官にしてみれば、日本では、働く前に、ラジオ体操をする。気持ちがよくなるし、それに、ケガも防げるはずだ。そう思って、毎日、ラジオ体操をやらせたのだが、そこは、赤道直下熱帯地区である。そんなところで、毎朝、強制的に、ラジオ体操をやれば、労働者は、それだけで、疲れてしまう。日本人の監督は、いいことをしたと思っていたろうが、これも、善意の押しつけで、気付かずに、現地の人の反感を買ってしまっているのだ。
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占領した日本軍により教育を含めた様々な恩恵被り、今でも日本人に対して深い感謝の念を持っている国も在る。と同時に、日本人が善意で行った事で“在ったとしても”、それが善意の押し付けで在り、現地人に根深い反感を生みだしてしまったというケースも在る事だろう。「アジア植民地から解放する。」という日本の大義名分も、例えそれが善意からで在ったとしても、相手方にとっては善意と到底考えられないケースもゼロでは無い。人それぞれに「善意」の認識は異なる訳で、自身の善意を絶対的に正しいとして押し付けるのは、決して望ましくないだろう。

知人夫婦には子供が居ない。当人達は子供が大好きで、子供が欲しくて堪らないのだが、なかなか授からないのだ。そんな彼等が不快に感じているのは、事情を知らない他人から「何で子供を作らないの?」と“執拗に”聞かれる事。聞く側に悪意は無いだろうし、一度聞かれる位なら何とでも無いのだが、「何で子供を作らないの?子供が居ると楽しいわよ。子供が居ない生活は不幸。本当に何で子供を作らないの?凄く良いわよ、子供は・・・。」等と延々と聞かれると、例え相手は善意から口にしていたとしても、受ける側にとっては善意の押し付け以外の何物でも無い。「子供が欲しくても叶わない人」も居るのだ。又、「子供が嫌いで作らない人」も居れば、「子供を幾らでも欲しいと作る人」だって居よう。そんなのは個々人の自由で在って、他者からどうこう指図されるべき話では無い。自分の立場からだけでは無く、相手の立場に置き換えて物事を考えるというのも、時には大事な事。

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16 コメント

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真面目な人というか (ストラングラー)
2009-06-06 20:36:42
まじめというか「アツイ」というか、なんというかな人ほど人の話を聞かず一方通行的に話す。話が同じ日本語使っていても同じしぞーか弁なのに通じない。
話が噛み合っていないのに「噛み合ってる。相手はワタシの話に納得してくれている」と一方的に思い込んで話す人。
そういうことが大人になると多々ありました。
そしてそういう場合、できる限り、次回お会いした時には近寄らない、話も少しで切り上げる、直接お話しない、を努力目標に頑張っております。他人・親族問わず。
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>ストラングラー様 (giants-55)
2009-06-06 23:42:06
書き込み有難う御座いました。

明らかに悪意を持って「善意もどき」を押し付ける場合は只管無視すれば良いだけの話なのですが、厄介なのはストラングラー様も書かれている様な人が持ち出す「善意」。大概そういうタイプの方は「~で在らねばならぬ。」といった「must」的思考が強く、「自分がこれだけ善意で言ってるのだから、相手が従わない訳が無い。(→相手は従うべき。)」という論理で終始一貫通されてしまうので、最早無視すらも出来ない。こうなってしまうと、ストーカーと同根と言えましょうね。
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Unknown (マヌケ)
2009-06-07 01:26:28
他民族から占領された中での善意というものにそもそも受け入れられる余地があるのか疑問です。 自分たちの言語や文化を禁じられた上で軍刀やこん棒を振り回す監督官の命令でみなでそろって屈辱を受け入れ、しぶしぶラジオ体操なる異国の習慣に従う状況を想像するに、命じる方とてその場の空気で感じるものがあろうに・・・良かれと思う以前の問題としてアジアを解放したというよりも同じアジア人がアジア人に対して欧米と同じことをしてしまっているという矛盾が頭から欠落していたことが間違いでしたね。 不肖宮嶋氏のレポートを拝見するに、イラクで反米を掲げて戦っていた中には米英による収奪と植民地化を真に嫌って命をかけていた普通のおっさんたちがよおけおるよというのがありました。 我が自衛隊は井戸を掘ってやったり、病院や学校を修復したり、道路工事なんかでちょっとした雇用ももたらしました。 立派だったです。 しかし、独裁者の圧政から解放してやったとか、宗派や民族間の内戦を防いだとか、女性の人権を高めたとか、外国から来たよそ者の余計などころではないおせっかいでしたね。 記録フィルムで神風を米兵がクレイジーと叫ぶ声が拾われていることがありますが、自爆攻撃をする人の心理はクレイジーではないと思います。 よほどの決意がなければ火の玉にはなれないと思います。 ひ弱で甘ったれた世界に慣れた心と体では想像ができないので、クレイジーとかテロと言ってしまうのですね。 決行する人は正義の鉄鎚という信念でそれに及ぶのでしょう。 何しろ大事な家族を失ったり、土地や職や明日を奪われているのだから。 そんな人をたくさん前にして善意はないでしょうね。 
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>マヌケ様 (giants-55)
2009-06-07 02:21:43
書き込み有難う御座いました。

「自分はこう考えるから、他の人も同じ風に考えない訳が無い。」、そういった傲慢さから来るトラブルというのも在りますよね。相手の立場に立って考える。一方的に自身の論理を押し付けるのでは無く、「もし自分が彼等と同じ目に遭ったら、果たして喜べるか否か?」といった観点から見ないと、世の中から無用なトラブルは減らない。

先日、「報道ステーション」で「ソマリアの海賊村への潜入レポート」が報じられていました。詳細は以下のサイトに書かれていますので、そちらを拝読して戴ければと。
http://ameblo.jp/sai-mido/entry-10273064745.html
http://zarutoro.livedoor.biz/archives/51205517.html

どんな言い訳をしようとも、海賊行為が許される訳では無い。海賊行為を正当化する気持ちは今でも全く無いけれど、一寸気になったのは「ソマリアが無政府状態に在るのを良い事に、近海に非常に有害な産業廃棄物を捨てたり、ルールを無視して魚介類を掻っ攫って行く他国の船舶が横行。自分等の魚介類を守る為、そういった船舶を追い払う目的で立ち上がった連中の中から、結果的に海賊に変わって行った者“も”居る。」という点。そういった船舶が何処の国に属すのかは別にして(この話になると、又“ややこしい話”になって辟易とさせられますし。)、もしそういった事が事実ならば、「海賊連中はけしからんから、皆殺しにしてしまえば良い!」みたいな論調もどうかと。上記した様に海賊行為が許されないのは言う迄も無いけれど・・・。
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まあ (Spa supernova)
2009-06-07 13:15:20
ややこしい話なんですが、
市町村合併で吸収される側であった我が実家の町ですら、吸収した「隣市」への怨嗟で一杯ですからねえ・・・。この前10000人以下の小さい町なのに吸収されることを拒否した町に話を聞きに行った人が「うらやましいうらやましい」の連発でした。なんでもその町の町長頑固者で、合併協議会の日に必ず入院したり、トンズラしていたとか^^;。まわりの市も「こりゃ話にならん」とすぐに諦めたそうです。
各地の地方選挙、「吸収された側」の反乱が起こっているケースもありますね。似たような話はたくさんあるんでしょうね。

たかだか「隣市」だった市ですら、「文化が違う」というワケでいがみ合うわけですから。国や民族だともっと厄介ですね。

>特攻

最近、祖母の従兄弟が特攻で亡くなったということを知り、今更ながら衝撃を受けています。海軍で、台湾沖航空戦で死んだということだけは知っていたのですが、「敵艦船に、帰りの燃料積まずに体当たりした」と親類の老婆に聞かされ、本当にショックでした。
たかだか60年前のことなのに、信じられない気持ちで一杯です。

でもいわゆる「自慰史観」の人のブログを見たときに「60年も昔のことなのにガタガタ言ってくる」と近隣の国の蔑称を書いていろいろ書いているのを見ました。
確かに60年は「エライ昔」にも思えるのですが、一方で自分の年代であれば親や祖父母が確実に生きていたことを思うと自分とは決して断絶していない「近い過去」にも思えます。
時間の間隔をどう捉えるか、自分とまわりの他者との間隔をどう捉えるかで、この辺の感覚は違ってくるのでしょうね。
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>Spa supernova様 (giants-55)
2009-06-07 14:24:34
書き込み有難う御座いました。

御互いを良く知りつくしている筈の恋人や配偶者の間ですら、思考の違いで大喧嘩になったりするのですから、ましてや他者や他国人との間に於いての関係を上手く遣って行くのは難しい事。客観的に見ても「正」なる事は明確に主張して当然ですが、あくまでも「自分の中“だけ”で『正』と思っている事を、『これだけが唯一無二的に正しいのだ!」と強要するのはどうかと思う訳です。

特攻隊員の多く、否、恐らくは全ての人達が望んで特攻した訳では無いと思っています。「生きたい。」と思いつつも、「愛する人達を守る。」という思いから、恐怖心と闘いつつ命を散らしたのではないかと。自分が彼等の立場だったならば、そうなると思うんです。そういった彼等を必要以上に崇めてしまうのも、又、逆に卑下するのも違う気がして、妙な思惑無しに、純粋な気持ちでその魂を悼んでいるのが一般的な感覚ではないでしょうか。

「蔑称」かどうかはさて置き、「明らかに相手が嫌がるのを判っていた上で、且つ相手を卑下する目的でわざわざ特定の呼称を使う。」というのは、それが何処の国の人間で在ろうとも、趣味の良い遣り方とは自分は思えません。某巨大掲示板でもその手の書き込みが目立ちますが、そういった人達に限って「道徳心がなってない。」等と主張しているもので、「目糞鼻糞を笑うといった感じだなあ?」と苦笑してしまう。

それこそ数百年前の事を取り上げ、「ああだこうだ。」と非難するのは流石にどうかと思うけれど、戦時中の話だと仰る様に自分の祖父母が実際に生活していた時代の話で、「遠い過去」とも「近い過去」とも言える。同じ時代の話で在っても、自身が被害者(と思っている)立場ならば「許せない!」とし、そうでは無かったら「そんな昔の話を持ち出すな!」という、一貫性の無い身勝手な主張は、これ又何処の国の人間で在ろうがおかしなものと言えましょうね。
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人権真理教徒のお節介とはほど遠い話 (破壊王子)
2009-06-07 17:31:11
昔、呉智英の著書で書いてあったが鈴木自動車がインドに工場を作った時の話。経営陣は日本式経営を強行しました。
食事は社員食堂でとることにしたら文句が出ました。食べ物がカーストによって異なるからです。作業服にも文句が出ました。カーストによって服装が異なるからです。
落ちた部品を拾うにも拾うカーストがあるからと拒否した従業員には、自分で拾うことを強要しました。

当然軋轢があったようですが経営陣は日本式を押し付け、程なく工場は大成功したとか。

ここには『人権』だの『民主化』だのという、あやふやなものをケーモーしようなどというイヤらしい色気は無く、ただ作業の効率化、品質管理の面からのみ推し進められたことに、清々しさを覚えたと、書いてありました。

頭の中にお花畑があるような連中や、保守とは名ばかりの守旧屋達にはわからないでしょう。

未だに都合のいい時だけ『人権』だの『民主化』だの唱えて安心しているのですから。
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Unknown (tak)
2009-06-07 18:37:02
まあ、どちらかというとインドネシアなどの日本軍による統治は天然資源確保が主なる目的でしょう。神社云々は皇民化政策の一旦だったのかな。満州~朝鮮半島統治に関しては満州は天然資源、朝鮮半島は地理的にロシア等が侵略してくると当時の世界情勢的に日本が不利になるからでしょう。結果的に韓国のインフラは飛躍的に良くなった訳ですが。
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>破壊王子様 (giants-55)
2009-06-07 19:20:31
書き込み有難う御座いました。今回はこちらにレスを付けさせて貰います。

以前にアジア圏、それも極めて宗教色の強い国で工場の立ち上げ業務に従事した事が在るのですが、作業規律や施設の配置等で宗教とバッティングする部分が少なからず在り、その調整に難儀した経験が在ります。作業効率及び品質の向上を図る上で絶対に譲れない部分は厳守させましたが、そうでは無い部分、即ち作業効率及び品質の向上には無関係な部分は、彼等の戒律を尊重したシステムに上司と相談した上でしました。結局はその兼ね合いが重要だと思うんです。何処の国にも独自の文化&風習が在り、それを徹頭徹尾否定して従わせるというのは、自分達が逆の立場になったら到底受け容れられる物では無い。唯、作業効率及び品質向上を図る上で絶対的に譲れない部分は、妙な思惑抜きに推し進める必要が在るとは思う。

所謂「極右」や「極左」と呼ばれる人達の中には、「あくまでも自分達の論理だけが正しい。」とばかりに相手の立場を全く無視して何でもかんでも正当化しようとする者が少なくない様に感じられ、その点が個人的にはどうしても受け容れられない。「作業効率及び品質向上は格段に上がっても、その国の人間に多大な不快感を残す。」というケースも当然在りましょうし、そうでは無くて「作業効率及び品質向上は格段に上げつつ、その国の人間にも感謝される。」という方が良いだろうし(勿論、全ての面に於いて100%上手く行くなんて事は、理想社会で無い以上在り得ないとは思いますが。)、それにはやはり「『成し遂げる目標』と『相手の立場』とのバランス。」を考慮した上で進めるというのが必要なのではないかと。

例えば日本が何処ぞの国の支配下に置かれたとして、「作業効率及び品質向上の為、日本的な思考は一切排除する!」と命じられた時、その命令の元になっているのが純粋に「作業効率等の向上が目的」ならば未だしも、日本を卑下&愚弄する思惑が少しでも介在していたならば、自分はその命令に従いたくない。それは多くの人間がそう思う事ではないかと。ですから破壊王子様が書かれている様に、純粋な思惑だけならば話は別。唯、それも上記した様に程度問題というのは在りますが。
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>tak様 (giants-55)
2009-06-07 19:25:22
書き込み有難う御座いました。

歴史的背景で言えば、tak様が指摘された通りでしょうね。韓国のインフラが向上したのには、日本が果たした部分は少なくないと思いますし。ですから、何から何迄「日本が悪い!」とする韓国側の主張(此処迄声高に叫んでいるのが絶対多数とも思えませんが。)には自分もどうかと思っています。と同時に、「何から何迄韓国が悪い!」とする、これ又一部だとは思いますが、日本側の主張も然りです。
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