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科学におけるヒトの改造 3 Human remodeling in science 3

2021-08-30 15:57:26 | 
「それは、ちょうど、ユュナツミルクがクラッチのように働き、成長という、から廻りしていた細胞のエンジンに、ギヤがはいったようであった…」

 

成長をうながす他の物質について、各種の実験が終わってから、研究は第二の段階へはいった。百におよぶニンジンの外植体"(個体からその一部を分離し、体外で培養して得た個体)が、たったひとつの容器のなかで、培されたのである。これらの細胞はそれぞれ違った経過をたどる。非常に大きくなるのもある。順次、分裂して、フィラメント状になるのもある。

酵母菌のように芽を出すものもある。さらにあるものはーーそしてこれがこの話の要点だ細胞塊となり、根を出しはじめる。固体培地へ移してやると、緑の芽をかき出す。ふたび土壌へ移して培義してやると、普通の根と茎と花と種子のあるニンジンになった!

 

今から亡の年前に、オーストリアの生物学者G・ハーバーランドは、このような、栄養生殖《結性生源)が、いっか実現することを夢みていた。その夢を、スチュワードは現実のものにしたのである。その後の実験から、ニンジンの初期の歴のひとつからとり出した細胞のほとんどどれでも、先に述べたように、無性的に個体にまで成長させることができることが実証された。

 

スチュワードが難関を突破して以来、べつの研究者たちはタバコについて同様な実験に成功した。

これは,ニンジンの場合とはまた少し違った培養の操作手順を苦心して見出さねばならなか

った。それぞれの植物により、その培養条件は違っているもののようである。これと同じことが、まもなくほかのどんた植物でも成功すると考えられている。

 

ところで、

間習は、これと同じことが動物細胞についてもできるかどうかということである。

その答は、決して不可能なことではない、というものである。

 

もちろん、それは容易なものではない。

 

大体、実験室で細胞を培養することは、けっして新しい技術ではない。けれども、たった一個の細胞をもとに、これを薄層の組織にまで成長させる方法が発見されたのは、つい十数年まえのことである。普通は、たった一個の細胞では、栄養培地中におかれても分裂できない。故ウィルトン・アールが、ある方法を発見してこれに成功した。が、これらの培養細胞は、分裂増殖して大きくはなっても、器官などの構造体を形成する気配をほとんど示さない。器官の形成は、多分、隣りにある別の組織から出てくる化学物質によるものだと思われている。ある程度の見当はついており、現在、その点の究明に研究がすすめられつつある。正直いって、まだ、細胞培養と察官の開には、橋がかけられていないというのが実状である。

 

 

"It was just like Yunatsu Milk acting like a clutch and gearing into the engine of the cells that were spinning from the point of growth ..."

After various experiments on other growth-promoting substances, research went into the second phase. Hundreds of carrot explants "(individuals obtained by separating a portion of an individual and culturing it in vitro) were cultivated in a single container. These cells are different. It can be very large, and it can be split into filaments in sequence.
Some sprout like yeast. What's more-and this is the point of this story, the cell mass that begins to take root. When transferred to a solid medium, green sprouts are scraped out. When I moved it to the soil again and cultivated it, it became a carrot with ordinary roots, stems, flowers and seeds!

A year before his death, Austrian biologist G. Harborland dreamed of achieving such vegetative reproduction. Steward made that dream a reality. Subsequent experiments demonstrated that almost any cell from one of the early history of carrots, as mentioned earlier, can grow asexually into an individual.

Since Steward broke through the obstacles, other researchers have succeeded in similar experiments on tobacco.
This has to be painstakingly found with a slightly different culture procedure than for carrots.
It was. It seems that the culture conditions are different for each plant. It is believed that the same thing will soon succeed in any other plant.

by the way,
The practice is whether the same can be done for animal cells.
The answer is that it's not impossible.

Of course, it's not easy.

In general, culturing cells in the laboratory is by no means a new technique. However, it was only a dozen years ago that a method was discovered to grow a single cell into a thin layer of tissue. Normally, a single cell cannot divide even when placed in a nutrient medium. The late Wilton Earl discovered a method and succeeded in doing so. However, these cultured cells show little sign of forming structures such as organs, even if they divide and proliferate and grow larger. The formation of organs is probably due to chemicals coming from another tissue next door. I have some idea, and research is currently underway to investigate this point. To be honest, the reality is that there is still no bridge between cell culture and the opening of the inspector.

 

 
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大日如来 Dainichi Nyorai

2021-08-27 09:51:13 | 
 

</form>大日如来







大日如来(だいにちにょらい、Mahāvairocana)は、真言密教の教主であるであり、密教本尊][3]。一切の諸仏菩薩本地[2]




胎蔵曼荼羅の胎蔵大日如来(中央)







円成寺大日如来像(金剛界大日、運慶作、国宝







11世紀から12世紀(平安時代)に作られた大日如来像、重要文化財、東京国立博物館蔵







胎蔵曼荼羅







金剛界曼荼羅







大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。

 

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。



 

真言




  • オン・バザラ・ダト・バン (金剛界)

    • Oṃ vajra-dhātu vaṃ[14]



  • ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン (胎蔵界)

    • Namaḥ samanta-buddhānāṃ, a vi ra hūṃ khaṃ[









 
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大日如来 Dainichi Nyorai

2021-08-27 09:51:13 | 
 

</form>大日如来







大日如来(だいにちにょらい、Mahāvairocana)は、真言密教の教主であるであり、密教本尊][3]。一切の諸仏菩薩本地[2]




胎蔵曼荼羅の胎蔵大日如来(中央)







円成寺大日如来像(金剛界大日、運慶作、国宝







11世紀から12世紀(平安時代)に作られた大日如来像、重要文化財、東京国立博物館蔵







胎蔵曼荼羅







金剛界曼荼羅







大日とは「大いなる日輪」という意味です。太陽を司る毘盧舎那如来がさらに進化した仏です。密教では大日如来は宇宙の真理を現し、宇宙そのものを指します。また、すべての命あるものは大日如来から生まれたとされ、釈迦如来も含めて他の仏は大日如来の化身と考えられています。

 

大日如来には悟りを得る為に必要な智慧を象徴する金剛界大日如来と、無限の慈悲の広がりを象徴する胎蔵界大日如来という2つの異なる捉え方があります。金剛とはダイヤモンドのことを指し、智慧がとても堅く絶対に傷がつくことがないことを意味しています。また、胎蔵とは母親の母胎のようにすべての森羅万象が大日如来の中に包み込まれている様を意味しています。この2つが揃って大日如来を本尊とする密教の世界観が出来上がるのです。



 

真言




  • オン・バザラ・ダト・バン (金剛界)

    • Oṃ vajra-dhātu vaṃ[14]



  • ナウマク・サンマンダ・ボダナン・アビラウンケン (胎蔵界)

    • Namaḥ samanta-buddhānāṃ, a vi ra hūṃ khaṃ[









 
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密教カード 買いました。

2021-06-30 19:37:02 | 
密教カード 買いました
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守護仏とはどういう仏か?  What kind of Buddha is a guardian Buddha?

2021-06-04 17:07:49 | 
守護仏とはどういう仏か?

 

仏教における信仰は、
仏法僧の「三宝」によって成り立つ


それまで、阿含経は小乗仏教とされて、大乗仏教の宗派から全くかえりみられることなく過ごしてきました。
桐山管長が、その歴史上の誤りを正され、阿含宗を立宗してお釈迦さまが説かれた真実の仏教を信仰の面から世に弘めることになった意義は、まことに大きいものです。
仏教における信仰は、「仏」「法」「僧」の三大要素によって成り立ちます。仏教教団は、この三つの要素が正しいものであると同時に、すべてそろっていなければなりません。
つまり、正しい教団か否かは、それによって決定するわけです。


阿含宗の本尊である真正仏舎利尊の祀られた祭壇

一、仏
その宗旨における信仰の絶対対象である仏を「本尊」と呼びます。阿含宗の本尊は、釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃり)」です。
阿含宗では、これを「真正仏舎利尊(しんせいぶっしゃりそん)」と呼んでいます。
仏教徒にとって、ゴータマ・ブッダ=お釈迦さまのご聖骨である真正仏舎利は「生いける釈迦」そのものであり、仏教では唯一最高の本尊です。
想像や概念上の仏ではなく、木像や図像の仏でもなく、ブッダとして実在した釈迦の聖骨であり、仏教における最高の本尊です。

二、法
阿含宗には、三つの修行法があります。

「成仏法(じょうぶつほう)」
 生者、死者を問わず、カルマ(業)を断ち切り、因縁解脱(成仏)してブッダ(真理に目覚めた人)になる方法です。
釈尊が阿含経の中で説かれている、「七科三十七道品」がその成仏法です。

「如意宝珠法(にょいほうじゅほう)」
真言密教において、最高最奥義とされる秘法です。この法を修するためには真身舎利が必要です。真身舎利を奉安して如意宝珠法を修すると、真身舎利変じて如意宝珠となるのです。如意宝珠法とは、願うがままに、福徳宝生・因縁解脱の功徳を与えてくださる秘法です。

「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」
古くから真言密教に伝わる、人を天才にする法です。しかし、これまでに多くの高僧たちがこの法を修してきましたが、そのほとんどは目的を達成することができませんでした。
阿含宗の求聞持聡明法は、真言密教に伝わるものとはまったく異なる独自の法です。
管長猊下は「求聞持聡明法」の原点が、釈迦の成仏法「七科三十七道品」の中にあることを発見されました。
七科三十七道品の中の「四神足法(しじんそくほう)」こそ、人間の頭脳を改造し、凡夫をして仏陀のさとりに至らしめる法であることを発見、これを復元されました。

三、僧
 僧とは、教団そのもの、または指導者を指します。
阿含宗は、桐山靖雄管長を指導者として仰ぎ、真正仏舎利尊を本尊とする、サンガ(僧伽)、すなわち教団です。
「すべてのカルマを断つ釈迦直説の成仏法」「解脱宝生の徳が授かる如意宝珠法」「新しい二十一世紀を創り出すホモ・エクセレンスを輩出する求聞持聡明法」。阿含宗は、この三大秘法を有するサンガです。
ホモ・エクセレンス= ホモ・サピエンスが持たない特別な能力をを身につけた「優秀なるヒト」

 

 

守護仏とはどういう仏か?

利を、守護仏とおよびするのである。守護仏とは、仏舎利のことなのである。

 それは当然のことで、仏教の始祖たる仏陀シャカこそ、すべての仏教徒の一心の祈

りにこたえて、救いの手をさしのべてくださる守護仏なのである。

「駄都法」「如意宝珠法」

 

密教最極最奥の秘法


 

 さて、わたくしは、さきの章で、密教が、盛大な仏舎利信仰をマンダラにとり入れたとのべたが、密教が仏舎利信仰をとり入れたのは、マンダラだけではなかったのである。

 

 密教にとってもっとも重要な修法の上にもとり入れたのである。

「駄都法」「如意宝珠法」と名づける、密教において最極最奥とされる深秘の法がそれである。

 つまり、インドの仏教徒たちが得た霊験功徳を、修法としてとり入れたわけだ。それはかたちを変えた仏舎利信仰にほかならないわけで、密教は、こういうかたちで、インドにおける仏教信仰の本流をとり入れたということである。

 

「如意宝珠法」についてすこしのべると、「如意宝珠法」とは、如意宝珠を本尊として修する法である。

 それでは、如意宝珠とはいったいなにかというと、それは仏舎利のことで、『密教

 

大辞典』(法蔵館)に、こうしるされている。

 

如意宝珠


 梵に真陀摩尼という。真陀は思惟、摩尼は宝珠なり。宝珠より種々の物を出すこと意の如くなるをもって名づく。

 略して如意珠・宝珠摩尼・摩尼珠といい、能作性珠とも名づく。古来、竜王あるいは摩鶏魚の脳中等より出づといい或いは仏舎利変じて宝珠となるという。(中

略)L八、弘法人師空海の。御遺告”に、如意宝珠の製造法が記されており、それによ

 

ると、仏舎利三十二粒を、純金と数種の香木をもって練って玉とするとあり。のち、範俊、勝賢の二僧正もこれを製作し、実賢僧正の、『秘紗問答』十八に「日本国宝珠製造人、大師、範俊、勝賢僧正、以上の三人也Lとあるが、その勝賢僧正の秘記によると、じつは仏舎利を相承の口伝に依って厳封し、これを如意宝珠と観ずるのであって練玉を造るのではない、とある。

 

 つまり、要するに仏舎利そのものをもって、如意宝珠とするわけである。

 

 この如意宝珠、すなわち仏舎利をもって本尊とし、法を修するのが、「如意宝珠法」であるが、おなじく『密教大辞典』にこうある。

如意宝珠法


 

略して宝珠法という。如意宝珠を本尊として修する法。

 この法は密教における最極深秘の法にして、つねにはこの名を秘して、姐理法

と合字を用い、あるいは如宝・如法・如去といい、あるいは駄都法・{朱法・如々{一と記し、あるいは彼法と記す。

この法には本経本軌なく、御遺告ならびに師資相承の口伝をもって修行の軌則とす。

 三宝院流等はこの法と駄都法を同一とし、釈尊の舎利を如意宝珠と観ずる秘法となせども、勧修寺流等は各別法とす。

 この法は、舎利すなわち宝珠を本尊として修する秘法なるがゆえに、駄都秘訣に本尊の観じかたをのべて、

 分亀(回診)字一変盛宝鉢一鉢変戌・釈迦牟尼如来丿是常在霊山仏也。濁世末代

衆生不辿習多仏身叙、以矢悲方便一入‘・宝生三摩少即芦身ま孝(応答)チ、字変

席如意宝珠一宝珠即駄都也。(バク字あり、変じて宝鉢となる

 

牟尼如来となる。是れ、常在霊山の仏なり。濁世末代の衆生、仏身を見るにたえず、故に大悲の方便をもって宝生の三摩地に入り、即ち身を変じてタラク宇と

なり、字変じて如意宝珠となる。宝珠すなわち駄都なり) と示し、此の法は生身の舎利即ち吾人本其の覚性と同一体なりと観ずるなり。

……此の法を修するには、道場の中心に塔婆(舎利宝塔)を安んじ、其の中に仏舎利(五粒・三粒・一粒等)を金壷に盛りこれを安んず。 とある。

 

「如意宝珠法」は、『密教大辞典』にある通り、密教最極最奥の深秘の法であるから、

まだいろいろ秘して口伝としている部分が多いが、以上でだいたいおわかりのことと思う。

 それでは、その深秘の法である「如意宝珠法Lは、いかなる法験ありや、ということになるが、それは、この法の本尊観(道場観)のところで、つぎのように観じているところから、およそ、推察できるであろう。

 

 

 

 

 

如意宝珠法の本尊観

 三宝院流の「如意宝珠法、本尊観」では、つぎのように観じるのである。

 ……一宇変じて如意宝珠となる。即ち、七ぢの大光明を放って十方世界を照らす。光の中に無量の珍宝名衣上服百味の飲食を雨らす。一切の所須みな衆生の願楽にしたがって充足せしむ。

 また、光の中に宝蓮華を雨らす。蓮華の中に声あって、微妙の法を説く。衆生、聞く者ことごとく無上菩提心を発す。

 また、この光はるかに奈梨(地獄)の底を照らす。受苦の衆生ことごとく抜苦

与楽す。凡そ三界困苦の衆生、一々みなこの光に触れて解脱を得。

つまりヽこの法の法験は、

 

   福徳宝生


 

   因縁解脱


 

 の二つの功徳をあたえるのである。

 

 ……光の中に無量の珍宝名衣上服百味の飲食を雨らす。一切の所須み』な衆生の願楽にしたがって充足せしむ……衆生の一切の願いごと、望みごとをみなかなえる、すなわち、福徳宝生であり、

 

 ……凡そ三界困苦の衆生、一々みなこの光に触れて解脱を得……地獄におちて苦しむもの、悪因縁に苦しむ三界の衆生、ことごとく解脱させる。すなわち、因縁解脱の

功徳である。

 

 まさに、密教が、これ以上の法はないとして、最極最奥の深秘の法とするのは、当然のことである。

 

 密教に、秘法、大法、かず知れずあるといえども、これに勝る法はない。密教の修行者にして、一度はこの法を修してみたいと願わぬものは、だれI人ないいの鰹』ろうか。

 








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What kind of Buddha is the guardian Buddha?

 

Faith in Buddhism
It is made up of the Buddhist monk "Sanpo"

Until then, Agama was regarded as Hinayana Buddhism, and he spent his time without being seen by the Mahayana Buddhist denominations.
It is of great significance that President Kiriyama corrected his historical mistakes and decided to establish Agon Shu and promote the true Buddhism that Shaka preached to the world from the aspect of faith.
Faith in Buddhism is made up of the three major elements of "Buddha," "law," and "monk." The Buddhist sect must have all three elements at the same time as being correct.
In other words, it determines whether or not it is the correct cult.

An altar enshrined by the true Buddhist priest, Toshison, the principal image of Agon Shu

One, Buddha
The Buddha, which is the absolute object of faith in that sect, is called the "honzon." The principal image of Agon Shu is "Shinjinshari", which has been deeply revered among Buddhists since ancient times as a sacred object in which the Holy Spirit of Buddha resides.
In Agon Shu, this is called "Shinsei Buddhist priesthood".
For Buddhists, the true Buddha's sacred bone, Gautama Buddha, is the "living Buddha" itself, and is the only principal image of Buddhism.
It is neither an imaginary or conceptual Buddha, nor a wooden or iconographic Buddha, but a sacred bone of Buddha that actually existed as Buddha, and is the highest principal image in Buddhism.

Two, the law
There are three training methods in Agon Shu.

"Buddhahood Law"
Regardless of whether it is alive or dead, it is a method of cutting off karma (work), breaking the cause (Buddhahood), and becoming a Buddha (a person who has awakened to the truth).
The Buddhahood method is "Seven departments and thirty-seven dojos," which Buddha preaches in Agama.

"Nyoi Hojuho"
It is the highest and most mysterious secret method in Shingon Esoteric Buddhism. In order to learn this law, you need to have a true body. If you enshrine the true body and practice the Nyoi jewel method, the true body will change to become a jewel. The Nyoi Hojuho is a secret method that gives you the merit of Fukutoku Hosei and the liberation of the cause, as you wish.

"Gumonji Someiho"
It is a method of making people a genius, which has been passed down from ancient times to Shingon Esoteric Buddhism. However, many high priests have practiced this law so far, but most of them have failed to achieve their goals.
Agon Shu's scholarship method is a unique method that is completely different from the one transmitted in Shingon Esoteric Buddhism.
His Eminence discovered that the origin of the "Kancho Mochi Satoshiho" is in the Buddhahood Buddhahood "Seven Departments Thirty-Seven Doshin".
It was discovered that the "Shijinsokuho" in the seven departments and thirty-seven doctrines is the method of remodeling the human brain and making it an ordinary man to become a Buddha's satori, and restored it. it was done.

Three, monks
A monk refers to the cult itself or a leader.
Agon Shu is a sanga (monk), or sect, with President Seiyu Kiriyama as the leader and the principal image of the Shinto Buddhist priest.
"The Buddhahood method of the Buddha's theory that cuts off all karma," "The Buddha's method that gives the virtue of liberation treasure," and "The Homo Excellence * that creates a new 21st century." Agon Shu is a sanga with these three great secret laws.
* Homo Excellence = "Excellent Human" with special abilities that Homo Sapiens does not have

 

 

 

What kind of Buddha is the guardian Buddha?

Toshi is the guardian Buddha. The guardian Buddha is a Buddhist shrine.

It is natural that Buddha Shaka, the founder of Buddhism, is the one-hearted prayer of all Buddhists.

It is a guardian Buddha who responds and offers a helping hand.

"Dad capital law" "Nyoi jewel method"

 

The secret method of esoteric Buddhism

 

By the way, I mentioned in the previous chapter that esoteric Buddhism introduced the magnificent Buddhist priesthood belief into the mandala, but esoteric Buddhism was not the only one who adopted the Buddhist priesthood belief.

 

It was also incorporated into the most important practice for esoteric Buddhism.

It is the secret law that is said to be the deepest and deepest in esoteric Buddhism, which is called the "Datoho" and "Nyoi Hojuho".

In other words, the spiritual merit gained by Indian Buddhists was incorporated as a practice. It is nothing more than a changed form of Buddhist belief, and esoteric Buddhism has adopted the mainstream of Buddhist beliefs in India in this way.

 

About the "Nyoi jewel method" The "Nyoi jewel method" is a method of repairing the Nyoi jewel as the principal image.

Then, what exactly is a Buddhist jewel? It is a Buddhist priesthood, and "Esoteric Buddhism"

 

This is described in the "Dictionary" (Hozokan).

 

Nyoi Jewel

It is called Shinda Nun in the 梵. The truth is thought, and the nun is a jewel. It is named with the intention of putting out various things from the jewels.

For short, it is called Nyoiju, Hoju, Mani, and Mani, and it is also called Nousaku pearl. From ancient times, it is said that it should come out from the brain of Ryuo or Matori fish, or it will change to a Buddhist temple and become a jewel. (During

Omitted) L Hachi, Hiroshi Corporation Kukai's. The "Declaration" describes how to make Nyoi Jewels.

 

Then, it is said that 32 Buddhist shrines are kneaded with pure gold and several kinds of fragrant wood to make a ball. Later, the two priests, Noritoshi and Shoken, also produced this, and in the 18th "Secret Question and Answer" by the real priest, "Japanese national jewel maker, Daishimachi, Noritoshi, Shoken priest, and the above three people. There is L, but according to the secretary of the Shoken priest, the Buddhist priest is actually sealed by the oral tradition of the agreement, and this is regarded as a jewel, not a jewel.

 

In other words, the Buddhist priesthood itself is used as a jewel.

 

This esoteric jewel, that is, the Buddhist priesthood, is the principal image of the Buddhist priest, and the law is learned by the esoteric jewel method.

Nyoi Jewel Method

 

It is called the jewel method for short. A method of repairing Nyoi Jewel as the principal image.

This law is the most secret law in esoteric Buddhism, always keeping this name secret,

Use the ligature, or call it Nyoho, Nyoho, Nyojo, or Datoho, {Zhuho, Nyo {one, or his method.

There is no main rule in this law, and the rule of practice is based on the decree and the oral tradition of the teachers.

The Sanbo-in style, etc. are the same as this law and the Dato method, and although it is a secret method that regards Buddha's sword as a Buddha, the Koshuji style, etc. are different methods.

Because this method is a secret method of repairing the priesthood, that is, the jewels as the principal idol, the secret of the gods is to show how to view the principal idol.

Bun turtle (round-trip) character one change Sheng treasure bowl one bowl change ・ Shaka Nyorai Nyorai 丿 resident Reiyama Buddha. The end of the muddy world

Sentient sentient beings unfollowed, many Buddha's body, Iya sad courier one entry', Hosho Sanma Sho Immediately Ashimi Mataka (response) Chi, character change

Seat Nyoi Jewel Ichi Jewel Immediately Toya. (There is a back character, and it turns into a treasure bowl

 

It will be Buddha Nyorai. It's a Buddha of Mt. Ryozen. The sentient beings of the late turbulent world, who never saw the Buddha's body, therefore entered the Hosho's Samadhi with a mournful expedient, that is, changed their body to Tarakuu.

It turns into a jewel. It is shown as a jewel, that is, a bad city), and this law is regarded as the same as the consciousness of the living body, that is, the soul of the person.

...... To practice this method, rest the pagoda (Sarihoto) in the center of the dojo, and put Buddhist shrines (five grains, three grains, one grain, etc.) in a gold jar. .. a.

 

As you can see in the "Esoteric Buddhism Encyclopedia", the "Nyoi Hojuho" is the deepest and most secret method of esoteric Buddhism.

There are still a lot of secrets and oral stories, but I think that you can understand from the above.

Then, the secret law, "What kind of legal trial is there in the Nyoi Jewel Method L?" From this, it can be inferred.

 

 

 

 

 

 

 

The principal image of the Buddhist jewel method

In the Sanbo-in style of "Nyoi Hojuho, Honzonkan", the view is as follows.

‥ …… Ichiu changed to become a jewel. That is, it illuminates the ten-sided world with a great light of seven. In the light, it rains the food and drink of a myriad of rare treasures, clothing, and hundreds of tastes. Everything is satisfied according to the wishes of sentient beings.

Also, let the treasure lotus rain in the light. There is a voice in the lotus flower and he preaches a delicate law. All sentient beings and listeners give off a bodhicitta spirit.

Also, this light far illuminates the bottom of Nari (hell). All suffering sentient beings

Enjoy. Approximately all sentient beings in the three worlds are exposed to this light and get liberated.

In other words, the legal test of this method is

 

Fukutoku Hosho

 

Dissolution of the cause

 

It gives two merits.

 

‥ …… Rains the food and drink of a myriad of rare treasures, clothing, and clothes in the light. Satisfy all sentient beings according to the wishes of sentient beings ... All sentient beings' wishes and wishes can be fulfilled, that is, Fukutoku Hosho.

 

‥ …… Approximately three world suffering sentient beings, all touching this light and gaining liberation …… The ones suffering from hell, the sentient beings suffering from bad causes, all the sentient beings of the three worlds are liberated. That is,

It is a merit.

 

It is only natural that esoteric Buddhism is the deepest and most secret law, even if there is no more law.

 

Although esoteric Buddhism has secret law, great law, and esoteric Buddhism, there is no better way than this. Who is the esoteric practitioner who does not want to learn this law at least once?
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守護仏とはどういう仏か?  What kind of Buddha is a guardian Buddha?

2021-06-04 17:07:49 | 
守護仏とはどういう仏か?

 

仏教における信仰は、
仏法僧の「三宝」によって成り立つ


それまで、阿含経は小乗仏教とされて、大乗仏教の宗派から全くかえりみられることなく過ごしてきました。
桐山管長が、その歴史上の誤りを正され、阿含宗を立宗してお釈迦さまが説かれた真実の仏教を信仰の面から世に弘めることになった意義は、まことに大きいものです。
仏教における信仰は、「仏」「法」「僧」の三大要素によって成り立ちます。仏教教団は、この三つの要素が正しいものであると同時に、すべてそろっていなければなりません。
つまり、正しい教団か否かは、それによって決定するわけです。


阿含宗の本尊である真正仏舎利尊の祀られた祭壇

一、仏
その宗旨における信仰の絶対対象である仏を「本尊」と呼びます。阿含宗の本尊は、釈迦の聖霊(せいれい)が宿る聖物(せいもつ)として、昔から仏教徒の間で深く尊崇されている「真身舎利(しんじんしゃり)」です。
阿含宗では、これを「真正仏舎利尊(しんせいぶっしゃりそん)」と呼んでいます。
仏教徒にとって、ゴータマ・ブッダ=お釈迦さまのご聖骨である真正仏舎利は「生いける釈迦」そのものであり、仏教では唯一最高の本尊です。
想像や概念上の仏ではなく、木像や図像の仏でもなく、ブッダとして実在した釈迦の聖骨であり、仏教における最高の本尊です。

二、法
阿含宗には、三つの修行法があります。

「成仏法(じょうぶつほう)」
 生者、死者を問わず、カルマ(業)を断ち切り、因縁解脱(成仏)してブッダ(真理に目覚めた人)になる方法です。
釈尊が阿含経の中で説かれている、「七科三十七道品」がその成仏法です。

「如意宝珠法(にょいほうじゅほう)」
真言密教において、最高最奥義とされる秘法です。この法を修するためには真身舎利が必要です。真身舎利を奉安して如意宝珠法を修すると、真身舎利変じて如意宝珠となるのです。如意宝珠法とは、願うがままに、福徳宝生・因縁解脱の功徳を与えてくださる秘法です。

「求聞持聡明法(ぐもんじそうめいほう)」
古くから真言密教に伝わる、人を天才にする法です。しかし、これまでに多くの高僧たちがこの法を修してきましたが、そのほとんどは目的を達成することができませんでした。
阿含宗の求聞持聡明法は、真言密教に伝わるものとはまったく異なる独自の法です。
管長猊下は「求聞持聡明法」の原点が、釈迦の成仏法「七科三十七道品」の中にあることを発見されました。
七科三十七道品の中の「四神足法(しじんそくほう)」こそ、人間の頭脳を改造し、凡夫をして仏陀のさとりに至らしめる法であることを発見、これを復元されました。

三、僧
 僧とは、教団そのもの、または指導者を指します。
阿含宗は、桐山靖雄管長を指導者として仰ぎ、真正仏舎利尊を本尊とする、サンガ(僧伽)、すなわち教団です。
「すべてのカルマを断つ釈迦直説の成仏法」「解脱宝生の徳が授かる如意宝珠法」「新しい二十一世紀を創り出すホモ・エクセレンスを輩出する求聞持聡明法」。阿含宗は、この三大秘法を有するサンガです。
ホモ・エクセレンス= ホモ・サピエンスが持たない特別な能力をを身につけた「優秀なるヒト」

 

 

守護仏とはどういう仏か?

利を、守護仏とおよびするのである。守護仏とは、仏舎利のことなのである。

 それは当然のことで、仏教の始祖たる仏陀シャカこそ、すべての仏教徒の一心の祈

りにこたえて、救いの手をさしのべてくださる守護仏なのである。

「駄都法」「如意宝珠法」

 

密教最極最奥の秘法


 

 さて、わたくしは、さきの章で、密教が、盛大な仏舎利信仰をマンダラにとり入れたとのべたが、密教が仏舎利信仰をとり入れたのは、マンダラだけではなかったのである。

 

 密教にとってもっとも重要な修法の上にもとり入れたのである。

「駄都法」「如意宝珠法」と名づける、密教において最極最奥とされる深秘の法がそれである。

 つまり、インドの仏教徒たちが得た霊験功徳を、修法としてとり入れたわけだ。それはかたちを変えた仏舎利信仰にほかならないわけで、密教は、こういうかたちで、インドにおける仏教信仰の本流をとり入れたということである。

 

「如意宝珠法」についてすこしのべると、「如意宝珠法」とは、如意宝珠を本尊として修する法である。

 それでは、如意宝珠とはいったいなにかというと、それは仏舎利のことで、『密教

 

大辞典』(法蔵館)に、こうしるされている。

 

如意宝珠


 梵に真陀摩尼という。真陀は思惟、摩尼は宝珠なり。宝珠より種々の物を出すこと意の如くなるをもって名づく。

 略して如意珠・宝珠摩尼・摩尼珠といい、能作性珠とも名づく。古来、竜王あるいは摩鶏魚の脳中等より出づといい或いは仏舎利変じて宝珠となるという。(中

略)L八、弘法人師空海の。御遺告”に、如意宝珠の製造法が記されており、それによ

 

ると、仏舎利三十二粒を、純金と数種の香木をもって練って玉とするとあり。のち、範俊、勝賢の二僧正もこれを製作し、実賢僧正の、『秘紗問答』十八に「日本国宝珠製造人、大師、範俊、勝賢僧正、以上の三人也Lとあるが、その勝賢僧正の秘記によると、じつは仏舎利を相承の口伝に依って厳封し、これを如意宝珠と観ずるのであって練玉を造るのではない、とある。

 

 つまり、要するに仏舎利そのものをもって、如意宝珠とするわけである。

 

 この如意宝珠、すなわち仏舎利をもって本尊とし、法を修するのが、「如意宝珠法」であるが、おなじく『密教大辞典』にこうある。

如意宝珠法


 

略して宝珠法という。如意宝珠を本尊として修する法。

 この法は密教における最極深秘の法にして、つねにはこの名を秘して、姐理法

と合字を用い、あるいは如宝・如法・如去といい、あるいは駄都法・{朱法・如々{一と記し、あるいは彼法と記す。

この法には本経本軌なく、御遺告ならびに師資相承の口伝をもって修行の軌則とす。

 三宝院流等はこの法と駄都法を同一とし、釈尊の舎利を如意宝珠と観ずる秘法となせども、勧修寺流等は各別法とす。

 この法は、舎利すなわち宝珠を本尊として修する秘法なるがゆえに、駄都秘訣に本尊の観じかたをのべて、

 分亀(回診)字一変盛宝鉢一鉢変戌・釈迦牟尼如来丿是常在霊山仏也。濁世末代

衆生不辿習多仏身叙、以矢悲方便一入‘・宝生三摩少即芦身ま孝(応答)チ、字変

席如意宝珠一宝珠即駄都也。(バク字あり、変じて宝鉢となる

 

牟尼如来となる。是れ、常在霊山の仏なり。濁世末代の衆生、仏身を見るにたえず、故に大悲の方便をもって宝生の三摩地に入り、即ち身を変じてタラク宇と

なり、字変じて如意宝珠となる。宝珠すなわち駄都なり) と示し、此の法は生身の舎利即ち吾人本其の覚性と同一体なりと観ずるなり。

……此の法を修するには、道場の中心に塔婆(舎利宝塔)を安んじ、其の中に仏舎利(五粒・三粒・一粒等)を金壷に盛りこれを安んず。 とある。

 

「如意宝珠法」は、『密教大辞典』にある通り、密教最極最奥の深秘の法であるから、

まだいろいろ秘して口伝としている部分が多いが、以上でだいたいおわかりのことと思う。

 それでは、その深秘の法である「如意宝珠法Lは、いかなる法験ありや、ということになるが、それは、この法の本尊観(道場観)のところで、つぎのように観じているところから、およそ、推察できるであろう。

 

 

 

 

 

如意宝珠法の本尊観

 三宝院流の「如意宝珠法、本尊観」では、つぎのように観じるのである。

 ……一宇変じて如意宝珠となる。即ち、七ぢの大光明を放って十方世界を照らす。光の中に無量の珍宝名衣上服百味の飲食を雨らす。一切の所須みな衆生の願楽にしたがって充足せしむ。

 また、光の中に宝蓮華を雨らす。蓮華の中に声あって、微妙の法を説く。衆生、聞く者ことごとく無上菩提心を発す。

 また、この光はるかに奈梨(地獄)の底を照らす。受苦の衆生ことごとく抜苦

与楽す。凡そ三界困苦の衆生、一々みなこの光に触れて解脱を得。

つまりヽこの法の法験は、

 

   福徳宝生


 

   因縁解脱


 

 の二つの功徳をあたえるのである。

 

 ……光の中に無量の珍宝名衣上服百味の飲食を雨らす。一切の所須み』な衆生の願楽にしたがって充足せしむ……衆生の一切の願いごと、望みごとをみなかなえる、すなわち、福徳宝生であり、

 

 ……凡そ三界困苦の衆生、一々みなこの光に触れて解脱を得……地獄におちて苦しむもの、悪因縁に苦しむ三界の衆生、ことごとく解脱させる。すなわち、因縁解脱の

功徳である。

 

 まさに、密教が、これ以上の法はないとして、最極最奥の深秘の法とするのは、当然のことである。

 

 密教に、秘法、大法、かず知れずあるといえども、これに勝る法はない。密教の修行者にして、一度はこの法を修してみたいと願わぬものは、だれI人ないいの鰹』ろうか。

 








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What kind of Buddha is the guardian Buddha?

 

Faith in Buddhism
It is made up of the Buddhist monk "Sanpo"

Until then, Agama was regarded as Hinayana Buddhism, and he spent his time without being seen by the Mahayana Buddhist denominations.
It is of great significance that President Kiriyama corrected his historical mistakes and decided to establish Agon Shu and promote the true Buddhism that Shaka preached to the world from the aspect of faith.
Faith in Buddhism is made up of the three major elements of "Buddha," "law," and "monk." The Buddhist sect must have all three elements at the same time as being correct.
In other words, it determines whether or not it is the correct cult.

An altar enshrined by the true Buddhist priest, Toshison, the principal image of Agon Shu

One, Buddha
The Buddha, which is the absolute object of faith in that sect, is called the "honzon." The principal image of Agon Shu is "Shinjinshari", which has been deeply revered among Buddhists since ancient times as a sacred object in which the Holy Spirit of Buddha resides.
In Agon Shu, this is called "Shinsei Buddhist priesthood".
For Buddhists, the true Buddha's sacred bone, Gautama Buddha, is the "living Buddha" itself, and is the only principal image of Buddhism.
It is neither an imaginary or conceptual Buddha, nor a wooden or iconographic Buddha, but a sacred bone of Buddha that actually existed as Buddha, and is the highest principal image in Buddhism.

Two, the law
There are three training methods in Agon Shu.

"Buddhahood Law"
Regardless of whether it is alive or dead, it is a method of cutting off karma (work), breaking the cause (Buddhahood), and becoming a Buddha (a person who has awakened to the truth).
The Buddhahood method is "Seven departments and thirty-seven dojos," which Buddha preaches in Agama.

"Nyoi Hojuho"
It is the highest and most mysterious secret method in Shingon Esoteric Buddhism. In order to learn this law, you need to have a true body. If you enshrine the true body and practice the Nyoi jewel method, the true body will change to become a jewel. The Nyoi Hojuho is a secret method that gives you the merit of Fukutoku Hosei and the liberation of the cause, as you wish.

"Gumonji Someiho"
It is a method of making people a genius, which has been passed down from ancient times to Shingon Esoteric Buddhism. However, many high priests have practiced this law so far, but most of them have failed to achieve their goals.
Agon Shu's scholarship method is a unique method that is completely different from the one transmitted in Shingon Esoteric Buddhism.
His Eminence discovered that the origin of the "Kancho Mochi Satoshiho" is in the Buddhahood Buddhahood "Seven Departments Thirty-Seven Doshin".
It was discovered that the "Shijinsokuho" in the seven departments and thirty-seven doctrines is the method of remodeling the human brain and making it an ordinary man to become a Buddha's satori, and restored it. it was done.

Three, monks
A monk refers to the cult itself or a leader.
Agon Shu is a sanga (monk), or sect, with President Seiyu Kiriyama as the leader and the principal image of the Shinto Buddhist priest.
"The Buddhahood method of the Buddha's theory that cuts off all karma," "The Buddha's method that gives the virtue of liberation treasure," and "The Homo Excellence * that creates a new 21st century." Agon Shu is a sanga with these three great secret laws.
* Homo Excellence = "Excellent Human" with special abilities that Homo Sapiens does not have

 

 

 

What kind of Buddha is the guardian Buddha?

Toshi is the guardian Buddha. The guardian Buddha is a Buddhist shrine.

It is natural that Buddha Shaka, the founder of Buddhism, is the one-hearted prayer of all Buddhists.

It is a guardian Buddha who responds and offers a helping hand.

"Dad capital law" "Nyoi jewel method"

 

The secret method of esoteric Buddhism

 

By the way, I mentioned in the previous chapter that esoteric Buddhism introduced the magnificent Buddhist priesthood belief into the mandala, but esoteric Buddhism was not the only one who adopted the Buddhist priesthood belief.

 

It was also incorporated into the most important practice for esoteric Buddhism.

It is the secret law that is said to be the deepest and deepest in esoteric Buddhism, which is called the "Datoho" and "Nyoi Hojuho".

In other words, the spiritual merit gained by Indian Buddhists was incorporated as a practice. It is nothing more than a changed form of Buddhist belief, and esoteric Buddhism has adopted the mainstream of Buddhist beliefs in India in this way.

 

About the "Nyoi jewel method" The "Nyoi jewel method" is a method of repairing the Nyoi jewel as the principal image.

Then, what exactly is a Buddhist jewel? It is a Buddhist priesthood, and "Esoteric Buddhism"

 

This is described in the "Dictionary" (Hozokan).

 

Nyoi Jewel

It is called Shinda Nun in the 梵. The truth is thought, and the nun is a jewel. It is named with the intention of putting out various things from the jewels.

For short, it is called Nyoiju, Hoju, Mani, and Mani, and it is also called Nousaku pearl. From ancient times, it is said that it should come out from the brain of Ryuo or Matori fish, or it will change to a Buddhist temple and become a jewel. (During

Omitted) L Hachi, Hiroshi Corporation Kukai's. The "Declaration" describes how to make Nyoi Jewels.

 

Then, it is said that 32 Buddhist shrines are kneaded with pure gold and several kinds of fragrant wood to make a ball. Later, the two priests, Noritoshi and Shoken, also produced this, and in the 18th "Secret Question and Answer" by the real priest, "Japanese national jewel maker, Daishimachi, Noritoshi, Shoken priest, and the above three people. There is L, but according to the secretary of the Shoken priest, the Buddhist priest is actually sealed by the oral tradition of the agreement, and this is regarded as a jewel, not a jewel.

 

In other words, the Buddhist priesthood itself is used as a jewel.

 

This esoteric jewel, that is, the Buddhist priesthood, is the principal image of the Buddhist priest, and the law is learned by the esoteric jewel method.

Nyoi Jewel Method

 

It is called the jewel method for short. A method of repairing Nyoi Jewel as the principal image.

This law is the most secret law in esoteric Buddhism, always keeping this name secret,

Use the ligature, or call it Nyoho, Nyoho, Nyojo, or Datoho, {Zhuho, Nyo {one, or his method.

There is no main rule in this law, and the rule of practice is based on the decree and the oral tradition of the teachers.

The Sanbo-in style, etc. are the same as this law and the Dato method, and although it is a secret method that regards Buddha's sword as a Buddha, the Koshuji style, etc. are different methods.

Because this method is a secret method of repairing the priesthood, that is, the jewels as the principal idol, the secret of the gods is to show how to view the principal idol.

Bun turtle (round-trip) character one change Sheng treasure bowl one bowl change ・ Shaka Nyorai Nyorai 丿 resident Reiyama Buddha. The end of the muddy world

Sentient sentient beings unfollowed, many Buddha's body, Iya sad courier one entry', Hosho Sanma Sho Immediately Ashimi Mataka (response) Chi, character change

Seat Nyoi Jewel Ichi Jewel Immediately Toya. (There is a back character, and it turns into a treasure bowl

 

It will be Buddha Nyorai. It's a Buddha of Mt. Ryozen. The sentient beings of the late turbulent world, who never saw the Buddha's body, therefore entered the Hosho's Samadhi with a mournful expedient, that is, changed their body to Tarakuu.

It turns into a jewel. It is shown as a jewel, that is, a bad city), and this law is regarded as the same as the consciousness of the living body, that is, the soul of the person.

...... To practice this method, rest the pagoda (Sarihoto) in the center of the dojo, and put Buddhist shrines (five grains, three grains, one grain, etc.) in a gold jar. .. a.

 

As you can see in the "Esoteric Buddhism Encyclopedia", the "Nyoi Hojuho" is the deepest and most secret method of esoteric Buddhism.

There are still a lot of secrets and oral stories, but I think that you can understand from the above.

Then, the secret law, "What kind of legal trial is there in the Nyoi Jewel Method L?" From this, it can be inferred.

 

 

 

 

 

 

 

The principal image of the Buddhist jewel method

In the Sanbo-in style of "Nyoi Hojuho, Honzonkan", the view is as follows.

‥ …… Ichiu changed to become a jewel. That is, it illuminates the ten-sided world with a great light of seven. In the light, it rains the food and drink of a myriad of rare treasures, clothing, and hundreds of tastes. Everything is satisfied according to the wishes of sentient beings.

Also, let the treasure lotus rain in the light. There is a voice in the lotus flower and he preaches a delicate law. All sentient beings and listeners give off a bodhicitta spirit.

Also, this light far illuminates the bottom of Nari (hell). All suffering sentient beings

Enjoy. Approximately all sentient beings in the three worlds are exposed to this light and get liberated.

In other words, the legal test of this method is

 

Fukutoku Hosho

 

Dissolution of the cause

 

It gives two merits.

 

‥ …… Rains the food and drink of a myriad of rare treasures, clothing, and clothes in the light. Satisfy all sentient beings according to the wishes of sentient beings ... All sentient beings' wishes and wishes can be fulfilled, that is, Fukutoku Hosho.

 

‥ …… Approximately three world suffering sentient beings, all touching this light and gaining liberation …… The ones suffering from hell, the sentient beings suffering from bad causes, all the sentient beings of the three worlds are liberated. That is,

It is a merit.

 

It is only natural that esoteric Buddhism is the deepest and most secret law, even if there is no more law.

 

Although esoteric Buddhism has secret law, great law, and esoteric Buddhism, there is no better way than this. Who is the esoteric practitioner who does not want to learn this law at least once?
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実践 輪廻転生瞑想法〈3〉あなたも仏陀になれる水晶龍神瞑想法

2021-06-03 09:26:18 | 
 
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 理想の来世どころか、苦しみの人生となりいそのうえ横変死の因縁などを 持っていたら、天寿を全うすることすらむずかしい。

 まず、現世でこれらの悪因縁を完全に消滅させ、聖者の境界になっておく必 要があるのである。

 須陀逼とは別名、七来とよばれ、七度(二、三回のこともある)生まれ変わって 成仏する。しかしながら、三悪趣とよばれる境界には堕ちることはない聖者で ある。斯陀含とは別名、一来とよばれ、一度だけ現世に生まれ変わって成仏す

る。

阿那含は別名、不還とよばれ、もう現世には戻ってこないので、輪廻転生 瞑想法の領域からは離れ、釈尊の成仏法の範躊となる。阿羅漢は仏陀である。

 

つまり、輪廻転生瞑想法とは、少なくとも須陀逼(七来)、できれば斯陀含二 来)になり、瞑想法により転生を制御する修行法なのである。

 

わたくしの輪廻転生瞑想法の修行システムは、だいたいつぎのとおりである。

 

一、まず、瞑想法の基本を習得し、同時に、解脱宝生行、先祖供養、如意宝  珠敬愛法によって、抑圧意識を除去していく。また、初歩のチャクラ開発  の基礎訓練を開始するとともに、徳を高める積徳行もおこなう。

 

二、つぎに、本格的なチャクラ開発訓練と輪廻転生曼荼羅瞑想法によって、 肉体的および精神的な能力を高める。同時に、現世成仏息災成仏法によっ て、ソンディ型の抑圧意識を完全に除去していく。さらに火界定(護摩 行)、水想観(滝行)の瞑想法の訓練に入る。

 

三、水晶龍神瞑想法(四神足法)の訓練に入る。その上で、四神足法による、 火界定、水想観の瞑想訓練をおこなう。

 

以上により、須陀逼、ないしは、斯陀含の聖者に至らしめるのである。

第八章輪廻転生瞑想法のカリキュラム

 

Far from the ideal afterlife, it is difficult to complete the natural life if you have a life of suffering and a cause of suspicious death.

First of all, it is necessary to completely eliminate these evil causes in this world and to become the boundary of the saints.

Suda 逼 is also known as Nanarai, and is reborn seven times (sometimes two or three times) and becomes a Buddhahood. However, he is a saint who never falls into the boundary called the three bad tastes. Sakadagami is also known as Sakadagami, and is reborn as a Buddhahood only once in this world.

To.

Anuruddha is also known as non-return, and since it does not return to this world anymore, it is separated from the realm of reincarnation meditation and becomes a category of Buddha's Buddhahood. Arhat is a Buddha.

 

In other words, the reincarnation meditation method is at least Sudagami (Nanarai), preferably Sadagami Nirai), and is a training method that controls reincarnation by the meditation method.

 

The training system of my reincarnation meditation method is as follows.

 

First of all, learn the basics of the meditation method, and at the same time, remove the oppressive consciousness by the liberation treasure life, the ancestor memorial service, and the pearl respect method. In addition, while starting basic training for elementary chakra development, we will also carry out a virtue-enhancing act.

 

Second, improve physical and mental abilities through full-scale chakra development training and reincarnation mandala meditation. At the same time, the consciousness of oppression of the Sondy type will be completely removed by the Buddhahood Law of the Buddhahood of the Buddhahood. In addition, he started training in the meditation method of Fire World Sada (Goma) and Mizusokan (Takiyuki).

 

Third, begin training in the Crystal Dragon God Meditation Method (Iddhipada Method). On top of that, we will conduct meditation training on the fire world and the view of water using the Iddhipada method.

 

From the above, it becomes a saint of Sudagami or Sadagami.

Chapter 8 Reincarnation Meditation Curriculum

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求聞持聡明法秘伝 より  From the secret story of Satoshi Homon  第三の目 Third Eye

2021-05-26 20:51:34 | 



 

 

 

求聞持聡明法秘伝

文章を引用して、こラのべております。『第三の目とホルモン』という文章で、

  『おそらく、ひとは、「第三の目」などというと、いかにも空想的な、馬鹿馬鹿しいことのように思うかも知れない。しかし、ヒトは、たしかに第

 三の目を持っていたのである。いや、げんに持っているのだ。人間のからだのなかで最も重要なはたらきをする内分泌腺をくわしく調べてゆくと、それがはっきりしてくるのである。

 

 ヒトはまさしく第三の目を持ち、しかもそれはJ・D・ラトクリフのいうように、。残跡”ではなく、いまでも、活用すれば、実際に。見る”こ

 とすら可能なのである。最近の科学の実験がそれを証明している(一九八四年三月・サイエンス誌)。その最近の実験を紹介する前に、ひとつ、この不思

 議なはたらきをする内分泌腺というものを、もう少しくわしく調べてみようではないか』

と、こうのべております」

 

ヒトの脳の設計には致命的なミスがあった?

 

「その第三の目が、つまり、先生のおっしゃる霊性の部位というわけですか?」

 「いや、ちょっとちがいます。密接な関係はあるが、ちょっとちがいます。第三の目は、ラトクリフのいうように、松果腺です。わたくしのいう霊性の

場は、それよりすこし深部の視床下部のそばです」

 

 「それはどうちがうのですか?」

 

「それはヽひとぱでいうとヽ第三の目というのは、霊的次元のさまざまな現象を知覚し、見聞する能力を持つ目、といったらよいでしょう。視床下部の

ほうはそれを動かす。場”です。それはつまり、いまわれわれが持つ普通の目と脳との関係にあると思ったらよいでしょう」

 

 「なるほど」

 

「視床下部がなぜ霊性の。場”であるかということについて、わたくしは、『密教・超能力の秘密』で、脳生理学と、ホルモン分泌学と、―酵素薬理学の

三つの面から解明しています。この視床下部が第三の目と連繋して活動するとき、人間は霊性を顕現するのです。その究極において、『密教・超能力の

秘密』でいっているように、カミ、ホトケにまで到達するのです。人間は、知性・理性の場である新皮質と、本能の座である辺緑系の中間にある「間

脳」に、霊性の場・霊性の脳を持っていたのです。これにより、人間はバランスがとれるのです。ところが、この間脳にある霊性の場を人間は失ってし

まった」

 

 「ふうむ」

 

「しかし、それを知っている人たちがいた。その代表が、ゴータマーブッダ~シャカです。シャカは。成仏法”という名でこの霊性の場を再開発するシステムを完成した。そして古代密教が、これを受けついだ」

 

「古代密教、とおっしゃるのは、どういうわけですか?」

 

「後世の密教は、大乗仏教の影響をうけて、シャカがつたえたシステムを様式化してしまったのです。まったくちがったものにしてしまった」

 

「なるほど」

 

ヒド)脳の設計には致命的なミスがあった?

 

「しかし、仏像とか、仏画とかは、古代密教の表象をそのままつたえています。密教の仏像の多くが、第三の目を持っているのはこのためです」

 「あの眉間のところにある目ですね?」

 

 「そうです。その密教の代表ともいうべき仏像が、摩醗首羅です。これは、

梵語 Mahe4vara(マヘーシュバラ)を音写したもので、これを『大自在天』と漢訳し、宇宙の大主宰神とされております。眉間に第三の目があって、合

計、三つの目を持っています。われわれは、目が二つです。その二つの目の一つは、辺繰糸の脳に通ずる目であり、もう一つは新皮質の脳に通ずる目で、

この二つが一対になって、現象世界(物質世界)を見るのです。このほかに、じつはもう一つの目があった。それは間脳の視床下部の脳に通ずる霊性の目

で、霊的世界を見る目です。これが、第三の目とよばれるものなのです」

 

 「で、その第三の目が、『残跡』となると同時に、先生のおっしゃる霊性の『場』もはたらかなくなってしまったということですか?」

 「そうですね、しかし、‐それは、霊性の『場』が閉ざされてはたらかなくなミスがあった?

は致命的な

脳の設計につてしまったから、第三の目もはたらかなくなって、たんなる『残痕』になってしまったのだともいえるでしょう。要するに、この両者は、密接な相関

関係にあるものですから

 「ふうむ」

 と質問者はしばらく考えこんでいたが、

 「しかし」

 と小首をかしげた。

 「なぜ、人間は、その霊性の『場』を失ってしまったのですか? 退化、とは考えられませんねえ。人間の精神活動は原始時代から非常なスピードで進

化し、進歩しているわけですから、退化などとは考えられない」

 「その理由ですか?」

 とわたくしは言った。

「第三の目」はなぜ消えてしまったのか9

 第三の目が閉じられてしまったのには、もちろん、大きな理由がある。わたくしのいう霊性の『場』は、間脳の視床下部にあるのだが、それは、要するに、

物質的な欲望や本能を制御し、時には否定して、より崇高なるものにあこがれる精神領域である。そういうと、それは新皮質系の領域じゃないかといわれる

かも知れない。そうではないのである。

 

 

 新皮質の知性は、神を考え(分析し演絆し)、仏を理解しようとするものであるが、霊性はそれとちかって、神と一体になり、仏と同化しようとする趨性

です。明らかに新皮質系のものとは異質のものです。      。

 

 新皮質が生か知性は、時実博士の表現によれば『より良く生きる』ことと、『より高く生きる』ことを目ざす。そのための創造行動をいと尨か。ではその

結果、どういうものが生み出されたかというと、精神的には、哲学(および倫理・道徳)、物質的には科学(と技術)です。ことばを変えていうと、『より良

く生きる』が科学と技術を生みだし、『より高く生きる』が哲学・倫理を生み出した。ところが、哲学・倫理はいままったく行きづまって、人類がいまかかえる問題に、大声で警告は発するけれども、なんの答も出すことができない。

 

 一方、新皮質の『より良く生きる』という目標は、『より便利に』『より速く』の追求になってしまった。見よ。現代社会は、新皮質文明であり、新皮質

の産物であるが、現代社会の目標は、『より便利に』『より速く』がモットーである。地球上のすべての企業が、それを目ざして狂気のごとく活動している。

それが結局は自分の首をしめることになることを新皮質は知りながら、止めることができない。なぜならば、それをおしとどめる間脳のはたらき、霊性の

『場』を、はるか以前に、新皮質自身が押さえこんでしまっているからだ。

 

 こういう或る脳が或る脳を押さえこむという現象は、大脳においてつねにおこなわれるものである。たとえば、動物が高等になるにつれて、新皮質が発達

トの脳の設計には致命的なミスがあった?



してくるために、旧皮質はしだいに大脳半球の底面へ押しやられ、古皮質は大脳半球内部へ押しこまれるようになる。これは大脳生理学の定説で、これと同

じ現象が、人間の大脳においておこなわれたのである。

 

 新皮質は、それが人類の進歩と進化であり、平和と繁栄につながるのだという大義名分のもとに、間脳を押さえこんでしまったのである。そういう理くつ

を考え出すのは、新皮質の得意ちゅうの得意なのだから

 

 霊性とは物質的な欲望や本能を制御し、時には否定さえして、より崇高なるものにあこがれる精神領域だと、さきにわたくしは言ったが、新皮質の生み出

す物質文化は全力をあげて、そういう霊性の場を押しつぶしにかかった。人間のすべての欲望(大脳辺縁系)がこれにくわわった。つまりは、これが、人間の『業』というものなのであろう。

 

The secret story of Satoshi Homon

I quote the text and put it here. In the sentence "Third Eye and Hormones"

"Probably, people may think that the" third eye "is really fantastic and stupid. However, humans are certainly the first

I had a third eye. No, I have it. A closer look at the endocrine glands, which play the most important role in the human body, reveals that.

 

Humans have a very third eye, and as JD Ratcliff says. It's not a "remains", but even now, if you use it, you can actually see it.

It is even possible. Recent science experiments prove it (March 1984, Science Magazine). Before I introduce the recent experiment, one thing, this wonder

Let's examine the endocrine glands, which have a controversial function, in a little more detail. "

And this is what I'm saying. "

 

Was there a fatal mistake in the design of the human brain?

 

"Is that third eye, that is, the spiritual part that the teacher says?"

"No, it's a little different. It's closely related, but it's a little different. The third eye is the pineal gland, as Ratcliff says.

The field is a little deeper near the hypothalamus. "

 

"What is the difference?"

 

"That is, in one word, the third eye is the eye that has the ability to perceive and see various phenomena in the spiritual dimension.

The one moves it. It's a place. In other words, you can think of it as the relationship between our normal eyes and the brain. "

 

"So that's it"

 

Regarding why the hypothalamus is a spiritual place, I wrote in "The Secret of Esoteric Buddhism and Supernatural Powers" about brain physiology, hormone secretion, and-enzyme pharmacology.

It is elucidated from three aspects. When this hypothalamus works in conjunction with the third eye, humans manifest spirituality. In the ultimate, "Esoteric Buddhism / ESP

As mentioned in "Secret", it reaches kami and hotoke. Human beings are located between the neocortex, which is the place of intelligence and reason, and the marginal green system, which is the seat of instinct.

The "brain" had a spiritual place, a spiritual brain. This balances humans. However, during this time, humans have lost the spiritual field in their brains.

wait"

 

"Fumu"

 

"But there were people who knew it. The representative is Gotamer Buddha-Shaka. Shaka has completed a system to redevelop this spiritual place under the name of" Buddhahood Law. " And ancient esoteric Buddhism accepted this. "

 

"Why do you say ancient esoteric Buddhism?"

 

"Esoteric Buddhism in later generations was influenced by Mahayana Buddhism and stylized the system that Shaka sought. It was completely different."

 

"So that's it"

 

Hido) Did you make a fatal mistake in your brain design?

 

"But Buddhist statues and paintings retain the representation of ancient esoteric Buddhism, which is why many esoteric Buddhist statues have a third eye."

"The eyes are between those eyebrows, right?"

 

"That's right. The Buddha statue that can be said to be the representative of the esoteric Buddhism is Maji Shura. This is

It is a transcription of the Sanskrit Mahe4vara, which is translated into Chinese as "Daijuten" and is considered to be the great ruler of the universe. There is a third eye between the eyebrows,

I have a total of three eyes. We have two eyes. One of the two eyes is the eye that leads to the brain of the limbic thread, and the other is the eye that leads to the brain of the neocortex.

These two are paired to see the phenomenon world (material world). Besides this, there was actually another eye. It is a spiritual eye that leads to the brain in the hypothalamus of the diencephalon

And it is the eye that sees the spiritual world. This is what is called the third eye. "

 

"So, at the same time that the third eye became a" remnant ", did the spiritual" place "that the teacher said also stopped working?"

"Well, but-that was the mistake that the spiritual" field "was closed and didn't work?

Is deadly

It can be said that the third eye did not work because it was designed for the brain, and it became just a "residual". In short, the two are closely correlated

Because it's a relationship

"Fumu"

The questioner was thinking for a while, but

"However"

I shook my neck.

"Why did humans lose their spiritual" place "? It cannot be considered degeneration. Human mental activity has progressed at a very high speed since the primitive age.

It is not considered to be degenerate because it is becoming more and more advanced. "

"Why is that?"

I said.

Why did the "third eye" disappear? 9

Of course, there is a big reason why the third eye was closed. The spiritual "field" I call is in the hypothalamus of the diencephalon, which is, in short,

It is a mental realm that controls, sometimes denies, material desires and instincts, and longs for something more sublime. Then, it is said that it is a region of the neocortical system.

May. That is not the case.

 

 

 

The intellect of the neocortex is to think (analyze and act) on God and try to understand Buddha, but spirituality is different from that, and the tendency to become one with God and assimilate with Buddha.

is. Obviously, it is different from that of the neocortical system. It was.

 

Whether the neocortex is alive or intellect, according to Dr. Tokimi's expression, aims to "live better" and "live higher". Do you want to be creative for that purpose? Then that

As a result, what was created is philosophy (and ethics / morality) mentally and science (and technology) materially. In other words, "Better

"Living well" gave birth to science and technology, and "Living higher" gave birth to philosophy and ethics. However, philosophy and ethics are now completely deadlocked, and although a loud warning is given to the problems that humankind is facing, no answer can be given.

 

On the other hand, the goal of "living better" in the neocortex has become the pursuit of "more convenient" and "faster". Look. Modern society is a neocortical civilization, the neocortex

However, the goal of modern society is "more convenient" and "faster". Every company on the planet is working crazy for it.

The neocortex knows that it will eventually squeeze its neck, but it cannot be stopped. Because the function of the brain, spirituality, while holding it down

This is because the neocortex itself has suppressed the "field" long ago.

 

The phenomenon that a certain brain holds down a certain brain is always performed in the cerebrum. For example, as animals get higher, the neocortex develops

Was there a fatal mistake in the design of To's brain?



As a result, the old cortex is gradually pushed to the bottom of the cerebral hemisphere, and the paleocortex is pushed into the cerebral hemisphere. This is the established theory of cerebral physiology, the same as this

The same phenomenon took place in the human cerebrum.

 

The neocortex has suppressed the diencephalon under the cause that it is the progress and evolution of humankind, which leads to peace and prosperity. That kind of reason

Because it is the specialty of the neocortex that comes up with

 

I said earlier that spirituality is a mental area that controls material desires and instincts, sometimes even denies them, and longs for something more sublime, but the creation of the neocortex.

The material culture has crushed such a place of spirituality with all its might. All human desires (limbic system) have been added to this. In other words, this is the human "karma".

 


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密教のトレーニングは五つの異常能力を生む  Esoteric training produces five extraordinary abilities

2021-05-21 18:05:19 | 





ひらけ! 胡麻!

 一寸さきぱヤミだとよく人は言う。

 けれども、その未来というI寸さきも見えない深いヤミをくまなく見透す目をもって、おそいかかる不幸や災難、また、失敗などをみごとに予知してこれを避け、蜘蛛の巣のごとくに錯綜している人生の迷路の中から成功にいたる道を確実に見いだし、たとえ、困難や障害に行く手をさえぎられてもあざやかにこれを乗り越え、時にピンチに見舞われて手に汗をにぎるようなことがあっても、かえってこれを成功へのチャンスに変えてしまう、そういう力を見につけることができたら、どんなにすばらしいことであ・ろうかと、あなたは思わないか?




 そういう力を、ぜひとも自分のものにしたいと思わないか?

 また。

 自分の思うように自分を変え、自分の欲するままに他人を動かし、その上、自分をとりま環境まで、自分の想念のままにつくり変え、無から有を生み出し、自分の望むもの、願うことは、有形、無形を問わず、必ず実現させずにぱおかない  、そういう方法があったら、どんなによいであろうかとあなたは思わないか?




 密教のトレーニングで、あなたは、およそ、つぎのような五つのすばらしい能力を身につけることができるのである。




 一、事物の明確な認識と予知および正確な選択力

ものごとの原因結果がすべてはっきりとわかり、これからさき起きるあらゆる出来事が、あらかじめ予知できるようになる。




 したがって、極度にこみいった事がらで、進路の選択や、方針の決定に困難を感ずるう

な場合でも、必ず、正しい、そして、失敗のない道をえらび出すことができる。

すなわち、予知と選択の能力がそなわる。

 

ニ、すぐれた高度の創造力

 創造力とぱなにかということについて、『創造力開発法』を書いたジョッ・S・モーガ

ンは、「独創的な作品、またはアイデアを、仕事の上で生み出すことのできる能力」




るであろうか?

 困難に際し、障害にぶつかり、災厄に遭い、望むものが得られぬ失意のとき、たとえそれがヒゲをはやした五十男でも、ああこんなときにあの魔法のランプがあったならと思わずにと定義し、かつ、それは、たいへんな集中力、観察力、理解力、熱意と、それに加うるに、 発達した創造力、および直観力が必要である。直観力というのは、第六感、洞察力であり、たとえば、キュリー夫人、および科学者としての夫キュリーの場合のような感応力からなっているもので、右にあげた特性の中でも最も注目すべきものである、と述ている。

 密教のトいIニングの特長は、その精神活動の訓練にあたって、知性や理性を超えた深い領域にある意識を把握し、これを自由に制御して活用しようとするところにある。




 つまり、ジョン・S・モーガンのいうキュリー夫人、および夫キュリー氏の持つ直感力・感応力を自由に操作するトレーニングである。

 

密教の精神活動の訓練は、たんなる直感力やテレパシーの養成でぱないが、トレーニングは、まず、そこから入ってゆく。




 ジョン・S・モーガンがあげた創造力を生み出すための″たいへんな集中力、観察力、理解力、といった能力は、知性や理性とおなじ領域にあるものであるが、直感力、ことに感応力というものは、知性や理性によって生み出されるものでぱない。それは、まったくべつな領域に属するもので、それを開発するためには、とくべつな訓練と技術を必要とする。




 密教のトレーニングは、この領域の開発に、非常にすぐれた技術とシステムを持っる。だから、このトレーニングを受けて、この能力を身につけた人の発想には、つねに、飛とひらめきがある。常識や、理論や、数字の積みかさねなどにとらわれない自由な創造力ある。

そして、真の創造力とはまさにそういうものでなければならない。




 三、自分を変え、他人を動かし、自分の思うままに環境をつくり変える力

 これは、密教のトレーニングによって開発されるいくつかの能力の中で、もっとも強、他に比類のないすぐれた力であるといえよう。




 密教のトレーニングによる自己革新は、思わしくない性格を改善し、よくない習癖を正するといったようなありふれたものでぱなく、根本的に、自分を存在させ、立させてる

ところの基礎条件からひとつひとつ変えてゆく。




 そういう独自な方法が密教にあり、それによって彼を根本的に変えてしまう。ひと口いうならば、彼の運命を転換させてしまうのである。




 運命とは、なにか。それは一つの定められた軌道である。その軌道を変えてしまうのか。

それをどのように変えるか、それは彼の意志が決定する。だから、この方法によれば、んな人間にでも変わり得る。

これは、いうなれば、完全な人閲統御法である。

 自己統御力を十分に身につけると、つぎにその統御力は自分以外の第三者に向けられる

も、むしろ、知らず知らず、その人の意志や思考によろこんで服従するようになQg SQQ

意力や個性に、イヤイヤしたがうのではなく、それは自然にそなわる説明しがたい魅力が

そうさせるのだ。

 この統御力は、つぎに、人間以外の物に向けられる。あらゆる物質を、集めることも散らすことも、むすぶことも、はなすことも、自在である。




 彼の想念とその構想のままに、環境がっくり変えられ、構成されるようになる。世界が、彼の思うままに動くのだ。




 四、強靭な体力と卓抜な″精神”力

 これは、三の自己統御力によって鍛錬された肉体と精神が、自然に、普通人の三倍以の耐久力を示すようになるのである




 五、すさまじい爆発的な念力による願望達成力念の力で、瞬間的に水を沸騰させ、生に火をつける。すさまじい念力である。

 一言でいうならば、念を物質化する力である。

 

そういうと、物理学者は、そんなことはぜったい不可能なことだというであろう。

 しかし、じっさいにそれができるのである。密教には、そういう特殊な技法があり、の技法によって訓練すれば、だれでもそういう能力がそなわるのである。




 密教は、数千年むかしの、インドのバラモン時代から、そういうとくべつな技法を開発してきた。そして、その技法は、中国、あるいはチペットを経て、より高度に完成され、いまもなお、その宗門の奥 かく伝えられているのである。




密教がこの技法を大切に保持しているのは、密教の持つ強力な願望達成力が、このダイミックな念力をその原動力とするからである。

 自分の願望を達成する能力のない人間は、生きる価値がないといってもよいのである願 望というコトバが、理想主義者の眉をひそめさせるというのなら、理想といコトバにき かえてもよい。一切の欲望をしりぞけて生きてゆこうとするピューリタンだって、一切欲 望を持たずに生きてゆこうという願望のもとに生きているわけだし、

あの偉大なるゴータマーブッダにしても、一切衆生を救済しようという願望のもとに一を終えられたのである。人は、願望達成というコトバにうしろめたい気持ちをつ必要い。




 ところで、願望を達成するためには、いろいろな条件が必要でである。

 

そういう条件を、密教は、ひとつひとつみたしていくのである。

 そういう条件をみたすことをせず、ただ、カミやホトケを念じ、おまんだらをおがん、

御利益(つまり願望の達成)をいただこうとするから、宗教がアヘンであり、迷信になて

しまうのだ。密教は、そういう条件をみたし、願望の達成を妨害する要素をひとつひと克  服してゆく能力を人にあたえる。そういう法をシステムとして持っているのだ。




 そのシステムを動かすものが、念力なのである。
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念力をつよくして 一バランスをたもつ  成仏法  七覚支法(しちかくしほう) Psychokinesis and balance

2021-05-19 19:53:06 | 
念力をつよくして 一バランスをたもつ




念覚支(ねんかくし」

 

これはどういう修行法かと申しますと、仏教辞典などを見ますと、「おもいを平らかにする」 うように説明しております。念覚支とは「おもい」つまり念を平安にすることである、とこ ’うように説明しておりますけれども、わたくしは、それだけでは念覚支の修行の説明になっ ないと思います。

わたくし自身の修行体験によりますと、そんな簡単なものではなくて、こころを平安にする、 いは確かにそうでありますけれども、それは結果から出てくるものであって、修行そのもので らいわけです。おもいを平安にするというのは、念覚支を修行した結果、つねにおもいが平安 なる、おもいが平らかになる、ということであって、それ自体が修行ではない。

わたくしは、この修行を二つに分けることができると思うんです。まず 、念の力を強化する。

活力といってしまうと、なにか安っぽくなってしまいますね。自分で『念力』という本を書い おきながら、そういうことをいうのはおかしいけれども、念力、と言でいってしまうと、ち っと安っぼくなってしまう。念の力を強化する、要するに、精神力というものを非常に強化す ということですね。

それをただたんに精神力というと、漠然としますけれども、要するに、意志の力、知能の力。 ういったものを非常に強化する訓練である。

もっというならば、人間の精神作用というものは、知・情・意、この三つから成り立っていま

知性の力、知能の力、そして情緒的なはたらき、それから意志の力です。

要するに念の力を強化するというのは、この三つの部門(知・情・意)のはたらきを強化し、し かも、そのいずれにもかたよらないようにする、ということです。それが、結局、結果的におも いが平安になるということじゃないですか。

 人間の精神力というものは、この知・情・意のはたらきから成り立っています。ところが、こ いがかたよりやすいわけです。

 夏目漱石の『草枕』の書き出しに、

-知にはたらけば角が立つ。情に棹させば流される。とかくこの世は住みにくい」とあるでしょう。

 だから知というものにかたよると、とかく理くつっぽくなって角が立ちやすい。頭が非常 よいと、知能のはたらきがつよいですから、すぐ理くつでものをわりきろうとします。

 情に棹させば流される それはそうでしょう、人情的になりすぎれば流されてしまいます。

意志がつよかったらどうかというと、これは強情で、どうにもしようがないということにな りますね。

 ですから、知・情・意、それぞれのはたらきを強化し、たかめる、そういう修行です。しか

そのいずれにもかたよらないように平均化する、これがいちばん大切なことじゃないです 知的にも非常に高度で、情緒面においても、いわゆる情操がゆたかであるというように、芸術 面などでもよく理解することができる。情操的な情のないひとというのは、無昧乾燥にな力やす いわけです。芸術的なことは、なにもわからない、はなしをしてもちっともおもしろくない、シャレ をいったって、ニコリともしない。今日きいたシレを、三日ぐらいたっ七急に笑,い出じ て、「ああ、そうだ,ったのか」なんて(笑)、それじやあおはなしにならんでしょう。 

 意志がつよいのはけっこうだけれども、それが頑固になってしまうのではいけない。

 だから、知・情・意の精神作用を、非常に強化し、たかめるという訓練をする。そしてそのい ずれにもかたよらないということ。これがまず第一です。

 しかし、それだけじやない。

 念そのものの力を、神秘的にまで強化する。一点に集中したとき、火を発するほどの力を出 す。ですから、この念覚支の修行には、クンダリ’’ー ヨーガの修行が入るわけです。

 つぎに「空観」を体得する。ですから、この七覚支には、「四念処法」の修行が入っている。

この空の体得により、諸法の実相がわかるようになります。つまり、「縁起の法」を如実 にさ とることになるわけです。                                

 この念覚支が、七覚支法の中の、目玉といつてよいでしよう。いや、三十七道晶の中でも

 これは、宗教、信仰、哲学というたくさんの教法、。思想のなかから真実なるものをえらびだす

ということです。

択というのは、「選択」のタクでず。 略ど ない本漢字は「選揮」と書いて、選 えらぶ、「揮」。もえらぶ、という字です。

 つまり、ほんとうに真実なる教法をえらびとる、ということですね。この世の中には、さまざ まな宗教、信仰、思想があびます。そのなかから真実なるものをえらびとる。そうして、まちが ったものや、いつわりのものを捨て石、取捨選択するということです。

 正しい信仰をえらびとって、正しくないものを捨てさるということが修行というのは、どうい うことなんだろう? そう思ったことかありますけれども、考えているうち、やはりそれは修行 なんだなと思うようになった。というのは、それが修行であるというのは、自分自身の勉強、知 能によってそれをなすというところにあるわけです。         、

 たとえば、つぎのようなことです。

 お釈迦さまが出家されて、自分がさとりをひらくに到るまでには、当時のさまざまな信仰や宗 教、いろいろなことを教える思想家、そういったかたがたに、肘あたりしてぶつかっていってい るわけです。いろいろな仙人にもあって、はなしを聞く、それだけではなくて、それが正しい か、正しくないか、ということをご自分でI生けんめい考えられたということです。

 そうして結局、当時のインドにあったところのあらゆる教え、宗教というものは、みな正しく ないという結論に達したわけです。それには、釈迦ご自身のふかい修行と勉強によってそこに到 達したわけです。

 ですから、わたくしたちも、この択法覚文が修行であるというのは、自分自身の勉強と修行に よって、ほんとうに真実なるものをえらびとり、正しくないものは捨てさる、ということをしな ければいけないんです。

瞑想ひつとっても、日本に、瞑想を教える学校みたいなところや、瞑想 の先生、そういったものがたくさんあるでしょう。そのたくさんの瞑想のなかから、どれが正し い瞑想法なのか? どの先生が、正しい瞑想法を教えているのか? ということを自分自身がは っきりと取捨選択しなければいけないということです。

 たいていの場合は、自分自身の研究や勉強、あるいは修行によって取捨選択するというひとは すくない、たいてい評判を聞くだけです。

「あのニホンーメディテーションセンターというのはどうなの?」

「あれは、桐山さんというひとがやっていて、いいよ」

 といったり、

 「あれはダメだ、インチキだよ」

 なんていう。そうかなあ、どうなんだろうか。T・M(、rranscendental Meditationo超越瞑 想の略語)というのがいいというひともいれば、T・Mというのはダメだというひともいる。そ の評判だけできめてしまう人が多い。

 それをお釈迦さまは、ありとあらゆるいろいろな教法をご自分でぶつかって調べてみる。瞑想 についても、すぐそれがいいとかわるいとか、ひとの評判とか、そういったものにはまどわされ ない。ご自分がその瞑想をやってみて、、これはいかん、これはいい、というように選択される。

 そういう意味で、択法覚支というのが修行になるわけです。







Psychokinesis and balance




Seven Factors of Awakening




As for what kind of training this is, when you look at Buddhist dictionaries, it explains that it "flattens your mind." I explain that the Seven Factors of Awakening is "the feeling", that is, the peace of mind, but I don't think that alone is an explanation of the practice of the Seven Factors of Awakening.

According to my own training experience, it is not such an easy thing, and it makes my heart peaceful, or it is certainly true, but it comes from the result, and it is not the training itself. Making the weight peaceful means that as a result of practicing the Seven Factors of Awakening, the weight is always peaceful and the weight is flattened, and it is not a practice in itself.

I think this training can be divided into two. First, strengthen the power of mind.

When it comes to vitality, it's kind of cheap. He wrote a book called "Psychokinesis" by himself, and it is strange to say such a thing, but when he says "Psychokinesis", he feels a little cheap. He is the one who strengthens the power of mind, in short, greatly strengthens the mental power.

It is vague to say that it is just mental power, but in short, it is the power of will and the power of intelligence. It is a training that greatly strengthens such things.

In other words, human mental action consists of knowledge, affection, and will.

The power of intelligence, the power of intelligence, the emotional work, and the power of will.

In short, strengthening the power of mind means strengthening the functions of these three divisions (knowledge, affection, and will) so that he does not depend on any of them. Doesn't that mean that in the end, it will be peaceful?

Human mental power is made up of the functions of this knowledge, affection, and will. However, he is easier than he is.

For writing out Natsume Soseki's "Kusamakura"

-If you work in your knowledge, you will get a corner. If you let the emotions flow, you will be swept away. Anyway, this world is hard to live in. "

Therefore, depending on what you know, it's easy to get angry because it's just a matter of reason. If you are very smart, your intelligence will work well, so you will immediately try to make sense.

He will be swept away if he is sentimental, and he will be swept away if he becomes too humane.

If you have a strong will, this is stubborn and you can't help it.

Therefore, it is such a practice to strengthen and strengthen each function of knowledge, affection, and will. Deer

It's not the most important thing to average so that it doesn't depend on any of them. It's intellectually very advanced, and it's well understood in terms of art as well as emotional and so-called emotional. can do. A person with no emotional feelings is the one who is easy to help with innocence. I don't understand anything about art, it's not interesting to talk about it, and it doesn't make me smile. I laughed at the sire I heard today in a hurry for about three days, and said, "Oh, that's right, was it?" (Laughs).

It's fine to have a strong will, but it shouldn't be stubborn.

Therefore, we will train to strengthen and strengthen the mental effects of knowledge, affection, and will. And that he doesn't depend on the gap. This is first and foremost.

However, that is not the case.

Strengthen the power of the mind itself to mystery. When you concentrate on one point, it exerts enough power to make a fire. Therefore, this training of the Awakening includes the training of Kundalini "-Yoga.

Next, learn the "view of the sky". Therefore, this Seven Factors of Awakening contains the practice of "Satipatthana".

By learning this sky, you will be able to understand the reality of various laws. In other words, the "law of auspiciousness" is to be taken. ‥

This reminder can be the centerpiece of the Seven Factors of Awakening. No, even among the thirty-seven road crystals

This is a lot of teachings such as religion, faith, and philosophy. Select the truth from the thought

about it.

Choice is not a "choice" tact. The abbreviation of this kanji is written as "Kenki", and it is selected, "Ki". The word "moerabu" is used.

In other words, it means choosing a truly true teaching method. There are various religions, beliefs, and thoughts in this world. Select the truth from them. Then, the town throws away what he has and what he has, and sorts it out.

What does it mean to practice by choosing the right faith and throwing away the wrong ones? Although I had thought so, while thinking about it, I came to think that it was training. For, it is a practice in that it is done by one's own study and intelligence. ,

For example, it is as follows.

By the time Buddha was born and he opened Satori, he was hit by the various beliefs and religions of the time, the thinkers who taught various things, and those who hit his elbows. There are various hermits, and I heard the story, and not only did I think about whether it was right or wrong.

In the end, I came to the conclusion that all the teachings and religions that existed in India at that time were not correct. That was achieved through Buddha's own training and study.

Therefore, we also do not say that this alternative memorial is a practice, that he chooses what is truly true and throws away what is not correct by his own study and practice. I have to be him.

There are many meditation schools in Japan, such as schools that teach meditation, meditation teachers, and so on. Which of the many meditations is right for him? Which teacher teaches the correct meditation method? That means that I have to make a clear choice for him.

Most of the time, the person who chooses by his own research, study, or training only hears his poor reputation.

"What about that Japanese meditation center?"

"That is good because there is a person named Mr. Kiriyama."

Or something like that

"That's no good, it's a fake"

What is it? I wonder what it is. Some people say that TM (an abbreviation for transcendental meditation) is good, while others say that TM is not good. There are many people who can only make that reputation.

Shaka-sama tried to find out by colliding with all kinds of various teaching methods. As for meditation, I'm not confused by the fact that it's good or bad, or the reputation of people. You try the meditation, and you are chosen to say, "I don't care, this is good."

In that sense, the training of the alternative method is the practice.


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数珠とは?

2021-04-26 14:44:25 | 
数珠


数珠とは




多くの小さな珠(たま)に糸を通し輪状にした法具(仏具)のことです。仏教のお経、念仏を唱える際に使用する珠という意味で念珠と呼ばれることもあります。珠の数は煩悩を表す数の108個が基本と言われています。実際は持ちやすいように半分の54個、4で割った27個などの様々な種類があります。



数を数えるための仏具




紀元二世紀頃インドで生まれ、世界各地に広まった数珠。日本には八世紀頃伝わり、今では私たちにとって弔事では身近な仏具の一つとなりました。数珠は、もともと念仏やお題目を何回唱えたかを数えるためのもの。珠の材料は、菩提樹の実や水晶をはじめ、鉄、赤銅、真珠、珊瑚など。房の付いた親珠を中心に、多数の小さな珠をひとつの輪につないだものが一般的ですが、種類は宗派によって違いがあり、現在では七十種類ほどもあるようです。



珠の数は煩悩の数




数珠の珠は、通常、百八が基本で、五十四、四十二、三十六、二十七、二十一、十八と、数が少ないものもあります。百八とは、大晦日の夜につく除夜の鐘でも知られるように人間の煩悩の数。そのことからも、数珠は、仏教的には「煩悩を消滅し、仏の功徳が得られますように」との願いを込めて、手にするものであることが分かります。



こころを込めることが、最も大切




こころを込めることが、最も大切


では実際、あなたは葬儀に参列する際、数珠を携帯していますか。「仏様を拝むのだから、必ず持つ」という人「スーツにネクタイをするように、数珠を持つのは一種のマナーのようなもの」という人「特に必要性を感じたことはないから持たない」という人など、それぞれだと思います。いずれにしても大切なのは、故人や仏に対する心持ち。数珠の本来の意味を知ったうえで、相手への弔意を示すアイテムの要素をふまえながら自分自身で選択すればよいのではないかと思われます。




数珠の選び方




数珠は大きく分けて「略式の数珠」と「宗派別の本式数珠」があります。略式の数珠を用意しておけば、仏式の葬儀に参列する際に活用できます。また、数珠にも女性用・男性用がありますので注意が必要です。







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運命学から見た 心理学ーソンディ学  Psychology from the perspective of fate-Sondy

2021-04-24 10:39:46 | 


 

 

ソンディは子孫が祖先から先祖代々継承している意識(衝動)のことを『衝動感情(衝動意識)』と呼び、『人間の運命とは選択である』といった。

 

人間は祖先から受け継いだ衝動感情(衝動意識)をベースにして、

『結婚選択・職業選択・疾患の選択・死亡形式の選択』という4つの人生の分野で重大な選択をしていくというのがソンディの理論である。

 

 

結婚選択

恋愛も含め 、結婚を先祖から決定させる。

とくに女性とって深刻ある。

職業選択

どのような職業が選びとるか?

 

疾患の選択

病気の選択

ガン 心臓  脳 その他の

病の選択

死亡形式

自殺  事故  他殺 の運命

 

 

Sondy calls the consciousness (impulse) that offspring inherit from their ancestors from generation to generation, "impulsive emotion (impulsive consciousness)," and says that "human destiny is a choice."

 

Humans are based on the impulsive emotions (impulsive consciousness) inherited from their ancestors.

Sondy's theory is to make important choices in the four areas of life: marriage choice, occupation choice, disease choice, and death form choice.

 

 

 

Marriage choice

Let your ancestors decide on marriage, including romance.

Especially for women.

Occupation selection

What kind of profession will you choose?

 

Disease selection

Disease choice

Cancer Heart Brain Other

Disease selection

Death form

Suicide Accident Fate of homicide

 



 

 

〔3}ソンディは、その中間にある家族的無意識の層を発見したのである。




つまり、個人と群衆のあいだに「宗族」を発見したのだ。これは、当然、出ずべくして出でたものである。個人

にしても群衆にしても、だれひとりとして「家族」でなかったものはない。とすると、当然そこにひとつの無意識司が存在(または形成)されるはずである。

 では、その無意識層の中に、ゾンデ″はなにを発見したか?

 かれは、「家族的無意識」と名づける無意識層の中に、特殊な抑圧意識を発見したのである。

 それは、ひと口でいうならば、

  「個人のなかに抑圧されている祖先の欲求が、恋愛・友情・職業・疾病および死亡における無意識的選択行動とたって、個人○運命を決定する」


というのである。

 



 ソンディはこういう。

  「恋愛・友情・職業・疾病および死亡における選択の分析にもとづいて、選択の根源はこの家族欲求」

 つまり、ひとの、恋愛、友情、職業、病気、死にかたまで、すべて、それらを決定するのは、そのひとのこころの深奥にひそんでいる祖先の抑圧された意識である、というのである。

 

 これは、個人の運命を形成するこれらの選択行動は、意識的・理性的な考慮の上に立つ決断にょって決定されるのではなく、(もちろん表面的にはそれがなされるが、実際には)選択行動は衝動行為であり、衝動的に選択する無意識的なものによって動かされるのだということである。(ここまではフロイトもほとんどおなじである。フロイトとちがうのは、その衝動が、その宗族-祖先-にふかい関連、かおるというのである)

 

 それはなにかというと、ひとの運命を決定するものが、抑圧された祖先の欲求ばかりではないということである。それがすべてではないということだ。それは非常に大きな要因ではある、が、そればかりではないということである。

 なぜかというと、密教占星術によれば、運命の「時期」まで決定されているからである。ソンディ理論によれば、「形式」の形成の説明はつくけれども、「時期」が決定される説明はつかない。それは先祖の抑圧意識のほかにも要因、かおるからである。それについてのわたくしの理論と意見はここでは述べない。べつな機会にゆずることにする。かなりに厖大な址となるからである。

ソンディ理論は「平面彬成」(空間)の理論であり、このほかに「立体構成」(時間)の理論かおる。㈲の理論は、ソンディのごとく、心理学的方法でなされるが、時間の理論は数学的方法でなされ、かなりに難解なものになる。これはまたべつな一冊の書物となるであろう。

 

3} Sondy discovered a layer of family unconsciousness in between.

In short, he discovered a "sect" between the individual and the crowd. This, of course, was something that wasn't done. Individual

No one in the crowd was not a "family". Then, of course, one unconscious boss should exist (or be formed) there.

Then, what did the sonde "discover in that unconscious layer?"

He discovered a special repressive consciousness in the unconscious layer named "family unconscious".

It is, in a nutshell,

"The desires of ancestors that are suppressed in an individual determine the fate of the individual as an unconscious selection behavior in love, friendship, occupation, illness, and death."

That is.

 

..

Sondy is like this.

"Based on an analysis of choices in romance, friendship, occupation, illness and death, the source of choices is this family desire."

In other words, it is the oppressed consciousness of the ancestors hidden in the depths of the person's heart that determines them, from love, friendship, occupation, illness, to death.

 

This is because these choice behaviors that shape an individual's destiny are not determined by decisions that are based on conscious and rational considerations (of course, on the surface, they are, but in fact). The choice behavior is an impulse act, which is driven by the unconscious one who chooses impulsively. (Up to this point, Freud is almost the same. The difference from Freud is that the impulse is related to the sect-ancestor-and is Kaoru.)

 

It is that it is not only the desires of oppressed ancestors that determine a person's destiny. That's not all. That's a huge factor, but it's not the only one.

The reason is that according to esoteric astrology, the "time" of fate is determined. According to Sondy's theory, the formation of "form" can be explained, but the "timing" cannot be determined. This is because there are other factors besides the oppressive consciousness of our ancestors. My theory and opinion about it is not mentioned here. I will give it to another opportunity. This is because it will be a fairly large site.

Sondy's theory is the theory of "plane formation" (space), and in addition to this, it is the theory of "three-dimensional composition" (time). The theory of ㈲ is made by a psychological method like Sondy, but the theory of time is made by a mathematical method, which is quite esoteric. This
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釈尊の成仏法  霊性とはじつにそれを知る趨性  Shaka Nyorai's Buddhahood method: Spirituality and the tendency to know it

2021-04-22 19:25:43 | 

釈尊     それからわたしの心は、あらゆる衆生の相に向けられてきた。わたしは超人的な眼力でその相を見た。そこには貴いもの、賤しいもの、美しいも
の、醜いもの、幸福なもの、不幸なものの、それぞれの宿業が渦巻いていた。これが第二の智慧である。

それからわたしは、苦・集・滅・道の四諦(四つの真理)をありのままに知り、わたしの心は、あらゆる存在の相から、全く解放され、ふたたびそれ
に執着することはなくなった。これが第三の智慧である。

釈尊は瞑想によって、自分の前生の、二生、三生、十生、二十生、さらには無
限の生涯の、生き変わり死に変わりしてきた光景を見ているのである。それは自分だけではなく、あらゆる人間の前生と、さらに後有(このっぎの人生)を見て
いるのである。

釈尊はここで、決しておとぎ話や、たとえ話、寓話をのべているのではない。釈尊の成仏法を修行すれば、その真実であることがすぐわかる。その修行によ
り、わたくし白身、人の三、四世代前、そしてつぎの世代における存在までは透視できるようになっているのである。

人間の生命は、多くの人たちが考えているように、決してひとつの生涯だけで終わるものではないのである。ある生涯が終わったら、またひきつづき、つぎの
生命形態に移っていくのである。

多くの人たちはその認識がなく、ひとつの生涯のみで、人の生命は終わるものと思っている。ここに、決定的な、そして致命的な生命観の欠陥があるのであ
る。

霊性とはじつにそれを知る趨性なのだ。

人の依って来たるところを知り、去るところ、往くところを知る能力である。いわゆる来所を知り、往所を知る智慧である。これを得れば、人はおのずから、
なにをなすべきか、なにをなさざるべきかがわかってくる、そこから人間の真の進歩、発展がスタートするのである。それがないから、人間は、霊的に少しも進
歩せず、発展せず、いつまでも低いところを輪廻して、無限にさまよい歩いてい
るのである。いや、それだけではない。その果てに、人間は、自分の住む大切な世界を、自らの手で壊滅させてしまうことになるのであるこの無知を、釈尊は、「無明」(乙忿ごと名づけたのである。

ショウジョケバエの論理


この「無明」という言葉には、二つの意味がある。

まったくの無知と、完全な闇である。


「明」には明知(智慧)と、光明、の二つの意味がある。


 真実を悟る智慧を持たず、真っ暗闇の中を、手さぐりで歩いている状態である。まことに人間はそのとおりではないか。来たるところを知らず、往くところを知らず、ただ現在(現生)あるのみである。その現在を、ひたすら目先の利益追求に狂奔する。その結果、いかなるところに往くのか、いかなる世界に、いかお先真っ暗である。
なる生命形態として存在することになるのか、まったくお先真


「第三の目」は、このお先真つ暗な闇の世界を見通すのである。「第三の目」に問はない。真昼のごとく明らかに見ることができるのである。

 奇妙なことに思われるかもしれないが、わたくしは、釈尊の十生、二十生を見通す力を思うごとに、ショウジョウバエを想い起こすのである。


 ショウジョウバエは、その世代が極端に短い。ふつう、一世代がわずかに約一ヵ月である。だから、何十世代もの変遷を短時間で見ることができる。


 そこで、生物学者や、遺伝学者は、ショウジョウバエを使って、その変化を実験する。ひとつの遺伝子の変化が、何十世代のうちに、どういう結果を生ずるか、目のあたりに知ることができるのである。


 釈尊の叡智もそれである。


 彼のように、何十世代もの人間の移り変わりを如実に見ることのできる力をそなえていれば、ひとつの原因が、どのような経過を経て、どのような結果をもたらしたか、つぶさに知ることができる。彼がじっさいに語っているように、その人間がなんという名前で、いつ、どこに生まれて、どういう人生を送ったか、またその人生を終わって、つぎにまたどういう人生を迎えたか、ある生涯のどんな行為が、つぎの生涯にどんな結果としてあらわれたか、すべての人間にわたって
知ることができる。これがほんとうの叡智なのである。


仏陀の瞑想から輪廻転生瞑想法へ

瞑想のすべてがここに表現されているといってよい。
二十一世紀という時空のへだたりを飛び越えて、読者よ、じつに、瞑想とはかくのごときものなのだ。
ここには瞑想のすべてがある。
この釈尊の体験を、もう少し掘り下げてみょう。

釈尊の瞑想体験には五つの段階がある

ここには、瞑想の深まりとその結果が、じつにあざやかに語られている。
第一の段階
わたしは、
1、つねに一つの目的にむかって精進をつづけることができ、
2、想念が確立してみだれず、
3、からだは安楽で動揺しない。
4、心はいつも定に入って静かである。
-第二の段階
第一禅定から第二、第三、第四禅定までしだいに深まっていって、
1、心に想い浮かぶなにものもなくなり、
2、喜びや楽しみだけとなり、
3、ついにはただ清浄な想いだけにみたされ、
4、一点のけがれもなく、清く明るく、絶対不動となった。

―、自分の前世における光景が展開しはじめる。
2、それは一生だけでなく、二生、三生、十生、二十生、とかぎりなくさか
のぼり、無限の生涯の、生き変わり死に変わりした光景が展開する。
それは生命の根源への遡及であり、第一の智慧の獲得であった。

第四の段階
心の眼はさらに広く深くひろがり、ひとの持つ能力の限界を越えて、過去、現
在、そして未来へと流れていくあらゆるひとびとのすがたが透視される。
それは、存在を規制する宿業の実体の把握であった。
これが第二の智慧の獲得である。

第五の段階
つづいてわたしは、
1、宿業から解説する四つの真理を如実に知り、
2、あらゆる存在からの解脱と超越を完成した。
それは第三の智慧の獲得であり、「解脱の瞑想」であった。
いかがであろうか? すばらしい体験だとあなたは思わないだろうか?・ こ
れが仏陀の瞑想なのである。そうしてだれでも、仏陀の瞑想をすればこういう境
地に達することができるのだ。
だが、そういうと、あなたはいうかもしれない。釈尊のような大天才と、凡人
であるわれわれと、どうしていっしょになるものか、釈尊がそういうすばらしい
体験をしたからといって、それがそのままわれわれに通ずるとはかぎらないの
だ。むしろ、鵜のまねをするガラスで、けっきょく、骨折り損のくたびれもうけ
ということになるのではないか、と。
そうではないのである。
釈尊とおなじ瞑想をすることにより、われわれもまた彼とおなじ結果に到達す
ることが可能なのである。最初の道を切り開くものは天才でなければならぬ。し
かし、すでに天才の開いた道は、だれでも歩むことができるのである。

 

 

---
Shason, then my heart has been directed to all sentient beings. I saw that phase with superhuman eyes. There are precious things, worthy things, beautiful things
Although ugly, happy, and unhappy, each camp was swirling. This is the second wisdom.

Then I knew the four noble truths (four truths) of suffering, gathering, extinction, and the way as they were, and my heart was completely freed from all aspects of being, and it was again.
I'm no longer obsessed with. This is the third wisdom.

Through his meditation, Shason is his predecessor, second, third, tenth, twenty, and even nothing.
I am seeing the spectacle of life and death that has changed to life. It's not just about myself, but looking at all human predecessors and even human beings (this life)
He is there.

Shason is by no means telling fairy tales, parables, or parables here. If you practice Shakyamuni's Buddhahood law, you will soon find out the truth. By that training
It is possible to see through my white meat, three or four generations before human beings, and even the existence in the next generation.

Human life, as many people think, does not end with just one life. After a certain life, continue again, the next
It shifts to the form of life.

Many people are unaware of it and believe that a person's life will end in just one life. Here is a decisive and deadly flaw in the view of life.
To.

Spirituality is the tendency to know it.

It is the ability to know where people come and go, and where they leave and where they go. It is the wisdom to know the so-called visit and the outbound. If you get this, people will naturally
The true progress and development of human beings starts from the understanding of what to do and what to do. Without it, humans advance a little spiritually
I can't walk, I can't develop, I'm wandering around infinitely low places
It is. No, that's not all. At the end of the day, Shason named this ignorance, which human beings would destroy the precious world in which he lives, with his own hands.

The logic of Bibionidae

The word "avidy" has two meanings.

Total ignorance and complete darkness.
"Ming" has two meanings, Akechi (wisdom) and Komei.
Without wisdom to realize the truth, he was walking in total darkness by groping. Isn't that true for humans? He doesn't know where to come, he doesn't know where to go, he's just present (present). The present is enthusiastic about pursuing immediate profits. As a result, where he goes, what world he is in, and how dark he is.
Will it exist as a form of life?

The "third eye" sees through this dark world. There is no question about the "third eye". It can be seen clearly like noon.

It may seem strange, but every time I think of the power to see through the tenth and twenty life of Shason, I remember Drosophila.
The generation of Drosophila is extremely short. Usually, one generation is only about one month. Therefore, you can see the transition of dozens of generations in a short time.
Therefore, biologists and geneticists use Drosophila to experiment with the changes. You can see what the consequences of a single genetic change will be in dozens of generations.
That is also the wisdom of Shaka Nyorai.
If you have the power to see the transition of human beings for dozens of generations like him, you can know in detail what kind of process and what kind of result one cause brought about. it can. As he says, what the name of the person was, when, where he was born, what kind of life he lived, what kind of life he ended, what kind of life he had, what kind of life he had. The consequences of the act in the next life, across all human beings
You can know. This is true wisdom.

From Buddha's meditation to reincarnation meditation
..
It can be said that all of meditation is expressed here.
Jumping over the space-time stagnation of the 21st century, readers, meditation is really like that.
Here is all about meditation.
Let's dig a little deeper into this experience of Shaka Nyorai.

Shaka Nyorai's meditation experience has five stages

Here, the depth of meditation and its consequences are spoken vividly.
First stage
I,
1. You can always continue to devote yourself to one purpose,
2. The idea is not established,
3. The body is comfortable and not upset.
4. My heart is always constant and quiet.
-Second stage
Gradually deepening from the first meditation to the second, third, and fourth meditations,
1. There is nothing that comes to my mind,
2. Only joy and fun
3. Finally, I was only satisfied with my clean feelings,
4. There was no injury, it was clean and bright, and it was absolutely immovable.

―, The scene in my previous life begins to develop.
2. It's not just a lifetime, but a second life, a third life, a ten life, a twenty life, and so on.
Climbing, an infinite life, a life-changing and deadly scene unfolds.
It was a retrospective to the source of life and the first acquisition of wisdom.

Fourth stage
The eyes of the mind spread wider and deeper, beyond the limits of human ability, past and present
All the people who are present and flow into the future can be seen through.
It was a grasp of the substance of the lodging business that regulates its existence.
This is the acquisition of second wisdom.

Fifth stage
Then I
1. Knowing the four truths explained from the lodging business,
2. Completed liberation and transcendence from all beings.
It was the acquisition of the third wisdom, the "meditation of liberation."
How is it? Don't you think it's a great experience?・ This
This is Buddha's meditation. Anyone can meditate on the Buddha like this.
You can reach the ground.
But then you might say. A great genius like Shaka Nyorai and an ordinary person
Shaka Nyorai is such a wonderful thing, why we are together with us.
Just because you have an experience doesn't mean that it goes straight to us
It is. Rather, it is a glass that imitates a cormorant, and it makes me tired of breaking my bones.
I wonder if that will be the case.
That is not the case.
By doing the same meditation as Shaka Nyorai, we also reach the same result as him.
It is possible. The one who opens the first path must be a genius. Shi
However, anyone can walk the path already open to geniuses.
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念力をつよくして 一バランスをたもつ     Strengthen your psychokinesis and keep a balance

2021-04-19 19:40:22 | 

念力をつよくして 一バランスをたもつ


 

これはどういう修行法かと申しますと、仏教辞典などを見ますと、「おもいを平らかにする」 うように説明しております。念覚支とは「おもい」つまり念を平安にすることである、とこ ’うように説明しておりますけれども、わたくしは、それだけでは念覚支の修行の説明になっ ないと思います。

わたくし自身の修行体験によりますと、そんな簡単なものではなくて、こころを平安にする、 いは確かにそうでありますけれども、それは結果から出てくるものであって、修行そのもので らいわけです。おもいを平安にするというのは、念覚支を修行した結果、つねにおもいが平安 なる、おもいが平らかになる、ということであって、それ自体が修行ではない。

わたくしは、この修行を二つに分けることができると思うんです。まず 、念の力を強化する。

活力といってしまうと、なにか安っぽくなってしまいますね。自分で『念力』という本を書い おきながら、そういうことをいうのはおかしいけれども、念力、と言でいってしまうと、ち っと安っぼくなってしまう。念の力を強化する、要するに、精神力というものを非常に強化す ということですね。

それをただたんに精神力というと、漠然としますけれども、要するに、意志の力、知能の力。 ういったものを非常に強化する訓練である。

もっというならば、人間の精神作用というものは、知・情・意、この三つから成り立っていま

知性の力、知能の力、そして情緒的なはたらき、それから意志の力です。

要するに念の力を強化するというのは、この三つの部門(知・情・意)のはたらきを強化し、し かも、そのいずれにもかたよらないようにする、ということです。それが、結局、結果的におも いが平安になるということじゃないですか。

 人間の精神力というものは、この知・情・意のはたらきから成り立っています。ところが、こ いがかたよりやすいわけです。

 夏目漱石の『草枕』の書き出しに、

-知にはたらけば角が立つ。情に棹させば流される。とかくこの世は住みにくい」とあるでしょう。

 だから知というものにかたよると、とかく理くつっぽくなって角が立ちやすい。頭が非常 よいと、知能のはたらきがつよいですから、すぐ理くつでものをわりきろうとします。

 情に棹させば流される それはそうでしょう、人情的になりすぎれば流されてしまいます。

意志がつよかったらどうかというと、これは強情で、どうにもしようがないということにな りますね。

 ですから、知・情・意、それぞれのはたらきを強化し、たかめる、そういう修行です。しか

そのいずれにもかたよらないように平均化する、これがいちばん大切なことじゃないです 知的にも非常に高度で、情緒面においても、いわゆる情操がゆたかであるというように、芸術 面などでもよく理解することができる。情操的な情のないひとというのは、無昧乾燥にな力やす いわけです。芸術的なことは、なにもわからない、はなしをしてもちっともおもしろくない、シャレ をいったって、ニコリともしない。今日きいたシレを、三日ぐらいたっ七急に笑,い出じ て、「ああ、そうだ,ったのか」なんて(笑)、それじやあおはなしにならんでしょう。 

 意志がつよいのはけっこうだけれども、それが頑固になってしまうのではいけない。

 だから、知・情・意の精神作用を、非常に強化し、たかめるという訓練をする。そしてそのい ずれにもかたよらないということ。これがまず第一です。

 しかし、それだけじやない。

 念そのものの力を、神秘的にまで強化する。一点に集中したとき、火を発するほどの力を出 す。ですから、この念覚支の修行には、クンダリ’’ー ヨーガの修行が入るわけです。

 つぎに「空観」を体得する。ですから、この七覚支には、「四念処法」の修行が入っている。

この空の体得により、諸法の実相がわかるようになります。つまり、「縁起の法」を如実 にさ とることになるわけです。                                

 この念覚支が、七覚支法の中の、目玉といつてよいでしよう。いや、三十七道晶の中でも

 これは、宗教、信仰、哲学というたくさんの教法、。思想のなかから真実なるものをえらびだす

ということです。

択というのは、「選択」のタクでず。 略ど ない本漢字は「選揮」と書いて、選 えらぶ、「揮」。もえらぶ、という字です。

 つまり、ほんとうに真実なる教法をえらびとる、ということですね。この世の中には、さまざ まな宗教、信仰、思想があびます。そのなかから真実なるものをえらびとる。そうして、まちが ったものや、いつわりのものを捨て石、取捨選択するということです。

 正しい信仰をえらびとって、正しくないものを捨てさるということが修行というのは、どうい うことなんだろう? そう思ったことかありますけれども、考えているうち、やはりそれは修行 なんだなと思うようになった。というのは、それが修行であるというのは、自分自身の勉強、知 能によってそれをなすというところにあるわけです。         、

 たとえば、つぎのようなことです。

 お釈迦さまが出家されて、自分がさとりをひらくに到るまでには、当時のさまざまな信仰や宗 教、いろいろなことを教える思想家、そういったかたがたに、肘あたりしてぶつかっていってい るわけです。いろいろな仙人にもあって、はなしを聞く、それだけではなくて、それが正しい か、正しくないか、ということをご自分でI生けんめい考えられたということです。

 そうして結局、当時のインドにあったところのあらゆる教え、宗教というものは、みな正しく ないという結論に達したわけです。それには、釈迦ご自身のふかい修行と勉強によってそこに到 達したわけです。

 ですから、わたくしたちも、この択法覚文が修行であるというのは、自分自身の勉強と修行に よって、ほんとうに真実なるものをえらびとり、正しくないものは捨てさる、ということをしな ければいけないんです。

瞑想ひつとっても、日本に、瞑想を教える学校みたいなところや、瞑想 の先生、そういったものがたくさんあるでしょう。そのたくさんの瞑想のなかから、どれが正し い瞑想法なのか? どの先生が、正しい瞑想法を教えているのか? ということを自分自身がは っきりと取捨選択しなければいけないということです。

 たいていの場合は、自分自身の研究や勉強、あるいは修行によって取捨選択するというひとは すくない、たいてい評判を聞くだけです。

「あのニホンーメディテーションセンターというのはどうなの?」

「あれは、桐山さんというひとがやっていて、いいよ」

 といったり、

 「あれはダメだ、インチキだよ」

 なんていう。そうかなあ、どうなんだろうか。T・M(、rranscendental Meditationo超越瞑 想の略語)というのがいいというひともいれば、T・Mというのはダメだというひともいる。そ の評判だけできめてしまう人が多い。

 それをお釈迦さまは、ありとあらゆるいろいろな教法をご自分でぶつかって調べてみる。瞑想 についても、すぐそれがいいとかわるいとか、ひとの評判とか、そういったものにはまどわされ ない。ご自分がその瞑想をやってみて、、これはいかん、これはいい、というように選択される。

 そういう意味で、択法覚支というのが修行になるわけです。

 

Psychokinesis and balance

 

As for what kind of training this is, when you look at Buddhist dictionaries, it explains that it "flattens your mind." I explain that the Seven Factors of Awakening is "the feeling", that is, the peace of mind, but I don't think that alone is an explanation of the practice of the Seven Factors of Awakening.

According to my own training experience, it is not such an easy thing, and it makes my heart peaceful, or it is certainly true, but it comes from the result, and it is not the training itself. Making the weight peaceful means that as a result of practicing the Seven Factors of Awakening, the weight is always peaceful and the weight is flattened, and it is not a practice in itself.

I think this training can be divided into two. First, strengthen the power of mind.

When it comes to vitality, it's kind of cheap. He wrote a book called "Psychokinesis" by himself, and it is strange to say such a thing, but when he says "Psychokinesis", he feels a little cheap. It means strengthening the power of mind, in short, strengthening the mental power very much.

It is vague to say that it is just mental power, but in short, it is the power of will and the power of intelligence. It is a training that greatly strengthens such things.

In other words, human mental action consists of knowledge, affection, and will.

The power of intelligence, the power of intelligence, the emotional work, and the power of will.

In short, strengthening the power of mind means strengthening the functions of these three divisions (knowledge, affection, and will) so that he does not depend on any of them. Doesn't that mean that in the end, it will be peaceful?

Human mental power is made up of the functions of this knowledge, affection, and will. However, he is easier than he is.

For writing out Natsume Soseki's "Kusamakura",

-If you work with knowledge, you will get a horn. If you let the emotions flow, you will be swept away. Anyway, this world is hard to live in. "

Therefore, depending on what you know, it's easy to get horny and horny. If you are very smart, your intelligence will work well, so you will immediately try to make sense.

He will be swept away if he is sentimental, and he will be swept away if he becomes too humane.

If you have a strong will, this is stubborn and you can't help it.

Therefore, it is such a practice to strengthen and strengthen each function of knowledge, affection, and will. Deer

It's not the most important thing to average so that it doesn't depend on any of them. It's intellectually very advanced, and it's well understood in terms of art as well as emotional and so-called emotional. can do. The person who has no emotional feelings is the one who is easy to be dry and dry. I don't understand anything about art, it's not interesting to talk about it, and it doesn't make me smile. I laughed at the sire I heard today in a hurry for about three days, and said, "Oh, that's right, was it?" (Laughs).

It's fine to have a strong will, but it shouldn't be stubborn.

Therefore, we will train to strengthen and strengthen the mental effects of knowledge, affection, and will. And that he doesn't depend on the gap. This is first and foremost.

However, that is not the case.

Strengthen the power of the mind itself to mystery. When you concentrate on one point, it exerts enough power to make a fire. Therefore, this training of the Awakening includes the training of Kundalini "-Yoga.

Next, learn the "view of the sky". Therefore, this Seven Factors of Awakening contains the practice of "Satipatthana".

By learning this sky, you will be able to understand the reality of various laws. In other words, the "law of auspiciousness" is to be taken. ‥

This reminder can be the centerpiece of the Seven Factors of Awakening. No, even among the thirty-seven road crystals

This is a lot of teachings such as religion, faith, and philosophy. Select the truth from the thought

about it.

Choice is not a "choice" tact. The abbreviation of this kanji is written as "selection", and it is selected, "volunteer". The word "moerabu" is used.

In other words, it means choosing a truly true teaching method. There are various religions, beliefs, and thoughts in this world. Select the truth from them. Then, the town throws away what he has and what he has, and sorts it out.

What does it mean to practice by choosing the right faith and throwing away the wrong ones? Although I had thought so, while thinking about it, I came to think that it was training. For, it is a practice in that it is done by one's own study and intelligence. ,

For example, it is as follows.

By the time Buddha was born and he opened Satori, he was hit by the various beliefs and religions of the time, the thinkers who taught various things, and those who hit his elbows. There are various hermits, and not only did they hear the story, but they also thought about whether it was right or wrong.

In the end, I came to the conclusion that all the teachings and religions that existed in India at that time were not correct. That was achieved through Buddha's own training and study.

Therefore, we also do not say that this alternative memorial is a practice, that he chooses what is truly true and throws away what is not correct by his own study and practice. I have to be him.

There are many meditation schools in Japan, such as schools that teach meditation, meditation teachers, and so on. Which of the many meditations is right for him? Which teacher teaches the correct meditation method? That means that I have to make a clear choice for him.

Most of the time, the person who chooses by his own research, study, or training only hears his poor reputation.

"What about that Japanese meditation center?"

"That is good because there is a person named Mr. Kiriyama."

Or say,

"That's no good, it's a fake"

What is it? I wonder what it is. Some people say that TM (an abbreviation for transcendental meditation) is good, while others say that TM is not good. There are many people who can only make that reputation.

Shaka-sama tried to find out by colliding with all kinds of various teaching methods. As for meditation, I'm not confused by the fact that it's good or bad, or the reputation of people. You try the meditation, and you are chosen to say, "I don't care, this is good."

In that sense, the training of the alternative method is the practice.
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四神足法とは、どんな修行法であろうか?  What kind of training is the Iddhipada method?

2021-04-12 18:31:33 | 


 

 

死者を成仏させることができる

 シュダオン、シダゴン、アナゴンは、自分自身のカルマを断ち、悪因縁を解脱した聖者である。ほぼ、成仏をなしとげた聖者といってもよい。完

全解脱は、時間の問題である。

 アルハットと違うところは、死者を成仏させるまでの力を持っていないことである。

 

アルハット、仏陀は、一切万言を解脱する力をそなえている。そこが、アナゴンとアルハットの違いである。

 

ただし、四神足法を修めて、アルハットに近いアナゴンは、死者成仏の力をそなえるようになっているのである。

 だから、冥徳供養も、解脱成仏供養も、四神足法を体得して、アナゴン以上の境界に達した聖者に、供養してもらわなければ、効果がないのである。

 

 では、四神足法とは、どんな修行法であろうか?

 

四神足法


 

そのメカニズム

 四神足法について、私は、著書『仏陀の法』の中で、つぎのようにのべている。

 

 欲神足法


 

人間の生命力の、特に肉体上における根源的条件を、完全なものにする修行法

 

勤神足法


 

 欲神足法で得た能力をペースに、肉体上の基本的諸条件を、さらに飛躍的に向上させる修行法。

 心神足法


 

肉体的能力の向上発達を基に、精神的能力を充実させ、さらに段階的にその能力を飛躍向上させて行く。

  人間の脳は三つの脳から成っている。

とどめて、昶虫類時代の脳(古皮質脳)、。哺乳類時代の脳(旧皮質脳)、後期哺乳類から発達した脳(新皮質脳)

の三つの脳である。

 

 つまり、ヘビーワニの脳、ウマーヒツジの脳、ヒトの脳が、完全に統御されないまま、同居しているわけである。それが人間の脳だ。

 明らかに、人間の脳は「欠陥脳」である。この欠陥脳が、今日の欠陥文明をつくり出してしまった。核の脅威、環境破壊、民族・人種間の対茫、麻薬、エイズ、等、人類はまさに破滅の渕に転落しようとしている。

 

 自分たちが生み出したこれらの問題にたいして、人類自身、なに一つ、解決の道を発見することが出来ない。欠陥脳を改造せぬかぎり、人類は、自分自身の愚行の渦の中に消滅していくほかないのである。

 

 

Can make the dead Buddhahood

Shudaon, Shidango, and Anagon are saints who have cut off their own karma and have liberated their evil ties. It can be said that it is a saint who has achieved the Buddhahood. Complete

Total liberation is a matter of time.

The difference from Alhat is that it does not have the power to make the dead Buddhahood.

 

Alhat and Buddha have the power to liberate all words. That is the difference between Anagon and Alhat.

 

However, after learning the Iddhipada method, Anagon, which is close to Alhat, is now equipped with the power of the dead Buddhahood.

Therefore, neither the Meitoku memorial service nor the liberated Buddhahood memorial service will be effective unless the saint who has reached the boundary above Anagon has learned the Iddhipada method.

 

Then, what kind of training is the Iddhipada method?

 

Iddhipada

 

The mechanism

About the Iddhipada method, I mentioned in my book "The Law of Buddha" as follows.

 

Greedy foot method

 

A practice that perfects the fundamental conditions of human vitality, especially on the body

 

Working God Foot Method

 

A training method that dramatically improves the basic physical conditions at a pace based on the abilities gained by the greed foot method.

Shinshin foot method

 

Improvement of physical ability Based on development, mental ability will be enhanced, and the ability will be dramatically improved step by step.

The human brain consists of three brains.

Stop, the worm-era brain (paleocortical brain) ,. Mammalian brain (old cortical brain), brain developed from late mammals (neocortex brain)

There are three brains.

 

In other words, the heavy crocodile brain, the Umar sheep brain, and the human brain live together without being completely controlled. That is the human brain.

Obviously, the human brain is a "defective brain." This defective brain has created today's defective civilization. Humankind is about to fall into ruin, with nuclear threats, environmental destruction, ethnic and racial conflicts, drugs, AIDS, and more.

 

For these problems that we created, human beings themselves cannot find a way to solve them. Unless the defective brain is remodeled, human beings have no choice but to disappear in the whirlpool of their own folly.

 

 
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