ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

6月10日

2021年06月10日 | 其の他

今日「6月10日」に関する出来事を調べてみた。歴史的な出来事に付いては此方纏められているが、パット目に付いたのは「1982年6月10日:「マイコンBASICマガジン創刊。」という項目。今から39年前の事で、購入した事は無いけれど、誌名は知っている。パーソナル・コンピューター”の事を当時は、“マイ・コンピューター”の略で“マイコン”と呼んでいた。今ではそう呼ぶ人は、極めて少数派だろう。

6月10日に関する記念日・年中行事」だと、時の記念日日本書紀天智天皇10年4月25日[グレゴリオ暦6月10日]の項に、『漏刻を新しき台に置く。始めて候時を打つ。鐘鼓を動す。』と記されている事から。路面電車の日:『路(6)』と、『電(10)』から。ミルクキャラメルの日:1913年6月10日、森永製菓が発売する『森永キャラメル』の商品名が『森永ミルクキャラメル』に変更された事から。歩行者天国の日:1973年6月10日、銀座から上野の5.5kmで、日本初の歩行者天国が実施された事から。、そして入梅雑節の1つで、太陽黄経80度の点を通過する日。というのが在る。

個人的に「へー。」と思ったのは、「フィクションの出来事」に付いて。1945年6月10日:野比のび助疎開地で“白百合の様な女の子”(実は、息子ののび太。)からチョコレートを貰う。(漫画ドラえもん』)という項目。「ドラえもん」は好きな漫画で、恐らくは全話読んでいると思う。だから、“白百合の様な女の子”の話も知っている。

漫画「ドラえもん」の連載開始は1969年。「『ドラえもん』の登場人物達は、年を取らない。」という設定で在るならば、1969年の時点でのび助は36歳なので、1945年では12歳。」という事になる。正に学童疎開”をしていた世代

“白百合の様な女の子”のストーリーに関しては此方に詳しく書かれているけれど、「『学童疎開時に“白百合の様な女の子”からチョコレートを貰った事が、今でも忘れられない。』という父・のび助の話を聞いて、のび太とドラえもんタイム・マシンで“当日”に向かうが、実は“白百合の様な女の子”とは(結果的に女装した)のび太の事だった。」という落ち

藤子不二雄氏の作品には、自身の疎開経験を反映させた「少年時代」というのが在る。「疎開先での辛い体験を通し、戦争の悲惨さを伝える名作。」で在る。「ドラえもん」を描いていたのは藤子・F・不二雄氏の方だが、藤子不二雄氏と同学年という事も在り、“白百合の様な女の子”の中でも、疎開先での辛い体験を通して戦争の悲惨さを伝えている。


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