だからつよいバイブレーションをうけてもうけとめられるのだが、ここでは全く無防禦だ
「待ってください」
ったので、その衝撃はことにつよかったのだ。数秒つづいたように感じたが、それはほんの一瞬のようであった。師の大きな声がふたたび耳によみがえってた。
わたくしは手をあげて師を制した。
「ちょっと待って。わたくしはいま、ものすごいバイブレーションを感じたのです。 それ はものすごいバイブレーションで、そう、あの方向からきました。あれはなんですか? あの地は
わたくしは、その衝撃がきたと思われる方向をゆびさした。五十メートルほど前方に、 雑草の生いしげった凹地があった。そこから、それがきたと思われた。
「ああ、あれですか」
と師はうなずいた。
「あれは、ミラクルの池です。」
「ミラクルの池?」
「そう、ミラクルの池。仏陀が奇蹟をおあらわしになった。 そこであそこを、ミラクルの池とよぶのです」
「そのミラクルとは、どんなミラクルなのですか?」
それは、仏陀が空中浮揚してこの池の上に立ち、上半身を火に、下半身を水に変えた
「ほう、それはどういうことですか?」
それはですね、と師の説明によると、こうであった。
スラバスティの大長者スダッタ(須達多)が、仏陀のために大金を投じてここに土地を 求め、大精舎を建立した。 仏陀の名声は四方につたわり、教えを乞うもの踵を接した。 この附近には、ジャイナ教その他の外道の寺院がたくさんあった。それらの寺院の指導 者たちは、仏陀の名声をねたみ、いろいろ、仏陀を中傷、批難した。 中でもとくに、仏陀 口のうまい師にすぎないといいふらした。 さきで理論を説くだけで、なに一つ神通 力を持っていない、要するに口舌の徒であるという批難であった。当時のインドの宗教界 では、指導者となるためには、なんらかの神通力を持つことが、必須の条件とされてい た。ところが、仏陀は、無用に神通力をあらわすことをきらって、この地に来てから一度もその力を示すことがなかったのである。
他の教団の指導者たちは、これを、仏陀にその力がないからだと考え、これを攻撃した わけである。 仏陀が大神通力の持ちぬしであることを知っている高弟たちは、一度、ぜひ その力を示されるようおねがいしたが、仏陀は承知されなかった。 いよいよ神通力などな いと思いあがった他教団の指導者たちは、自分たちのパトロンである他の長者や勢力者た ちを通じて、スダッタに、仏陀と神通力の試合を申し入れた。負けたほうがこの地を去る という条件である。スダッタもついにことわりきれず、仏陀に試合を通した。あるい は、スダッタも仏陀の神通力を見たかったのかも知れない。仏陀もスダッタの立場を考慮 され、ついにこれを承諾された。
その日、他の教団の指導者たちが、 これみよがしにさまざまな神通力を競い合ったさい ごに、仏陀がすがたをあらわされた。
仏陀は三層の高楼の舞台にそのおすがたをあらわされたのである。いかなる神通力をあ らわされるのかと群衆が固唾をのんで見守るなか、なんと仏陀は露台の手すりを無雑作に 乗り越えられ、空中に足を踏み出されたのである。一瞬、手をはなされる。 仏陀墜落!
とみるまに、仏陀はそのままゆっくりと空中を浮揚して、庭園にむらがる大衆の頭上を越 え、きよらかな清水をたたえた庭園の池の上に立たれたのである。微風に小波をたてる清 池の水の上に、仏陀はしずかに立っておられるのである。 群衆が思わずわが目をうた がったつぎの瞬間、仏陀の上半身は火炎となって燃え上がり、下半身は玉のような水と化 したのである。
目のあたりに見る大神通力に、なみいる他教団の指導者や、土地の勢力者をはじめ、す べてのひとびとはその場にひれ伏して、頭をあげ得なかったー。
わたくしは、額に手をあてて師の説明を聞いていた。途中からふいに、やわらかなバイ ブレーションとともに、ひとつの概念 思考の流れがしずかにわたくしの脳髄ふかく流 れこんでくるのを感じたのである。 わたくしは、自分の思念をまったくとめて、それをす なおにうけいれていた。突如、さいごに、すさまじい戦慄が走った。全身の血がいっぺん にひいてゆくような、 名状しがたい恐怖感の衝撃だった。それが終わったとき、師の説明 も終わった。
先生、その上半身が火となって、下半身が水となる、というのは、どういうことでし
ょうか?
だれかがわたくしに質問した。
「ああ、それはね、全身のチャクラが、すさまじいパワーで、エネルギーを放射したので しょう。 空中浮揚をするために、仏陀は全身のチャクラにすさまじいエネルギーを集中し た。池の上に降り立って、そのエネルギーが放射したのでしょう。そのエネルギーの放射 が、炎のように見えたのだね。 チャクラがエネルギーを放射すると、全身が炎につつまれ たようになって見えます。 これは、ヨーガ・スートラなどにも書いてある。 そういうと きしばしば、からだが透明状になることがある。 下半身が水になったというのは、仏陀 のすがたがそのとき、透明になったので、池の水が反映して、水のように見えたのでし ょう。このミラクルは、 クンダリニー・ヨーガの最高の技術をみせられたものと、わたく しは考えます。 そういえば、わたくしは、以前、仏陀は、クンダリニー・ヨーガの熟達者 だった、と本に書いたことがあります」
そう、わたくしは説明しながら、はやく、ひとりになって、思考をまとめたいと思って いた。さきほど流れこんできたあの思念の流れあれはいったいなんであったのか?
必死に、わたくしは、それを散らすまいとしてみつめつづけていた。はやく、ひとつのも のにまとめたいと思っていた。
それができたのは、それから数時間後、ラクノウという都市に着いて、ホテルに入った ときであった。
わたくしは、あわただしく自分の室に入って、シャワーを浴びると、すぐに定にはいっ た。ミラクルの池でのあの体験を、もう一度再現しようと思ったのである。
定にはいると、すぐに手がはげしく動いた。「自動書記だな」と直感した。 これは、霊 的状態になって手が無意識に動き、文字を書くのである。 すぐに、ノートを、と思った が、あいにく、このホテルは、宿泊するのではなく、午後九時発の夜行列車に乗るまでの 三、四時間を、休息と食事のために入ったので、トランクその他、筆記用具を入れたは すべて、みんなの荷物といっしょに、下のロビーに預けてしまっていた。手もとには何も ない。しかし、とりにいっているひまはない。 時期を逸したら、もう二度とこの手の動き はもどって来ないかも知れぬのだ。
わたくしはあわただしく座を立って、机のひき出しをさがした。あった! さいわい、
ホテルのメモ用紙が数枚あった。 ボールペンもある。 むしゃぶりつくようにペンをにぎる と、それは勢いよくメモの上を走った。
最初、それは、脈絡のない単語や名詞の羅列であった。しかし、それは、ミラクルの 池のあの思念の流れと一致していた。わたくしは、食事もとらず、出発までの時間を挙げ これに傾注した。整理して、さいごに書きあげたのがつぎの文章であった。
それは突然ななめ前方からやってきた。
一瞬、目がくらむほどの衝撃だった。
そんなことなどぜんぜん予期しておらずまったく無防備だった自分は、あっというま その衝撃に叩きのめされてしまったのだ。
修行、学問、そんなものはなんの役にも立たぬものであることを思い知らされた。 こころひそかに誇っていたこれまでの自分の修行も教学も、あっというまに消しとん でしまった。叩きのめされてしまった。
これなんだ、これでなくてはならないのだ。これしかないのだ。目もくらむようなあ
この白銀の輝きにみちたバイブレーション!
一〇〇年の修行も万巻の教学も、ただ一瞬のこの霊的バイブレーションに如かぬこと を思い知らされた。
これがそれだったのだ。これが究極のそれだったのだ。このためにこそわたくしはこ こにやってきたのだ。
おお、サイト・マト、聖なる地、
あなたはここに待っていてくださった。
わたくしがいまあなたから受けたものを、これからわたくしはひとびとにあたえねば ならぬ。
いま、わたくしは聖者であることをつよく自覚する。
すべてのひとびとがこの聖なるバイブレーションを受けることのできる聖地を、わた くしはひがしの国につくらねばならぬ。この輝きにみちたサイト・マトの地を、そ
そうですか。
のまま、日本の国にうつさねばならぬ。 それがわたくしの使命だったのですね。それ をかならずはたすことをわたくしはあなたに誓います。
もう一度、わたくしはこの地に来なければならないのですね。だが、そのときなにが 起きるのでしょうか? そのとき起きる或ることを、わたくしは非常なおそれの感情 とともに予感します。
ああ、あの一瞬の霊的バイブレーション!
一〇〇年の苦行も万巻の書物も、このバイブレーションなくしては、路傍の石ころに も劣るのだった。このバイブレーションをあたえることのできる聖者こそ、真の導師 だったのだ。 理解できました。
書き終えて、わたくしは虚脱状態になった。
昭和五十五年十一月八日
ラクノウのホテルにて しるす。
1999 3月 印度聖地大柴燈護摩供
全般の仏教徒、そして、ヒンドゥー教 ジャイナ教、シーク教、その他の各宗教
その歓迎 まさにこれこそ、仏陀の「お呼び」にちがいなく、この盛況は、すべ 仏陀の登場のための「舞台づくり」なのではあるまいかと思われ、これからさらに一 体なにが起こるのであろうかと、心ときめく思いで、わたくしは、「その時」を待ったの である。
そして、この日、いよいよ大柴燈護摩法要の時をむかえたのである。
仏陀現形す
わたくしは、朝から、少々、落ちつかない気持であった。
十数年が凝縮されたこの日、この時。
これだけの事実が積み重ねられ、それで、なにごとも起きないということはあり得ぬ。 かならず、なにかが起きる。
なにが起きるのか?
修法の時間が近づくにつれて、わたくしの緊張の度が増す。
かすかに、背すじに戦慄が走る。
獅子座に座って、
点 火
壇に向かい、法を修しはじめると、しだいに心が落ちついてきた。
忘我の瞬間 なにもかも忘れて、無心となる。 その刹那、
「あ!」
それは来た。
「これだ!」
と、見よ。
目のくらむような衝撃だった。白銀いろのバイブレーション!
サヘート・マベートのときと、まったくおなじであった。
すさまじい戦慄、身の毛のよだつような恐怖感。
と思いつつ、歯を食いしばって、耐え、耐えながら、前方の炎を凝視する。
燃え上がる護摩の大火焰が一瞬、スローモーションの動きに変わった。炎に半身埋めて、座像があらわれた。
仏像?
瞬間、思った。
「ちがう!」
「動いている!」
わたくしは思わず叫びそうになった。
にゆらめきつつ、生きた人間の動きであった。
「あ!仏陀だ!」
直感した。 まがうことなき、仏陀のおすがたであった。(わたくしは、以前、大英博物 館所蔵といわれる釈尊の肖像画を見たことがある。 それに近い顔立ちのように思われた) 「お若い!」
と感じた。年齢のほどはわからない。しかし、お若い、と感じた。
短いが無半身露わにした衣のような衣類をまとうておられる。
手を挙げ、下ろし、口を開いて説法しているように思われた。
こちらを見られた。
その眼光が、わたくしを射た。
人間の眼ではない!」
その刹那、わたくしの戦慄は、沸騰点に達した。
この間、約三、四秒、もう一秒でもつづいたら、わたくしは絶息, 絶心していたかもし れぬ。
おすがたが消え、一瞬、 虚脱状態になった。
修法中でなかったら、わたくしは倒れていたかもしれぬ。頭の中が真白になって、なに も考えが浮かんでこない。
仏陀の眼光だけが、炊きつくように、わたくしの眼前にあった。その眼光に向かって、 無意識に、わたくしの唇は動いて、問いつづけていた。
「なぜ? なぜ? なぜ?」
サヘート・マハートのときは、聴覚に来た。 眼に見えたのは、白銀色のバイブレー ションのみであった。すべて、言葉にちかいかたちで、概念が入って来た。 今度はちがっ た。視覚のみに来た。言葉も、概念も一切なかった。 そして、最高度の霊界の存在に接す るとき、すさまじいバイブレーションによって、極度の衝撃と恐怖感が生ずることを、は じめて知った。
それにしても、仏陀はなにをお示しになったのか?
「なぜ、いま、ここへ?」
「あ!」
それを、わたくしは考えつづけていた。
それは仏陀の復活祭だった
その夜、懇親パーティーが催された。
その席上でも、頭の片すみで、それを考えつづけていた。
ホテルの部屋にもどっても、深夜、 まんじりともしなかった。 明けがた、ウトウトとした。
夢の中で、ふっと頭のなかをよぎるものがあって、目がさめた。
「あれはなんだったか、ええと――」
「火の儀式」
ゾロアスター
そのなかに、答があったように思えるのだが、なかなか思い出せない。
に、ラマ・ロブサン閣下の招聘状のなかの文章だ
offering ceremony" (火の儀式)という言葉だった。
そうだ、大柴燈護摩という名称、形式にこだわることはないのだ。火の儀式と考えよう。 火の儀式とすると、なんの儀式だ。
拝火教とは、関係ないはずだ。
わたくしの頭は、急速度に回転した。
「そうだ、復活祭だ!」
[復活]
わたくしは思わず、大きな声で叫んでいた。 躍りあがって、叫んでいた。
「仏陀のよみがえり、シャカの復活祭ではないか!」
わたくしは、昂奮をおさえきれず、部屋のなかを歩きまわった。
復活、および復活祭について、百科事典を参照しよう。
死んだイエスが甦ったという主張で、キリスト教の信の中核をなす考え方。 復活祭
キリストの復活は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書すべてに記されてお り、パウロは「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空 「虚なものとなる」(コリント人への第一の手紙)とのべている。
したがって、復活祭はキリスト教の諸聖日の中でも、とくに重要な日で、最も古く から祝われてきた。
復活祭前夜には、(中略) 公共の祝火がたかれ、人々は賛美歌を歌いながら炎 が消えるまで火の周囲を回り、この火をとび越え、あるいはその灰とか燃えさしを畑 (平凡社世界大百科事典』による) に埋めて豊作を祈った。
このたびの大柴燈護摩法要は、まぎれもなく、ブッダの復活の火の儀式であったのであ
る。ブッダ復活の祝火を焚く、復活祭だったのだ。
さきに、中国での講演によって、阿含仏教の正当性はみとめられ、仏陀は復権・復活し た。
キリストも復活し、そして復活祭がおこなわれている。
シャカも、復活したならば、復活祭がおこなわれなければならぬ。それでこそ、 シャカ の復活は公けのものになり、人びとのよろこびとなり、はげましとなるのである。どうし ても復活祭がおこなわれなければならなかったのである。
ブッダの復活祭それは、同時に、 アンゴルモアの大王の生誕祭であった
考えてみれば、 アンゴルモアの大王は、仏陀生誕の地、インドで誕生することこそが、 最もふさわしいものというべきだろう。 復活祭も、まず最初にインドでおこなわれるべき だ。
インドのすべての仏教者、そして、ヒンドゥー教、ジャイナ教、シーク教、その他の宗 教者たちによって祭りの火が焚かれ、熱烈にお祝いされる。
それでこそ、シャカの復活・アンゴルモアの大王の誕生にふさわしいものといえよう。
仏教を「三国伝通の教え」という。
仏教が、インド・シナ・日本の三国に普遍して伝わったという意味だが、中国で復活し て、インドで復活祭をおこなう。その司祭をつとめるのは日本の僧侶という文字通り三国
普遍の仏教のサンである。
よみがえった仏陀に栄光あれ!
獅子吼する聖師の若き現身を
炎のなかに凝然と見る
永遠の生命の流れその中に いまぞ仏陀はよみがえり拾う
よみがえるアンゴルモアの大王が
おわりに
あたらしき世紀を統べ拾うかも
いまや、世界は、すべての点で行きづまっている。
たえまなくつづく戦乱、動乱、経済不安、環境破壊、資源の枯渇(とりわけ水資源、食 料問題)等、どれをみても、絶望するばかりの状況である。
人類は、どこかで進路を誤ったのではなかろうか?
わたくしは、現代文明の行きづまりは、キリスト教系文明の行きづまりをあらわすもの であると考える。
先進国として、これまで世界を引っぱってきたキリスト教系文明の行きづまりが、世界 行きづまりとなっていると考えるのである。
わたくしは一九九九年カルマと霊障からの脱出』で、十九年前、すでに、キリスト教
文明の過誤を指摘して、世界が立ち直るためには、仏陀の真の教えの復活しかないとい ている。
世界には、二つの文明がある。
この時
キリスト教系文明と仏教系の文明である。
これまで、二〇〇〇年の間、キリスト教系文明が世界を引っぱってきた。一応、成功し たかに見えたが、行きづまった。このままでは崩壊するよりほかはない。残るは仏教系文 明による復興しかないであろう。
ノストラダムスの予言は、それを指摘したものと考える。
それにしても、何世紀にもわたって、世界じゅうのどれほどのかずの人びとが、恐怖の 大王とアンゴルモアの大王という名に幻惑翻弄させられてきたことか。
こそ、ブッダの復活にたいし、全世界の関心が寄せられたのである。
「仏陀の復活」というありふれた表現だったら、世界じゅうはかくも熱中しなかったであろう。
Buddhists in general, Hinduism, Jainism, Sikhism, and other religions
This welcome must have been the Buddha's ``call'', and I wondered if this success was all ``setting the stage'' for the arrival of the Buddha, and I wondered what would happen next. With excitement, I waited for ``that moment.''
And on this day, the time for the Osaito Goma memorial service finally arrived.
buddha manifestation
I've been feeling a little restless since this morning.
On this day, at this time, more than ten years have been condensed.
With so many facts piled up, it is impossible for nothing to happen. Something is bound to happen.
What happens?
As the time for the practice approaches, my nervousness increases.
A faint shiver ran down my spine.
Sitting in Leo,
ignition
As I headed to the altar and began practicing the Dharma, my mind gradually calmed down.
A moment of ecstasy, when one forgets everything and becomes mindless. That moment,
"a!"
It came.
"This is it!"
And behold.
It was a blinding shock. Silver-colored vibrations!
It was exactly the same as with Sahet Mabeet.
Tremendous horror, a chilling sense of fear.
Thinking this, I grit my teeth, endure it, and stare at the flames in front of me.
For a moment, the huge conflagration of Goma turned into a slow-motion movement. A seated figure appeared, half buried in the flames.
Buddha statue?
I thought for a moment.
"different!"
"moving!"
I almost screamed.
It was the movement of a living human being, flickering in the air.
"Ah! It's Buddha!"
I felt it intuitively. He was the perfect Buddha. (I once saw a portrait of Shakyamuni Buddha said to be in the British Museum. His facial features seemed similar to that one.) "Young man!"
I felt that. I don't know how old he is. However, I felt that he was young.
He is wearing a short but revealing garment.
He raised his hands, lowered them, opened his mouth, and seemed to be preaching.
I was able to see this.
The light in his eyes hit me.
It’s not a human eye!”
At that moment, my fear reached a boiling point.
During this time, it was about three or four seconds; if he had continued for even one more second, I would have lost my breath, and he would have died.
My face disappeared, and for a moment I was in a state of collapse.
If I hadn't been practicing, I might have collapsed. His mind went blank and he couldn't think of anything.
Only the Buddha's gaze was in front of me, as if burning. Unconsciously, my lips moved toward that gaze and I kept asking questions.
"Why? Why? Why?"
With Sahet Mahat, I came to hearing. All he could see was his silver vibrator. All the concepts came to me in a way that was almost like words. He was different this time. I came for the sight only. There were no words, no concepts. And for the first time, he realized that when he comes into contact with the highest spiritual beings, the tremendous vibrations cause an extreme sense of shock and fear.
Anyway, what did the Buddha show us?
“Why are you here now?”
"a!"
I kept thinking about that.
It was the resurrection of Buddha
A social gathering was held that night.
Even while sitting there, I kept thinking about it in the back of my mind.
When I returned to my hotel room, it was late at night and I didn't even notice. Early in the morning, I dozed off.
In my dream, something suddenly crossed my mind and I woke up.
"What was that, uh-"
"Fire Ceremony"
zoroaster
I feel like I have an answer in there, but I can't quite remember it.
This is the text from His Excellency Rama Lobsang's letter of invitation.
The word was "offering ceremony" (fire ceremony).
That's right, we don't care about the name or format of Osaito Goma. Think of it as a fire ritual. If it's a fire ritual, what kind of ritual is it?
It shouldn't have anything to do with fire worship.
My head spun rapidly.
“Yes, it’s Easter!”
[revival]
I couldn't help but scream out loud. He was jumping up and screaming.
“Isn’t this the resurrection of Buddha and the Easter of Shaka!”
Unable to contain my excitement, I walked around the room.
Please refer to the encyclopedia for information on resurrection and Easter.
The idea that the dead Jesus rose from the dead is the central idea of Christianity. Easter
The resurrection of Christ is recorded in all four gospels of Matthew, Mark, Luke, and John, and Paul says, ``If Christ has not been raised, your faith is vain.'' 1 Corinthians).
Therefore, Easter is a particularly important day among the Christian holy days, and has been celebrated since the earliest times.
On the eve of Easter, a public fire is lit, and people sing hymns and circle the fire until it goes out, then jump over the fire, or scatter its ashes and embers in a field (Heibonsha). (according to the World Encyclopedia)) and prayed for a good harvest.
The recent Osaito Goma memorial service was undoubtedly a fire ceremony for the resurrection of Buddha.
Ru. It was Easter, a time to light a fire to celebrate the resurrection of Buddha.
Earlier, through his lecture in China, the legitimacy of Agon Buddhism was recognized, and the Buddha was reinstated and revived.
Christ has also been resurrected, and Easter is being celebrated.
If Shaka were to be resurrected, an Easter festival would have to be held. Only in this way can Shaka's resurrection become public, bring joy to people, and become a source of outrage. Why did he need Easter to be held?
Buddha's Easter was also the birthday festival of the Great King of Angolmois.
If you think about it, it would be most appropriate for the Great King of Angolmois to be born in India, the birthplace of Buddha. Easter should also be celebrated in India first.
The festival is lit and celebrated with great enthusiasm by all Buddhists of India, as well as Hindus, Jains, Sikhs and other religions.
Therefore, it can be said that it is appropriate for the resurrection of Shaka and the birth of the great king of Angolmois.
Buddhism is called ``the teachings of the Three Kingdoms.''
It means that Buddhism was universally transmitted to the three countries of India, China, and Japan, but it was revived in China and Easter is celebrated in India. The priests are Japanese monks, literally three kingdoms.
He is the universal Buddhist San.
Glory to the risen Buddha!
The young reality of the lion-roaring sage
stare intently into the flames
In the eternal flow of life, he is now the Buddha who has risen from the dead.
The great king of Angolmois comes back to life
in conclusion
Maybe I'll lead a new century
The world is now at a standstill in all respects.
The situation is one of despair no matter how you look at it, such as the constant wars, turmoil, economic instability, environmental destruction, and resource depletion (particularly water and food issues).
Did humanity take a wrong turn somewhere?
I believe that the impasse of modern civilization reflects the impasse of Christian civilization.
As a developed country, we believe that the stalemate of Christian civilization, which has been leading the world until now, is now the world's stalemate.
In 1999, I wrote ``Escape from Karma and Spiritual Obstacle'', and 19 years ago, I had already converted to Christianity.
He points out the errors of civilization and says that the only way for the world to recover is to restore the true teachings of Buddha.
There are two civilizations in the world.
At this time
They are Christian civilization and Buddhist civilization.
For the past 2,000 years, Christian civilization has led the world. It seemed like he was successful, but he was stuck. If things continue like this, they have no choice but to collapse. The only thing remaining would be a revival through Buddhist civilization.
I think Nostradamus' prophecies pointed out this.
How many people around the world have been bewitched over the centuries by the names of the Great King of Terror and the Great King of Angolmois?
This is why the whole world was interested in the resurrection of Buddha.
If it had been a common expression such as ``the resurrection of the Buddha,'' the world would not have been so enthusiastic about it.