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和讃 仏舎利尊 Wasan Buddhist sarison

2022-08-12 20:29:33 | 運命学

帰命頂礼仏舎利尊宝生のその力 功徳のほどを伝うべし そもそも祀る宝塔は 仏の慈悲のかぎりなく 大悲方便止まずして 末世の衆生救わんと一 舎利をとどめ置き給う 变化法身舍利尊納め祀れる霊祠なり 霊処かずあるその中に 仏舎利尊の宝塔は 法身歇都如意宝珠草

大悲神変妙にして、 化導利生はてしなし 礼拝供養の徳積めば 悪業一切断ち切りて 福徳果報かぎりなし この塔安置のところには 諸難のせまる恐れなく 人みなすべて安穏に 牛馬の末に至るまで 疫病苦厄のうれいなし されば行者は宝塔の 日々の供養を忘るるな 至心に礼拝供養せば、 法身如来あらわれて たとえ瓦石や木ぎれにて、 つくろといえど宝塔の 忽ち変じて七宝の ちりばめ輝くさまとなり、 紫磨黄金の大光明 十方世界を照らすなり、 光の中に声あって。 微妙の法を說き給う 法身如来の声なれば 凡夫の法性たちまちにひらきて悉地を成ずなり 衆生の胸にしみ透る。 声なき声ぞ尊とけれ さてまた過去世に貪りの 罪にむくわれ身にまとう。 衣類さえなき貧しさに なげく貧窮の人にても 至心に宝生いのるなら法身如来たちまちに 三辦宝珠と変化して 宝の雨を降らすなり、

百味の飲食かぎりなし 日々に富貴の身とならんまた業病や難病の 苦患にもだゆる身なりとも至心に礼拝供養せば 重き病いもその日より癒えて天寿を全うす 功徳ほとほとのべがたし。 先づは信心あつくして 供養の徳を積むことぞ とりわけ解脱をねがうべし 人のうらやむ財産も 巨万の富も権勢も。 悪因ひとつあるならば すべて苦の種泣きの種 家系の因縁断ち切りて 先祖の業障除くべし 父母祖父や祖母どちの一

おかせし悪因悪業は 血肉を通して子や孫の 悪しき運命のもととなる れに犯せし罪とがの一覚えもなきに苦しむは 父母先祖の因縁ぞ家系の因縁はどくベー つぎにはわが身の因縁ぞ 因縁悪しき父母や 業障ふかき祖父祖母を 持つは己れが前の世に 犯せし罪の果報ぞや - 先祖うらむな身を悔め わが身の不徳かえりみて 至心に解脫の供養せよ 八十億劫積もり来し 生死輪廻の罪障も。 消えて菩提の道ひらく。 無間地獄中餓鬼地獄 畜生界に生きる身も 大光明を身にうけて 抜苦与楽の門に入る。 三種供養ぞ尊とけれ まず第一は事の供養 身供養とも申すなり 香華燈塗をととのえて 力のかぎり供養せよ 供養の種をまかざれば 福徳宝生のぞみなし

種籾一升まきおけば一 五升や一斗はみのるぞや 種を惜しみてまかずして 米麦とれたるためしなし 功徳の種をまかずして 果報の德は得ぬものぞ まけばまくほどみのるもの骨身惜しまずまくことぞ 解脫宝生ねがうなら 梵行功徳の種をまけ さて第二には行供養 わが身わが子を助けんと 思わば人をまず救え」 これが因果の大法と 釈迦牟尼如来は說きませりわが身わが身といううちは 決して因縁解けぬぞや わが身わが身といい暮らし 因縁積んで今の身ぞ されば行者は徳を積み 力っくして救うべし

舎利供養をなす人は一 十種の功徳身にうけて おのずと人の上に立ち 人を助ける身とならん されどおごるか高ぶるか おごり怒りは百千の 功徳の種を焼くと知れ 下座の精進忘るるな 如来の加持力身にうけて 悩める人を救うべし 苦しむ人の杖となれ 仏舎利供養を弘むべし さて第三に理の供養 生身如来の說きませる。 七科三十七道品 成仏法の尊きを

ひろく世間に伝うべし 聖経の護持宣布をば 理の供養と申すなり 事・行・理の三供養 仏舎利供養の根本ぞ 三種供養を忘るるな 生身如来の說き給う 三福道こそこれなるぞ 法身如来のみもとにて 正法仰ぐ聖衆の

世界を救う大誓願

諸仏讃歎あそばさる。 諸天善神より集い 昼夜行者を護るなり 因縁解脱は大悲にて 福德宝生大慈なり

大慈大悲のみほとけの一 变化法身积迦如来

变化法身舍利尊 福徳宝生身にうけて 因縁解脱の道を行く 仏舎利尊ぞありがたし 仏舎利尊ぞ尊とけれ 婦命頂礼 从舍利尊 宝生解脫加持門の 信解のしるべ示さんと のちの世のため人のため つづりてあらあら和讃とす

 

The power and merit of Kimyō-chorei Butsu-sari-son Hosho should be handed down.In the first place, the treasure pagoda enshrined is the Buddha's mercy. In the midst of many spiritual places, the pagoda of Buddha's sarison is the Dharma body and the capital Nyoi Hojugusa.

Great grief is strange, and life is endless.If you accumulate the virtues of worship and memorial services, you will cut off all evil deeds, and there will be no end to good and good deeds.There is no fear of misfortune approaching where this tower is enshrined, and everyone will live in peace. Until the suffering of the plague is over, so the ascetic should not forget to perform the daily memorial service at the pagoda. As the shimmering cloisonné shines, the great light of purple polished gold illuminates the world in ten directions, and there is a voice in the light. The voice of Dharmakaya Tathagata, who teaches the subtle laws, will instantly open up the Dharma of ordinary people, form an entire land, and permeate the hearts of sentient beings. A voice without a voice is precious, but he is also covered in the sin of covetousness in his past life. He grieves at the poverty of not even having clothes.

There is no limit to the variety of foods and drinks, and you will become rich and noble every day. death. First of all, he must be devoted and accumulate the virtues of offerings. If there's one bad cause, he's a seed of bitterness.

Evil deeds through blood and flesh become the cause of evil destinies for children and grandchildren.If one suffers without even remembering the sin committed by one, the fate of parents and ancestors, the fate of family lineages, and then my own body. The fate of having bad luck parents and unskilled grandparents is the retribution of the sins you committed in the previous world. The sins of the cycle of life and death that have piled up. Disappear and open the path of Bodhi. Mugen Jigoku Chugaki Jigoku The body that lives in the animal world receives the great light and enters the gate of pain and pleasure. It is said that the three kinds of memorial services are precious, but he is the first one.

If you sow 1 sho of seed rice, you will get 1.5 sho or 1 to. If you want to understand the treasure, sow the seeds of the merits of Brahman practice. As long as I'm telling you, you'll never be able to solve your fate.

Those who perform relics receive 10 kinds of merit, and naturally stand above others and become a person who helps people. Receiving the blessings of the Ruruna Tathagata, save the afflicted; Seven Departments Thirty-seven Dohins The Preciousness of Buddhism

It should be spread widely to the world The promulgation of the sacred sutra is called the rites of truth. At the presence of Dharmakaya Tathagata

Great vow to save the world

Praise the Buddhas. Gathering from all heavenly good deities, protecting the ascetic day and night, liberation from karma is great compassion, happiness is great compassion

Great Compassion, Great Compassion, One of the Transformations

Thank you to the Buddha Shari Mikoto, who is going on the path of liberation from karma, and he is a sign of faith from Shari Mikoto Hojo liberation Kajimon. For the sake of the world to come

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2022-08-12 14:58:18 | イヤホン

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感想(0件)

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buddha ブッダのことば Buddha’s words 犀の角 rhinoceros horn

2022-08-12 14:22:30 | 仏陀の言葉  Buddha's words

 

犀の角

あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩(なや)ますことなく、また子を欲するなかれ。況(いわ)んや朋友(ほうゆう)をや。犀(さい)の角(つの)のようにただ独(ひと)り歩(あゆ)め。

交(まじ)わりをしたならば愛情が生ずる。愛情にしたがってこの苦しみが起る。愛情から禍(わざわ)いの生ずることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

朋友・親友に憐(あわ)れみをかけ、心がほだされると、おのが利を失う。親しみにはこの恐れのあることを観察して、犀の角のようにただ独り歩め。

子や妻に対する愛著(あいじゃく)は、たしかに枝の広く茂った竹が互いに相絡(あいから)むようなものである。筍(たけのこ)が他のものにまつわりつくことのないように、犀の角のようにただ独り歩め。

林の中で、縛られていない鹿が食物を求めて欲するところに赴(おもむ)くように、聡明な人は独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、つねにひとに呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、犀の角のようにただ独り歩め。

仲間の中におれば、遊戯と歓楽(かんらく)とがある。また子らに対する情愛は甚だ大である。愛しき者と別れることを厭(いと)いながらも、犀の角のようにただ独り歩め。

四方のどこにでも赴き、害心あることなく、何でも得たもので満足し、諸々(もろもろ)の苦難に堪(た)えて、恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

出家者(しゅっけしゃ)でありながらなお不満の念をいだいている人々がいる。また家に住まう在家者(ざいけしゃ)でも同様である。だから他人の子女にかかわること少く、犀の角のようにただ独り歩め。

葉の落ちたコーヴィラーラ樹のように、在家者のしるしを棄て去って、在家の束縛(そくばく)を断(た)ち切って、健(たけ)き人はただ独り歩め。

もしも汝(なんじ)が、〈賢明で協同し行儀(ぎょうぎ)正しい明敏(めいびん)な同伴者〉を得たならば、あらゆる危難にうち勝ち、こころ喜び、気をおちつかせて、かれとともに歩め。

しかしもしも汝が、〈賢明で協同し行儀正しい明敏な同伴者〉を得ないならば、譬えば王が征服した国を捨て去るようにして、犀の角のようにただ独り歩め。

われらは実に朋友を得る幸(しあわせ)を讃(ほ)め称(たた)える。自分よりも勝(すぐ)れあるいは等(ひと)しい朋友には、親しみ近づくべきである。このような朋友を得ることができなければ、罪過(つみとが)のない生活を楽しんで、犀の角のようにただ独り歩め。

金の細工人がみごとに仕上げた二つの輝く黄金(おうごん)の腕輪(うでわ)を、一つの腕にはめれば、ぶつかり合う。それを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

このように二人でいるならば、われに饒舌(じょうぜつ)といさかいとが起るであろう。未来にこの恐れのあることを察して、犀の角のようにただ独り歩め。

実に欲望は色とりどりで甘美(かんび)であり、心に楽しく、種々のかたちで、心を攪乱(かくらん)する。欲望の対象(たいしょう)にはこの患(うれ)いのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

これはわたくしにとって災害であり、腫物(はれもの)であり、禍(わざわい)であり、病(やまい)であり、矢であり、恐怖である。諸々の欲望の対象にはこの恐ろしさのあることを見て、犀の角のようにただ独り歩め。

寒さと暑さと、飢(う)えと渇(かつ)えと、風と太陽の熱と、虻(あぶ)と蛇と、―これらすべてのものにうち勝って、犀の角のようにただ独り歩め。

肩がしっかりと発育し蓮華のようにみごとな巨大な象は、その群(むれ)を離れて、欲するがままに森の中を遊歩する。そのように、犀の角のようにただ独り歩め。

集会を楽しむ人には、暫時の解脱(げだつ)に至るべきことわりもない。太陽の末裔(まつえい)(ブッダ)のことばをこころがけて、犀の角のようにただ独り歩め。

相争(あいあらそ)う哲学的見解を超え、(さとりに至る)決定に達し、道を得ている人は、「われは智慧が生じた。もはや他の人に指導される要がない」と知って、犀の角のようにただ独り歩め。

貪(むさぼ)ることなく、詐(いつわ)ることなく、渇(かつ)望することなく、(見せかけで)覆(おお)うことなく、濁(にご)りと迷妄(めいもう)とを除(のぞ)き去り、全世界において妄執のないものとなって、犀の角のようにただ独り歩め。

 

義ならざるものを見て邪曲にとらわれている悪い朋友を避けよ。貪りに耽(ふけ)り怠っている人に、みずから親しむな。犀の角のようにただ独り歩め。

学識ゆたかで真理をわきまえ、高邁(こうまい)・明敏(めいびん)な友と交(まじ)われ。いろいろと為になることがらを知り、疑惑を除き去って、犀の角のようにただ独り歩め。

世の中の遊戯や娯楽(ごらく)や快楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀の角のようにただ独り歩め。

妻子も、父母も、財宝も穀物(こくもつ)も、親族やそのほかあらゆる欲望までも、すべて捨てて、犀の角のようにただ独り歩め。

「これは執著(しゅうじゃく)である。ここには楽しみは少く、快い味わいも少くて、苦しみが多い。これは魚を釣る釣り針である」と知って、賢者は、犀の角のようにただ独り歩め。

水の中の魚が網(あみ)を破るように、また火がすでに焼いたところに戻ってこないように、諸々の(煩悩(ぼんのう)の)結び目を破り去って、犀の角のようにただ独り歩め。

俯(ふ)して視(み)、とめどなくうろつくことなく、諸々の感官を防いで守り、こころを護(まも)り(慎しみ)、(煩悩の)流れ出ることなく、(煩悩の火に)焼かれることもなく、犀の角のようにただ独り歩め。

葉の落ちたパーリチャッタ樹のように、在家者の諸々のしるしを除(のぞ)き去って、出家して袈裟(けさ)の衣をまとい、犀の角のようにただ独り歩め。

諸々の味を貪(むさぼ)ることなく、えり好みすることなく、他人を養うことなく、戸ごとに食を乞(こ)い、家々に心をつなぐことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

こころの五つの覆(おお)いを断(た)ち切って、すべて付随して起る悪しき悩み(随煩悩(ずいぼんのう))を除き去り、なにものかにたよることなく、愛念の過(あやま)ちを絶(た)ち切って、犀の角のようにただ独り歩め。

以前に経験した楽しみと苦しみとを擲(なげう)ち、また快(こころよ)さと憂(うれ)いとを擲って、清らかな平静と安(やす)らいとを得て、犀の角のようにただ独り歩め。

最高の目的を達成するために努力策励(さくれい)し、こころが怯(ひる)むことなく、行いに怠(おこた)ることなく、堅固な活動をなし、体力と智力とを具(そな)え、犀の角のようにただ独り歩め。

独坐(どくざ)と禅定(ぜんじょう)を捨てることなく、諸々のことがらについて常に理法に従って行い、諸々の生存には患(うれ)いのあることを確かに知って、犀の角のようにただ独り歩め。

妄執の消滅を求めて、怠らず、明敏であって、学ぶこと深く、こころをとどめ、理法を明らかに知り、自制し、努力して、犀の角のようにただ独り歩め。

音声に驚かない獅子(しし)のように、網にとらえられない風のように、水に汚(けが)されない蓮(はす)のように、犀の角のようにただ独り歩め。

歯牙(しが)強く獣どもの王である獅子が他の獣にうち勝ち制圧してふるまうように、辺地の坐臥(ざが)に親しめ。犀の角のようにただ独り歩め。

慈(いつく)しみと平静とあわれみと解脱(げだつ)と喜びとを時に応じて修め、世間すべてに背(そむ)くことなく、犀の角のようにただ独り歩め。

貪欲(とんよく)と嫌悪(けんお)と迷妄(めいもう)とを捨て、結(むす)び目を破り、命(いのち)を失うのを恐れることなく、犀の角のようにただ独り歩め。

今のひとびとは自分の利益のために交(まじ)わりを結び、また他人に奉仕する。今日、利益をめざさない友は、得がたい。自分の利益のみを知る人間は、きたならしい。犀の角のようにただ独り歩め

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瞑想「軟酥」の法   Method of Meditation "Nanju"

2022-08-12 10:42:45 | 瞑想

 

 

「軟酥」の法

白隠禅師の健康法=寝禅による内観法、軟酥(なんそ)の法

  • 臨済宗の僧・白隠禅師は1685年徳川五代将軍綱吉の世に沼津市・原で生まれました。
  • 猛烈な禅修行を始めましたが、いわゆる「禅病」にかかりました。
  • 頭はのぼせ上り、両腕両脚が氷雪のように冷えて、心は疲れ切って、夜も眠ることができず、幻覚を生ずるようになりました。
  • 山中に棲む白幽という仙人から、養生と病気の予防についての秘法を教えられ、やっと克服することができました。
  • その体験を73歳のときに執筆したのが『夜船閑話(やせんかんわ』です。
  • 白隠禅師の唱えた健康法は仰臥禅(寝禅)で、多くの人の関心をとらえるようになりました。
  • ここに述べる
    内観法、軟酥の法による養生の健康法は、
    禅の基本的な考え=頭寒足熱(下腹部から下肢および足の裏まで温かくし、気持良くする観想法)が一貫して流れています。
  • 内観法は呼吸器病、神経症、不眠に特によい方法です。頭痛でいえば「慢性緊張型頭痛」の治療にむいています

この法は、『摩訶止観』(中国の坐禅の古典、天台智頭[五三八―五九七〕の著書) を学んだ白幽という道人から、臨済禅の白隠禅師に伝えられたもので、青年時 代に、わたくし自身、実行して、これにより重症の結核をなおす糸口をつかん だものである。

 

まず、床の上に、体をまっすぐ伸ばして仰臥する。体の中の力を抜き、眼を 閉じる。それから、鼻の先に一枚のごく軽い羽毛がついていると考える。その

羽毛が少しも動かないように、静かに呼吸を調える。

呼吸が調ったら、数を数える。つまり、数息観である。心が安定したら、観 想に入る。鶏の卵くらいの大きさの丸薬が、額の上に乗っていると観ずるので ある。この丸薬は、なんともいわれぬよい香りのするさまざまな妙薬を練りか ためたもので、バターのようにやわらかい。ちなみに、「なんそ」というのは牛 の乳から製したバターかチーズのようなものであるという。

その「なんそ」が、仰臥している頭のてっぺんに乗っている。わたくしは、 高い山の頂の、樹木や草花にかこまれた庭園の真ん中に、ベッドを置いて、そ こに仰臥しているのである(と観想する)。

夜明け前、いままさに、東の空に日が昇らんとしている。あっ、いま、はる か向こうの山の頂に太陽が顔を出した。ぐんぐん昇っていく。その太陽の光 が、わたくしの全身をやわらかくつつむ。すると、その太陽のほどよいぬくも りとわたくしの体温で、頭のてっぺんの「なんそ」がしだいに溶けはじめるの である。バターが溶けるように溶けはじめる。じりじりと溶けはじめて、オ

リーブ油のように流れはじめる。ほら、額の上、耳のうしろのほうにも流れていく。

 

なんといういい香りだろう。頭全体がくまなく、「なんそ」の妙薬におおわれ た。じつにいい気持ちである。「なんそ」は、香油のようによい香りを放ちなが ら、しだいに体の下のほうに流れていく。首から肩、胸、腹、背中のほうにも しだいに流れてゆく。しかもただ皮膚の上を流れていくだけではなく、眼の中 に入って眼を洗い、耳の中から入って脳を洗い、さらに鼻の穴から咽喉を通っ て気管、肺、胃、腸、肝臓と、五臓六腑にしみわたって、薬効を発揮してい く。ことに肺の悪いところを、「なんそ」は念入りに循環して洗い清めてくれる。 ・わたくしには、この霊薬が、肺の黒くなった細胞の間をゆっくりとしみ透っ ていくのが如実に感じられるのである。「なんそ」は、内臓を全部洗い清める と、今度はそのまま下腹から、腿、膝となおも流れくだり、両足の爪先からし たたり落ちる。そのしたたりはしだいにベッドの中にたまり、背中から腰、 腹、胸、とひたし、ついに、あごの下まで、風呂の中につかったように、溶けた「なんそ」にひたされる。

やがて、「なんそ」は、ベッドの一隅から徐々に流れ落ちはじめ、その下に置 かれた壺の中におさまってしまう。この壷はまた明日の朝、開かれるのであ る。わたくしはそこで、じつに心身さわやかになって、静かに眼を開くのであ る。

約一時間かけて、わたくしは毎日、この「なんそ」浴をやった。というもの の、一時間の「なんそ」浴ができるようになるまで、二、三カ月かかったので ある。最初のうちは、日の光が射しはじめ、「なんそ」が額のあたりまで流れて きたところで、ほかのことに心が行ってしまっていることに気がつき、あわて て戻ってくる。これではいけないというので、もう一度太陽の出るところから やりなおす、ということで、これがあまりくり返されると、腹が立って、つい には寝ていられなくなって床の上に起き上がり、狂人のように目を怒らせてあ たりを見まわしたりしたものである。

しかしわたくしは、なんとしてでも生きぬきたかった。二十歳そこそこで、 肺病なんかで死にたくなかった。それには、これしか治療法がないと思った。 その死にもの狂いの気持ちが、ついに、一時間の「なんそ」浴をできるように したのであろう。

わたくしの入院していたサナトリウムには、常時、百人近くの患者が療養し ていたが、午前中二時間、午後三時間の安静時間を守る者はほとんどなかった。

重症患者以外は、ほとんど全員起き上がって雑談をし、はなはだしいのは、 トランプや花札をやっていた。看護師や医師がまわってくると、見張り役が合 図をして、あわててベッドにもぐり込む。いったいだれのために療養をしてい るのか? 若いわたくしは多少腹立ちを感じながら見ていた。安静時間中、わ たくしは、この「なんそ」の法をやっていないときは、眼を閉じ、呼吸を調え て、額に直径二センチくらいのゴルフボール程度の水晶が乗っていると観じ、 この水晶玉が転げ落ちないように、右にも行かず、左にも転げず、じっと静止 しているように心をそこに置いていた。

このサナトリウムで、わたくしは一年半ほどの間に、およそ三百人ほどの患 者と知り合ったが、三、四年ほどの間に、二人を残して、全員、悪化してこの 世を去った。それは退院後も手紙をやりとりしていたので知ったのである。そ の中には、入院当時、わたくしより軽い症状の人が何人もいたのである。

この「なんそ」の法は、白隠禅師が、青年時代(二十六歳という)、あまりに修 行に打ち込みすぎて、肺結核と一種のノイローゼになった。鍼灸はじめ、あら ゆる治療を尽くしたが効果なく、絶望しかけたときに、京都郊外の白河に住む 白幽上人という道人から、この「なんそ」の法を授かり、これを修してついに 難病をなおしたという。彼の著す『夜船閑話』に明らかである。

この法は、もと、天台の止観からきたものであるが、これまでの文章を読ま れた読者は、なぜ病気に効くか、よくおわかりであろうと思う。わたくしは、 若いころ、なにもわからぬながら、病気をなおしたい一念でこの「なんそ」の 法と必死にとり組み、おかげで健康を回復したばかりでなく、後年、瞑想や密 教観法に非常に早く習熟することができるようになった。心から感謝している

これは、非常にすぐれた意念の訓練になるので、あなたも、病気でなくても ときどきおこなっていただきたい。非常に疲れたとき、気が滅入ったときな ど、すぐれた回復法になるであろう。

7、両掌で息を吸う

 

自然体で起立。体のどこにも力を入れない。立つ脚の幅は、両肩の幅であ る。両腕は自然に垂らす。両膝は軽く曲げる。下顎はわずかに引く。 まず、長出息呼吸法、五分間。 意念を集中して、気海、関元の胞宮を視る。(内視する) 次、両腕を静かに上げながら、息を吸い込みっつ、両膝を軽く曲げる。 両の掌は前方へ向けて開き、指の先、掌全体から息を吸い込むと観想する。 両腕とともに体全体を少し落としつつ、気海、関元の胞宮に息をおさめ、ちょっ と力を入れてから、息を静かに吐き出していく。

 

Law of "Nanju"

 

This Dharma was handed down to Rinzai Zen master Hakuin by a practitioner named Hakuyu, who studied "Makashikan" (Chinese zazen classic, written by Tendai Chizu [538-597]). When I was a young man, I myself practiced it and found a clue to cure severe tuberculosis.

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First, lie on the floor with your body straight. Relax your body and close your eyes. Then think of it as having a very light feather on the tip of its nose. That

Breathe quietly so that the feathers do not move even a little.

Count the number of breaths. In other words, it is numerology. When the mind is calm, go into contemplation. He has because he sees a pill the size of a chicken egg resting on his forehead. These pills are buttery soft, made by kneading various elixir of indescribable fragrance. By the way, nanso is a kind of butter or cheese made from cow's milk.

That "nanso" is on the top of the lying head. At the top of a high mountain, in the middle of a garden surrounded by trees and flowers, I put my bed and lie down there (imagining).

Before dawn, the sun was about to rise in the eastern sky. Ah, just now, the sun has appeared on the top of the mountain far beyond him. Steadily rising. The sunlight gently envelops my whole body. Then, the warm warmth of the sun and my body temperature gradually melted the "nanso" on the top of his head. Start melting like butter melts. It began to melt slowly,

It starts to flow like leaf oil. Look, it flows over the forehead and behind the ears.

 

What a nice scent! His whole head was covered with the elixir of "what". It feels really good. “Nanso” emits a pleasant fragrance like perfumed oil and gradually flows down the body. It gradually flows from his neck to his shoulders, chest, stomach, and back. Moreover, it does not just flow over the skin, it enters the eyes and washes the eyes, enters the ears and washes the brain, and then passes through the nostrils and throat to the trachea, lungs, stomach, intestines, and liver. And, it permeates the five organs and six entrails and exerts its medicinal effect. In particular, "nanso" carefully circulates and cleanses bad places in the lungs.・I can really feel the elixir slowly seeping through the blackened cells of my lungs. After washing all the internal organs, "Nanso" continues to flow down from the lower abdomen, thighs, knees, and falls from the toes of both feet. The dripping water gradually accumulates in the bed, and from the back to the waist, the abdomen, the chest, and finally, the bottom of the chin is soaked in the melted "nanso" as if soaked in a bath. .

Before long, "Nanso" begins to flow down from one corner of the bed and settles into a pot placed under it. This jar will be opened again tomorrow morning. There, I feel refreshed in mind and body, and quietly open my eyes.

For about an hour, I did this "nanso" bath every day. However, it took two or three months for him to be able to take an hour-long "nanso" bath. At first, the sun began to shine, and "What's that?" ran down his forehead. come. He told me that this was not right, so he would start over from where the sun was shining. I used to look around in anger.

But I wanted to live no matter what. At the age of twenty or so, I didn't want to die of lung disease. I thought this was the only cure for it. His frantic feelings must have finally enabled him to take an hour-long "what's that" bath.

At the sanatorium where I was hospitalized, nearly a hundred patients were being treated at any given time, but very few of them adhered to the two hours in the morning and three hours in the afternoon.

With the exception of the seriously ill, almost everyone got up and chatted, most notably playing cards and hanafuda. When the nurses and doctors came around, the sentinel gave a signal and hurriedly crawled into bed. For whom are you recuperating? I was young and looked on with some annoyance. During resting hours, when I'm not doing this "Nanso" method, I close my eyes, adjust my breathing, and imagine that there is a crystal on my forehead about the size of a golf ball with a diameter of about two centimeters. , So that this crystal ball would not fall down, it would not go left or right, and I would put my mind there as if it was still.

At this sanatorium, I got to know about 300 patients in about a year and a half. gone. He knew it because he had exchanged letters with him even after he was discharged from the hospital. At the time of hospitalization, there were several people among them who had milder symptoms than I did.

This ``Nanso'' method is that when Hakuin Zenji was a young man (at the age of 26), he devoted himself too much to training and developed tuberculosis and a kind of neurosis. He tried all kinds of treatments, including acupuncture and moxibustion, but they were ineffective. It is said that he finally recovered from his intractable disease. This is evident in his book "Yofune Kanwa".

This law was originally derived from Tendai's insight, but I think that readers who have read the texts so far will understand why it works for illnesses. When I was young, I didn't know anything, but I desperately worked on this "nanso" method with a single desire to cure my illness. can become proficient very quickly. thank you from the bottom of my heart

.

This is a very good training of the mind, and I hope that even if you are not sick, he will do it from time to time. It will be an excellent recovery method when you are very tired or depressed.

7, breathe in with both palms

 

Stand up naturally. Don't put pressure on any part of your body. The width of the standing legs is the width of the shoulders. Let your arms hang naturally. Bend both knees slightly. Pull the lower jaw slightly. First, the long exhalation breathing method, five minutes. Concentrate your mind and look at Kikai and Sekimoto's home. (Introspection) Next, while gently raising both arms, inhale and bend both knees slightly. Open both palms facing forward, and visualize breathing in through the tips of the fingers and the entire palm. While dropping the whole body a little with both arms, hold your breath in Kikai, Sekimoto's base, apply a little strength, and then exhale quietly.

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2022年8月12日 今日の運勢

2022-08-12 08:25:42 | 運命学

 

 

2022812日  不動明王

三碧木星の日

望み事を持った人が来訪する。思い掛けない事が起こる。善因善果。神、親、社会、衆生、物のご恩をかみしめ精神本位で行動すべき日 今まで9日間の行動の善悪によって思いがけない吉凶が生じます。

心身共に安定した日。
何があっても焦らずに、じっくり腰を据えてとりかかることで、どんな問題も無理なく解決できます。
ちょとした自分の感情や欲求が思わぬ誤解を招きやすいので、控えめに過ごすことが大切な日です。

 

不動明王

 

五大明王、八大明王の一で、その主尊。種々の煩悩、障害を焼き払い、悪魔を降伏して行者を擁護し、菩提を成就させ長寿を得させるとされる。大火炎を背負い、右手に剣、左手に索を持つ

御真言

ナウ、マク、サ、マンダ、バ、ザラ、ダン、カン

カーン

司祭長(法王)
正位置・・・人生の転換。心の転換。思いやり。愛情の深まり。愛情面の不可能を可能にする。宗教(密教的なもの)。オカルト。儀式。結婚式。幸福への援助がえられる。よき相談相手。忠告。教え。勇気と功名を与える人物。宗教的な慰め。
逆位置・・・異端。慈悲や思いやりに欠ける。援助が打ち切られる。誤った情報。ゆがめられた真実。情報をつかむことによって得られた権力。宣伝。歪める。悪意のある忠告。
ウェイト解説
正位置・・・結婚。同盟。拘束。別の意味では、恵みと有徳。直感。質問者が頼りとする人物。
逆位置・・・社会。良い理解。調和。過剰な親切。弱さ。

 

 

 

 

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