山百合と白鹿の子百合です
鬼百合と山百合です
俳句
六十二年誓ひ新たの原爆忌
長崎忌祈りに蝉の唱和かな
被爆ピアノ奏でる子等の原爆忌
8月6日は広島の、8月9日は長崎の原爆忌でした。
平和記念式典で、長崎市の田上富久市長は、
「長崎平和宣言」で
「被爆国のわが国においてさえも、原爆投下への誤った認識や
核兵器保有の可能性が語られる。日本政府は、被爆国の政府として
国際社会において、核兵器廃絶に向けて、強いリーダーシップ
を発揮してください。
被爆62周年の原爆犠牲者慰霊記念式典にあたり
原始爆弾の犠牲になられた方々の御霊の平安をお祈りし
広島市とともに、核兵器の廃絶と恒久平和の実現に力を
尽くしていくことを宣言します」と述べました。
(読売新聞より)
今年は原爆投下から62周年という長い歳月と
久間章生前防衛相の原爆投下を巡る発言など
いろいろありました。そんなことから
平和への心を新たにした原爆忌です。
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被爆ピアノ
広島で被爆し、60年後に修復されたピアノが全国を
巡り、各地の演奏家が平和への願いを込めた音色を
奏でている。
この話を基にした絵本「ミサコの被爆ピアノ」
(講談社)を児童文学作家の松本みよ子さんが7月に
出版した。7月末に東京で出版記念講演会が開かれた。
講演後、東京都練馬区の高校生姉妹浦地さとねさんと
あかりさんが被爆ピアノでトセリ作曲「嘆きのセレナーデ」
などを演奏した。このもようがテレビのニュースで
放映された感動した。
このピアノは1932年、静岡県浜松市の工場で
製造されたヤマハ製のアップライトピアノ
広島市の女性(79)が愛用していた。
1945年8月6日朝、広島に原爆投下
ピアノは多数のガラス片が突き刺さった無残な
姿になった。(茨城新聞8月10日付けより)
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今日の散歩道で
運良く油蝉を撮影できました。
お寺の境内ですが、一本の小さな桜の木に
沢山の蝉の抜け殻が付いていました。
その数17でした。木の根元には蝉穴が多数ありました。
空蝉や十七匹の誕生す
せみの抜け殻も沢山ありますね。此方では余り見かけません。今日蝉が仰向けになってジッとしていたので死んでいるのかと捕まえてたら動いたので逃がしてやりました。勢いよく飛んでいきました。短い命、夏を精一杯生きて欲しいです。
残暑が厳しいという天気予報でしたが
其の通りになりましたね。
夜もむしむしして、ななか寝付けません
でも昼間は元気です。
今年は赤い鬼百合を方々のお宅の庭で見かけ
ました。山百合は香りが強いですね
側へ行くとむうっとするほどです。
こんなに、蝉の抜け殻を見たのは初めてです
脱け殻が沢山あるということは
それだけ、新しい命が誕生したということですね。
ああ本当ですね、番組表見たら書いてありました
見てどうでしたか、このピアノ、テレビの画像で見たらガラスの破片は除かれたものの、その跡が生生しく
残っていますね。
調律士さんの腕もさることながら、ピアノに命があるように思えました。傷だらけの身をもって平和を
方々の地で、訴え続けることでしょう。
蝉の抜けがらスゴイですね。これだけの数を見ると、圧倒されますね。
地には背を空には腹を蝉の殻
今日は、墓参りに行きます。
お世話になります。
素敵!!と思いました
広島長崎に原爆が投下されて終戦になりました いろいろなドラマが生まれて、新聞TVなども報道されていますがこの時期だけでなくもっとみんな平和を考えていかなければいけないですよね ピアノの復旧?でしたか私もながら族でTV見ました
セミって土の中の生活が長くて地上の上の生活が短いんですよね
私は広島県ですが広島市からはかなり離れています。
でも被爆した人が列車から降りてきた話を聞かされていました。
atukoさんの記事を読んで子供の頃、歌っていた「原爆の歌」を思い出して歌ってみたら2番まで歌えました。
ふるさとの町焼かれ、
身寄りの骨埋めし焼け土に、
今は白い花咲く、あ~許すまじ原爆を・
三度許すまじ原爆を
われ等の町に・・・
この歌、あまり知られていないようです。
誰か歌ってるのを聞いたことが無いんですよ。
先日テレビを見ていたら今年は
大阪でクマゼミが大発生して、その声が
うるさくて市民がこまっているということです
地球の温暖化が原因なのかということです
シャーシャー・・・・というあの暑苦しい
鳴き声はたまらないでしょうね。
こうして集めてみると本当に華やかですね
原爆が落とされてから、今年で62年という事で
新ためて平和について考えました。
地球上のどこかで内戦やテロで多くの人が
死んだり苦しんだりしているんですものね
完全な平和は無いものなのでしょうか?