ば○こう○ちの納得いかないコーナー

「世の中の不条理な出来事」に吼えるブログ。(映画及び小説の評価は、「星5つ」を最高と定義。)

自分達の事は棚に上げて、本当に良く言うよ

2011年07月06日 | 其の他

3日に自身が発言した内容に関して、松本龍復興相(現時点では「元復興相」というのが正式な表記だが。)が翌日の4日に謝罪をした。昨日の記事「言い方という物が在るだろう」でも記したが、「松本復興相の3日の発言は批判されて仕方無い。」と思っていたので、謝罪は当然と言える。(当該記事で詳しく書いた様に、「彼の発言内容が100%間違っている。」とは思っていない。上から目線の言い方が良くないのは批判されて当然だが、彼が言わんとしている事に頷ける点も在るから。例えば「知恵を出した所は助けるが、知恵を出さない奴は助けない。其の位の気持ちを持って。」という発言も、「全てを彼方任せにするのでは無く、自らも色々知恵を絞って欲しい。」という意味合いだと思うし、「我々国も必死で知恵を絞って救済に当たるので、の側も知恵を絞って下さい。一緒に頑張りましょう。」とでも言えば、問題は無かっただろう。)

 

で、今日書きたいのは、松本復興相の4日の謝罪を受けての首を捻りたくなる反応に付いて。謝罪の中で彼が私は博多の人間ですけん、一寸語気が荒かったりして、結果として被災者の皆さんを傷付けたという事で在れば、御詫び申し上げたいと思っております私はB型短絡的な所が在って、さっき女房からも電話が在りましたし、反省しなければならないと思っています。と口にした事に対して、「『博多の人間=語気が荒い』、『B型=短絡的』と喩えるのは暴言だ!」とする声が一部の政治家から上がっただけで無く、マスメディアの中にも同様の批判をする所が在ったのだ。

 

「博多の人間=語気が荒い」とか「B型=短絡的」といった「十把一絡げ的な括り」は自分も好きでは無い(3年前の記事「悪魔払い」のコメント欄でも書いたけれど、「血液型性格分類」とか全く信じていないし。)けれど、TV番組や雑誌等で「博多っ子は気が荒い。」とか「名古屋人は暗い。」、「A型は、上に弱くて下に強い。」、「B型は好い加減。」等々と散々垂れ流し&洗脳して来たのは、他ならぬマスメディアではなかったか?此れでもかと許りに「十把一絡げ的&差別的括り」をし続けて来た連中が、松本復興相の「博多の人間=語気が荒い」及び「B型=短絡的」という喩えを、鬼の首を取った様に批判しているのは不遜極まり無い「自分達の事は棚に上げて、本当に良く言うよ。」と思ってしまう。批判するならば、彼等が雑誌やTV番組等で「B型で好い加減な貴方の今日の運勢は~。」みたいな占いコーナーも止めるのがだろう。

 

「何でも批判すれば良い。」というマスメディアのスタンスが、全ての分野に於て人々を硬直化させてはいまいか?歴代の首相達が政権末期になると、概してマスメディアと距離を置きたがるのは、こういった揚げ足取り汲々としているマスメディア(政権に対してマスメディアが常に厳しい視線を向けるのは間違っていないのだが、「何でもかんでも批判すれば良い。」というスタンスは明らかに間違い。)嫌気が差した面“も”在る気がする。揚げ足取りに汲々としている連中と「腹を割って話そう。」だなんて、中々出来る事では無いだろうし。

 

「何でもかんでも批判すれば良い。」というマスメディアのスタンスを自分は批判したが、そういうマスメディアにしてしまったのは我々一般人と言えなくも無い。そういったマスメディアのスタンスを我々が喜んで受け容れている(又は、受け容れていた)面も在るし、マスメディアの報道に対してどうでも良い様な事も、電話や投書等の形でネチネチと批判する人が居たりもするし。「『政治の質』や『マスメディアの質』は、『国民の質』とリンクしている。」とも言えなくは無いのだから。


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4 コメント

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すっとんきょうな地域論 (spa supernova)
2011-07-08 12:23:15
松本さんに関する報道についての微妙な違和感は他の方が書いておられるので特に書くことも無いのですが、この「九州でB型」のような奇妙な話は不快ですね。

九州、確かに声の大きい人が多いイメージですが、正直、「人による」ですね。当たり前ですが。

奇妙と思ったのは最近、「福島第一原発等、原発のある場所は佐幕派地域で、福島は会津藩。六ヶ所村のある地域は会津藩が明治以降に移住させられた場所」という指摘をする「知識人」がいること。
(被害の甚大な浜通り中北部は「相馬藩」&「磐城平藩」…http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E9%80%9A%E3%82%8A#.E5.9C.B0.E5.9F.9F

下北に会津松平が移動させられたのは事実とはいえ、ついでに指摘すると玄海以外の四国九州の原子力施設の場所は佐幕派の地域ではないし、核廃棄物施設の計画が鹿児島県、高知県でもあったのだが…)
山形県鶴岡出身の友人も「地域事情を知る東北ではまずそんなこと言い出す奴いない」と。「地域事情がわかってない連中が言いそうなステレオタイプの誤解、という違和感」とも。自分も浜通り南部のいわき出身者に「いわきは関東志向が強い」(確かに白河関より南側だし、茨城との往来が多い)みたいな話を昔聞いたことがあったので単純に地理歴史から「?」となった言説でした。
東北、あるいは福島県への同情、憐憫のつもりが、地元事情を知る側には「勘違いでわけのわからんこと言われている」というのは多くありそうな気がします。「東北人辛抱強い」も地元にしたら結構うんざりする言説だそうです。
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>spa supernova様 (giants-55)
2011-07-08 22:02:58
書き込み有り難う御座いました。


当ブログで何度も書いていますが、自分は幼少期を名古屋で過ごしましたので、「名古屋人」という意識が強く在ります。「余所者に対して中々心を開かない。」といった排他的な面が名古屋に見受けられる事は経験上否定はしないけれど、ウン十年前にタモリ氏が執拗に「名古屋人は根暗。」と嘲笑していた際には、正直良い気分はしなかった。でも、笑いというのは抑「他者(概して時の権力者が対象だけれど。)を論う。」事が多いし、「稚拙な笑いに対して一々目くじらを立てるのも、同じ土俵に乗ってしまう事になるから格好悪い。」という思いも在って、気にしない様にしていました。

けれどマスメディア迄もがタモリ氏に乗っかって、「名古屋人=根暗」というのを此れでもかと許りに垂れ流していたのには、流石に憤りを感じたもの。「非常に影響力の大きいマスメディアが、そういった『イメージの刷り込み役』を嬉々として行っていて良いのか?」という不快感。

「憐憫や同情から発せられた、良かれと思っての言動。」が、却って当事者達を更に傷付けてしまうという事は結構在りますね。其の根拠となる物が、如何にも「科学的」で在ったり、「歴史的」で在ったりすると、事情を良く知らない人間としては「そんな物なんだ。」と鵜呑みにしてしまう。怖い事では在ります。
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個人的な経験上 (spa supernova)
2011-07-09 15:04:14
口の悪さだと大阪周辺、姫路から岩国ぐらいまでの山陽のほうが語気が強いかなあという印象を持っています^^;。
山陽にはじめて行った時、「河村たかしみたいな話し方の親父が多いんだな」と思った^^;。なんとなく昔の尾張、三河、岐阜、三重あたりの話し方に妙に似てて、面白かったですね。

>名古屋=陰気

「閉鎖的」な感じですかね。
ただ、年寄りの話によると、「南九州の人は一回大阪行くんだけど、あの言葉や態度がイヤンなって、愛知に来る。で、だいたい水が合う」と「ステレオタイプ」とは違う話を良くしますね。言われて見れば工業地帯の豊橋、浜松ぐらいまで、親御さんの出身地は鹿児島、宮崎と言う人多いです。西九州に多い姓の「林田」さん、宮崎に多い「コウロキ」(興に木偏に呂)さん、たくさんいます。
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>spa supernova様 (giants-55)
2011-07-09 15:59:25
書き込み有難う御座いました。

自身が聞き慣れた口調では無いと、どうしても違和感を覚えてしまうもの。其の土地に住む人達にとっては「極普通の口調」だけれど、余所の人からすると「きつく感じてしまう。」とか、「曖昧でハッキリしない。」と感じてしまったりする事は良く在るでしょうね。

関西の方々には申し訳無いのですが、若い頃は関西弁、と言うか大阪弁が凄く苦手でした。口調が非常にきつく、そして野卑に感じたからです。でも年を経る毎に関西弁が好きになったのは、標準語よりも「本音度」が高く、「外面的なきつさとは異なる内面的な優しさ」を感じる様になったから。今では大阪弁が大好きなのですから面白い物です。

名古屋の特徴として、閉鎖性というのは在る気がします。唯、シャイだからこそ身構えてしまうという面は概して在り、深く知り合うと親切な人が多いのも特徴。自分が育った土地という事も在り、名古屋は大好きです。
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