ゴマボンSHOP/インターネット通販

デジタル関連情報 価格 通販 最安値 最新 最安 pc デジカメ ホーム&キッチン 

文殊菩薩 智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

2023-09-30 08:27:59 | 運命学

文殊菩薩(もんじゅぼさつ、mañjuśrī〈マンジュシュリー〉、mañjughoṣa[1]〈マンジュゴーシャ〉、'jam dpal〈ジャンペル〉)は、大乗仏教の崇拝の対象である菩薩の一尊。一般に智慧を司る仏とされる[2]。その他、非人救済などの慈善事業を司るほか、日本真言律宗では慈母供養の象徴としての一面も重視された。

 

 

 

文殊菩薩

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは?

正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれていますよ。ただし、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。

 

釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩と共に三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。

ご利益

智慧明瞭、学業成就のご利益があるとされています。また、卯年の守り本尊です。卯年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像容

左手に剣と右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的です。梵篋、金剛杵を立てた蓮台などを持つこともあります。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年9月30日 九星  無料 今日の運命

2023-09-30 08:21:04 | 運命学

 

 

2023930

三碧木星の日

望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。

 

再生の週  友の日
仲間や恋人、家族と過ごすことを優先したい日。
穏やかで楽しい時間を過ごせます。
さらに新しい出会いに恵まれる日でもあり、この日に出会った人とは後々まで続く良縁の可能性があります。
 
 

文殊菩薩 智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

 

 

文殊菩薩

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは?

正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれていますよ。ただし、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。

 

釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩と共に三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。

ご利益

智慧明瞭、学業成就のご利益があるとされています。また、卯年の守り本尊です。卯年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像容

左手に剣と右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的です。梵篋、金剛杵を立てた蓮台などを持つこともあります。

 


正位置・・・大火。噴火。地震。落雷。災難。事故。負傷。発病(火傷、高熱を伴う病)。熱。爆発物。暴力。破壊。消防自動車。闘争。衝突。悲劇。破産。信用の失墜。古い概念をくつがえす。精神の堕落。失望。経営者の交替。
逆位置・・・不当な圧迫。苦悩。投獄。罠にはまる。窮地。誤った告発。愛情面の誤算。熱しやすいがさめやすい態度。ボヤ。ちょっとしたスリルを味わう。
ウェイト解説
正位置・・・悲嘆。困窮。逆境。災難。不名誉。破壊。詐欺。
逆位置・・・意味は弱まるが、正位置と同じ意味。抑圧。投獄。暴政。
 
 
 
09月30日 (土曜)
月齢
14.9
Moon
潮汐
大潮

月名(旧暦日)
十六夜月

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年9月30日 九星  無料 今日の運命

2023-09-30 08:21:04 | 運命学

 

 

2023930

三碧木星の日

望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。

 

再生の週  友の日
仲間や恋人、家族と過ごすことを優先したい日。
穏やかで楽しい時間を過ごせます。
さらに新しい出会いに恵まれる日でもあり、この日に出会った人とは後々まで続く良縁の可能性があります。
 
 

文殊菩薩 智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

 

 

文殊菩薩

智慧を司る学問の神様として有名な菩薩

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)とは?

正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれていますよ。ただし、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。

 

釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩と共に三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。

ご利益

智慧明瞭、学業成就のご利益があるとされています。また、卯年の守り本尊です。卯年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

文殊菩薩(もんじゅぼさつ)の像容

左手に剣と右手に経巻を持ち、獅子の上に置かれた蓮華台の上に座るのが一般的です。梵篋、金剛杵を立てた蓮台などを持つこともあります。

 


正位置・・・大火。噴火。地震。落雷。災難。事故。負傷。発病(火傷、高熱を伴う病)。熱。爆発物。暴力。破壊。消防自動車。闘争。衝突。悲劇。破産。信用の失墜。古い概念をくつがえす。精神の堕落。失望。経営者の交替。
逆位置・・・不当な圧迫。苦悩。投獄。罠にはまる。窮地。誤った告発。愛情面の誤算。熱しやすいがさめやすい態度。ボヤ。ちょっとしたスリルを味わう。
ウェイト解説
正位置・・・悲嘆。困窮。逆境。災難。不名誉。破壊。詐欺。
逆位置・・・意味は弱まるが、正位置と同じ意味。抑圧。投獄。暴政。
 
 
 
09月30日 (土曜)
月齢
14.9
Moon
潮汐
大潮

月名(旧暦日)
十六夜月

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

それは瞑想からはじまる  It starts with meditation

2023-09-29 14:24:45 | 運命学

それは瞑想からはじまる

『間脳思考』で、エレクトロニクスと霊性を結 ぶものはなにかと質問されて、それは瞑想からはじまると答えた。

そのあと、話がだいぶ進んでから、 「それでは、間脳の開発をするのも、瞑想ですか?」

と聞かれた。わたくしは、 「いいえ」

とかぶりをふった。 「瞑想じゃないのですか?」 「いいえ」 とわたくしは、これにもかぶりをふった。 彼は、けげんそうな表情でわたくしを見つめた。 そこでわたくしは答えた。

「それは瞑想からはじまるのです」 なるほど、というように彼はうなずいた。わたくしは説明した。 それは瞑想からはじまるのだが、瞑想だけではないのだ。霊性の完成は、瞑 想だけでは不可能なのである。心の安定、欲望の調節、本能の抑制、といった程 度のものでは、とうてい到達できない境界である。思念、想念の変化くらいで は、絶対に行き着くことのできない次元なのだ。

なぜか? 霊性完成の到達点は、カルマからの超越である。 カルマとはなにか?

いうならば、地球における引力のようなものである。 地球上に存在するものすべて、地球引力の支配下にある。いかなるものも、引力 から逃れることはできない。いや、地球という存在そのものが、引力によって 成り立っているのである。

人間におけるカルマもそのとおりである。人はすべ て、輪廻のカルマの絶対的な規制を受けている。このカルマから、もろもろの 「因縁」が生じて、人間を繋縛しているのである。いや、カルマと因縁によて、人間が成立しているのだ。

このカルマと因縁の繋縛から完全に解脱したとき が、霊性の完成である。

いうならば引力からの脱出である。反重力の修行なの だ。その修行によって自分の存在の次元が変わるのである。

存在とはなにか? それは究極のところ,波動である。"自分"という波動 を変えてしまうのだ。それにより カルマ」という波動を越えてしまうのである。

人間という存在の波動を変える原点は、間脳の視床下部にある。

ここの波動を 変えることにより、全身の波動が変わり、特殊な精神波動と肉体波動を持つ存在 になる。それは、カルマの規制を受けない、ふつうの人間とはまた異なった、高 度な霊的存在とよぶよりほかない存在となるのである。

これが成就すると、特 殊な「霊光」が発生するようになる。

この特殊なオーラの発生は、全身の波動が 変化したことを示すのである。オーラについてはまたあとでのべるが、このオー ラの発光源は間脳なのである。

瞑想だけでは、以上のような次元の変化" は 不可能である。もちろん、心の安定、集中、まったく新しい高い次元へのメディ テイト等、瞑想はこの修行に絶対必要なものである。

しかし、それはひとつの手段にすぎない。瞑想は、大脳辺縁系と新皮質脳しか動かすことができない。

だ から瞑想だけではだめなのである。間脳をはたらかす瞑想でなければ、オーラは 発生しない。

したがって、カルマを越えることはできないのである。 では、なにが必要なのか? 特殊なtapas(練行)である。

学者はtapas を苦行と訳しているが、わたくしはこれを、練行と訳したい。そ してこの練行が絶対に必要なのである。

思念による王者の相承

チベット密教のニンマ派では、古くから解脱の完成に三つの方法があると説 いている。

ギャル ワゴン ペ - ギ ュ - パ一、思念による王者の相承

(じみょうしや 二、象徴による持明者の相承

rgyal ba dgongs pa'i brgyud pa rig ’dzin brda'i brgyud pa

ガンザクニェン ギ ギュ - パ 三、耳を通した言葉による人の相承――gang zag snyan gyi brgyud pa

である。

霊界の法の世界において、法の完成者タターガタ(如来)が常恒に法を説いている。

 

一の「思念による王者の相承」とは、この法身タターガタが、言葉や象徴と いう媒介なしに、直接相手の心に自分の心を伝達するものである。

この場合、 心、というのは単なる思念の心ではなく、パワーを主としたものと思うべきで ある。これによって、相手はたちどころに仏陀として完成するのである。

これは最高であり、理想的なものであること、もちろんである。「王者の」、と いう所以である。

二の  「象徴による持明者の相承」とはどういうものかというと、象徴とは、あ る言葉、かたち、音、色などに複雑な思想の内容を圧縮して詰め込んだものを いい、また、持明者(rig'dzin)とは、純粋な心で実相をそのまま見るこきる真如の世界に到達した者たちのことである。この相承(方法)では、真如の 理解を持つ持明者たちは、導師から象徴を示されることで、密教の深奥に到達 する教法を授けられるのである。

以上のすぐれた方法に対し、ふつうの人間は、霊感はなかなか得がたく、ま た象徴だけでは深い密教の教法を即座に理解することはできない。そこで、ラ マが、いろいろな言葉をもちいてくわしく説き明かし、弟子に理解させていく。

いわゆる「口頭伝授」である。

これが、三の「耳を通した言葉による人の相 承」である。 以上の三つの方法を、わたくしは、つぎのように分類する。

 

一、思念による王者の相承

二、象徴による持明者の相承間脳系=霊的バイブレーション 新皮質系=マントラ、タントラ、言葉、 音楽、象徴 - 大脳辺縁系=言葉、マントラ、音楽

三、耳を通した言葉による人の相承

 

これは、チベット密教だけではない。世界中のいかなる宗教でも、究極 至上 のものに到達するためには、この三つの方法しかないであろう。

しかし、究極至上のものに到達するためには、この三つだけでは不十分なの である。欠けているものがある。なにが欠けているのか? さきにのべた練行 tapas である。

だが、そういうと、一は最高理想のものなのであるから、他のなにものも必 要ないのではないかといわれるかもしれない。そうではないのである。その最高 理想のものを受けるために、tapas は必要なのである。

練行とはなにか

では、その練行tapas とはどんなものか? それには、ひとつの例として、わたくしの修行体験をお話しするしかないと 思われる。

It starts with meditation

In "Diencephalon Thinking," he was asked what was the link between electronics and spirituality, and answered that it began with meditation.

After that, after the story went a long way, "Then, is it meditation to develop the diencephalon?"

Was asked. I say "No"

I shook my head. "Isn't it meditation?" "No," I said, too. He stared at me with a stern look. So I answered.

"It starts with meditation," he nodded. I explained. It starts with meditation, but it's not just about meditation. The perfection of spirituality is not possible with meditation alone. It is a boundary that cannot be reached by things such as mental stability, desire regulation, and instinct suppression. He is a dimension that he can never reach with only changes in thoughts and thoughts.

Why? The goal of spiritual completion is transcendence from karma. What is Karma?

It's like gravitational pull on Earth. Everything that exists on Earth is under the control of Earth's gravitational pull. Nothing can escape the attraction. No, the very existence of the earth is made up of gravitational pull.

The same is true of karma in humans. All people are subject to absolute regulation of reincarnation karma. From this karma, various "fate" arises and binds human beings. No, human beings are established by karma and fate.

The completion of spirituality is when the bond between this karma and the fate is completely released.

It is an escape from attraction. He is an anti-gravity training. The training changes the dimension of one's existence.

What is Existence? Ultimately, it is a wave. It changes the vibration of "self". As a result, he goes beyond the wave of "karma."

The origin that changes the vibration of the existence of human beings is in the hypothalamus of the diencephalon.

By changing the waves here, the waves of the whole body change, and it becomes an existence with special mental waves and physical waves. It is nothing more than a high spiritual being, different from normal human beings, unregulated by karmic.

When this is achieved, a special "spiritual light" will be generated.

The occurrence of this special aura indicates that the vibrations of the whole body have changed. The aura will be discussed later, but the source of this aura is the diencephalon.

It is impossible to change the above dimensions by meditation alone. Of course, meditation is absolutely necessary for this practice, such as mental stability, concentration, and mediation to a completely new higher dimension.

But that's just one way. Meditation can only move the limbic system and the neocortical brain.

Therefore, meditation alone is not enough. Unless it is a meditation that works the diencephalon, the aura does not occur.

Therefore, karma cannot be exceeded. So what do you need? It's a special tapas.

Scholars translate tapas as penance, but I would like to translate it as practice. And this practice is absolutely necessary.

The King's Consensus by Thought

The Nyingma sect of Tibetan esoteric Buddhism has long stated that there are three ways to complete the liberation.

Gal Wagon Pe-Gu-Pa, the King's Consensus by Thought

(Dharani, two, symbolic consent of the bearer

rgyal ba dgongs pa'i brgyud pa rig'dzin brda'i brgyud pa

Ganzakunyen Gyugu-Pa 3, the verbal agreement of people through the ears-gang zag snyan gyi brgyud pa

Is.

In the world of law in the spirit world, Tatagata (Nyorai), the perfector of law, constantly preaches the law.

 

One "consensus of the king by thought" is that this Dharmakaya Tatagata directly conveys one's heart to the other person's heart without the mediation of words and symbols.

In this case, he should think that the mind is not just a mind of thought, but power. As a result, the opponent is immediately completed as a Buddha.

This is the best and ideal, of course. That's why he says, "of the king."

Second, what is "symbolism of the bearer"? A symbol is a word, shape, sound, color, etc. that is packed with the contents of a complicated idea. In addition, rig'dzin are those who have reached the true world where they can see the reality as it is with a pure heart. In this agreement (method), those who have a true understanding are endowed with a teaching method that reaches the depths of esoteric Buddhism by being shown a symbol by the guru.

In contrast to the above excellent methods, it is difficult for ordinary human beings to get inspiration, and even his symbol alone cannot immediately understand the deep esoteric teaching. There, Lama uses various words to explain in detail and make his disciples understand.

This is the so-called "oral instruction".

This is the third "human consent by words through the ears". I classify the above three methods as follows.

 

One, the consensus of the king by thought

2. Symbolic diencephalic brain system = spiritual vibration Neocortical system = mantra, tantra, words, music, symbol--limbic system = words, mantra, music

Third, human consent through words

 

This is not just Tibetan Buddhism. Any religion in the world will have only these three ways to reach the ultimate supreme.

However, these three are not enough to reach the ultimate supreme one. Something is missing. What's missing? The training tapas I mentioned earlier.

However, in that case, it may be said that one is the highest ideal, so nothing else is necessary. That is not the case. Tapas are needed to receive the best of them.

What is training

So what is that training tapas? To do that, I think I have to talk about my training experience as an example.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年9月29日 九星  無料 今日の運命

2023-09-29 05:43:32 | 運命学

 

 

2023929

 

 

四緑木星の日

縁談、商談の来訪者あり。言動をつつしみ話を進めると良い。いつも良い日、皆良い人。こんな心境を養いたい

 

再生の週  壊の日
何事も控えめに慎重に過ごしたい日。
トラブルに発展しがちなので、冷静に落ち着いて物事に対処することが大切です。
自分の事よりも他人のために尽くしてあげることで、災難は回避できます。
 

 

虚空蔵菩薩 無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

 

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の像容

1つの顔に2本の腕を持つ、菩薩形の像です。右手に剣、左手に如意宝珠を持っているのが一般的です

世界
正位置・・・最も強く、最も良い意味(78枚のタロットカードの中で…)。目的の達成。念願の成就。結婚。恋愛。職業などの成功。世界一周のような大旅行。完全。成功。人格者。精神の高揚。超能力や霊力の会得。名声。極楽往生。
逆位置・・・挫折。不完全。物質への未練。旅や変革への不安。婚約破棄。
ウエイト解説
正位置・・・約束された成功。報酬。旅。出国。飛行。場所の移動。
逆位置・・・惰性。固定。頑迷。永続。
 
 
 
09月29日 (金曜)
月齢
13.79
Moon
潮汐
中潮
月名(旧暦日)
望月
(十五夜)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よみがえったアンゴルモアの大王  The resurrected King of Angolmois

2023-09-28 08:52:56 | 運命学

 

だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめられるのだが、ここでは全く無防禦だ

「待ってください」

ったので、その衝撃はことにつよかったのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであった。師の大きな声がふたたび耳によみがえってた。

わたくしは手をあげて師を制した。

「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じたのです。 それ はものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からきました。あれはなんですか? あの地は

わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。五十メートルほど前方に、 雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきたと思われた。

「ああ、あれですか」

と師はうなずいた。

「あれは、ミラクルの池です。」

「ミラクルの池?」

 

「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。 そこであそこを、ミラクルの池とよぶのです」

 

 

「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」

それは、仏陀が空中浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半身を水に変えた

「ほう、それはどういうことですか?」

それはですね、と師の説明によると、こうであった。

スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じてここに土地を 求め、大精舎を建立した。 仏陀の名声は四方につたわり、教えを乞うもの踵を接した。 この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それらの寺院の指導 者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、批難した。 中でもとくに、仏陀 口のうまい師にすぎないといいふらした。 さきで理論を説くだけで、なに一つ神通 力を持っていない、要するに口舌の徒であるという批難であった。当時のインドの宗教界 では、指導者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされてい た。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この地に来てから一度もその力を示すことがなかったのである。

他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、これを攻撃した わけである。 仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っている高弟たちは、一度、ぜひ その力を示されるようおねがいしたが、仏陀は承知されなかった。 いよいよ神通力などな いと思いあがった他教団の指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や勢力者た ちを通じて、スダッタに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地を去る という条件である。スダッタもついにことわりきれず、仏陀に試合を通した。あるい は、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れない。仏陀もスダッタの立場を考慮 され、ついにこれを承諾された。

その日、他の教団の指導者たちが、 これみよがしにさまざまな神通力を競い合ったさい ごに、仏陀がすがたをあらわされた。

 

仏陀は三層の高楼の舞台にそのおすがたをあらわされたのである。いかなる神通力をあ らわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと仏陀は露台の手すりを無雑作に 乗り越えられ、空中に足を踏み出されたのである。一瞬、手をはなされる。 仏陀墜落!

とみるまに、仏陀はそのままゆっくりと空中を浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越 え、きよらかな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたてる清 池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。 群衆が思わずわが目をうた がったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃え上がり、下半身は玉のような水と化 したのである。

目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力者をはじめ、す べてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかったー。

わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、やわらかなバイ ブレーションとともに、ひとつの概念 思考の流れがしずかにわたくしの脳髄ふかく流 れこんでくるのを感じたのである。 わたくしは、自分の思念をまったくとめて、それをす なおにうけいれていた。突如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。全身の血がいっぺん にひいてゆくような、 名状しがたい恐怖感の衝撃だった。それが終わったとき、師の説明 も終わった。

先生、その上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、どういうことでし

ょうか?

だれかがわたくしに質問した。

「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギーを放射したので しょう。 空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラにすさまじいエネルギーを集中し た。池の上に降り立って、そのエネルギーが放射したのでしょう。そのエネルギーの放射 が、炎のように見えたのだね。 チャクラがエネルギーを放射すると、全身が炎につつまれ たようになって見えます。 これは、ヨーガ・スートラなどにも書いてある。 そういうと きしばしば、からだが透明状になることがある。 下半身が水になったというのは、仏陀 のすがたがそのとき、透明になったので、池の水が反映して、水のように見えたのでし ょう。このミラクルは、 クンダリニー・ヨーガの最高の技術をみせられたものと、わたく しは考えます。 そういえば、わたくしは、以前、仏陀は、クンダリニー・ヨーガの熟達者 だった、と本に書いたことがあります」

そう、わたくしは説明しながら、はやく、ひとりになって、思考をまとめたいと思って いた。さきほど流れこんできたあの思念の流れあれはいったいなんであったのか?

必死に、わたくしは、それを散らすまいとしてみつめつづけていた。はやく、ひとつのも のにまとめたいと思っていた。

それができたのは、それから数時間後、ラクノウという都市に着いて、ホテルに入った ときであった。

わたくしは、あわただしく自分の室に入って、シャワーを浴びると、すぐに定にはいっ た。ミラクルの池でのあの体験を、もう一度再現しようと思ったのである。

定にはいると、すぐに手がはげしく動いた。「自動書記だな」と直感した。 これは、霊 的状態になって手が無意識に動き、文字を書くのである。 すぐに、ノートを、と思った が、あいにく、このホテルは、宿泊するのではなく、午後九時発の夜行列車に乗るまでの 三、四時間を、休息と食事のために入ったので、トランクその他、筆記用具を入れたは すべて、みんなの荷物といっしょに、下のロビーに預けてしまっていた。手もとには何も ない。しかし、とりにいっているひまはない。 時期を逸したら、もう二度とこの手の動き はもどって来ないかも知れぬのだ。

わたくしはあわただしく座を立って、机のひき出しをさがした。あった! さいわい、

ホテルのメモ用紙が数枚あった。 ボールペンもある。 むしゃぶりつくようにペンをにぎる と、それは勢いよくメモの上を走った。

最初、それは、脈絡のない単語や名詞の羅列であった。しかし、それは、ミラクルの 池のあの思念の流れと一致していた。わたくしは、食事もとらず、出発までの時間を挙げ これに傾注した。整理して、さいごに書きあげたのがつぎの文章であった。

それは突然ななめ前方からやってきた。

一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。

そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、あっというま その衝撃に叩きのめされてしまったのだ。

修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知らされた。 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっというまに消しとん でしまった。叩きのめされてしまった。

これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もくらむようなあ

この白銀の輝きにみちたバイブレーション!

一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーションに如かぬこと を思い知らされた。

これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそわたくしはこ こにやってきたのだ。

おお、サイト・マト、聖なる地、

あなたはここに待っていてくださった。

わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびとにあたえねば ならぬ。

いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。

すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる聖地を、わた くしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサイト・マトの地を、そ

そうですか。

のまま、日本の国にうつさねばならぬ。 それがわたくしの使命だったのですね。それ をかならずはたすことをわたくしはあなたに誓います。

もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そのときなにが 起きるのでしょうか? そのとき起きる或ることを、わたくしは非常なおそれの感情 とともに予感します。

ああ、あの一瞬の霊的バイブレーション!

一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブレーションなくしては、路傍の石ころに も劣るのだった。このバイブレーションをあたえることのできる聖者こそ、真の導師 だったのだ。 理解できました。

書き終えて、わたくしは虚脱状態になった。

昭和五十五年十一月八日

ラクノウのホテルにて しるす。

 

1999 3月 印度聖地大柴燈護摩供

全般の仏教徒、そして、ヒンドゥー教 ジャイナ教、シーク教、その他の各宗教

その歓迎 まさにこれこそ、仏陀の「お呼び」にちがいなく、この盛況は、すべ 仏陀の登場のための「舞台づくり」なのではあるまいかと思われ、これからさらに一 体なにが起こるのであろうかと、心ときめく思いで、わたくしは、「その時」を待ったの である。

そして、この日、いよいよ大柴燈護摩法要の時をむかえたのである。

仏陀現形す

 

わたくしは、朝から、少々、落ちつかない気持であった。

十数年が凝縮されたこの日、この時。

これだけの事実が積み重ねられ、それで、なにごとも起きないということはあり得ぬ。 かならず、なにかが起きる。

なにが起きるのか?

修法の時間が近づくにつれて、わたくしの緊張の度が増す。

かすかに、背すじに戦慄が走る。

獅子座に座って、

点 火

壇に向かい、法を修しはじめると、しだいに心が落ちついてきた。

忘我の瞬間 なにもかも忘れて、無心となる。 その刹那、

「あ!」

それは来た。

「これだ!」

と、見よ。

目のくらむような衝撃だった。白銀いろのバイブレーション!

サヘート・マベートのときと、まったくおなじであった。

すさまじい戦慄、身の毛のよだつような恐怖感。

と思いつつ、歯を食いしばって、耐え、耐えながら、前方の炎を凝視する。

燃え上がる護摩の大火焰が一瞬、スローモーションの動きに変わった。炎に半身埋めて、座像があらわれた。

仏像?

瞬間、思った。

「ちがう!」

「動いている!」

わたくしは思わず叫びそうになった。

にゆらめきつつ、生きた人間の動きであった。

「あ!仏陀だ!」

直感した。 まがうことなき、仏陀のおすがたであった。(わたくしは、以前、大英博物 館所蔵といわれる釈尊の肖像画を見たことがある。 それに近い顔立ちのように思われた) 「お若い!」

と感じた。年齢のほどはわからない。しかし、お若い、と感じた。

短いが無半身露わにした衣のような衣類をまとうておられる。

手を挙げ、下ろし、口を開いて説法しているように思われた。

こちらを見られた。

その眼光が、わたくしを射た。

人間の眼ではない!」

 

その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。

この間、約三、四秒、もう一秒でもつづいたら、わたくしは絶息, 絶心していたかもし れぬ。

おすがたが消え、一瞬、 虚脱状態になった。

修法中でなかったら、わたくしは倒れていたかもしれぬ。頭の中が真白になって、なに も考えが浮かんでこない。

仏陀の眼光だけが、炊きつくように、わたくしの眼前にあった。その眼光に向かって、 無意識に、わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。

「なぜ? なぜ? なぜ?」

サヘート・マハートのときは、聴覚に来た。 眼に見えたのは、白銀色のバイブレー ションのみであった。すべて、言葉にちかいかたちで、概念が入って来た。 今度はちがっ た。視覚のみに来た。言葉も、概念も一切なかった。 そして、最高度の霊界の存在に接す るとき、すさまじいバイブレーションによって、極度の衝撃と恐怖感が生ずることを、は じめて知った。

それにしても、仏陀はなにをお示しになったのか?

「なぜ、いま、ここへ?」

「あ!」

それを、わたくしは考えつづけていた。

それは仏陀の復活祭だった

その夜、懇親パーティーが催された。

その席上でも、頭の片すみで、それを考えつづけていた。

ホテルの部屋にもどっても、深夜、 まんじりともしなかった。 明けがた、ウトウトとした。

夢の中で、ふっと頭のなかをよぎるものがあって、目がさめた。

「あれはなんだったか、ええと――」

「火の儀式」

ゾロアスター

そのなかに、答があったように思えるのだが、なかなか思い出せない。

に、ラマ・ロブサン閣下の招聘状のなかの文章だ

offering ceremony" (火の儀式)という言葉だった。

そうだ、大柴燈護摩という名称、形式にこだわることはないのだ。火の儀式と考えよう。 火の儀式とすると、なんの儀式だ。

拝火教とは、関係ないはずだ。

わたくしの頭は、急速度に回転した。

「そうだ、復活祭だ!」

[復活]

わたくしは思わず、大きな声で叫んでいた。 躍りあがって、叫んでいた。

「仏陀のよみがえり、シャカの復活祭ではないか!」

わたくしは、昂奮をおさえきれず、部屋のなかを歩きまわった。

復活、および復活祭について、百科事典を参照しよう。

死んだイエスが甦ったという主張で、キリスト教の信の中核をなす考え方。 復活祭

キリストの復活は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書すべてに記されてお り、パウロは「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空 「虚なものとなる」(コリント人への第一の手紙)とのべている。

したがって、復活祭はキリスト教の諸聖日の中でも、とくに重要な日で、最も古く から祝われてきた。

復活祭前夜には、(中略) 公共の祝火がたかれ、人々は賛美歌を歌いながら炎 が消えるまで火の周囲を回り、この火をとび越え、あるいはその灰とか燃えさしを畑 (平凡社世界大百科事典』による) に埋めて豊作を祈った。

このたびの大柴燈護摩法要は、まぎれもなく、ブッダの復活の火の儀式であったのであ

る。ブッダ復活の祝火を焚く、復活祭だったのだ。

さきに、中国での講演によって、阿含仏教の正当性はみとめられ、仏陀は復権・復活し た。

キリストも復活し、そして復活祭がおこなわれている。

シャカも、復活したならば、復活祭がおこなわれなければならぬ。それでこそ、 シャカ の復活は公けのものになり、人びとのよろこびとなり、はげましとなるのである。どうし ても復活祭がおこなわれなければならなかったのである。

ブッダの復活祭それは、同時に、 アンゴルモアの大王の生誕祭であった

考えてみれば、 アンゴルモアの大王は、仏陀生誕の地、インドで誕生することこそが、 最もふさわしいものというべきだろう。 復活祭も、まず最初にインドでおこなわれるべき だ。

インドのすべての仏教者、そして、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教、その他の宗 教者たちによって祭りの火が焚かれ、熱烈にお祝いされる。

それでこそ、シャカの復活・アンゴルモアの大王の誕生にふさわしいものといえよう。

仏教を「三国伝通の教え」という。

仏教が、インド・シナ・日本の三国に普遍して伝わったという意味だが、中国で復活し て、インドで復活祭をおこなう。その司祭をつとめるのは日本の僧侶という文字通り三国

普遍の仏教のサンである。

よみがえった仏陀に栄光あれ!

獅子吼する聖師の若き現身を

炎のなかに凝然と見る

永遠の生命の流れその中に いまぞ仏陀はよみがえり拾う

よみがえるアンゴルモアの大王が

おわりに

あたらしき世紀を統べ拾うかも

いまや、世界は、すべての点で行きづまっている。

たえまなくつづく戦乱、動乱、経済不安、環境破壊、資源の枯渇(とりわけ水資源、食 料問題)等、どれをみても、絶望するばかりの状況である。

人類は、どこかで進路を誤ったのではなかろうか?

わたくしは、現代文明の行きづまりは、キリスト教系文明の行きづまりをあらわすもの であると考える。

先進国として、これまで世界を引っぱってきたキリスト教系文明の行きづまりが、世界 行きづまりとなっていると考えるのである。

わたくしは一九九九年カルマと霊障からの脱出』で、十九年前、すでに、キリスト教

文明の過誤を指摘して、世界が立ち直るためには、仏陀の真の教えの復活しかないとい ている。

世界には、二つの文明がある。

この時

キリスト教系文明と仏教系の文明である。

これまで、二〇〇〇年の間、キリスト教系文明が世界を引っぱってきた。一応、成功し たかに見えたが、行きづまった。このままでは崩壊するよりほかはない。残るは仏教系文 明による復興しかないであろう。

ノストラダムスの予言は、それを指摘したものと考える。

それにしても、何世紀にもわたって、世界じゅうのどれほどのかずの人びとが、恐怖の 大王とアンゴルモアの大王という名に幻惑翻弄させられてきたことか。

こそ、ブッダの復活にたいし、全世界の関心が寄せられたのである。

「仏陀の復活」というありふれた表現だったら、世界じゅうはかくも熱中しなかったであろう。

Buddhists in general, Hinduism, Jainism, Sikhism, and other religions

This welcome must have been the Buddha's ``call'', and I wondered if this success was all ``setting the stage'' for the arrival of the Buddha, and I wondered what would happen next. With excitement, I waited for ``that moment.''

And on this day, the time for the Osaito Goma memorial service finally arrived.

buddha manifestation

 

I've been feeling a little restless since this morning.

On this day, at this time, more than ten years have been condensed.

With so many facts piled up, it is impossible for nothing to happen. Something is bound to happen.

What happens?

As the time for the practice approaches, my nervousness increases.

A faint shiver ran down my spine.

Sitting in Leo,

ignition

As I headed to the altar and began practicing the Dharma, my mind gradually calmed down.

A moment of ecstasy, when one forgets everything and becomes mindless. That moment,

"a!"

It came.

"This is it!"

And behold.

It was a blinding shock. Silver-colored vibrations!

It was exactly the same as with Sahet Mabeet.

Tremendous horror, a chilling sense of fear.

Thinking this, I grit my teeth, endure it, and stare at the flames in front of me.

For a moment, the huge conflagration of Goma turned into a slow-motion movement. A seated figure appeared, half buried in the flames.

Buddha statue?

I thought for a moment.

"different!"

"moving!"

I almost screamed.

It was the movement of a living human being, flickering in the air.

"Ah! It's Buddha!"

I felt it intuitively. He was the perfect Buddha. (I once saw a portrait of Shakyamuni Buddha said to be in the British Museum. His facial features seemed similar to that one.) "Young man!"

I felt that. I don't know how old he is. However, I felt that he was young.

He is wearing a short but revealing garment.

He raised his hands, lowered them, opened his mouth, and seemed to be preaching.

I was able to see this.

The light in his eyes hit me.

It’s not a human eye!”

 

At that moment, my fear reached a boiling point.

During this time, it was about three or four seconds; if he had continued for even one more second, I would have lost my breath, and he would have died.

My face disappeared, and for a moment I was in a state of collapse.

If I hadn't been practicing, I might have collapsed. His mind went blank and he couldn't think of anything.

Only the Buddha's gaze was in front of me, as if burning. Unconsciously, my lips moved toward that gaze and I kept asking questions.

"Why? Why? Why?"

With Sahet Mahat, I came to hearing. All he could see was his silver vibrator. All the concepts came to me in a way that was almost like words. He was different this time. I came for the sight only. There were no words, no concepts. And for the first time, he realized that when he comes into contact with the highest spiritual beings, the tremendous vibrations cause an extreme sense of shock and fear.

Anyway, what did the Buddha show us?

“Why are you here now?”

"a!"

I kept thinking about that.

It was the resurrection of Buddha

A social gathering was held that night.

Even while sitting there, I kept thinking about it in the back of my mind.

When I returned to my hotel room, it was late at night and I didn't even notice. Early in the morning, I dozed off.

In my dream, something suddenly crossed my mind and I woke up.

"What was that, uh-"

"Fire Ceremony"

zoroaster

I feel like I have an answer in there, but I can't quite remember it.

This is the text from His Excellency Rama Lobsang's letter of invitation.

The word was "offering ceremony" (fire ceremony).

That's right, we don't care about the name or format of Osaito Goma. Think of it as a fire ritual. If it's a fire ritual, what kind of ritual is it?

It shouldn't have anything to do with fire worship.

My head spun rapidly.

“Yes, it’s Easter!”
[revival]

I couldn't help but scream out loud. He was jumping up and screaming.

“Isn’t this the resurrection of Buddha and the Easter of Shaka!”

Unable to contain my excitement, I walked around the room.

Please refer to the encyclopedia for information on resurrection and Easter.

The idea that the dead Jesus rose from the dead is the central idea of Christianity. Easter

The resurrection of Christ is recorded in all four gospels of Matthew, Mark, Luke, and John, and Paul says, ``If Christ has not been raised, your faith is vain.'' 1 Corinthians).

Therefore, Easter is a particularly important day among the Christian holy days, and has been celebrated since the earliest times.

On the eve of Easter, a public fire is lit, and people sing hymns and circle the fire until it goes out, then jump over the fire, or scatter its ashes and embers in a field (Heibonsha). (according to the World Encyclopedia)) and prayed for a good harvest.

The recent Osaito Goma memorial service was undoubtedly a fire ceremony for the resurrection of Buddha.

Ru. It was Easter, a time to light a fire to celebrate the resurrection of Buddha.

Earlier, through his lecture in China, the legitimacy of Agon Buddhism was recognized, and the Buddha was reinstated and revived.

Christ has also been resurrected, and Easter is being celebrated.

If Shaka were to be resurrected, an Easter festival would have to be held. Only in this way can Shaka's resurrection become public, bring joy to people, and become a source of outrage. Why did he need Easter to be held?

Buddha's Easter was also the birthday festival of the Great King of Angolmois.

If you think about it, it would be most appropriate for the Great King of Angolmois to be born in India, the birthplace of Buddha. Easter should also be celebrated in India first.

The festival is lit and celebrated with great enthusiasm by all Buddhists of India, as well as Hindus, Jains, Sikhs and other religions.

Therefore, it can be said that it is appropriate for the resurrection of Shaka and the birth of the great king of Angolmois.

Buddhism is called ``the teachings of the Three Kingdoms.''

It means that Buddhism was universally transmitted to the three countries of India, China, and Japan, but it was revived in China and Easter is celebrated in India. The priests are Japanese monks, literally three kingdoms.

He is the universal Buddhist San.

Glory to the risen Buddha!

The young reality of the lion-roaring sage

stare intently into the flames

In the eternal flow of life, he is now the Buddha who has risen from the dead.

The great king of Angolmois comes back to life

in conclusion

Maybe I'll lead a new century

The world is now at a standstill in all respects.

The situation is one of despair no matter how you look at it, such as the constant wars, turmoil, economic instability, environmental destruction, and resource depletion (particularly water and food issues).

Did humanity take a wrong turn somewhere?

I believe that the impasse of modern civilization reflects the impasse of Christian civilization.

As a developed country, we believe that the stalemate of Christian civilization, which has been leading the world until now, is now the world's stalemate.

In 1999, I wrote ``Escape from Karma and Spiritual Obstacle'', and 19 years ago, I had already converted to Christianity.

He points out the errors of civilization and says that the only way for the world to recover is to restore the true teachings of Buddha.

There are two civilizations in the world.

At this time

They are Christian civilization and Buddhist civilization.

For the past 2,000 years, Christian civilization has led the world. It seemed like he was successful, but he was stuck. If things continue like this, they have no choice but to collapse. The only thing remaining would be a revival through Buddhist civilization.

I think Nostradamus' prophecies pointed out this.

How many people around the world have been bewitched over the centuries by the names of the Great King of Terror and the Great King of Angolmois?

This is why the whole world was interested in the resurrection of Buddha.

If it had been a common expression such as ``the resurrection of the Buddha,'' the world would not have been so enthusiastic about it.

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

虚空蔵菩薩 無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

2023-09-28 07:35:15 | 運命学

 

 

 

 

虚空蔵菩薩

無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の像容

1つの顔に2本の腕を持つ、菩薩形の像です。右手に剣、左手に如意宝珠を持っているのが一般的です。五仏宝冠を戴いた坐像として表現されます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年9月28日 九星  無料 今日の運命

2023-09-28 07:27:21 | 運命学

 

2023928日 九星  無料 今日の運命

 

五黄土星の日

小さな自我は破れやすい。絶望的な思いの人の来訪を受けたりする。名利を離れ天を相手にの心境を養え。

 

再生の週  成の日
過去の積み重ねが達成される日。
さらに新しいことへの興味が芽生える日でもあるので、実現に向けたプランを立てたり、イメージをふくらませるとよいでしょう。
周囲からの助けに恵まれる日でもあるので、小さな情報でもキャッチする積極的な姿勢を心がけてください。
 
 

虚空蔵菩薩 無限の智慧と慈悲の心を人々に与える菩薩

 

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)とは?

虚空蔵とは宇宙のような無限の智慧と慈悲の心が収まっている蔵(貯蔵庫)を意味し、人々の願えを叶えるために蔵から取り出して智慧や記憶力、知識を与えてくれるとされています。

 

真言宗の開祖・弘法大師は虚空蔵菩薩の真言を100万遍唱えるという虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行ったそうですよ。無限の記憶力がつき、仏の智慧を体得することができるといわれています。求聞持法の本尊像のほかに、増益(ぞうやく)や除災を願って行う修法の本尊である五大虚空蔵菩薩があります。これは虚空蔵菩薩の持つ智慧を5方に配し、金剛界五仏の変化した姿としたものです。

ご利益

成績向上、記憶力増進、頭脳明晰、商売繁盛、技芸向上のご利益があります。また、丑・寅年の守り本尊です。丑・寅年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

 

虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)の像容

1つの顔に2本の腕を持つ、菩薩形の像です。右手に剣、左手に如意宝珠を持っているのが一般的です。五仏宝冠

 

女司祭長(女教皇)
正位置・・・学問。知性。常識。静穏。知恵。賢明さ。落ち着き。啓示されない未来。芸術家。オカルチスト。
逆位置・・・晩婚。わがまま。思慮のない行為。欺瞞。官能的な享楽。移り気から起こる失敗。悪女の恋人にほんろうされる。
ウェイト解説
正位置・・・秘密。神秘。明らかにされない未来。質問者が男性なら、彼にとって気になる女性。質問者が女性なら、彼女自身。沈黙。粘り強さ。謎。英知。科学。
逆位置・・・情熱。道徳的、あるいは肉体的熱情。自惚れ。表面的な知識。
 
 
09月28日 (木曜)
月齢
12.87
Moon
潮汐
中潮

月名(旧暦日)
小望月
(待宵月)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

よみがえったアンゴルモアの大王  The resurrected King of Angolmois

2023-09-27 18:41:04 | 運命学

全般の仏教徒、そして、ヒンドゥー教 ジャイナ教、シーク教、その他の各宗教

その歓迎 まさにこれこそ、仏陀の「お呼び」にちがいなく、この盛況は、すべ 仏陀の登場のための「舞台づくり」なのではあるまいかと思われ、これからさらに一 体なにが起こるのであろうかと、心ときめく思いで、わたくしは、「その時」を待ったの である。

そして、この日、いよいよ大柴燈護摩法要の時をむかえたのである。

仏陀現形す

 

わたくしは、朝から、少々、落ちつかない気持であった。

十数年が凝縮されたこの日、この時。

これだけの事実が積み重ねられ、それで、なにごとも起きないということはあり得ぬ。 かならず、なにかが起きる。

なにが起きるのか?

修法の時間が近づくにつれて、わたくしの緊張の度が増す。

かすかに、背すじに戦慄が走る。

獅子座に座って、

点 火

壇に向かい、法を修しはじめると、しだいに心が落ちついてきた。

忘我の瞬間 なにもかも忘れて、無心となる。 その刹那、

「あ!」

それは来た。

「これだ!」

と、見よ。

目のくらむような衝撃だった。白銀いろのバイブレーション!

サヘート・マベートのときと、まったくおなじであった。

すさまじい戦慄、身の毛のよだつような恐怖感。

と思いつつ、歯を食いしばって、耐え、耐えながら、前方の炎を凝視する。

燃え上がる護摩の大火焰が一瞬、スローモーションの動きに変わった。炎に半身埋めて、座像があらわれた。

仏像?

瞬間、思った。

「ちがう!」

「動いている!」

わたくしは思わず叫びそうになった。

にゆらめきつつ、生きた人間の動きであった。

「あ!仏陀だ!」

直感した。 まがうことなき、仏陀のおすがたであった。(わたくしは、以前、大英博物 館所蔵といわれる釈尊の肖像画を見たことがある。 それに近い顔立ちのように思われた) 「お若い!」

と感じた。年齢のほどはわからない。しかし、お若い、と感じた。

短いが無半身露わにした衣のような衣類をまとうておられる。

手を挙げ、下ろし、口を開いて説法しているように思われた。

こちらを見られた。

その眼光が、わたくしを射た。

人間の眼ではない!」

 

その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。

この間、約三、四秒、もう一秒でもつづいたら、わたくしは絶息, 絶心していたかもし れぬ。

おすがたが消え、一瞬、 虚脱状態になった。

修法中でなかったら、わたくしは倒れていたかもしれぬ。頭の中が真白になって、なに も考えが浮かんでこない。

仏陀の眼光だけが、炊きつくように、わたくしの眼前にあった。その眼光に向かって、 無意識に、わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。

「なぜ? なぜ? なぜ?」

サヘート・マハートのときは、聴覚に来た。 眼に見えたのは、白銀色のバイブレー ションのみであった。すべて、言葉にちかいかたちで、概念が入って来た。 今度はちがっ た。視覚のみに来た。言葉も、概念も一切なかった。 そして、最高度の霊界の存在に接す るとき、すさまじいバイブレーションによって、極度の衝撃と恐怖感が生ずることを、は じめて知った。

それにしても、仏陀はなにをお示しになったのか?

「なぜ、いま、ここへ?」

「あ!」

それを、わたくしは考えつづけていた。

それは仏陀の復活祭だった

その夜、懇親パーティーが催された。

その席上でも、頭の片すみで、それを考えつづけていた。

ホテルの部屋にもどっても、深夜、 まんじりともしなかった。 明けがた、ウトウトとした。

夢の中で、ふっと頭のなかをよぎるものがあって、目がさめた。

「あれはなんだったか、ええと――」

「火の儀式」

ゾロアスター

そのなかに、答があったように思えるのだが、なかなか思い出せない。

に、ラマ・ロブサン閣下の招聘状のなかの文章だ

offering ceremony" (火の儀式)という言葉だった。

そうだ、大柴燈護摩という名称、形式にこだわることはないのだ。火の儀式と考えよう。 火の儀式とすると、なんの儀式だ。

拝火教とは、関係ないはずだ。

わたくしの頭は、急速度に回転した。

「そうだ、復活祭だ!」

[復活]

わたくしは思わず、大きな声で叫んでいた。 躍りあがって、叫んでいた。

「仏陀のよみがえり、シャカの復活祭ではないか!」

わたくしは、昂奮をおさえきれず、部屋のなかを歩きまわった。

復活、および復活祭について、百科事典を参照しよう。

死んだイエスが甦ったという主張で、キリスト教の信の中核をなす考え方。 復活祭

キリストの復活は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書すべてに記されてお り、パウロは「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空 「虚なものとなる」(コリント人への第一の手紙)とのべている。

したがって、復活祭はキリスト教の諸聖日の中でも、とくに重要な日で、最も古く から祝われてきた。

復活祭前夜には、(中略) 公共の祝火がたかれ、人々は賛美歌を歌いながら炎 が消えるまで火の周囲を回り、この火をとび越え、あるいはその灰とか燃えさしを畑 (平凡社世界大百科事典』による) に埋めて豊作を祈った。

このたびの大柴燈護摩法要は、まぎれもなく、ブッダの復活の火の儀式であったのであ

る。ブッダ復活の祝火を焚く、復活祭だったのだ。

さきに、中国での講演によって、阿含仏教の正当性はみとめられ、仏陀は復権・復活し た。

キリストも復活し、そして復活祭がおこなわれている。

シャカも、復活したならば、復活祭がおこなわれなければならぬ。それでこそ、 シャカ の復活は公けのものになり、人びとのよろこびとなり、はげましとなるのである。どうし ても復活祭がおこなわれなければならなかったのである。

ブッダの復活祭それは、同時に、 アンゴルモアの大王の生誕祭であった

考えてみれば、 アンゴルモアの大王は、仏陀生誕の地、インドで誕生することこそが、 最もふさわしいものというべきだろう。 復活祭も、まず最初にインドでおこなわれるべき だ。

インドのすべての仏教者、そして、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教、その他の宗 教者たちによって祭りの火が焚かれ、熱烈にお祝いされる。

それでこそ、シャカの復活・アンゴルモアの大王の誕生にふさわしいものといえよう。

仏教を「三国伝通の教え」という。

仏教が、インド・シナ・日本の三国に普遍して伝わったという意味だが、中国で復活し て、インドで復活祭をおこなう。その司祭をつとめるのは日本の僧侶という文字通り三国

普遍の仏教のサンである。

よみがえった仏陀に栄光あれ!

獅子吼する聖師の若き現身を

炎のなかに凝然と見る

永遠の生命の流れその中に いまぞ仏陀はよみがえり拾う

よみがえるアンゴルモアの大王が

おわりに

あたらしき世紀を統べ拾うかも

いまや、世界は、すべての点で行きづまっている。

たえまなくつづく戦乱、動乱、経済不安、環境破壊、資源の枯渇(とりわけ水資源、食 料問題)等、どれをみても、絶望するばかりの状況である。

人類は、どこかで進路を誤ったのではなかろうか?

わたくしは、現代文明の行きづまりは、キリスト教系文明の行きづまりをあらわすもの であると考える。

先進国として、これまで世界を引っぱってきたキリスト教系文明の行きづまりが、世界 行きづまりとなっていると考えるのである。

わたくしは一九九九年カルマと霊障からの脱出』で、十九年前、すでに、キリスト教

文明の過誤を指摘して、世界が立ち直るためには、仏陀の真の教えの復活しかないとい ている。

世界には、二つの文明がある。

この時

キリスト教系文明と仏教系の文明である。

これまで、二〇〇〇年の間、キリスト教系文明が世界を引っぱってきた。一応、成功し たかに見えたが、行きづまった。このままでは崩壊するよりほかはない。残るは仏教系文 明による復興しかないであろう。

ノストラダムスの予言は、それを指摘したものと考える。

それにしても、何世紀にもわたって、世界じゅうのどれほどのかずの人びとが、恐怖の 大王とアンゴルモアの大王という名に幻惑翻弄させられてきたことか。

こそ、ブッダの復活にたいし、全世界の関心が寄せられたのである。

「仏陀の復活」というありふれた表現だったら、世界じゅうはかくも熱中しなかったであろう。

Buddhists in general, Hinduism, Jainism, Sikhism, and other religions

This welcome must have been the Buddha's ``call'', and I wondered if this success was all ``setting the stage'' for the arrival of the Buddha, and I wondered what would happen next. With excitement, I waited for ``that moment.''

And on this day, the time for the Osaito Goma memorial service finally arrived.

buddha manifestation

 

I've been feeling a little restless since this morning.

On this day, at this time, more than ten years have been condensed.

With so many facts piled up, it is impossible for nothing to happen. Something is bound to happen.

What happens?

As the time for the practice approaches, my nervousness increases.

A faint shiver ran down my spine.

Sitting in Leo,

ignition

As I headed to the altar and began practicing the Dharma, my mind gradually calmed down.

A moment of ecstasy, when one forgets everything and becomes mindless. That moment,

"a!"

It came.

"This is it!"

And behold.

It was a blinding shock. Silver-colored vibrations!

It was exactly the same as with Sahet Mabeet.

Tremendous horror, a chilling sense of fear.

Thinking this, I grit my teeth, endure it, and stare at the flames in front of me.

For a moment, the huge conflagration of Goma turned into a slow-motion movement. A seated figure appeared, half buried in the flames.

Buddha statue?

I thought for a moment.

"different!"

"moving!"

I almost screamed.

It was the movement of a living human being, flickering in the air.

"Ah! It's Buddha!"

I felt it intuitively. He was the perfect Buddha. (I once saw a portrait of Shakyamuni Buddha said to be in the British Museum. His facial features seemed similar to that one.) "Young man!"

I felt that. I don't know how old he is. However, I felt that he was young.

He is wearing a short but revealing garment.

He raised his hands, lowered them, opened his mouth, and seemed to be preaching.

I was able to see this.

The light in his eyes hit me.

It’s not a human eye!”

 

At that moment, my fear reached a boiling point.

During this time, it was about three or four seconds; if he had continued for even one more second, I would have lost my breath, and he would have died.

My face disappeared, and for a moment I was in a state of collapse.

If I hadn't been practicing, I might have collapsed. His mind went blank and he couldn't think of anything.

Only the Buddha's gaze was in front of me, as if burning. Unconsciously, my lips moved toward that gaze and I kept asking questions.

"Why? Why? Why?"

With Sahet Mahat, I came to hearing. All he could see was his silver vibrator. All the concepts came to me in a way that was almost like words. He was different this time. I came for the sight only. There were no words, no concepts. And for the first time, he realized that when he comes into contact with the highest spiritual beings, the tremendous vibrations cause an extreme sense of shock and fear.

Anyway, what did the Buddha show us?

“Why are you here now?”

"a!"

I kept thinking about that.

It was the resurrection of Buddha

A social gathering was held that night.

Even while sitting there, I kept thinking about it in the back of my mind.

When I returned to my hotel room, it was late at night and I didn't even notice. Early in the morning, I dozed off.

In my dream, something suddenly crossed my mind and I woke up.

"What was that, uh-"

"Fire Ceremony"

zoroaster

I feel like I have an answer in there, but I can't quite remember it.

This is the text from His Excellency Rama Lobsang's letter of invitation.

The word was "offering ceremony" (fire ceremony).

That's right, we don't care about the name or format of Osaito Goma. Think of it as a fire ritual. If it's a fire ritual, what kind of ritual is it?

It shouldn't have anything to do with fire worship.

My head spun rapidly.

“Yes, it’s Easter!”
[revival]

I couldn't help but scream out loud. He was jumping up and screaming.

“Isn’t this the resurrection of Buddha and the Easter of Shaka!”

Unable to contain my excitement, I walked around the room.

Please refer to the encyclopedia for information on resurrection and Easter.

The idea that the dead Jesus rose from the dead is the central idea of Christianity. Easter

The resurrection of Christ is recorded in all four gospels of Matthew, Mark, Luke, and John, and Paul says, ``If Christ has not been raised, your faith is vain.'' 1 Corinthians).

Therefore, Easter is a particularly important day among the Christian holy days, and has been celebrated since the earliest times.

On the eve of Easter, a public fire is lit, and people sing hymns and circle the fire until it goes out, then jump over the fire, or scatter its ashes and embers in a field (Heibonsha). (according to the World Encyclopedia)) and prayed for a good harvest.

The recent Osaito Goma memorial service was undoubtedly a fire ceremony for the resurrection of Buddha.

Ru. It was Easter, a time to light a fire to celebrate the resurrection of Buddha.

Earlier, through his lecture in China, the legitimacy of Agon Buddhism was recognized, and the Buddha was reinstated and revived.

Christ has also been resurrected, and Easter is being celebrated.

If Shaka were to be resurrected, an Easter festival would have to be held. Only in this way can Shaka's resurrection become public, bring joy to people, and become a source of outrage. Why did he need Easter to be held?

Buddha's Easter was also the birthday festival of the Great King of Angolmois.

If you think about it, it would be most appropriate for the Great King of Angolmois to be born in India, the birthplace of Buddha. Easter should also be celebrated in India first.

The festival is lit and celebrated with great enthusiasm by all Buddhists of India, as well as Hindus, Jains, Sikhs and other religions.

Therefore, it can be said that it is appropriate for the resurrection of Shaka and the birth of the great king of Angolmois.

Buddhism is called ``the teachings of the Three Kingdoms.''

It means that Buddhism was universally transmitted to the three countries of India, China, and Japan, but it was revived in China and Easter is celebrated in India. The priests are Japanese monks, literally three kingdoms.

He is the universal Buddhist San.

Glory to the risen Buddha!

The young reality of the lion-roaring sage

stare intently into the flames

In the eternal flow of life, he is now the Buddha who has risen from the dead.

The great king of Angolmois comes back to life

in conclusion

Maybe I'll lead a new century

The world is now at a standstill in all respects.

The situation is one of despair no matter how you look at it, such as the constant wars, turmoil, economic instability, environmental destruction, and resource depletion (particularly water and food issues).

Did humanity take a wrong turn somewhere?

I believe that the impasse of modern civilization reflects the impasse of Christian civilization.

As a developed country, we believe that the stalemate of Christian civilization, which has been leading the world until now, is now the world's stalemate.

In 1999, I wrote ``Escape from Karma and Spiritual Obstacle'', and 19 years ago, I had already converted to Christianity.

He points out the errors of civilization and says that the only way for the world to recover is to restore the true teachings of Buddha.

There are two civilizations in the world.

At this time

They are Christian civilization and Buddhist civilization.

For the past 2,000 years, Christian civilization has led the world. It seemed like he was successful, but he was stuck. If things continue like this, they have no choice but to collapse. The only thing remaining would be a revival through Buddhist civilization.

I think Nostradamus' prophecies pointed out this.

How many people around the world have been bewitched over the centuries by the names of the Great King of Terror and the Great King of Angolmois?

This is why the whole world was interested in the resurrection of Buddha.

If it had been a common expression such as ``the resurrection of the Buddha,'' the world would not have been so enthusiastic about it.

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ブッダの成仏法は、あらゆる因縁を解き、人にたいしてのみ、はたらくのではない。あらゆる存在にたいし て、力を及ぼす

2023-09-27 18:12:23 | 運命学

``Buddha's method of attaining Buddhahood dissolves all causes and causes, and does not work only on humans.It exerts power on all beings.

 

どんな自信か?

 

ブッダの成仏法にたいしての自信である。

わたくしは、かねがね、

「ブッダの成仏法は、あらゆる因縁を解き、栗を絶つ。それは決して、人にたいしてのみ 力を発揮するのではないのである。 存在するものすべてにその力は及ぶのである」

そう、わたくしは説いてきた。

しかし、

「ブッダの成仏法は、人にたいしてのみ、はたらくのではない。あらゆる存在にたいし て、力を及ぼす。 因果の法則は、ものの存在の原則である。業の力は、その因果の法則の範疇に入る。その因果の法則をくつがえし、因を解き、縁を変え、果を絶つ。 すべての 事象にたいし、その力を及ぼす。 それは、世界を変えるのだ」

そう、わたくしは説きつづけてきた。

これまで、人にたいしては、かず多くその力を証明してきたわたくしだが、一つの国家 という大きな集合体にたいしては、 その力を実証する機会を持たなかった。それを、モンゴルの出来ごとは、みごとに証明してくれたのだ。

シャカの成仏法 アンゴルモアの大王が出現すれば、どんな世界の危機をも乗り越え られる!

その確信を、わたくしは、いよいよ深めたのである。そしてそれと同時に、わたくしの 考えは微妙に変わった。というのは、わたくしはこう考えたのである。

ある存在が、わたくしにその使命をつよく自覚させるために、モンゴルの危機に際して、わたくしを派遣したのではないか、と。

読者よ、笑ってはいけない。 わたくしはほんとうにそう思ったのだ。なぜならば、すべ 偶然にしては、あまりにもお膳立てが揃い過ぎているのである。 なにかの力がはたら いているとしか思えなかった。

(あとから考えても、この「奇蹟」は、阿含仏教の復権・復活のために、この時期、ぜっ 起きていなければならない出来ごとだったのである)

なにかが自分を動かしている!

そう思った瞬間、はじめて、心底から、 ノストラダムスの予言を信じようという気持になった。

 

What kind of confidence?

 

It is confidence in the Buddha's method of attaining Buddhahood.

I have always been

``Buddha's method of attaining Buddhahood dissolves all causes and eliminates all karma.It never exerts its power only on people.It extends to everything that exists.''

Yes, that's what I've been preaching.

but,

``Buddha's method of attaining Buddhahood does not work only on humans; it exerts power on all beings. The law of cause and effect is the principle of the existence of things. The power of karma falls within the scope of that law of cause and effect. It overturns the law of cause and effect, unravels causes, changes relationships, and ends effects. It exerts its power over all phenomena. It changes the world."

Yes, I have continued to preach.

Up until now, I have proven my power over many people, but I have never had the opportunity to demonstrate my power against a large group like a nation. The events in Mongolia brilliantly proved this.

Shaka's method of attaining Buddhahood If the Great King of Angolmois appears, he can overcome any crisis in the world!

I have gradually deepened that belief. At the same time, my thinking changed slightly. Because this is what I thought.

I thought that some being had sent me to Mongolia during the crisis in order to make me more aware of its mission.

Reader, don't laugh. I really thought so. This is because the arrangements are far too complete for this to be a coincidence. All I could think was that some kind of power was working on him.

(Even in hindsight, this ``miracle'' was an event that had to happen at this time for the restoration and revival of Agon Buddhism.)

Something is moving me!

The moment I thought that, for the first time, I felt from the bottom of my heart the desire to believe in Nostradamus' prophecies.

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年9月27日  九星  無料 今日の運命

2023-09-27 07:56:02 | 運命学

 

2023927

六白金星の日

新しい企画を持った人との接触あり。気が高ぶり争いが起りやすい。負けるは勝ち。怒ったら損、自己を誇るなかれ。心豊かにほのぼのと。

 

再生の週  危の日
吉凶混合の日。
仕事運と対人運は概ね好調で、周囲からの評価も期待できます。
健康には注意が必要で、思わぬ怪我や事故に巻き込まれる可能性が高い日です。
何事も調子に乗りすぎると痛い目に遭うでしょう
 

 

千手観音 千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

 

 

千手観音(せんじゅかんのん)とは?

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

 

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。

ご利益

災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。

千手観音(せんじゅかんのん)の像容

十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持つ

悪魔
正位置・・・病気。意気消沈。不況。不服。不満足。力の誤用。有益な友人を失いやすい。友人の裏切り、策謀。既婚者への愛の成就。悪への屈服。黒魔術。呪法。科学。学究。
逆位置・・・心霊学。オカルトへの理解のはじまり。臆病。屈服からの解放。病気の回避。科学性の欠如や無視。迷信。
ウェイト解説
正位置・・・破壊。暴力。激烈。異常な努力。力。運命。前もって定められていて動かせないもの(必ずしも悪いものとは限らない)。
逆位置・・・悪い宿命。弱さ。狭量。盲目。

 

 

09月27日 (水曜)
月齢
11.89
Moon
潮汐
若潮

月名(旧暦日)
十三夜月

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千手観音 千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

2023-09-26 07:31:54 | 運命学

 

 

 

千手観音

千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

 

千手観音(せんじゅかんのん)とは?

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

 

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。

ご利益

災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。

千手観音(せんじゅかんのん)の像容

十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年9月26日   九星  無料 今日の運命

2023-09-26 07:23:01 | 運命学

 

2023926

 

七赤金星の日

人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切。

再生の週  安の日
心身共に安定した日。
何があっても焦らずに、じっくり腰を据えてとりかかることで、どんな問題も無理なく解決できます。
ちょとした自分の感情や欲求が思わぬ誤解を招きやすいので、控えめに過ごすことが大切な日です

 

千手観音

千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

 

千手観音(せんじゅかんのん)とは?

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

 

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。

ご利益

災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。

千手観音(せんじゅかんのん)の像容

十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。

 戦車
正位置・・・征服。勝利。凱旋。自立。出世。野望をなしとげる。困難の克服。宗教、迷信に打ち勝つ。先頭をきった最初の勝利。自力で勝ち得た成功。乗っ取り。買占め。経済的野心の成功。立身出世。力で勝ち取った恋愛。戦争。戦火。兵隊。自動車、その他乗り物。運転者。
逆位置・・・計画の挫折。恋愛などの敗北。障害。利己主義。ルーズ。他人の権利を無視する。
ウェィト解説
正位置・・・まさかの時の救助、援軍。摂理。戦争。勝利。無礼。復讐。トラブル。
逆位置・・・暴力。争い。論争。訴訟。敗北。
 
 
 
09月26日 (火曜)
月齢
10.86
Moon
潮汐
長潮
月名(旧暦日)
宵月
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年9月26日   九星  無料 今日の運命

2023-09-26 07:23:01 | 運命学

 

2023926

 

七赤金星の日

人より協力の依頼を受けたりする日。金運、喜び事あるも調子に乗って酒色に乱れぬよう心すべき日。小利に迷わず自他喜びを共にする心掛けも大切。

再生の週  安の日
心身共に安定した日。
何があっても焦らずに、じっくり腰を据えてとりかかることで、どんな問題も無理なく解決できます。
ちょとした自分の感情や欲求が思わぬ誤解を招きやすいので、控えめに過ごすことが大切な日です

 

千手観音

千の手と千の目で一切の衆生を救う観音菩薩

 

千手観音(せんじゅかんのん)とは?

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によって悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

 

観音の中でも功徳が大きく、観音の中の王という意味で「蓮華王」と呼ばれることもあります。阿修羅や金剛力士などの二十八部衆を配下にしています。また六観音の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。

ご利益

災難除け、延命、病気治癒などあらゆる現世利益を網羅し、特に夫婦円満、恋愛成就に功徳があるとされています。子年の守り本尊でもあり、子年生まれの人の開運、厄除け、祈願成就を助けるとされます。

千手観音(せんじゅかんのん)の像容

十一面四十二臂(ひ)で表されることが多く、四十二本の手のうち四十本それぞれが二十五の世界を救うことを示します。手には宝剣、髑髏杖、水瓶など実に様ざまな持物(じもつ)を持ち、多種多様な徳を表しています。

 戦車
正位置・・・征服。勝利。凱旋。自立。出世。野望をなしとげる。困難の克服。宗教、迷信に打ち勝つ。先頭をきった最初の勝利。自力で勝ち得た成功。乗っ取り。買占め。経済的野心の成功。立身出世。力で勝ち取った恋愛。戦争。戦火。兵隊。自動車、その他乗り物。運転者。
逆位置・・・計画の挫折。恋愛などの敗北。障害。利己主義。ルーズ。他人の権利を無視する。
ウェィト解説
正位置・・・まさかの時の救助、援軍。摂理。戦争。勝利。無礼。復讐。トラブル。
逆位置・・・暴力。争い。論争。訴訟。敗北。
 
 
 
09月26日 (火曜)
月齢
10.86
Moon
潮汐
長潮
月名(旧暦日)
宵月
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2023年9月25日  九星  無料 今日の運命

2023-09-25 10:47:44 | 運命学

 

九星  無料 今日の運命  2023925

 

 

八白土星の日

 内輪もめが起こりやすい。格別慈悲心が大切の日。もうけ話は損失となりやすい

再生の週  衰の日
決断力の鈍る日。
交渉事や契約は避けて、先送りしたほうがよいでしょう。
悩みや迷いがあっても、ひとりで答えをだそうとせずに、相談できる人に打ち明けることで、正しい解決の糸口が見つかります

 

阿弥陀如来 命あるものすべてを救うべく誓いを立て、極楽浄土に導く

 

 

阿弥陀如来(あみだにょらい)とは?

無限の寿命を持つことから無量寿如来ともいいます。限りない光(智慧)と限りない命を持って人々を救い続けるとされており、西方極楽浄土の教主です。四十八願(しじゅうはちがん)という誓いを立て、その中には「南無阿弥陀仏」と唱えたあらゆる人々を必ず極楽浄土へ導くとあり、広く民衆から信仰されました。ちなみに他力本願も四十八願の誓いから来ており、本来は阿弥陀様にすがって極楽に行こうという意味です。

 

阿弥陀三尊として聖観音と勢至菩薩と並ぶ姿が多いです。さらに二十五菩薩を従え、雲に乗って往生者を迎えにやってくるといわれています。そのほか来迎の様子をあらわす場合もあります。

ご利益

極楽往生、現世安穏のご利益があります。また、戌・亥年生まれ守り本尊です。

阿弥陀如来(あみだにょらい)の像容

釈迦如来と同じく装飾品は一切ないです。来迎印という印は、極楽浄土に迎えに来たことを意味していますよ。この印相は施無畏・与願印に似ていますが、第1指ともう1本の指をねじるのが特徴です。

 

特殊な例としては、宝冠阿弥陀像、裸形阿弥陀像、斜めうしろを振り返る姿をしている見返り阿弥陀などがあります。

死神
正位置・・・離婚。別離。すべてを捨てる。ものごとの(よくない意味での)終わり。一度、無に戻したほうが良い。盗難。火災による損失。破産。取引の停止。生産や営業の中止。退学。突然やってくる病気。恐怖心を持ちやすい病気。飢餓。暴力死。事故死。不作。
逆位置・・・意識の変革。再生。創造。運命。更新。スクラップ&ビルド。病気回復。蘇る愛。遺産相続。
ウェイト解説
正位置・・・終わり。死すべき運命。破壊。堕落。男性にとっては後ろ盾を失う。女性にとっては多くの反対。若い女性にとっては結婚の計画の失敗。
逆位置・・・惰性。睡眠。無気力。茫然自失。夢遊病。失われた希望。
(オカルト的解釈では、このカードは再生。創造。運命。更新。休息をあらわす。)
 
 
09月25日 (月曜)
月齢
9.99
Moon
潮汐
小潮

月名(旧暦日)
宵月

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする