大相撲には余り関心が無い。高見山や千代の富士が現役の頃は時折TVで取り組みを見ていたが、若貴ブームなるものが巻き起こり、世間がキャアキャア騒いでいる頃に居たっては殆ど見る事はなかった。若貴が力士として類稀なる能力を持っていた事は認めるが、土俵外でマスメディアが並べ立てた「仲の良い兄弟」とか「理想の家族」等の美辞麗句が何とも鼻に付き、騒ぎが増すと共に自分の中では白け切った思いが反比例で増して行った。
マスメディアだけに原因が在ったのではない。若貴の言動に、自分自身を必要以上に大きく見せようという部分が見え始めた頃から、関心の薄さは決定的となった気がする。「一意専心」だ「堅忍不抜」、「不惜身命」といった敢えて国語辞書から引っ張り出して来た様な言葉を駆使し、自分の言葉で語らなくなった頃だ。「立場が人を変える」という言葉が在る。廻りの環境に合わせて自身を変えて行く事も含まれるだろうが、そういった”加工”ばかりが前面に押し出され、自然体の部分が全く見えなくなってしまった様に思えた。
ここ数日、彼等の父親で在り親方で在った二子山親方の死去により、若貴の確執が再びマスメディアで大きく取り上げられている。他の家庭の揉め事に首を突っ込む趣味も無いので、正直、どうでも良い事と思ってはいるが、一連の彼等の言動には以前と同じ加工された寒々しさを感じてしまう。
「喪主を自分が(兄に)頼んだという事は100%無い。相撲界での立場を考えると、喪主は自分がやるべきだと思っていた。立場を考えて欲しい。」と不満を漏らす貴乃花親方。でも、今回の葬儀があくまでも”身内”のものであり、その後に日本相撲協会が協会葬を行なう事を考えると、その際に彼が喪主を務める事で充分面子が立つ話。会見でのコメントも、予め覚え込んで来た”原稿”を、唯黙々と諳んじているだけといった空虚感が漂っていた気がした。
貴乃花こと花田勝氏の会見の方が、まだ自分の言葉で語っている感じはしたものの、若乃花親方同様に「如何に自分が二子山親方から愛されていたか」を再三再四強調していた感が在った。言葉は良くないが、「我こそが正統で在る。」といったアピール合戦の匂い。
そして、勝氏や母親で在る憲子さんが揃って口にした「嘗ての様に尊敬されて憧れた目で見られていた(若貴の)存在に戻って欲しい。」というのも、何か廻りが見えていない発言に思えた。尊敬されるとか憧れられるというのは他者が言うもので在って、自ら(乃至は身内が)言う事ではないと思うし、其処に未だ自分自身(乃至は身内)を大きく見せたいという思いが垣間見えてしまった。
恐らく、兄弟の関係を修復するのは無理だろう。「同じ血を分けた兄弟なのだから、腹を割って時間をかけて話し合えば、元通りの関係に戻れる筈。」という声も在るが、身内だからこそ一旦こじれた近親憎悪は根深い。自分の廻りでも、学生時代に兄弟喧嘩をして以降、20年以上に亘ってまともに会話を交わしていない知り合いも存在している。ましてや、各々の嫁という外部の人間も関って来るのだから尚更である。
この兄弟の仲が、今後どうなって行くかには関心が無い。唯、不憫なのは、自らの葬儀の場に迄、血を分けた我が子の確執が持ち込まれれる事になった二子親方の事だ。せめて葬儀の場では、大人の対応を双方が採るべきだったろう。嘗ての名大関も草葉の陰で泣いているに違いない。
マスメディアだけに原因が在ったのではない。若貴の言動に、自分自身を必要以上に大きく見せようという部分が見え始めた頃から、関心の薄さは決定的となった気がする。「一意専心」だ「堅忍不抜」、「不惜身命」といった敢えて国語辞書から引っ張り出して来た様な言葉を駆使し、自分の言葉で語らなくなった頃だ。「立場が人を変える」という言葉が在る。廻りの環境に合わせて自身を変えて行く事も含まれるだろうが、そういった”加工”ばかりが前面に押し出され、自然体の部分が全く見えなくなってしまった様に思えた。
ここ数日、彼等の父親で在り親方で在った二子山親方の死去により、若貴の確執が再びマスメディアで大きく取り上げられている。他の家庭の揉め事に首を突っ込む趣味も無いので、正直、どうでも良い事と思ってはいるが、一連の彼等の言動には以前と同じ加工された寒々しさを感じてしまう。
「喪主を自分が(兄に)頼んだという事は100%無い。相撲界での立場を考えると、喪主は自分がやるべきだと思っていた。立場を考えて欲しい。」と不満を漏らす貴乃花親方。でも、今回の葬儀があくまでも”身内”のものであり、その後に日本相撲協会が協会葬を行なう事を考えると、その際に彼が喪主を務める事で充分面子が立つ話。会見でのコメントも、予め覚え込んで来た”原稿”を、唯黙々と諳んじているだけといった空虚感が漂っていた気がした。
貴乃花こと花田勝氏の会見の方が、まだ自分の言葉で語っている感じはしたものの、若乃花親方同様に「如何に自分が二子山親方から愛されていたか」を再三再四強調していた感が在った。言葉は良くないが、「我こそが正統で在る。」といったアピール合戦の匂い。
そして、勝氏や母親で在る憲子さんが揃って口にした「嘗ての様に尊敬されて憧れた目で見られていた(若貴の)存在に戻って欲しい。」というのも、何か廻りが見えていない発言に思えた。尊敬されるとか憧れられるというのは他者が言うもので在って、自ら(乃至は身内が)言う事ではないと思うし、其処に未だ自分自身(乃至は身内)を大きく見せたいという思いが垣間見えてしまった。
恐らく、兄弟の関係を修復するのは無理だろう。「同じ血を分けた兄弟なのだから、腹を割って時間をかけて話し合えば、元通りの関係に戻れる筈。」という声も在るが、身内だからこそ一旦こじれた近親憎悪は根深い。自分の廻りでも、学生時代に兄弟喧嘩をして以降、20年以上に亘ってまともに会話を交わしていない知り合いも存在している。ましてや、各々の嫁という外部の人間も関って来るのだから尚更である。
この兄弟の仲が、今後どうなって行くかには関心が無い。唯、不憫なのは、自らの葬儀の場に迄、血を分けた我が子の確執が持ち込まれれる事になった二子親方の事だ。せめて葬儀の場では、大人の対応を双方が採るべきだったろう。嘗ての名大関も草葉の陰で泣いているに違いない。
小さい体で大きな体の敵を倒す華麗な技の二子山親方にみんなシビレタと思います。きなこもちっちゃい方なのでなんかうれしかったです。
「兄弟は他人の始まり」って言葉もありますけど、葬儀にありゃないでしょ!それに、別れた母親に「元に戻って」なんてコメントさせる状況をつくること自体、どうかしてます。はぁ~
ヒトと違うことをやって栄華を極めるのも,どーなのかという気がしないでもない.
宮沢りえちゃん、...良かったね
あんな小人物を旦那にしなくて(^^)
基本的に、書き込みして下さった方のブログへ、直接レスを付けさせて戴く形を取っているのですが、貴ブログが見当たりませんでしたので、こちらに書き込む失礼の段を御許し下さい。
記事では深く突っ込んで書きませんでしたが、自分も兄弟間、否、花田家の確執の根っ子にあの元アナウンサーが関っている気がしています。そもそも、彼女は”人間”花田光司が好きになって結婚した訳ではなく、富と名誉を持った人間が”たまたま”彼だっただけではないかと、ずっと感じていましたので。
彼が宮沢りえさんと結婚していたならば、彼の人生はもっと良い方向に行っていたのではないかと思うと、人生の分岐点というものを強く感じてしまいます。
これからも宜しく御願い致します。
で、若貴でもう一言付け加えるならば、たとえ大横綱であろうが、部屋の親方であろうが、それが何だ、そんなに偉いのか、しょせん独りの人間としたら、たかが知れているものを、貴夫婦はバカ丸出しで誤解している。夫婦だけの唯我独尊で社会生活が円満に運べるはずもなく、周りと協調せずに笑われ者のままでは、これからの長い人生、自らを貶めるだけなことを早く悟るべきである。
芝田山親方は私と一献かたむけた後、帰りは、ふたりで地下鉄におり、終電を待って岐路についた。部屋経営の厳しさを感じさせつつも、その人間性に弟子たちは恵まれているだろうと確信した。横綱や親方はそれは大した地位、身分に違いない。しかしながら、そのことと人間としての大きさや懐の深さはまた別問題なのである。そんなことが、貴夫婦には全く分かっていない。多くの親方衆も奴には呆れて声もかけないことだろう。そのこと事態を理解するのに、どん底まで落ちないと分からないとすれば、落ちることもまた吉兆なのかもしれない。
ブログを持っておられるか否か等、全く気になさらないで下さい。こちらに書き込んで下さるのは本当に嬉しいですし、書き込んで下さる方がいらっしゃる以上、記事を書き続けて行こうというテンションが上がります。ARA様を始めとして書き込んで下さる皆様方に深謝の一言です。
サッカー程ではないのですが、相撲も余り知識が無いものですから、芝田山親方という御名前を目にしても、どんな方なのか頭に浮かびませんでした。気になって検索しました所、元横綱の大乃国関の事だったのですね。失礼しました(^o^;;;。
大乃国関と言えば、当時無敵を誇った千代の富士関の連勝記録(50何連勝だったかだと思いますが。)に土をつけた試合が頭に浮かびます。見るからに実直で人間味を感じさせる方ですよね。ああいった方の下で育成されて行く御弟子さん達は、相撲面のみならず人間的にも磨かれて行くと自分も感じます。
双羽黒関の頃からか、現役時代の位が親方と弟子の間で逆転してしまうと、弟子が勘違いして傍若無人な振る舞いをするといった事が、相撲界では時折見られる様になりました。立場で対応を変える様な人物が親方になった時、その弟子は非常に不幸ではないかと。
現役時代に横綱にはなれなかったとしても、人格面でも育成面でも素晴らしい親方は居ます。又、逆に横綱を務めた親方でも、「この人は駄目だなあ。」と思ってしまう人も居ます。「実る程 頭を垂れる 稲穂かな」という俳句が在りますが、己を良く知り、上の立場に行けば行く程謙虚さを忘れない人は、魅力が在るし人も付いて来るって事でしょうね。