という日がもう一年続くことになる。
去年の今頃は大きな大会が中止になり、さらには緊急事態宣言発布で練習どころか外出すらしない引きこもり状態となった直後で、これからしばらくは試合なんてないだろうなと思ったし、台でボールを打つこともいつになればといった不安もあり、まさに五里霧中、でもその中で今出来ることをやるしかない、と自分を鼓舞していた。
練習は春には再開できたけど、結局のところ試合はずっとないままだ。
毎年11〜12月頃に開催される代表選考を兼ねた大会も昨年は中止となった。
3月開催予定だったジャパン・オープンも2年連続の中止。
2021年も春を迎えて地方での大会の開催もちらほらと聞こえてきたりもしたけれど、諸事情あって現時点では出場を見送っている。
そしてつい最近も試合の話が聞こえてきた。
毎年同じ時期に開催されている大会で、僕も度々出場したもの。
それが開催されるならぜひと思っていた。
がしかし、今年の参加者は近隣4県のみとするということで、それに該当しない僕は出場できないことが分かった。
残念に思う前に、なるほどその手があったか!と感心した。
その出場条件、英断だと思う。
主催者の立場で考えると、開催においてはすごく不安があるだろうし、背負う責任の大きさに押しつぶされそうな心情だとも思う。
だったら何かしらを託けてでもやらない方がいい、とリスク回避を優先する方が文字通り無難。
でも選手のことを考えると・・・というジレンマに多大なストレスもあるはず。
そこでこの折衷案となったと推測する。
そのお陰で、大会開催における感染対策としてこのような方法が先例として出来たことになる。
この動きが全国で広がれば、選手の交流範囲は狭くはなるけれど、活動においては一つの目標となり、少なくとも広く深く広がった霧の中で一つの明るい大きな火を灯すことになる。
その「点」が連なることで、やがてそれが「線」になるというもの。
個人的には重見天日の大いなる一歩だと思った。
その決断を高く評したい。
がしかし、僕自身の試合の予定は未だ無しとなった(笑)
アナウンスすら何も聞こえてはこない。
もう笑うしかない(笑)
でも、活動はしっかり行えている。
最近は健常者との練習ももうワンステップ上げる事が出来ていて、そこにも喜びとともに手応えを感じている。
新しい発見や気づきが重なっている。
良い練習はしっかりと出来ているので、試合のないことに対しての不満やストレスは全くと言って良いほど無い。
それがあるとすれば、ターゲットとするポイントが定められないこと。
スタート地点で「用意・・・」の声で構えたまま、いつくるとも知れない「ドン!」の合図を待っている状況。
過酷と言えば過酷な状態。
そんな自分を楽しんでいたりもするのだけれど(笑)
きっと、一人じゃないからそうなのだと思う。
卓球をともに学び、ともに楽しむ仲間の存在があればこそ。
様々な情報と共に、試行錯誤を健常者の卓球仲間とより高いレベルで共有することで、より充実した切磋琢磨な形を作り出せているように思う。
独りよがりかもしれないけど(笑)
でもその試行錯誤が新しいアイデアや発想を生み出すし、パラ選手ではない健常者との交流が、ある意味異種との交流となり、そこでまた新たなアイデアを得ることが出来るのだと確信している。
それは卓球という競技であるが故のチャンスだと思う。
数あるパラ競技の中でも、ハード面を含め様々な条件が求められる中、卓球であればこそ健常者と障害者が共にプレー出来る、共にプレーしやすいもので、それこそが卓球という競技の特性であり、その恩恵だと実感している。
それを活かさないのはもったいない。
逆に、活かせているからこそ、練習の繰り返しが楽しくてたまらないのだな。
アナウンスも何もない今だからこそ、いつ飛び込んでくるか分からないその時にしっかり備えていなければならないし、その時をベストの状態で迎えられるように体勢を維持していく必要がある。
チャンスは身構えているやつにしか掴めない、というのが僕の信念でもあるし。
イメージトレーニングや妄想といったことはいくらでも好き勝手に出来る。
だから、その類でこれから先を独りよがりにプランニングしてみたりもする。
それでいい。
それでモチベーションが高く維持できるなら安いものだ。
練習を含めそうしたルーティンワークを繰り返し、自分をしっかりと磨き上げていきたい。
でも、感染予防は気を抜かない。
しっかり気をつけて活動していく。
次の試合がいつになるか・・・
妄想しながら自分を磨く・・・
しかない(笑)
去年の今頃は大きな大会が中止になり、さらには緊急事態宣言発布で練習どころか外出すらしない引きこもり状態となった直後で、これからしばらくは試合なんてないだろうなと思ったし、台でボールを打つこともいつになればといった不安もあり、まさに五里霧中、でもその中で今出来ることをやるしかない、と自分を鼓舞していた。
練習は春には再開できたけど、結局のところ試合はずっとないままだ。
毎年11〜12月頃に開催される代表選考を兼ねた大会も昨年は中止となった。
3月開催予定だったジャパン・オープンも2年連続の中止。
2021年も春を迎えて地方での大会の開催もちらほらと聞こえてきたりもしたけれど、諸事情あって現時点では出場を見送っている。
そしてつい最近も試合の話が聞こえてきた。
毎年同じ時期に開催されている大会で、僕も度々出場したもの。
それが開催されるならぜひと思っていた。
がしかし、今年の参加者は近隣4県のみとするということで、それに該当しない僕は出場できないことが分かった。
残念に思う前に、なるほどその手があったか!と感心した。
その出場条件、英断だと思う。
主催者の立場で考えると、開催においてはすごく不安があるだろうし、背負う責任の大きさに押しつぶされそうな心情だとも思う。
だったら何かしらを託けてでもやらない方がいい、とリスク回避を優先する方が文字通り無難。
でも選手のことを考えると・・・というジレンマに多大なストレスもあるはず。
そこでこの折衷案となったと推測する。
そのお陰で、大会開催における感染対策としてこのような方法が先例として出来たことになる。
この動きが全国で広がれば、選手の交流範囲は狭くはなるけれど、活動においては一つの目標となり、少なくとも広く深く広がった霧の中で一つの明るい大きな火を灯すことになる。
その「点」が連なることで、やがてそれが「線」になるというもの。
個人的には重見天日の大いなる一歩だと思った。
その決断を高く評したい。
がしかし、僕自身の試合の予定は未だ無しとなった(笑)
アナウンスすら何も聞こえてはこない。
もう笑うしかない(笑)
でも、活動はしっかり行えている。
最近は健常者との練習ももうワンステップ上げる事が出来ていて、そこにも喜びとともに手応えを感じている。
新しい発見や気づきが重なっている。
良い練習はしっかりと出来ているので、試合のないことに対しての不満やストレスは全くと言って良いほど無い。
それがあるとすれば、ターゲットとするポイントが定められないこと。
スタート地点で「用意・・・」の声で構えたまま、いつくるとも知れない「ドン!」の合図を待っている状況。
過酷と言えば過酷な状態。
そんな自分を楽しんでいたりもするのだけれど(笑)
きっと、一人じゃないからそうなのだと思う。
卓球をともに学び、ともに楽しむ仲間の存在があればこそ。
様々な情報と共に、試行錯誤を健常者の卓球仲間とより高いレベルで共有することで、より充実した切磋琢磨な形を作り出せているように思う。
独りよがりかもしれないけど(笑)
でもその試行錯誤が新しいアイデアや発想を生み出すし、パラ選手ではない健常者との交流が、ある意味異種との交流となり、そこでまた新たなアイデアを得ることが出来るのだと確信している。
それは卓球という競技であるが故のチャンスだと思う。
数あるパラ競技の中でも、ハード面を含め様々な条件が求められる中、卓球であればこそ健常者と障害者が共にプレー出来る、共にプレーしやすいもので、それこそが卓球という競技の特性であり、その恩恵だと実感している。
それを活かさないのはもったいない。
逆に、活かせているからこそ、練習の繰り返しが楽しくてたまらないのだな。
アナウンスも何もない今だからこそ、いつ飛び込んでくるか分からないその時にしっかり備えていなければならないし、その時をベストの状態で迎えられるように体勢を維持していく必要がある。
チャンスは身構えているやつにしか掴めない、というのが僕の信念でもあるし。
イメージトレーニングや妄想といったことはいくらでも好き勝手に出来る。
だから、その類でこれから先を独りよがりにプランニングしてみたりもする。
それでいい。
それでモチベーションが高く維持できるなら安いものだ。
練習を含めそうしたルーティンワークを繰り返し、自分をしっかりと磨き上げていきたい。
でも、感染予防は気を抜かない。
しっかり気をつけて活動していく。
次の試合がいつになるか・・・
妄想しながら自分を磨く・・・
しかない(笑)
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