普段から気にしている訳ではないが、ふとした時に「そう言えば、あれはどうなったんだろう?」としばしば思い出す事は、誰しも幾つか在るだろう。自分にもそういった事柄は幾つか在るが、「悠木千帆(ゆうき ちほ)」という名前もその一つだ。
30代後半以上の人にとっては、この名前は一種の感慨を持って思い出されるのではないだろうか。この名前は、先月初めに乳がん手術を受けていた事を、淡々と明らかにした樹木希林さんの前の芸名なのだ。
31年前に放送されたTV番組「寺内貫太郎一家」の中で、熱狂的なジュリー・ファンという設定の婆さん役(寺内きん)で人気に火が付いた彼女。身悶えさせながら、「ジュ~リ~!」と叫ぶ姿はTV史に残る最高の演技であったが、当時、彼女の芸名は悠木千帆だった。
悠木千帆の名前で絶大な知名度を上げた彼女が、それから3年後の1977年にTVのチャリティー・オークション番組に出演した際、「私には売る物が特に無いから、悠木千帆の芸名を売ります。」と芸名を売りに出した時は本当にビックリしたものだった。今思うに、彼女の全てを在りのまま受け入れるといった、淡々とした人生観はその頃から備わっていたのかもしれない。女優は芸名で勝負するのではなく、演技で勝負するものだという強靭な自負と気概を持っていたのだろう。
結局、悠木千帆の名前は競り落とされた。うろ覚えだが、何処かの飲食店の店主が、店名に使用したいという事で購入したと記憶している。それから、28年の間、時折あの名前は一体どうなっているんだろう?と思い出す事が在った。
昨夜、或るコミュニティー・サイトを覗いていた所、偶然にもこの話題が挙がっていた。配信者のtaca氏も「その後の悠木千帆の行方が気になっていた。」という事で、情報を求めた所、この様な情報が寄せられた。何と、昨年、悠木千帆の名前は一人の女優に譲り渡されていたのだ。長らく音信不通状態にあった幼馴染と、突然出遭った様な感動を覚えた。悠木千帆の名は生きていたのだ。
この名前に特別な感慨を覚える世代が確実に居る。そんな者達の目にも広く触れる様、二代目には精進して貰いたい。初代の様に人間としても魅力の在る、味の在る女優を目指して頑張って欲しいものだ。
30代後半以上の人にとっては、この名前は一種の感慨を持って思い出されるのではないだろうか。この名前は、先月初めに乳がん手術を受けていた事を、淡々と明らかにした樹木希林さんの前の芸名なのだ。
31年前に放送されたTV番組「寺内貫太郎一家」の中で、熱狂的なジュリー・ファンという設定の婆さん役(寺内きん)で人気に火が付いた彼女。身悶えさせながら、「ジュ~リ~!」と叫ぶ姿はTV史に残る最高の演技であったが、当時、彼女の芸名は悠木千帆だった。
悠木千帆の名前で絶大な知名度を上げた彼女が、それから3年後の1977年にTVのチャリティー・オークション番組に出演した際、「私には売る物が特に無いから、悠木千帆の芸名を売ります。」と芸名を売りに出した時は本当にビックリしたものだった。今思うに、彼女の全てを在りのまま受け入れるといった、淡々とした人生観はその頃から備わっていたのかもしれない。女優は芸名で勝負するのではなく、演技で勝負するものだという強靭な自負と気概を持っていたのだろう。
結局、悠木千帆の名前は競り落とされた。うろ覚えだが、何処かの飲食店の店主が、店名に使用したいという事で購入したと記憶している。それから、28年の間、時折あの名前は一体どうなっているんだろう?と思い出す事が在った。
昨夜、或るコミュニティー・サイトを覗いていた所、偶然にもこの話題が挙がっていた。配信者のtaca氏も「その後の悠木千帆の行方が気になっていた。」という事で、情報を求めた所、この様な情報が寄せられた。何と、昨年、悠木千帆の名前は一人の女優に譲り渡されていたのだ。長らく音信不通状態にあった幼馴染と、突然出遭った様な感動を覚えた。悠木千帆の名は生きていたのだ。
この名前に特別な感慨を覚える世代が確実に居る。そんな者達の目にも広く触れる様、二代目には精進して貰いたい。初代の様に人間としても魅力の在る、味の在る女優を目指して頑張って欲しいものだ。
ただ、私が伊集院光のラジオ番組で聞いたのは別の説(?)でした。
当時オークションで落札したのは妊娠中の女性で、その後生まれた子供が双子だったので「ゆうき」「ちほ」と分割して名前をつけた、そういうことを聞きました。
だいぶ前に聞いた話だったので、嘘話だったのを私が混同しているのかもしれませんが。
というか、実際そういう女優さんがいるとのことなので、嘘話だったんでしょうね。
意外なことから真実を知りました(笑)
ありがとうございました。
裕木奈江を思い出しました。関係ないですが。彼女はどこへいったのでしょう?
ほとんど見ないような…
昔の名前はあまりわからない世代ですが、どちらかというとかわいい気もしないでもないですしね。
しかし、この名前が昨年別の役者に譲られていたとは・・・
これは新しい発見でした。
まさくにさん>
裕木奈江・・・そうですね。いろいろ検索してみたら、こんなサイトがありました。去年はドラマにも出ていたようですが、現在は文化庁の在外研修でギリシャに行っているみたいです。
http://www.nae-net.info/
#リンクは現在、毎日有名人の誕生日を載せているのですが、樹木希林さんが生まれた1月15日分です。
彼女の話題がどこかにないかと検索していたところ、こちらのブログに行き当たりました。
彼女も『悠木千帆』の名前を戴いた際にも光栄である反面大変なプレッシャーだと言っていました。
今はまだ舞台やテレビでエキストラ的な役が多いですが、彼女は学生時代から大変な頑張り屋ですので、いずれ名に恥じない役者になれると信じています。皆さんもこの名前を覚えておいてくださいね。
本人にもこの記事の事を伝えておきます。
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログが見当たりませんでしたので、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
まさか、悠木千帆様の御知り合いの方が、こんな所を覗いて下さるとは思ってもいませんでしたので、驚きと共に感激しています。検索されてとの事でしたので、早速自分も検索してみましたが、Googleでは確かに一番上に表示されますね(^o^;;;。
やはり、悠木様御自身もこの芸名には重責を感じておられるのですね。記事でも書かせて戴いたのですが、30代半ば以降の世代にとって「悠木千帆」という名前は、何とも言えない懐かしさを覚えるものだと思います。
先代が今や大女優となったラッキーな芸名ですので、悠木千帆様も是非負けない位の女優さんになって戴きたいです。是非とも宜しく御伝え下さいませ。
これからも宜しく御願い致します。
彼女が乳がんになったと知ったとき、彼女の記者会見のようなものを夢中で見ました。そして、その「あっけらかん」とした姿勢を見習いたいと思いました。なかなか、あんなに飄々としてはいられないですけど、ちょっと救われた気がします。
2代目悠木千帆さんにも、がんばっていただきたいですね。樹木さんを目指さなくとも、今の悠木さんらしさが一番光る女優さんであるのが、一番いいのではないかと思います。
コメント有難うございます。
樹木希林さんの印象的な芝居を語り始めるとキリがないのですが(笑)僕のベストは「寺内貫太郎一家」で、ピアノをねだるお婆ちゃんの話です。これは泣けました。寺内石材店前の道に子供みたいに鍵盤の絵を描いてあてこすりをしたり、夜中に部屋でボヤ騒ぎをするけれど、息子の貫太郎に叱られながらも、「うれしいよ~みんな真っ先にアタシの部屋に駆けつけてくれた~」と嬉し涙をこぼす可愛いお婆ちゃんでした(泣)
現在スカパーで放送中の大河ドラマ「翔ぶが如く」では、薩摩から徳川家に嫁入りした篤子姫(富司純子さん)の付き老女=幾島を華麗に演じてます(楽しみ♪)
昔、何かの取材で「手の位置が印象的・・」と聞かれた大坂志郎さんは“我が意を得たり”といった興奮気味になり、「あたしが芝居で一番に気を遣っているのは手の位置なんだ・・あなた、よくそこに気がついてくれた」と喜んでおられたと聞きました。
「赤い衝撃」のおじいちゃん!よかったですネ。草笛光子さんのお父ちゃんってのが最高にイイ味でした。
「極道の妻たち」の鉄工所の親父さん(岩下志麻さんとかたせ梨乃さん姉妹の父)「時代屋の女房」のクリーニング屋の親父さん(女房が初井言榮さん!)も素晴らしかったです。
すみません、思い出の泉が枯れることがなくて、湧きだすととまらないのです(苦笑)
オガライトを扱っていたお米屋さんで、僕は「プラッシー」という蜜柑だかオレンジのジュースを買ってよく飲んでいました。
今土曜日に録画したビデオを見ていて、最後に流れる出演者のテロップを何気に見ていて、???状態になりもう一度巻き戻し・・・
確か同じ字だったはず・・・
ネットで検索をしてこちらに辿り着きました
あ~そうだったんだ~と納得です
それにしてもその昔の名前を知っている30代後半の私って・・・(T_T)
今これを書きながら気付いたのですが、3ヶ月も前の日記だったのですね
古い日記にコメント残してごめんなさい